5 遭遇
(そりゃそうか)
カイは頭を掻いた。
その横には「おかしいですねぇ」と小首を傾げるミネがいた。
後ろでは夕日に染まる噴水。朝とは全く違う表情を見せながら、赤く染まった元朝日は地平線の彼方へと消え去ろうとしていた。
二人の影は広場のタイルによりでこぼこになり、それでいながら背をぐんぐんと伸ばしていた。それを、家路をたどる様々な人々が踏みつけていく。
「まぁ、こんなもんなんだろうね」
そうそう簡単に、思い描いただけの空想の人間と出会えるはずがないのだ。
それが普通の人間の考えだろう。だが彼女は違った。決して希望を捨てない彼女は、力むことなくやんわりとほほ笑みこういったのだ。
「明日がありますよ」
「………あ、…そう」
なぜこんなにも明日を信じられるのか。というか、その自信はいったいなんなのか。
カイはがくりと視線を下に落とした。
長く長く伸びきった影も、やがては色を無くし闇に飲み込まれていく。そろそろ星たちの時間だ。
「冷えてきましたし、もう行きましょうか」
「そうだね」
すくっと立ち上がるミネにならい、カイも砂の付いた尻を叩きながら腰を上げた。
人けが無くなったのを読んでか、小さな路地から獣が現れる。
「明日は午後から用事がありますし、人探しは午前と夕方からにしましょう」
「うんわかっ、た…って、え?」
その自然すぎる発言に一度は頷いたものの、カイは耳を疑いながら尋ねる。
「夜も探すの?」
「もちろんです」
(なにが勿論なんだか)
質問はできるものの、反論はしない。彼女がそれをよしとしないからだ。
カイはにこにことほほ笑み続けるミネを見て、「そっか、」としか言いようがなかった。
「はい、そうです」
優しすぎるその物腰に、水色の髪がかかる額には冷汗が浮いていた。
彼女は本当に見つける気でいるのだ。
うっかり「無理じゃないかなぁ」などと口を滑らせるわけにはいけない。
「おや。今日来るものだと思っていたんだが………」
何か含まれた我が父の言葉に、ミネはいつもの柔らかな笑顔を浮かべた。
「はい。ですが、今日はご都合が合わなかったようなので、」
「ほぉ、そうか」
和やかな空気の下に隠された、探り合いの声音。
カイは内心でため息をつきながら、今日の夕食を眺めた。
(少し、豪華なのは気のせいじゃないな)
これは、父からのささやかな気遣いだろう。では誰へ、と尋ねられれば、それはあちらの大陸から来た女性へ向けたものとしか言いようがない。
そしてそれは、明らかに自分たちへのプレッシャーとなっていた。
この男もずいぶんと嫌味なものだ。と、自分の斜め前に座るミネの父へと視線を向けた。
ミネと同じ黒い髪。それは白髪交じりで、遠くから見れば灰色にも見える。カイといつも一緒にいる灰色と比べると、それはずいぶんお粗末なものだ。だが、ミネとは似ても似つかない険しい目つきは、その灰色にどこか威厳をもたせ、この町の町長を名乗るにふさわしい空気をか持ち出させていた。
見ていたの一瞬だ。
だが、その一瞬の視線に、見られていた彼は反応してしまった。
カイはこくりと唾をのむ。急いで視線を、少々豪勢な今晩の食事へと向けるが、もう遅かった。
「おい、」
(………きた)
自分へとかけられた言葉に、カイは視線を上げる。
なに?とも言わず、ただ黙って自分を呼んだ相手へと目を向けた。
「お前、この私に嘘をつこうとは思うなよ」
(………)
ばれてる。
そう察しながらも、カイは何の話だろう?と、自然な表情を作って流した。
ミネの視線がチクリと首筋に刺さった。
それからはいつもと同じような食事の時間が始まる。威厳がありながらも親バカの気がある町長と、お嬢様(町長の娘)大好きのおばさんは、ミネとの会話に花を咲かせ、暖かな湯気の中で和やかなひと時を過ごした。
ミネが何気なく“あちらの大陸”の話を避けているのを感じ取るものの、カイは隣で素知らぬ顔でスープを口に運んでいた。ただ、その内心は面白可笑しさに腹を抱えて転げまわっていた。珍しく真面目に困っている様子の彼女に、カイは人ごとのように頭の中で傍観しているのだ。これは人ごとではないと分かっていながらも。
