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3 町長宅の夕食

 家につき、日もくれて、食卓の上を飾る色とりどりの品々を、部屋の奥からじっと見つめる水色があった。その水色は、窓から入り込む夜風にふわりと揺れては元の位置に戻る。短いながらも束ねられた髪は、長さのたらない部分をばらばらと散らしながら小さく彼女の後頭部にしっぽをつくっていた。

「………いいなぁ」

 おいしそうとしか言いようのない晩餐をその瞳に映し、カイは一人、台所で皿洗いをする。

 別に何か悪さをしたわけではない。これは彼女の仕事なのだ。この家に住まわせてもらう代わりに、掃除や洗濯など、特に技術を必要とされない下働きはカイがすることになっている。そして、それが終わるまでは今夜の食事にはあり付けない。働かざるもの食うべからず、というやつだ。

 そんなカイを尻目に、この家の住人達はにぎやかにも食事を開始していた。

 ミネに、町長。それとこの家の家政婦ともいえるおばさん。

 なぜ家政婦のあの人が食事につき、自分が働いているのだろう、としばし疑問に思うところもあるが、カイはなれたことのように納得する。そう。この家では自分が一番下の位置にいるのだ。ミネや町長はともかく、それに雇われている家政婦よりも、裏庭にあるおいしい水を提供してくれる古い井戸よりも、屋根裏に勝手にすみこんだネズミたちよりも、その遥か遥か下の位置にカイがいる。だから別に気にはしない。

 自分は今やるべきことをやって、何食わぬ顔であの食事に加わればいいのだ。そう自分に言い聞かせ、彼女はひたすら手を動かした。

 水に濡れた手には、少々夜風が冷たすぎる。

 手についた泡も落とさずに、カイは目の前にある窓へと手を伸ばした。

「―――だから明日、ぜひとも連れてきなさい」

 偶然にも耳に入ってきた言葉に、カイはぴたりと動きを止めた。

 大きく吹いた柔らかな風に、カーテンがぶわりとふくらみ、彼女の頭部を飲み込む。

「え、えぇ、そうですね。お礼は大切だと思いますわ」

 どうも困った様子がうかがえる声に、またしても先ほどの声が返された

「あぁ、私もお前の話を聞くからに、その旅の方に興味がわいてな。ぜひともあちらの大陸の話やらこちらについてからの感想やら、何でもいいから聞いてみたと思うんだ」

「それはそれは」

(なんて迷惑な好奇心でしょう)

 ミネは口に手を当てておほほほほっと笑った。

 それを見ていたカイも、ついニヤリと笑ってしまった。

(こういうのってなんて言うんだっけ)

 自業、自得?

 カイはその言葉を頭に思い浮かべくすくすと笑った。頭にはまだカーテンをかぶったまま。はたから見れば、何やってんだあいつ、という状態だ。だが運のいいことに、この家の住人は彼女のその滑稽な様子を目にできない場所にいる。

「そうだな、明日か明後日か、あんまり先延ばしにすると旅の迷惑になるだろうからな」

「ぇ、ええ………、そうですね」

「どうした?」

「いや、それが、お父様には申し訳ずらいのですが、………彼女はもうこの町をでてしまったんです」

 おお、そう来たか。

 ようやくカーテンから頭を出したカイは内心で拍手をした。

「出て行った?ミネ、確かこの間、彼女は一週間程度はいると言っていたので、と言っていなかったかな?」

「え、あら、そうでしたっけ?」

 その口とは裏腹に、ミネの脳裏にははっきりとその時の風景が浮かんでいた。大きな失言に今更気付かされる。

「まさか、な」

 わが父の言葉に、ミネはわざとらしく疑問符を浮かべた。

「………、なにか?」

「いや、なんでもないさ」

 父も父さながら、負けてはいない。

「旦那様?」

 今まで口を閉じていたおばさんまでも怪訝そうな声を出した。

(やばい)

 カイは適当に服で手を拭くと、台所とダイニングの間にある、長方形に切り抜かれた壁の方へとそっと駆け寄った。そこに戸は付いていない。台所とダイニングは戸をはさまずに接しているのだ。

