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104.愛と欲望

 とりあえず本日は解散の流れとなったが、美也子は全員を見送るまで帰宅するつもりはなかった。


 まずはタクシーに乗り込む絹代に向かって、何度も頭を下げる。右側に立つエイミもそれに倣い、左に立つヘラーも深々と辞儀をした。なぜこの女性ひとまで一緒に並んでいるのか、ちょっと意味が分からなかった。

 だとしても、言わずにはいられない。


「あの、絹代さん」

「はい」

「ヘラーさんたちを帰れなくしてしまったのは、この私です。それをお世話して頂いて、私からもお礼を言わせてください」


 すると絹代はわずかに目を見開き、視線をヘラーへと移した。そしてふっ、と吹き出す。

 らしくない素振りに疑問符を浮かべながらヘラーを窺うと、美也子から素早く顔を逸らした。その白い耳が朱に染まっているのは、夏の日差しに焼かれたからだろうか。


「とんでもない、私はアスラコミュニティの人間として、当然の支援をしただけです」


 上品な笑みを浮かべる絹代だったが、口元が震えているような気がした。まるで大笑せんとするのをこらえているかのようだ。


「ヘレナさんも、美也子さんをお願いしますね」

「……え、ええ」


 なぜか女は動揺している。

 そして絹代は美也子を見た。柔らかい眼差しだったが、有無を言わさぬ圧を感じた。まだ事が成ったわけではないから、ゆめゆめ慢心するな、ということだろうか。


「では、近いうちにまた」

「はい」


 タクシーが見えなくなるまで、美也子はその場から動かなかった。酷暑の中、一刻も早く涼しい場所へと移動したかったが、それが子どもの美也子にできる精一杯の感謝だった。


 汗をぬぐいながら背後を振り返ると、店の軒下の日陰にイザベルとアレクシスが寄り添って立っていた。どこか親密そうな様子に、思わず眉をひそめてしまう。

 と、イザベルの背後から何かが飛び出して、二人の間に割り入った。

 人間に擬態したイザベルの悪魔だ。子どもの姿で、今日は水玉模様のワンピースを着ている。蹴り付けられたアレクシスは、何かを喚きながら悪魔を捕えようと腕を振り回していた。

 イザベルはさも愉快そうな笑みを浮かべているだけで、止めようとはしない。


 周囲の客は、外国人親子が騒いでいるなぁ、と言わんばかりの冷たい目を向けている。それにいたたまれなさを感じた美也子は、他人のふりをしてこのまま帰ろうかと逡巡した。

 だがその前に悪魔に見つかってしまった。短い脚をたどたどしく動かし、小走りで寄ってくる。


「これは偉大なる御方の契約者様、ご機嫌麗しゅう」

「あ、どうも」


 相変わらずのへりくだりようだが、上目遣いが可愛らしく、頭を撫でたいという衝動が湧いてくる。やっちゃってもいいかな、と思ったが、本性は立派な女悪魔だし、他所の魔女の悪魔に対して馴れ馴れしくするのも失礼だろう。


「そんなに汗をかいて、体調を崩されてはあの御方が嘆かれます。さぁ陰へお入り下さい」


 恭しく手を取られ、イザベルらの元へ導かれる。ふと魔女を見ると、やや不愉快そうに口を尖らせていたため、慌てて悪魔の手を振り解いた。やはり撫でなくて正解だった。


「あの、改めてありがとうございます。そしてこれからよろしくお願いします」


 アスラ人二人にそう言うと、イザベルの表情が緩む。


「うふふ、こちらこそよろしくね」


 一方のアレクシスは、鋭い目で美也子を見下ろしてきた。ただ身長差があるだけで、威圧しているのではないと理解できたが……それでも少し怖い。

 美也子の萎縮を悟ったのか、軽く息を吐いてからアレクシスは言う。


「……お前がアスラを救いたいという理由が、義憤や善意からくるものだったなら、笑い飛ばしていただろう。ガキが何を言うのか、と」


 やや厳しい物言いだが、美也子はその言葉を真摯に受け止めた。目線が交錯すると、アレクシスは口角を吊り上げ、美也子の肩に大きな手を置いた。


「だがお前の願いの根幹にあるのは利己心――愛と欲望だ。その二つは、あらゆる世界であらゆる人間を狂わせてきた無数の前科がある。賭ける価値もあるというものだ」


 そしてアレクシスはエイミを見遣る。エイミは幻術のかかった顔で怯えを見せたが、すぐに元の表情に戻った。男の目には敵意など一切なかったからだ。


 それに安堵した美也子は、アレクシスから言われた台詞を吟味する。

 『愛と欲望』。そのワードがいやに頭に残り、照れ臭くなる。

 確かに美也子はエイミへの公開告白をしてしまったが、それを『愛と欲望』なんて明け透けな言い方をしなくともいいだろうに。

 でも、賭ける価値があると言ってくれた。それはとても嬉しい。

 