呑気な彼女は、この際あと一週間位嘘をつき続けてればいいのではないだろうか、とさえ思っていた。その一週間、毎日こんな食事が食べれるなら言うことなしだ、というどうしようもない理由から。
本当にどうしようもない話だ。
そんな事をすれば、きっとそれなりの代償を払うはめになることだろう。
(それもごめんだなぁ)
カイは静かにスープをすすり、親子の会話を蚊帳の外で眺めていた。
*
明るい月明かりがフードを深く被った人影を照らす。
彼女がこうして夜に出歩くのは、今に始まったことではない。
小さな頃から。それこそ、カイがまだミネの家にきて間もないころ、そのなれない空気から逃げ出すかのように、毎晩こうして獣と外を歩き回ったものだ。町長はそれに気付いてる様子だった。だが、どういうわけか未だに叱られたことはない。ただ、一度だけ、随分古い記憶になるが、こう言われたことがあった。
『せめて1〜2時間にしとけ。あまり長いと、ミネも心配する』
なぜこんなことを言われたのか、初めはよく解らなかった。だが、それからしばらく経ち、ミネからある話を聞いてわかった。
『随分前の話ですけど、真夜中にどうしても眠れなくて、カイの部屋に忍び込んだことがあったんです。本当なら、呑気に寝てるあなたを驚かせて笑ってやろうとか思ってたんですけど、その日はその部屋にあなたはいなかったんですね。それで、幼い私は何をいうでもなく泣きだしてしまった様で、物音に目を覚ましてしまったおばさんを、「お嬢様、どうしたんですか?!」って驚かせてしまって。そしたら今度は父様まで起きて来て。たしかあの時、父様、私が寝付くまで頭を撫でてくれてたんですよね』
良いところもあるでしょう?と、微笑む彼女の姿が浮かんだ。
その話を聞いた頃には、ミネもカイの散歩癖を知った後だったので、なぜあの頃の夜にカイの姿がなかったのかを知ってもちっとも驚くことはなかった。
ただ、彼女が自分のせいで泣いたことがあったなんてと、今でも思い出すだけで笑みをこぼすばかりだ。
「あの頃はまだ、ミネと話すのも精一杯だったもんな、」
隣の獣へ視線を送るが、彼は特にといった様子でなんの反応も返しては来ない。
カイはそれにもまた小さく笑みをこぼす。
どういうわけだろう。今日はなんだか、いつもより気分がいい。
カイは暗い道をためらいなく歩き続ける。
ミネのおかしな嘘のせいで、変に緊張してやまない日中だというのに、その足取りは軽かった。
たぶん、彼女の、あの根拠も何もない自信のおかげかもしれない。「見つかる」と言いきってくれるから、だめもとでもなんでも、こちらも気持ちよく付いていける。
もっとも、探さないですむならそれに越したことはないのだが。と、水色の髪が揺れ、その下には小さな苦笑いが垣間見えた。だがその苦笑いも、獣の目には楽しそうな笑顔としか映らない。カイはその茶色い瞳に見つめられてる事も気づかぬまま、月明かりの下でこぼこのタイル道を進んだ。
彼女の散歩には、いつも目的地がある。
町長の家の裏庭をスタートに、街の中央の噴水へと向かい、町の背とも言える西の森へ、一直線に歩き続きえるのだ。
だが、気分の良いとされる今日は、いつものコースに若干の変更があった。
まだはっきりとは見えてはいないが、カイの視線の先に、なだらかな面が薄暗さの中浮かび上がる。
あの山。この間ミネと獣と、三人(二人と一匹)で越えてきたものだ。
(これさえなければ、今頃人探しなんてしてなかったのに)
過ぎてしまったことは仕方ない。と、カイは首を小さく横に振って、その場所を後にした。
これは、本当に些細な気まぐれだった。
見に来たくなったから見にきた。ただそれだけのことで、今から山を登ろうだとか、そんなふざけたことを彼女は考えてはいない。
見にきて、思い出して、少し思って、すぐに立ち去る。
それのためだけの些細なコース変更。
