22 水の音と
四日目の朝会。
朝早くから、やはりその日も嫌な話はすぐさま耳に入ってきた。
「町長! ミルク配達の少年が………」
やれやれ、とその部屋の一番前に座る男は首を振った。
やはり、また被害は出てしまった。
「くっそぉー………」
カイは窓越しに手を付きうなだれる。
その窓の真下には、何とも無防備に獣がのんびりと日向ぼっこをしてくつろいでいた。
「ひーまーだー………」
なにしろ、ここ三日間ずっとこの家にこもっているのだ。
朝食を済まし、ミネは学校へ行き、その後片づけを全て終わらせ、本来なら今ごろ洗濯をしていた。だが、この三日間その仕事はなしだ。。
カイは、いつもなら面倒なだけのあの雑用もよろこんでやれる気がした。何しろ衣類を干す際に外に出られるのだ。彼女にとって、こんなにもあの仕事が魅力的に思えたことは未だかつてなかった。
「………ったく、こうなったら自分であの殺人鬼さがした方が」
「それはやめとけ」
「………」
カイは目を座らす。
嫌々といった様子で振り返ると、そこにはあの赤の客人がいた。
「今お前が外に出たら、町の人間総出で袋叩きにあうぞ」
水色は息をつく。
「ノックくらいしろよ」
「俺は客人だ」
「んなこと関係ない」
カイは向きを変え座りなおす。
ヨウも遠慮という言葉を知らないように、部屋の隅に置いてあった椅子に腰かけた。
埃がかぶったそれに、人が座るのをカイは久し振りに見る。
「暇だから付き合ってやるけど、今日は何の用だ?」
カイはふてぶてと客人に尋ねた。
「暇だろうから付き合ってやる。昨夜の話だ」
ヨウも負けず劣らず、自分の方が優位であることを確信しているかの様に話を切り出した。
「昨夜」という言葉に、カイは何かと首をかしぐ。
「昨夜、この町のガキ大将が襲われた」
あまり真剣とは言えない雰囲気の彼から、まさか「襲われた」という言葉が出てくるとは思わず、カイは「は?」と間の抜けた返答をした。
ヨウは同じセリフを二度も言うつもりはないらしい。カイは頭の中でもう一度、今言われたばかりの言葉を思い返す。
(ガキ大将………まさか)
「ヨールス?」
返答の代わりに、赤の口端がニヤリと上がる。
「あいつら、怖いもの見たさで町を出歩いていやがった」
「なんでお前がそんな事、」
「分からないか? あいつら、俺が通り過ぎる事のなかったら死んでたな」
「通り、過ぎた………?」
カイは複雑な表情を浮かべる。
「何でお前が通り過ぎるんだよ」
「さぁな。偶然だろ」
ヨウはそっけなく答えた。
どうでもよさそうに手をつき、その「昨夜」とやらを思い出しているのか、眼はとても面倒くさそうだった。
「多分、当分あいつ等が町を出歩くことはないだろう。良かったな。これで苛められずに済むぞ」
本当にそう思ってはいなさそうな、まるでそこらへんの子供をあしらうようなヨウのセリフ。
カイはその言葉に少し黙る。やがて出てきたのは、「………何で知ってる?」という気が乗らなそうな言葉。
「この間、偶然通りかかった」
「………またかよ」
カイは、ヨウの「偶然通りかかった」にうんざりとため息をついた。
「お前には助けてあげようって気遣いはなかったのか?」
「助ける? 嫌だったら抵抗の一つでもすりゃいいだろ」
水色はまたも口を閉じる。
確かに、あの時、いや、その前から、抵抗は決してしていない。
「怪我でもさせたら一大事ってか?」
「………」
実際その通りなのかもしれない。
ただの子供の喧嘩なら、それでいいだろう。だが、相手が“水色”であったら。そしてその“水色”との喧嘩で、我が子がけがをしたと知ったら?
親は黙ってはいないだろう。
実際、石につまずいて転んだ子供を、偶然にも通り過ぎようとしたことがあった。すると、我が子から遠ざかって行く水色を見てどう思ったのか、道端会議に勤しんでいた母親は、水色のもとへ行くと怒鳴りつけた。
『どういうつもりだい?! 悪さするようならさっさとこの町を出てお行き!!』
何もしていない。
今なら何も言わないところだが、あの頃はつい口が滑り、自分は何もしていないのだ、ということをなんとか相手に伝えようとしていた。それは伝わるはずもない事なのに。
おかげで、手加減の無いびんたをくらわされることになった。
「良い性格してるよ」
カイは少しふてくされたようにぼそりとそう言った。
ヨウは鼻で笑ったように「お前もな」と返した。
赤は見ていてわかった。水色が本気を出せば、あのヨールスという男は相手ではないと。
昨夜のことを思い出しても、あのヨールスという男は、あの狂乱者を前に、何の抵抗もできてはいなかった。ただ恐怖に怯え、足を震わせているばかり。
ヨウが彼らを助けなければ、昨夜の被害者は一人だけでは済まなかっただろう。
いや、ヨウが割って入ったせいで、あの男は、誰も殺すことができなかった。だから、朝がたになってやっと出てきたミルク配達を襲ったのだ。他の者たちは、警戒して日の沈んだ後には出歩かなくなっている。男の獲物も、随分と限られてきたのだろう。
昨夜の一件があったこともあり、きっと、今夜は誰も外には出ない。
そうなったとすれば、一体あの狂乱者はどう出てくるのか。
ヨウはつまらなそうに考える。
(どうでもいい話だ)
たちあがる赤を、カイは自然と目で追った。
「そろそろ昼食か」
その言葉に、「そう言えばそうか」とカイは窓の外を見て日の昇りを確認する。
「昼食がすんだら、散歩にでも行くかな」
「私へのあてつけか!」
