23 静かな夜の街
人気がない。
まるで全てが凍りついてしまっているようだ、とミネは思った。
家の中に灯る明かりはなく、人の影が目に入るこは全く無かった。
「あのロープ、お父様に見つかったら一大事ですね…」
困ったように笑いながら、どうかこの朝までに事が済みますように、と胸の中誰へとも知らず祈る。
自分は帰らなければいけない。帰る場所があるのだ、と彼女は自分へ言い聞かせた。
自分が今からやろうとしていることはとても無謀な事なのだと、彼女は分かっていた。だが、分っていて、これからなにが起こるかが予想できていて、動かずにはいられなかった。
今日が、今日という時が一番のタイミングなのだ。
遅すぎてもいけなかった。早すぎてもいけなかった。
自分しか外に出ようと思う者がおらず、敵も最後のシラミ潰しを始める、今日この時。
今日を境に、きっと敵も屋外室外問わず荒らし回すはずだ。
しかも、相手の考えはどことなくわかった。
意地が悪く、一件一件、じっくりと、じわじわとつぶしていく。そうやって、この町の人間たちを怯えさせる。
そしてそのサイドメニューに“カイ”がいる。
何故敵が水色の髪を置いているのか。それは、そうすることでカイの立場を狭くできるからだ。じわじわと、すこしずつ。被害が増えるたびに、町の者たちはその責任を彼女に問う。やまぬ被害を彼女のせいにする。きっと、このままこの状況が続けば、彼女が公開処刑と類違わぬものに追いつめられるのは避けられないであろう。奴はそれを見たがっているのだ。
町の中のあれていく様と、恐怖に落とされた時の人の狂いよう、その中心で苦しむ水色。それらを傍観し、楽しむために。
この予想が外れていても、大体の流れは外していないだろうと、ミネは確信していた。
あの男は、このままでは終わらない、と。
(人殺しの思想、ですか。………もっといろんな本を読んどくべきでしたね)
今度空いた時間にでも探してみようか、と彼女は一人頷く。
そして、この町で一番見通しのいい場所へと足を止めた。
ざばざばと水の鳴き止まぬ、噴水の広場―――。
「さて、後は待つだけですね」
自分という餌を、あの男が見つけてくれるのを。
このころ、水色はやっと目をさました。
夢に見たあの人の言葉と、それからの景色を足元に、つなぎ合わさった全ての記憶の中で目を覚ます。
「先に行っててくれ」
カイの言葉に、獣はひらりと町へ駆けた。
*
待って半時。
視線を感じ、ミネは立ち上がった。
(………来た)
彼女は表面だけの笑顔を浮かべ、腰をあげた。
(このまま上手く事が進めば良いんですが………)
ゆっくりと足を進めながら、これから迷惑をかけるであろう人たちへ詫びの言葉を向けた。
ペースは少しずつ上がって行く。
その中で、彼女はポケットに入れた小袋へ、期待を抱きながら目的地へと向かった。
話によると、役所はこの事態に対し、24時間人が待機していると聞いた。
それも、役所の中でも中級から上級の人間。
ひとりの上級官に対して、5人の中級官。6人は必ずいるようにと定めたのは、他でもない彼女の父である町長の案だった。
役所の人間と言えば、この町では警察官に当たる。
普段から鍛錬を怠たらない聞くが、こんな田舎の小さな町だ。どれほどの腕前かは目に見えている。
(ですが、上手くいけば………)
これも全て、作戦の流れによる。
いつの間にか駆けだしていたミネを、他でもないあの狂乱者が目を輝かせて追っていた。
その手には、赤く輝く銀の刃。
獣はそのよく利く鼻で、彼女の後を追っていた。
人と動物。距離を縮めるのは簡単な事。
水色の言葉を耳にとどめ、彼は従順にも道草もせずに駆けた。
『ミネを守ってくれ』
彼にはもう、この言葉を遂行するためにしか動かない。
(落ちつけ………おちつけ…)
カイは窓から庭へと飛び降りる。
外に出ると月明かりがやけに眩しく感じた。
久々だからだろうか。寝むりについた町が、やけに静かに感じて恐ろしい。
―――ざっ、
芝生を踏み歩き出すと、玄関から続く道の上に、黒い塊を見つけた。
「………ヨウか?」
カイはフードの下から水色の瞳をのぞかす。
尋ねるその先に、コートの上から赤い髪をむき出しにした彼の姿があった。
ヨウは静かに、手に持った物を相手に見せる。
「気づいたか?」
握られたロープは、だらりと力なくその首を地に向けていた。
カイはそれを見て声を荒げる。
「………まさか」
「そうだ。あの女が、二階の窓から垂らして使ったものだ」
「お前………、見てたのか! なんで止めなかった!!!」
「うるさい。他の奴らが目を覚ます」
ヨウの声は平坦だ。
カイはぐっと拳を握り、自分を落ち着かせた。
焦ってはいけない。慎重になれ、と、必死に熱くなろうとする自分の思考を押さえつける。
「で、見てたのか?」