 にこやかな笑みを浮かべたイザベルが口を挟む。


「そうね、あたしもそう思ったし、絹代さんも同じじゃないかしら。しかもたった十五歳の子が、涙をこらえながらそんなことを言うんだもの。心を動かされないワケないじゃない」


 実際はこらえ切れなかったし、そんなふうに思われていたのかと激しい羞恥心が襲ってくる。

 真っ赤になってうつむいていると、再度アレクシスの声が掛かった。


「まぁ、よろしく頼む。きっとこれから長い付き合いになるだろう」


 気安いアレクシスの態度に胸を撫で下ろし、ふと気になっていたことを尋ねた。


「あの、北欧って寒いですか……?」


 するとアレクシスは、きょとんとした表情を見せた。そしてわずかのち、大きな声を上げて笑う。出会って初めて聞く彼の笑声に、美也子は唖然と口を開けた。


「お前がしているのは、気候の心配か! これは大した大物だ!」


 男性の強い力で肩をばんばんと叩かれ、美也子は面食らう。止めてくれたのはイザベルの悪魔で、アレクシスの脛をつま先ではなく踵で蹴った。これはさぞ痛かろう。


「無礼者!」

「このチビ!」


 また騒がしくなる二人を放置し、なぜ気候を気にしてはいけないのかと美也子は首を傾げた。聞かずとも寒いに決まっているから、だろうか。


 しばし悪魔と攻防を繰り広げていたアレクシスだが、やがて飽きたらしく、大股で駐車場へと去って行く。

 振り向かずに手だけ振る姿は、とても頼もしげだった。彼もきっと、美也子の大きな力になってくれるだろう。

 そして青いスポーツカーに乗って、爆音を響かせて国道へと抜けて行った。あのようなうるさい車は大嫌いだ、と美也子は辟易し、彼への好感度を大きく下げる結果となった。


「ところで……『美也子』」


 不意に声を掛けてきたのは、ヘラーだった。彼女に名前を呼ばれたのは、これが初めてではないだろうか。


「は、はい」


 何事かと息を呑んでいると、女はバッグからスマホを取り出した。もうそんな文明の利器を使いこなせているとは、恐れ入る。いや、弟子のカリュピナとかいう女が高い順応性を持っていると言っていたので、彼女からの指導があったのかもしれない。


「連絡先を交換してくれないか」

「へっ」

「以前迷惑をかけた謝罪もしたいし、食事にでも行こう」


 ヘラーは眉間にしわを寄せ、ひどく怖い顔をしていた。食事に誘うには相応しくない形相だ。

 傍に立つイザベルが失笑を漏らし、エイミは複雑そうな顔をしている。


「文句があるのか、エイミ」

「い、いいえ、たまには宜しいかと存じます」


 慌てて頭を振るエイミに、ヘラーは鋭い目を向けた。


「……()()()()?」

「いえ、その、ご主人様は学生ですゆえ……。あまり頻度が高いとお母様に叱られてしまうかもしれませんので」

「……そうか」


 肩を落とすヘラーだが、しっかりとスマホを握りしめている。


「だが一度や二度ならよかろう。さぁ、QRコードを出せ」


 強盗のような物言いをされて、美也子は大人しく従うしかなかった。

 連絡先の交換が終わると、ヘラーは画面を眺めながら満足そうな笑みを浮かべる。その笑顔はあまりに柔らかく、十歳ばかり若返ったようだった。

 つい見とれていると、ヘラーが形の良い唇を動かす。


「以前は断られたが、やはりお前の母親には挨拶をしておきたいのだが」


 そんなふうに言われて、美也子は連絡先を渡したことを激しく後悔した。

イザベルとアレクシスが親密そうなのは、かつて肉体関係があったからです。

アスラから逃げてきた少年のアレクシスを、色々な意味で優しく慰めてあげたのがイザベルでした。

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