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100.恥知らずの雌犬め

「ヘラー様……」


 呟いたのは、エイミだった。


 遅れてやって来た人物は、ネヴィラ魔導師協会のヘラー。

 かつてエイミを誘拐し、美也子を小娘と嘲弄し、結果二度と故郷の地を踏むことができなくなった女。

 金髪を後ろで一つにまとめ、かつてのようなスーツ姿ではなく、カジュアルなブラウスとタイトスカートを着用している。


 ヘラーは眉をひそめ、美也子ではなく、幻術で姿をぼかしているエイミを見た。


「その声、貴様、エイミか」


 早速バレた、と美也子は立ち上がり、やや痺れた足を無理に動かしてエイミの前に立ちはだかる。


「ヘラーさん、後で事情を説明するので、今はエイミのことは気にしないで下さい」

「お前は……」


 複雑そうな顔を見せたものの、ヘラーは黙って座敷に上がり込む。

 よく見れば、すらりとした足は柄入りのストッキングに包まれ、そこから透ける足の爪には夏らしいブルーのペディキュアが塗られていた。ラインストーンまで入っている。

 こちらでどんな生活を送っているか心配だったが、お洒落する余裕がある程度には馴染んでいるようだ。


 美也子はエイミを上座へ追いやり、自分はヘラーとエイミの間に腰を下ろす。

 その様子を見て、イザベルが『あら』と呟き、絹代はわずかに苦笑する。


「遅れて申し訳ない」


 ヘラーは絹代に向って丁寧に頭を下げる。

 あんなに高慢な態度だった女がこうべを垂れている姿を見て、美也子は改めて絹代の権力を悟った。絹代が、ヘラーたちに援助をしているとみて間違いなさそうだ。

 絹代はかすかに首を傾げる。


「迷いませんでしたか? 迎えにあがってもよかったのですが」

「いえ、とんでもない。おかげさまですっかりこちらにも慣れましたから」


 そのやりとりを見ながら、美也子はすでに用意されていたグラスに烏龍茶を注ぎ、ヘラーに渡してやる。


「ヘラーさん、どうぞ」

「……すまんな」


 面々の飲み物が減っているのを確認してから、ヘラーは茶をあおいだ。今日も猛暑で、さぞ喉が渇いていたことだろう。


「では、注文しましょうか。ここは私が持ちますので、どうぞ遠慮なく好きなものをご注文なさって」


 絹代がメニューブックを渡してくる。もう一つのメニューは、イザベルとアレクシスが二人で独占してしまっている。彼女らに、絹代に対する敬意はないのだろうか。


「あの、ヘラーさん、どうぞ」


 彼女に対してはやはり罪悪感があるため、つい優しくしてしまう。女の眼前に、メニューを広げた。


「お前は決めたのか?」

「私はこの普通のひつまぶしでいいです」


 他に『上』と『特上』があるが、初対面の者のおごりでそれはないだろう。


「そもそも、『ひつまぶし』とは一体何なのだ」


 ヘラーは胡乱な目で写真を眺める。茶色いな、とぼやいた。


「鰻っていう魚ですけど」


 と、メニューの表紙に描かれているイラストを指さす。


「これは、蛇……いや、竜ではないのか?」

「はっ、え!?」


 ヘラーの口から出た予想外の単語に、美也子は素っ頓狂な声を出す。ネヴィラには鰻型の竜がいるというのだろうか。


「いや、魚です。美味しいと思いますよ……」


 異世界の女の口に合うかは分からないが、珍味というわけでもない。日本で暮らしているのなら、米食にも慣れただろう。


 むしろ、小食で薄味志向のエイミの方が心配だ。

 お昼はお茶漬けを食べることが多いと言っていたので、出汁を掛けてやれば何とかなるだろうか。残すようだったら、美也子がありがたく頂こう。


「特上でなくてよろしいの?」


 絹代がくすくす笑う。その横の二人は、五千円もするそれを選択していた。ついでに『う巻き』も注文するそうだ。

 彼らの辞書には遠慮や謙虚という言葉はないのだろうか、と思ったが、彼らは異世界人であり外国人でもあるのだからそんなものだろう、と内心で納得しておく。


 美也子だって本心では『特上』を食べてみたいし、食べ盛りの食欲に任せてすべて胃袋に収め切る自信はある。それでも一番高価なものを選択し、サイドメニューまで要求する豪胆さはなかった。


「普通ので結構です。エイミ……この子も。ヘラーさんも、もしかしたらお口に合わないかもしれないので、普通のにしておいたらいいと思いますよ」

「そうだな……」

 

 再度絹代が笑声を漏らす。おそらく、てきぱきと指示する美也子と、素直にそれに応じるヘラーに微笑ましいものを感じたのだろう。


 注文を取りに来た店員が去ると、絹代はヘラーに話し掛けた。


「ところでヘレナさん」


 その名が、ヘラーの日本での偽名だと思い出す。

 美也子は、隣に座すヘラーがひどく動揺し始めたことに気付き、眉をひそめる。


「絹代殿、私は……その」


 震える声でヘラーは言葉を濁す。

 はっ、と美也子は悟った。ヘラーは、『ネヴィラの大魔導師』の居場所を知りながら、そしてアスラ人がそれを探していると知りながら隠蔽し、何食わぬ顔で彼らの援助を受けていたのだ。


 もしや断罪のために、ここにヘラーを呼び出したというのだろうか。そういう重い話はやめて欲しいと、美也子も身を硬くする。


「いえ、謝罪は不要です。あなたにも故国での立場があったはず。今日お招きしたのは、この千歳美也子さんの……いわゆる『面通し』のためです」


 静かに絹代は告げる。


「あなたのその態度だと、やはり間違いないようですね。彼女がネヴィラの大魔導師の生まれ変わりだということは」

「はい……」


 教師に叱られている学生のように、ヘラーは縮こまっていた。

 それを見て、絹代は上品に笑っている。温厚な老婆の笑みだが、その奥に底知れぬものを感じ、美也子はわずかに震えた。


 美也子がまことに大魔導師の生まれ変わりかを確かめたいのなら、契約した悪魔を召喚させて尋ねれば事足りる。わざわざここにヘラーを呼んだのは、やはり責問のためなのだろう。


「恥知らずの雌犬め」


 ヘラーに罵声を浴びせたのはアレクシスだった。雌犬と聞いて、エイミまで肩を震わせる。


「ただの異世界調査だとうそぶいていたらしいな。何食わぬ顔で、日用品から宿、偽の身元まで用意させておいて。その娘を連れてネヴィラに連れ帰れば、自分たちの勝ち、だと思っていたな」

「返す言葉もない」


 ますます身体を強張らせるヘラーを、つい哀れに思ってしまった。


「いいのですよ、その分の代金は頂いていましたから。あとは渡界法に引っ掛からない程度に行動して頂ければ、こちらは文句ありませんでした」


 絹代はしわの刻まれた顔で穏やかに笑んでいるが、やはり内心は計り知れない。


「さぁ、まずは食事を楽しみましょう」


 明るいその声に、室内に漂う緊張感がずいぶん緩和した。

ヘラーがおしゃれしてきたのは、美也子に会えるからです。

同窓会に初恋の人が来るから気合いれて行こう、みたいな感じです。

もうだいぶこっちの世界に馴染んでます。

絹代の仲介で魔法を使った仕事をしているので、お金には困っていません。

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