5-10.終焉に向けた針は動き出す
溢れ出す光が発散した後、そこには真っ黒な
人間の形をした靄が現れる。
ゆらゆらとかすむその靄は、ただ立ち尽くし
来たる死を受け入れようとしているようだった。
「リネス!!最後は私に任せてほしい!」
アリーはそう叫ぶと母親の手を引いて前に出る。
「父さん、ありがとう。天国でもまた家族になれるといいね。」
アリーはそう呟くと、聖域の精霊系統の魔法の
詠唱を始める。
祈るように組み合わせた手に彼女の母親が
自分の手を重ねる。
その手と手の隙間からあたたな光が溢れ出し、
そっと靄を包み込んで行く。
ハイリヒトゥームの魔法は浄化魔法だ。
通常であればアンデッドや亡霊、悪魔を
焼き尽くすための術だが、
術者があたたかな心で祈ることで
こんなにも優しい魔法になるのかと
おれは感心する。
同じことを魔法に精通するリーニャも
感じているようだ。
優しく笑顔で全てを見守っている。
そして、光は灰色の空を穿ち、その隙間に覗く
美しい空にアリーの父親の魂を運んでいった。
彼女の手のひらには、小さな石版が現れる。
「父さん、ありがとう。」
アリーは何度もなんどもそう言って空を見上げた。
「みんな、準備ができたら一度リンガルシアに戻ろう。
アリーのお母さんをちゃんと街まで送らないと。」
「リネスさん、さきほどの戦いで防具が壊れたので
装備を買い足したいです。」
「リネス、食料も減ってきたし一度買い足したほうが
いいかもね。」
リーニャとネリーも賛同してくれた。
「それじゃあ、行こうか!」
「ええ!母さん、街までもど、、、!?」
振り返ったアリーは驚愕で目を見開く。
それはその変化を察知して、アリーの視線を追った。
そして、そこには信じられない光景が広がっていた。
彼女の母親の首元には漆黒の爪がいまにも
手をかけんとばかりに添えられていたのだ。
「ルベル!!てめぇ、どうしてそこにいる!その人をはなせ!!」
おれは怒りにまかせて叫ぶ。そこには司令魔族ルベルがいた。
「申し訳ありませんね、人の子よ。
その手にしている石版を渡していただけませんか?
ロバンがばらしてしまったようですが、
我々の悲願のためにその石版が必要なのですよ。」
「卑怯者!!母さんをはなして!!」
「あなたたち次第ですね。我々は魔族ですからね。
勝つためであれば、どんな手でも使いますよ。」
アリーは唇をかみしめて、うつむいている。
おれは少しの時間、アリーの後ろ姿を見守っていた。
彼女はゆっくりとおれに向き直り、
つぶやくように宣言する。
「リネス、、、。私は世界よりも母さんを選ぶわ。」
「わかってるよ。石版ならくれてやれ。
やつらがどんな強大な力を手に入れても、
おれたちなら打ち破れる。」
「うん、、、、ありがとう。」
そう呟くとアリーは石板を、ルベルから
少し離れた位置に置いた。
突然、やつはアリーの母親の体を放り投げると、
石板の前に移動してそれを拾い上げた。
「母さん!!」
アリーは母親の元に駆け出す。
しかし、彼女の母親を受け止めたのは突然
現れた謎の男だった。
体から漂う漆黒の靄、異質なオーラを放つ姿に
おれはすぐさまその正体を知る。
「てめぇ、魔鉱石を埋め込まれた人間か?」
おれの言葉をうけてその男はゆっくりと顔を上げる。
「へーっへっへ!その通りだぜ?てめぇら、
クソどもをぶち殺すためにルベル様に使える唯一の人間だ。」
「魔族にくみするなど、あなたは人として
恥ずかしくはないのですか!?」
リーニャは驚きの声を上げる。
「たとえ、魔鉱石の影響を受けようとも
強い意志があればその誘惑に勝てるはず!
なぜ、魔族の言いなりになどなるのですか!」
「憎いからに決まってんだろ?あん?
てめぇら、クソどもを殺したくて殺したくて
仕方ねぇんだよ!ひゃーひゃひ。」
そう言うとその男は鋭利なナイフを取り出して、振り上げた。
「待て、サイモン。その女はまだ使える。」
ロバンの制止をうけて男の動きが止まる。
「承知しました。それではゆりかごへ放り込んでおきます。」
「うむ、そうしろ。」
会話を終えると男はアリーの母親を連れて、転移魔法を唱える。
「あ、アリー、、、。」
彼女の母親の小さなつぶやきが聞こえた。
「あんたたち魔族なんて滅んでしまえばいいのよ!!!!」
アリーは疾風の如く魔力を宿した剣を振りかぶり、
ルベルに斬りかかる。
その攻撃をたやすくかわし、ルベルは距離をとった。
「われら魔族が絶対の力を得るときがついに訪れました。
私は忙しいのですよ。
もう会うこともないでしょうが、
最後にひとつ置き土産を、、、。」
ルベルは軽く指を鳴らす。
その時のおぞましい光景をおれは二度と忘れないだろう。
貿易の谷は左右を絶壁に覆われた一本道の谷だ。
その壁の上におぞましい数の魔族が現れ、俺たちに襲いかかってきた。
「さようなら、勇敢な人の子よ。」
ルベルは空間に溶け込むように姿を消した。
「みんな、とにかく今はこの場を切り抜けるぞ!戦闘準備だ!」
「わかった!」
「リネスさん、絶対に生きて帰りましょう!」
しかし、アリーは魂が抜けたようにぼーっとその場に立っていた。
「アリー!!しっかりしろ!ここを切り抜けねぇと
母ちゃんを助けられないぞ!」
おれはアリーの肩を掴んではげしく揺さぶる。
「い、痛い。わかったから、、私、ちゃんと戦うから。」
消え入りそうな声で、涙で顔をぐちゃぐちゃにしてアリーはつぶやく。
そのとき、おれの心の中に魔族への憎しみが止まることなく溢れ出す。
剣が魔族の強固な装甲に弾かれる。
魔力も対魔力装甲に弾かれて効かない。
魔法剣や一点突破型の攻撃魔法が魔族の装甲の隙間を
貫いたときだけダメージを与えられ倒せる。
そんな圧倒的不利な状況で俺たちが追い込まれるまでに
そう時間はかからなかった。
俺たちはいつの間にか壁際に追いやられ、
四方から魔法攻撃と斬撃が降り注ぐ。
「くそっ、ここまでなのか!おれは、おれたちは
こんなところでやられるわけにはいかないんだ!!」
油断した、、。大きく振りかぶった、おれの胸元に
飛び込んできた魔族の一撃はおれの腹に致命傷とも
なりうる傷をあたえる。
同時に降り注ぐ火炎系の魔法は体力の尽きかけたネリーや、
魔力の限界が近いリーニャでは受け切れない。
終わったのか、、。おれはそう感じた。
体を焼き尽くすような灼熱に飲み込まれる。
おれはとめどなく溢れる後悔と怒りと憎しみに身体が震える。
最後に見たのは悲しそうな笑顔で、ありがとうとつぶやくアリーの姿だった。




