2 センレルの町の朝
日が昇るとともに、人々のあいさつの声が行き交う。この場所の人々は大体が顔見知りであり、皆が皆と家族のように接しあう。
ここがミネとカイの住む町。ろくな地図もないこの時世で、誰知らずと古くからの名前を持つ“センレルの町”だ。“センレル”とは、古い言葉で“湖”を示す。
そう、ここは“湖の町”。
一見普通の、この大陸ではよく見られるような土地だ。水に浮く町とういうわけでもなければ、とりわけ湖が多いわけでもない。なのになぜ、この町の人々は自らの住むここを“湖の町”などと呼ぶのか。
それは、世界の創造を語る古い物語の中の一つから来ているらしい。
誰もがよく知る、英雄の話。子供のころによく聞かされる、胸躍る化け物退治の話だ。
「―――そして神はおっしゃった、」
カイはふと顔をあげる。
聞きなれたフレーズが耳の片隅に引っかかったのだ。
その視線の先では、町の中心となる広場の片隅で一人の老婆が語りを開いている。子供達はその老婆を中心に半円を作り、気持よく耳になじむ彼女の声を静かに聞いていた。
「………物語、か」
「どうしました?」
先を行くミネが、カイの声をわずかに捉えて振り向いた。
そこには、間昼だというのに、相も変わらずローブにフードという姿のカイ。暑くないのかと疑問に思うミネの心中も察する様子もなく、カイはすぐさま「なんでもない」と答え、止まりかけていた足をまた元のペースに戻した。
二人がこの町に着いたのは今朝。
町長である父の頼みで使いに出たミネは、もちろんのこと、当たり前のごとく使いっぱしりである我が家の居候のカイを連れて、目的地である一つ山の向こうの街へ出向いていたのだ。山と言っても小さい方なので、行きや帰りは半日程度で済む。野宿をしながらでないといけない距離ではないので、近いと言っては近いだろう。だが、ここ最近、たちの悪い輩が出るとかで、町長は我が娘の身を案じて用心棒を雇おうと言ってきたのだ。
勿論結果は見えている。
ミネはそれを断った。
『用心棒なら、もうやとってありますから』と。
「なぁ、」
後ろからの声に、ミネは振り向く。そこには、ここ二〜三日ずっと一緒にいて見飽きたとも言える顔があった。
「なんですか、カイ」
「よく町長が私を連れてくだけで納得したな」
「そうですね」
「絶対ダメだって、普段なら言い張って聞かないと思うんだ」
「よく分かってるじゃないですか」
「………」
「あら、どうしましたか?」
「いや、別に」
その快く消化しきれない返答に、ミネは大きくため息をつく。
「カイ、まさか私がお父様をだましてきたとでも?」
「………うん」
正直な返事に、ミネの優しげな表情に二コリと花が添えられる。
「まさか。私はただ、“この間、町の外に散歩に行ったとき偶然にも追剥に会ってしまい、偶然にも通りかかった心優しい旅の方が助けてくれてお知り合いになったので、この町を出るまでの間、ちょっと付き合ってくれないか、と頼んだところ快く承諾してくださったのでその方に頼みました”って、言ってみただけですよ?」
(言ってみただけって、)
要するに嘘なわけだ。
カイの微妙な表情に、ミネは「あら?」と首をかしぐ。
「何か説明不十分でしたか?」
「………えっと、で、その旅の方って?」
「私の中ではあちらの大陸からはるばる海を渡って散歩をしにきた“赤使い”さんってことになってます」
「なってますって、」
「ついでに言うと、女の人だとお父様には言っておきましたよ。そのお陰かしぶしぶではありますが、首を縦に振ってくれましたし」
「しぶしぶって、」
「あら、」
順調に歩みを進めていたミネはぴたりと足を止め振り返る。カイは前を行く彼女の突然の行動にどきりとしたものの、何とか反応が間に合いぶつからずには済んだ。ミネは、そんな連れの顔に自らの顔をずいっと近づけのぞきこむ。
なんでこんなに予想しきれないことばかりできるのだろうと、顔を覗きこまれた本人は呆れていた。
「“男”って言っといた方がよかったですかね?」
「………?」
「だって、昨夜の山中の方々も“小僧”って言われてましたし、」
この言葉にカイの表情が歪んだ。針の穴ほどの小さな変化ではあるが、ミネにはそれがよく解った。だから、その上で二コリと笑った。
「この際男の子になっちゃえばいいんじゃないですか?」
「………ミネ」
呆れるカイを尻目に、町長の娘、昔ながらの幼馴染、住居提供人であるミネはにこにこと微笑みながら先を行ってしまった。
カイも早歩きで後に続く。
日中でありながらもローブにフードをかぶっているせいでよく見えないが、確かにそのフードの影に潜むのは、パッと見、男とも女ともとれる中途半端な容姿だった。