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105.そして神話は一つ増え



 ヘラーが徒歩で駅へと去り、場には美也子とエイミ、イザベルと悪魔が残された。


 アレクシスに怒っていた悪魔は、彼が去ってもまだ不機嫌そうに眉根を寄せている。


「いつまで仏頂面してるのよ」

 

 イザベルは悪魔を抱き上げて頬擦りする。まるで犬や猫に対するような仕草だが、険しかった悪魔の表情はほぐれていった。

 悪魔への機嫌取りもあるのだろうが、イザベル自身も何か嬉しいことがあったかのような雰囲気だ。


「美也子ちゃん、あたしは投票に関しては大した協力はできないわ。一票を入れてあげるだけで精一杯」

「はい、もちろんそれをして頂けるだけで十分です」


 真っ直ぐ答える美也子に、イザベルは優しいお姉さんのような笑みを浮かべた。


「でもね、もしアスラ神が戻ったら――いろんな世界に行って、あなたの話を広めるわ。順応性が高いから、どの世界にだって行けちゃうもの」


 悪魔と視線を交わし、双方当然のように頷き合う。


「獣人への怒りや憎しみ、差別や侮蔑も、すぐにどうにかできるものではないし、あたしもやっぱりまだその子とは仲良くできそうにない。……けれど、いつかは収束するでしょう。ヒトって、そういう生き物じゃない?」

「……そう、ですね」


 そんなにシンプルに事が進むだろうか、とは思ったが、希望を込めて同意する。それよりもイザベルの心遣いが嬉しく、また涙が出そうになる。


 一度は悪魔をけしかけ戦い合った仲だが、ここまで美也子のために心を砕いてくれるようになるとは思わなかった。むしろ、彼女なくしては今日ここでの出来事は起こりえなかった。


 イザベルと出会えたのはリューの、リューと出会えたのは真由香の、そして真由香と出会えたのはクリスデンのお陰だ。

 そして、最愛のエイミと出会うことができたのもまたクリスデンのお陰。そのエイミへの気持ちに気付かせてくれたのは愛奈だ。


 それらの偶然の出会いに感謝するしかない。もちろん、感謝するのは神相手ではなく、運命に、そして前世に。


 感極まって目頭を押さえていると、その湿った空気を吹き飛ばすかのようにイザベルが明るく言う。


「一人の少女が神を諫めて一つの世界を救った、しかもそれが愛の力で――なんて、すごくロマンティックよね!」


 悪魔を抱えながら、その場で踊るように一回転してみせた。


「そしてあたしは十三世界の歴史が動いた瞬間の立会人となり、神話を広める語り手となる。こんなに面白いことって他にないわ!」


 ――世界の歴史が動き、神話となる――。


 そんな大袈裟な、と思ったが、美也子のしようとしていることはそういうことなのだ。

 重圧を感じたが、頭を振って打ち消す。もうとうに決めたことだから。

 まだ実現できるか分からないが、こんなにたくさんの人たちがついていてくれるのだから、きっと大丈夫だと思う。





 アスラ人たちとの会談を終えた日の夜。

 美也子はベッドの中でエイミときつく抱き合っていた。


 エアコンが効いているにしても、掛布団が夏用だとしても、暑いことには変わりない。

 それでも、二人の関係がまた一歩進んだ喜びが胸からあふれ、強く身体を寄せさせた。

 その喜びを感じるには、まだ早いと分かっている。ただ決意を表明しただけで、事が成ったわけではない。

 それでもそうせずにいられないし、願いが叶った暁にはまた同じことをすればよい。


 エイミは眠りにつく気配もなく、ずっと口元を緩めている。部屋の明かりは消してしまったけれど、目が慣れてきたため間近にあるものなら視認できた。

 その幸福そうな笑顔を見ていると、美也子はどきどきして眠れなくなる。


 アスラ人の前に連れ出して怯えさせてしまったことへの後ろめたさや、自分の発言が独りよがりでなかったかという懸念もすべて吹き飛んでしまった。


「幸せなことばかりが立て続いて、わたくしは恐ろしいくらいです」


 ぽつりとエイミが言った。


「わたくしのような者が、こんなに幸福で……」


 エイミはそこで口をつぐんだ。己への卑下が美也子を悲しませていることを理解してくれたのだ。


「エイミが幸せなら私も幸せ。私が幸せならエイミも幸せ。それでいいじゃない」

「そんな……嬉しいことをおっしゃられると……」


 エイミの言葉が尻切れた。目を伏せ、小さな唇だけをもごもごと動かしている。

 美也子はその部分に狙いを定めて首を伸ばした。

 もう何度も交わしたせいで、その行為の希少価値は薄れてきていた。それでもなお、すればするほど胸に温かいものが堆積していく。


 そのままうなじに手を差し入れ、くすぐる。エイミもまた暑いのだろう、たっぷりと汗をかいて湿っていた。それでも構わずあちこちを撫でて、首筋にもキスをする。

 エイミが身をよじって小さな嬌声をあげるから、ますます楽しくなる。


 気付けば、エイミを身体の下に敷いていた。のしかかるような格好になっている。

 そのまま真っ直ぐ見つめると、エイミは視線をさ迷わせたが、やがてひとところに目をとめた。その目線を追うと、壁掛け時計の文字盤がぼんやりと光っていた。


「も、もう二時ですよ。お眠りにならないと、身体に障ります」

「えー、だって眠くない」

「まあ……悪いご主人様ですね」


 くすりと笑うその表情は幼子を諫めるようでもあり、悪戯めいてもいた。獣の耳は、何かを期待するようにピンと立っている。


「……私が悪い子なのは、エイミのせい、全部エイミが悪い」


 美也子の口から漏れたのは、甘い罵倒。意味をつかめず眉尻を下げるエイミ、その額や頬に張り付く体毛をそっと除け、二の句を継ぐ。


「……だってこんなに愛しいんだから。こんなに私を幸せにさせるんだから。責任取って。責任取ってよね。私も責任を取るから。責任もって、エイミをもっと悪い子にしちゃうから」


 横に立って一緒の視線で物を見て、意見を言って、反発して、駄々をこねて、嫉妬し、笑い合いたい。


「そのためなら、何だってするよ」

「ご主人様……」


 エイミは美也子の下で肩を震わせた。少し泣きそうになっているようだ。泣く姿も可愛いが、今それをされると少し困る。

 安心させるように微笑んでから、エイミの唇に自分のそれを深く重ねた。





**


 そして数年後。

 矢吹櫻子が記すブログのアスラの章。それがひっそりと更新された。

 アスラの天変地異はなぜかぴたりと収まったらしい。

 その内容は真実なのか、それとも空想なのか。詳細を知る者は、もうそれを読むことはない。

エピローグへと続きます。


7章の章題は、ことわざ「一樹の陰一河の流れも他生の縁」より。

あらゆる人と人の出会いは、前世からの運命・縁である、というような意味です。


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