夜もまだ長い。別に急ぐことはない、と彼女は涼しい風に髪を揺らし、軽い駆け足でいつもの目的地への道へと向かった。
ざぁっと風が走りぬける。
木々が大きく揺さぶられ、その先にある葉はお互いの身をぶつけあう。
「………?」
町の中心となる広場で、カイは足を止めた。
何だか得体のしれない長細いものが、突然目の前に現れたのだ。
彼女の足音が消えると、そこは静寂に包まれた。やむことのない、水の叩きつけられる音は耳が慣れてしまったせいか、音として感知されない。
カイはただ、無音とされるその場に神経を尖らせ、目の前にある人影と思われる黒に意識を集中させた。
月明かりが、何にも邪魔されることなくあたりを照らす。
その下で、吹きだしては落ち、吹きだしては落ちを繰り返す水が、まるでガラス細工のように輝いていた。そして、それはざばざばと音を立てながら、割れる事の無いガラスの輝きを辺りにまき散らす。
人影は二つ。
黒いコートに身を包んだ何かと、冷たく透き通るような水色の髪が映える一人の子供。
気づけば、子供の隣には一匹の狼が小さな唸り声を立てていた。灰色の毛並みは、小さくではあるが逆だてられ、となりに並ぶ水色へと警戒と注意を促す。
(あぁ、わかってる)
カイは、この町では見かけないその人物から視線を逸らさないまま、となりの獣へと頷いた。
胸の内は不審感で一杯だが、それは決して表面には現れない。
黒い人影は、ずるりと布の端を引きずり、一歩動いく。
水色は動かない。まるで冷めきったその瞳は、相手を観察するように眺めている。
ずるり―――と、影はまた布を引きずる。その黒い布の中に、人二人は入っているんじゃないか、という不自然なふくらみを見せて。
おかしい。
カイの視線は相手を探る。
ずるり―――
布の音。そうとしか聞こえないそれには、どこか重みを感じた。
水色の瞳は、不快感にゆがめられる。眉はしわを寄せて、その目の前にいる人影を嫌がった。
漠然とした不快感は、どろどろと気持ちの悪い空気を作りだし、カイの体にまとわりついた。カイはそれを払うかのようにすっと視線をあげ、フードの中にあるであろう瞳を見詰めた。
「どなた、ですか」
その声は短くも柔らかい。まるでその内心を表には出そうとしない。警戒も、緊張も、その声音からは相手には分からない。
「………」
影は何も答えなかった。ただ、フードの中にあるであろう瞳が、自分へと向けられた事をカイは感じた。だからもう一度、声をかけてみる。
「この町の人間じゃないですね」
影は、のそりとまた動いた。それとともに、布ずれのおとがまた「ずるり」と聞こえた。
向きを変えた風が、影からは追い風、カイからは向かい風となり、水色の瞳を乾かすように静かに吹いた。
「―――――!!!」
その風に感じた嫌なものに、カイはつい、一歩、後ろへと後ずさった。
その眼は大きく開かれ、口は中途半端に開かれる。
“驚愕”とでも呼べる水色の表情に、影に覆われたその顔が意地汚い笑顔を浮かべた。それがわかったからこそ、なお、カイは驚きに瞳を丸くした。
「ぉ、まぇ………」
口の中が乾いて、声がかすれる。
フードの下にある唇が、にやりと釣り上げられる様子を月明かりが照らした。そこから、聞き覚えのない低い声が発せられる。夜風は声を乗せ、回り、馴染み、溶ける。
(知ってる)
この匂い。
そう知ってる。
カイの鼓動が、どくり、どくり、と全身を打ち流れていく。
じゃりっと地面がなり、男の足が一歩進む。
じゃりっと地面がなり、子供の足が一歩下がる。
カイは目の前の人物が、安全ではないものだと直観的に感じ取っていた。それに加え、風に流されてきたあの匂い。鉄臭くて、粘っこい、赤い匂いが、カイのその直感をさらに確定づけたのだ。
こういう場合はどうする?どうしなければいけなかった?
カイは停止しかけていた頭をフル回転させた。普段から心がけていること。日常として自分が行っていること。面倒事を嫌う自分が、ミネのかかわること以外の面倒事全てに対して行ってきた対処方法。
それは、巻き込まれる前に無関係の人間となる事。
(逃げよう)