もう一度、押さえた声音でカイは尋ねた。そこに返ったのは「ああ」という端的な返答。
カイは「お前!」とうなるように拳を突き出した。
ヨウは黙って胸倉をつかまれる。
「なんで行かせたんだ」
カイは静かに問うものの、やはりその眼は怒りで揺れていた。
「俺にも俺の考えがある。それだけだ」
「考え?」
「あぁ」
ぱしっという音をあげて、ヨウは自分の胸倉をつかむカイの拳をはじいた。
締めつけられていた胸元の埃を掃いながら、ヨウは黙ってカイを見据える。
相手が物を言おうとしてようがしていまいが、今のカイには関係ない。セリフを決めていたかの様に、自分の中の燃え上がる怒りの炎を抑えながら、彼女はそっと口を開いた。
「………助けろ」
「は?」
挑発するように、ヨウは疑問で持って返す。
「助けろ。ミネを、守れ」
赤い瞳は、じっと水色を見据える。
「俺に命令か?」
「違う。頼んでるんだ。ミネを助けろ」
「そうには聞こえないな。人に物を頼む時の態度って言うのを知っているか?」
ヨウはずいっと一歩前に出て、威圧するようにカイを見下ろす。
カイは、退こうともせず、じっと赤い瞳を見つめる。
「全部思い出したんだ。…あの人は、………シンは、私が殺した」
*
役所はどこもその中心となる場所にあるものだ、とミネは思っていた。
だが、この町は違った。
南の方へ少し、中心からはずれた場所。そこに役所がある。
町の端というわけではないが、ミネの家からは随分離れた場所にあった。
それもそうだ。この町が出来たのは南の方からだと聞く。それもこれも、あの祠があるからだろう。町の中心へ、だが南の森からはあまり離れないように、と役所が作られたことを誰かから聞いたことがあった。
「信仰とは面倒臭いものですね」
駆け脚の中、ミネは切れる息もそこそこに背中に迫る人物を振り返る。
その瞬間、振りかざされた銀に気づき、地面をけって飛び退く。
男の凶器を避け切れたことを確認すると、運が良かった。と胸を撫でおろした。
何しろ、あのタイミングで後ろを振り返ったのは本当に偶然だったのだから。
ミネは地面に手をつき立ち上がる。
あの男は、ニヤニヤと嫌な笑顔を浮かべながら彼女を見ていた。
きっと、他の被害者たちは、最期にあの嫌らしい笑顔を見たのだろ、と思うと心底同情するほか見つからない。
(けど今は、)
そう。同情している暇ではない。
ミネはまたすぐに走りを再開した。
何しろもうすぐなのだ。
もうすぐで、目的地に着く。
*
「どういう意味だ」
その言葉は、静かでこそあれ、濃厚な怒りに満ちていた。
ヨウの表情はいつも以上に動きがなく、静かで、冷たい。
カイはそれから視線をずらすことなくもう一度言葉を繰り返す。
「…シンは、私が殺したんだ」
悔いなどない。罪悪感もない。すべて受け止め、受け入れているかのようなまっすぐな水色の瞳に、ヨウは怒りを感じずにはいられなかった。
その自分より背の低い胸倉をがしりと掴み上げる。
「あいつが死ぬはずない。少なくとも、お前のような奴に殺されるほど幸せな奴じゃない」
ヨウの中にあるシンは、限りなく強かった。
それこそ“神”という言葉が当てはまる位に。落ち着いていて、無感情で無邪気で、貪欲であり無欲。
よくつかめない、水のような人間だった。
「言ったろ。私は思い出したことを話した。次はお前の番だ」
「なんだと?」
「ミネを助けてくれ」
「まだそんな事言ってるのか? もう手遅れかもしれないだろ」
「まだ手おくれじゃない!!!」
微動だもない水色。
赤は胸倉をつかむ拳に力を加える。
「その自信は何だ? ただそう信じたいだけか?」
「そうだ」
笑い飛ばしてやりたいそのセリフに、赤は口を閉じる。
「………さっきの話、冗談だったらお前を焼き殺して灰も残らないほどにしてやる」
「なら良かった。私は正直者だ」
ヨウはその言葉にフンっと鼻を鳴らし、胸倉を荒々しく放した。
「証拠を、鍵を持ってこい」
「ミネを助けてくれ」
互いに互いの要望を言いあう。
そして、小さな風が流れると、カイはヨウから背を向け走り出した。
無表情にそれを眺めるヨウを振り返り、カイは片手をあげて叫ぶ。
「鍵………あの本だ! 絶対に持ってくる! だから、お前はミネを頼む! 絶対だ!」
カイはそれから、一度も振り向く事もなく闇の中へと消えていった。
ヨウは表情を強張らせ、丁度横にあった木を、見もせずに殴った。
力一杯殴った木の幹は、かわいそうな事にみしみしと音を立て、少し凹んだ上に黒く焦げていた。
ふうっと、自分をなだめるように息を吐くと、ヨウの表情はいつもの無愛想なものに戻る。
(町長との約束もある………)
「俺に指図するな、阿呆」
夜闇消え去った水色へ、聞こえるはずもない言葉を吐き捨てると、赤もまた夜闇の中へと消えていった。