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109.<番外編 リュー> 魔王はつらいよ その2

 風呂場では丹念に身体を洗われ、髪と肌に香油を塗られた。

 そのあとは三人がかりで身支度を整えられる。


 平生は無造作に流している白髪をきつく結い上げられ、皮膚が引きつる。

 さらに普段は着けない下着で胴を締められ、留め具が大量にある服を着せられたかと思えば上にもう一着追加される。首が詰まって苦しい。


 どんどん不機嫌になるリューに、着付け係の者たちが表情を強張らせていくが、下々を気遣う余裕など今はない。


「どこのどいつが用意したのだ」


 窮屈な衣装に、ぼやかずにいられなかった。


妖冶(ようや)の君からの贈答品です」

「……ああ」


 同輩『妖冶(ようや)に濡れるもの』の嗜虐的な笑顔を思い出して、低い声で嘆いた。嫌がらせ半分なのだろう。


 今日一日の辛抱だ、来年は何を言われようが出席してやるものか、と秘かに誓った時だった。


「お控えください!」


 室外から側付の声が聞こえた。いやに慌てふためいているようだ。


「まだ準備の途中です! いかに貴方様と言えど――」


 高い声が途中で途切れる。面倒な者が面倒事を背負い込んでやって来たようだ、とリューは着付けの最終仕上げをしている者たちを下がらせた。


 大きな音を立てて扉が開く。


 すでに気配で正体をつかんでいたが、リューはあえて闖入者の上から下までを見回した。

 リューの側付の首根を締め上げながら立つそいつは、長い白髪を揺蕩(たゆた)わせる長身の男悪魔だ。紺色の長衣をまとい、峻険な目線でリューを射てきている。


 七大公の一人、『倨傲(きょごう)に構えるもの』だ。

 その通名が示す通り、傲然と口を開く。


「見違えたな。美麗な衣装に包まれていれば、貴様もまた高貴な存在であるということが容易に認識できる」


 第一声がその嫌味か――とリューは嘆息する。

 無視してもいいが、言い返すのも一興か。


「出迎えにはまだ早いだろう。暇が過ぎて、せっかく整えた衣装を崩しにきたか?」


 リューは口角を舐め、あえて淫らな視線を向けた。

 対する『倨傲に構えるもの』は不愉快そうに、手に持っていたリューの側付を部屋の隅に放り投げた。高位悪魔の怒気にあてられ、すっかり意識を失っている。可哀相に、あとで愛でてやろうと思う。


 『倨傲に構えるもの』は腕組みし、ひどく横柄に言った。


「式典前に話がある」

「暇潰しに聞いてやろう」


 二人の大悪魔は衣裳部屋の中央で対峙する。


「近年、貴様の行いは目に余っていたが、先日はとうとう大事を為したな」


 想像通りの切り出しに、リューは小さく鼻を鳴らした。

 その態度に顔を歪めながらも『倨傲に構えるもの』は続ける。


「よくも己の立場をわきまえず振る舞ったものだ。魔女に乞われるまま神どもの遊戯に首を突っ込んで、集会の場を混乱せしめたらしいな」


 その一言一言にたっぷりと呵責の念が詰まっていた。

 それでもリューは涼しい顔で立っているだけ。


 『倨傲に構えるもの』はリューからしてみれば若輩である。幼少の頃はさんざんいたぶってやったものだ。――ゆえに屑蟲(くずむし)の如く嫌われているのだが。

 そんな若造の言葉を真正面から受け止める道理はない。

 つんと澄ました顔をしていると、ますます強く睨まれた。


「貴様が魔女を持つということ自体が捨て置けぬ事態だというのに、また神との諍いの種を植えようとするのか」


 それもやぶさかでない、という言葉を飲み下し、リューは冷えた声で言う。


「魔女を持つな――と? 悪魔の本能を捨て、このスンヴェルで永劫に暇を持て余せと言うのか」

「そうは言っていない。ただ、分別を働かせろということだ」

「分別だと、笑わせる」


 リューは瞳を煌めかせ、牙を剥いた。


「我々は契約した魔女を愛おしむ存在だ。そのわがまま一つ聞いてやれぬで、何が悪魔か」


 美也子の一世一代の大願、アスラ神の帰還。

 それを『わがまま』の一言で片づけてしまうのは自分でもいかがなものかと思うが、それでもそれを叶えてやれたことはリューの誇りであった。……たとえその願いが、他の女のためだとしても。


 『倨傲に構えるもの』も語勢を強くする。


「わがままの度が過ぎるということだ。特等契約を許さぬ魔女など、与えず奪うだけの卑しい女に過ぎない。それのどこが愛しいのか」


 ――卑しい、だと。

 美也子を貶められれば捨て置けぬ。リューは怒りに柳眉を歪めた。

 特等契約は強要するものではない。すべてを投げ打ち、共に生きる覚悟を女からさせねばならない。そのための駆け引きすら愉しみの一つだというのに。


 それを、『卑しい』というのか。なんたる無粋、なんたる侮辱。

 湧き上がる激情を、上級悪魔の矜持でぐっとこらえた。

 このまま飛び掛かって肉を食い千切ってやろうと思ったが、まずは口上を述べるべきだろう。それが戦のルールだ。


「さて……」


 リューはうつむき、右手で顔を覆う。


「お前と出会って幾星霜、肩を並べて戦ったことはあれど、その矛先を向け合ったことは終ぞなかったな。かつてはそれを望んでいたというのに、互いに丸くなってしまったようだ」


 指の隙間から『倨傲に構えるもの』を窺う。彼は、リューの言葉の意図がつかめず怪訝な表情を見せていた。


「だが……」


 リューは煮えたぎる腹の底から声を発する。

 

「己が魔女を侮辱されておきながら口をつぐむなど、悪魔の名折れ、その本能を穢す愚行よ」


 先ほどは抑えた、胸中の憤怒を一気に噴出させた。


「七大公などと崇められるうちにそんなことも忘れたか……!」


 顔から手をどけ、正面から眼前の『敵』を見据える。


「本日の式典、一つ空席を作ってやろう……!」


 両手を広げ、全身から魔力を噴出させた。不可視の力が大気を舞い、強襲のため鋭く尖る。


「貴様……!」


 『倨傲に構えるもの』は苦い顔で一歩後退した。力は互角だろうが、ここはリューの居城テリトリー。舐め腐って単身敵地に飛び込んできたことを後悔させてやるべきだ。


 だがその時、肉体を引っ張られているような感覚にリューははっと我に返った。


 ――魔女に呼ばれている。


 美也子に必要とされているのだ。美也子に会える。

 危機的状況にあるのかもしれない、それでも駆け付けられることが、頼ってくれたことが嬉しい。


 リューからは一瞬にして怒りが消え、花がほころぶような笑みが顔いっぱいに広がる。


「愛しい魔女からのお誘いだ。これにて失礼する」


 右手で虚空を撫でると、ぱっくりと空間が割れた。

 背後で何かわめく者を無視して、そこに身体を滑り込ませた。

「屑蟲の如く」=蛇蝎の如くの異世界風言い回し


「妖冶」=なまめかしく美しいこと

「倨傲」=おごりたかぶること

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