 カイは町長の背がこちらを向いていることを想像し、そっと食卓の様子を覗きこんだ。

 やっぱりだ。町長はいつも通りこちらに背を向ける形で座っている。そして、その向こうにはミネが、町長と向かいあって座っている。

「ミネ、本当に、お前は旅の方を用心棒として山を越えたんだな」

「はい。そう言ってるじゃないですか」

「なら、私はぜひともその人に会って礼をしたいんだ」

 町長は引きを知らない声音でそういう。

 カイが見つめる先、ミネの首筋には冷汗が窺えた。カイとミネ、二人の視線がぴたりと合う。

 カイだけではなかった。ミネも―――彼女もこの状況がいけないものだと感じていた。

 町長はミネを疑っているのだ。父親の勘とでもいうべきものだろうか。彼は、自分の娘がこの家の居候と二人きりで山を越えたのではないかと心配していた。そして、その心配は見事に的中しているから困りものなのだ。

 ミネもカイも、以前町長をだましてこの町の外に出たことがあった。その時はどんなに怒られたことか。ミネは二〜三日の外出を許されず、家でずっと“青使い”の勉強ばかりを強いられた。カイはというと、この家の雑用をすべて任され、いつもはやっていない朝昼晩の食事まで作らされる羽目となった。普段やらないような事を、突然やれと言われて「はいそうですか」といくわけもなく。その食事を町長やおばさん、ミネにまでもが、「まずい」と言いながら食べる様子を目の前で見せつけられたのだ。あんな仕打ちはもうごめんである。

(ていうか、味は別に普通だったっての)

 町長やおばさんは、自分に対してはいつも厳しい。だから「まずい」という発言にも納得がいくのだが、ミネは明らかにあの状況を楽しんでいた。くすくすと笑い、自分の食事を「まずい」と言いながら食べる彼女の姿を思い出す。

(この際ミネが嘘ついてたの、ばれちゃえばいいんじゃないかな)

 カイはそこで首を振る。

 いや、駄目だ。そうすれば自分も道ずれになる。それだけはのがれ無くては。

 一抹の不安を胸に、もう一度ミネの方を見ると、なにかを決心したような黒い瞳が返ってきた。

(まさか)

 カイは自分の考えを否定する。

 だが、それに反して、あの強い光をたたえた瞳は、自分から逸れ、わが父へと向けられた。カイは食卓を覗きこむのをやめ、身を潜めていた壁へと背中を預けた。眼にかかる前髪を右手で掻き上げ、呆れたようにしゃがみこんだ。

 それと同時に、背を預けた壁の向こうから、何ともまっすぐとした声が響いて聞こえた。

「分かりました。連れてきましょう」と。

 カイは「あーぁ、」とため息を漏らす。

 頭から手を放すと、掻きあげられていた水色が解放され、また視界の上でばらばらと散らばった。その水色を、入る隙間などないはずの夜風がひゅうっと吹いた。

 カイは顔をあげて目を座らす。

「………お前、」

 自分がせっかく閉じた窓を、あの獣が押し開け、そこからひょこりとこちらを見ていた。この獣の事も、見つかっては小言では済まない。

 カイは立ち上がり窓の方へと寄ると、「ごめんな」と言って獣の頭をわしゃわしゃ撫でてやった。そして静かに窓を閉めると、そこから見える裏庭で、たった一匹でお座りをする灰色の姿が見えた。月明かりに照らされるその姿は何ともさびしげなものだ。

(ごめんな)

 もう一度彼に謝罪の言葉を向け、カイはベージュ色のカーテンを閉める。

 獣のことは心配ないとして、今どうするべきかは“用心棒”のことだ。

 はぁ、っと小さくため息をつく彼女の肩を、後ろから白い手がぽんぽん、と叩いた。

「お水、もらえますか?」

 何ともにこやかなその表情に、カイの心の中にある重石はずっしりと重さを増すばかりだった。どこまでも真っ黒な瞳は、それを見透かしたようにくすりと笑う。

 なんでこの人はいつでもそんなふうに笑えるのだろう。

(………いつもそうだ)

 なんてずるいんだろう。

 自分には決してまねできないな、と首を振り、カイは顔をあげ、ミネの差し出してくるコップを手に取った。

「わかったよ」

 その言葉は水を入れることへの頷きではない。明日からの新しい苦労に向けての頷きだった。


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