108.<番外編 リュー> 魔王はつらいよ その1
リュー視点の番外編となります。
時系列は107話の翌月くらいです。
スンヴェルの空は、今日もどんよりと曇っていた。
漂う濃密な魔力がそうさせているのだ。ここは十三世界において最も大気の魔力が濃い。
それもそのはず、遥か昔、悪魔たちがくびり殺した神使の死骸がそこら中に埋まって、未だその肉体から魔力が漏れ出しているからだ。
陰鬱な空は、とうに見慣れてしまったはず。それでも他の世界へ渡って、美しく清々しい蒼穹を知ってしまえば、それが恋しくなるものだ。
愛しい魔女が傍らにいるのならば、なおさら。
居城の窓から灰色の雲を見上げつつ、悪魔『惰眠を貪るもの』こと『リュー』はそう考えていた。
背後を向けば、広大な部屋に広大な寝台。無駄に装飾された調度品。
彼女が望んだものではないが、立場あるものはそれに相応しい居を構え、相応しい生活をするべしという同胞たちに流されてしまった。
好きにさせておけばいいかと思っていたが、ごくまれに胸に暴力的な衝動が渦巻く。与えられたものも、定められた秩序も何もかも破壊し尽くしてしまいたいと。
それこそが悪魔の本来の性質なのだ。はるか昔は、それのみに従って生きてきたことを思い出す。
――ゆえに、衝動に身を任せたあとの虚しさもよく知っていた。
「あら~ん、今日はいつになく早起きねん」
寝台の上に寝そべっていた『墓場の上で誘うもの』が身を起こした。
彼女はリューの配下ではないが、ここ百年ほどは懇意にしている。その奔放で明るい性格はリューの好むところで、お互いの『弱点』を知り尽くすほどには、濃厚な関係を築いていた。
美也子という至高の人間を紹介してくれた大恩があるのも大きい。
さらに、お互い魔女に特等契約を拒まれているという共通点もあって、近年はますますべったりだ。
「今日は九時の鐘が鳴る頃には起きろと、近習共がうるさくてな」
不快げに吐き捨てると、『墓場の上で誘うもの』が胸と尻尾を揺らして寄ってきた。
「そういえば今日は、スンヴェル平定記念だかの式典だったわねん」
ぷっくりとした唇に指を当て、上を向きながら女悪魔は言う。
「そういうのがイヤで引退したんでしょぉ? どうしていまさら出席するのん?」
リューは思わず笑った。やはりこの女悪魔、いい性格をしている。
約二年前、リューがこの女悪魔の主君であり七大公の一人『艶羨に囚われしもの』を叩きのめして、当分治癒せぬ怪我を負わせたからだ。
そいつは、美也子と契約したリューを非難し、それを仲介した女悪魔を手酷く折檻した。
そのお返しをしたまでだが、かつては肩を並べていた相手に徹底的にやられた屈辱に、あと数年は居城から出てこないだろう。
「分かっているだろう。お前の主の代わりに参列せよと、他の連中が騒ぎ立てるからだ。七人揃わねば恰好がつかぬと。無視してもいいが、いい加減ヤツらからの心証を回復させておかねばな」
そう、ここ最近の振る舞いのため、リューはいささか孤立気味なのだ。
まず、『初代七大公』にして『全てを統べるもの』たるリューが、安易に魔女を選んだこと。
七大公の連中は、強大な力を持つ自分たちは魔女契約を自粛すべきであるという考えなのだ。
リューからしてみれば不服極まりない。悪魔はいつからそんなに保守的な種になってしまったのか。
魔女に相応しい娘は放っておけばすぐに年を取り、男を知る。
そして最大の原因は、魔女に乞われるまま神々の集う場に姿を見せ、威嚇し、従わせたことだ。
悪魔と神の二次大戦を起こすつもりかと、両の手では足りぬ数の同胞から責められた。
実際はただ突っ立っていただけで、アスラ神が自主的に元の世界へ帰っていったに過ぎないのだから、非難される謂れはない。――もちろん場合によってはひと暴れしてやるつもりではあったが。
今のスンヴェルでは理と秩序が重んじられている。
それを破り奔放に行動するリューは、他の七大公には目の上の瘤なのだろう。
退位したのだから捨て置けばいいものを、まったく鬱陶しいことこの上ない。
嘆息しながら、リューは美也子のことを想う。
容姿こそはありふれた娘だが、純粋で聡明、狡猾で怠惰、人懐こいが身持ちが固い。己が愛されていることを知っており、ゆえに己を大切にできる。
すぐに泣くからまだまだ子どもだと思えば、神へ挑もうとする恐れ知らずの心を見せる。
契約してからまだ数年ほどで、共に過ごした時間だけを数えればたかが知れている。
それでもリューは千歳美也子という娘が可愛くて愛しくて仕方がない。
次はいつ会えるのだろう、あの魔力のない世界に留めておくことがもどかしい。それでも、あの世界で家族友人に囲まれて暮らしたいと願う美也子の意思を尊重してやりたい。
それから、前世のヒュー・クリスデンのことも考える。
あの男は、その環境と責任感ゆえに、いささか拗らせすぎていた。美也子も一歩間違えばそうなる可能性がある。同じ轍を踏ませないようにしなくては。
獣人の娘に傾倒しているのが玉に瑕だが、先に寿命が尽きるのは恐らく獣人のほうだろう。
その時、絶望する美也子を言い包め、若い身体に交換させて――。
それを想像すると自然と笑みが浮かぶ。倒錯的な喜びだという自覚はあったが、美也子が頑なに拒否しない限りはそれを試みたいと思う。
「うふふ、元クリスデンちゃんのことを考えているのねん」
女悪魔の指摘に我に返る。
「そういう時のあなたは、とても魅力的な顔をしているわん」
「お前だって、自分の魔女と話している時はどれほど目尻が下がっているか知らぬのか?」
視線を絡め合いくすりと笑う。それからどちらからともなく顔を寄せ合いキスをする。唇を吸って、文字通り甘い体液を交換した。
本当は自分の魔女としたいと考えているのだろうが、お互い様だ。
ふと部屋の外に気配を感じ、さっと離れた。
来訪者に女悪魔との行為を見せつけて驚かせたり巻き込んだりする戯れは、とうの昔に飽きていた。
「我が君」
突如、室内に小柄な悪魔が出現する。リューの側付の一人だ。
悪魔には『ノックをする』という文化がない。ただ、己の気配を隠さず近付き、存在を主張するのみ。
「そろそろご支度を」
「……式典は午後からだが、本当にこんな時間から準備が必要なのか?」
「いえ、まずは湯浴みをして頂きませんと」
その不快な単語に眉根を寄せる。
「三日前に入ったばかりだろう」
「今日も入れておけと、貪婪の君に申し付けられております。重要な式典への参列ゆえ、念入りに手入れをしてやるようにと」
七大公『貪婪を善しとするもの』の指示があったようだ。
リューは舌打ちせざるを得なかった。ただでさえ風呂は嫌いなのに、今日は『念入りコース』なのか。
まぁ今日くらいは、他の同胞に迎合しなくてはならない、か。
「いってらっしゃ~い。アタシはもうちょっと眠るわぁ」
と女悪魔が笑顔で手を振った。
『惰眠を貪るもの』の寝所で惰眠を貪ろうとするとは、まったくいい度胸をしている。
七大公の名前について
※今回限りですので覚えなくても大丈夫です。
「惰眠」=なまけて眠ること
「艶羨」=うらやましく感じること
「貪婪」=欲深いこと
 