100年も外に出ていない気分のカイは、部屋から出て行く赤の背へ身近にあるものをぶんっと投げつけた。投げつけられた枕は、むなしい音をたてて赤のいなくなったドアにぶつかった。
*
長い時間を一人で部屋でつぶし、やっと夕食の時間が来た。
カイはうんざりとした表情で部屋から出る。
すると、丁度二階から階段を下りてくるミネと落ち合った。
「あらあら、そうとうきてる様子ですね」
くすりとミネは笑う。
「きてるよ、相当。もう室内はうんざりだ」
「あらあら」
溜息をつくカイをみて、ミネは「取りあえず食事に行きましょう?」と彼女の背を押した。
カイは押されるままにリビングへ向かい席につく。
少しもしないうちに町長とヨウも現れ、全員そろった食事が始まった。
それはいつもと同じ食事。
ミネと町長と、おばさんの声が占める会話がその時間に満ちた。
カイはたまにミネの声に頷きながら食事をほおばる。
ヨウも自分から口を開くことをせず、淡々と食事を口へ運んでいた。
こんな平凡な時間さえも、今のカイには「楽しい」の内の一つに感じた。部屋にこもっているよりは何倍もましなのは当たり前の話だろうが。
「これ、見てください」
ミネの楽しそうな表情。その手にはそら豆ほどの石。
ここはミネの部屋だ。
カイは夕食がすむなり、ミネに「ちょっと、」と手招きで呼ばれ、そのまま彼女の部屋へと連れていかれた。
いったいなんだろうか、と、見慣れた部屋をぐるりと見渡すカイに、ミネは一つの首飾りを差し出した。
カイは差し出されたそれをまじまじと見る。
いつかに見た覚えがあった。
確か、これはミネが12歳を迎えた時の誕生日プレゼントだ。もちろん送り主は町長。
割ると中は透明で透きとおっているのだが、空気に触れた場所はぼんやりと曇ってしまうため、その石の表面はすりガラスのようにざらざらと淡い白色を浮かべていた。
だが何かが違う。
カイはその全体像を見た。
そうだ。前は耳飾りだったはず。二つセットで箱におさまったそれを、前にミネに見せてもらった。
『これはとっても珍しい石なんですよ。水ノ音石と言って、名前の通り、水の音が聞こえるんです。』
そう言ってミネの手にやさしく包まれた石は、雫の滴るようなきれいな音を響かせていた。
『水の力に反応するんです。よく、使いの訓練何かに使われるんですが、お守りとしても重宝されるんですよ。とても縁起のいいものなので』
なぜそれがいま、首飾りとなっているのか。不明だった。
カイはどういうことかと、視線で説明を乞う。
「これ、見てくださいな」
ミネは右耳に邪魔な髪をかける。そこには、カイの記憶にあるものと同じ水ノ音石があった。だがやはり、もう一つはないらしい。
「耳飾りよりこちらの方がいいかと思い、改造してみたんです」
「改造って………」
呆れるカイの手を取り、ミネはその首飾りを手渡す。
「おそろいって奴ですよ。ここ最近物騒ですし、いつか渡そうとも思ってたんで丁度いいかと思い」
「お守りです」というミネの言葉に、「お守りねぇ、」というカイの言葉。
「ありがたく受け取ってください。これ以上のプレゼントは、当分あげられませんよ?」
「別に期待してないけど、」
「何か言いました?」
「いや、別に」
にこにこというミネの笑顔。
カイはじっと見られていることに気づき、おもむろに手渡されたばかりの首飾りを首にかけた。
革の紐が首筋にひやりと当たる。こういったものをつけた事の無いカイにとって、まだ身になれないその冷たさは異物だった。
石を首から下げたカイを、ミネは上から下まで、下から上まで見渡し、満足そうにうなずいた。
「流石私ですね。似合ってますよ、カイ」
(私を褒めてるのか? 自分を褒めてるのか?)
カイは怪訝そうに、一応「ありがとう」と礼を言う。
だがすぐに、本当に貰っていいものかと不安になった。
何しろ珍しい石らしいし、あの町長のことだ。娘のためにとても上等なものを準備したに違いない。
首から下げたそれを、不安げに見つめるカイを見て、ミネは「心配することありません」と言った。
「父様に見つからなければいいことです」
自信満々にそういう彼女だが、隠し通すのはもちろんカイだ。
カイは「はぁ、」と息をつく。
まぁ、持ち主の本人がくれるというのだ。ここはありがたく貰っておこうではないか、とカイはその石を服の中へとしまった。首には提げたまま。ひやりと晒しの上から肌に、冷たい石の感触が伝わる。
「父様には内緒ですよ?」
「はいはい、」
人差し指を立てるミネへ、カイは呆れ半分、感謝半分で頷く。
満足そうにほほ笑むミネの右側には、カイの首に下げられたのと同じ石がゆらゆらと揺れていた。
人気のない薄暗い部屋。
明かりもともさず、カイは首に下げた石を見つめていた。
ミネから貰ったプレゼント。
「………」
紐をつままれ吊りあげられ、石は小さく揺れる。その淡く透明な白い表面が、外からの明かりでほのかに明かりを宿す。
まるで日に透かされた生卵のようだとカイは思った。
じっと、石とカイとのにらめっこが続いた。
やがて水色が折れたかのように「ふう」とため息をついた。
「………あやしい」
それは一体何に対しての言葉なのか。
彼女は他に物を言わぬまま、その日の区切る眠りへとついた。
*
家全体が眠りに付いた。
影はのそりと身を起こす。
月の明かりを背におぶり、その影は静かに床を踏んだ。
毎日の世話をしてくれているおばさんには、「今日は暑いから」といって部屋のドアを開けたままにしていて貰った。もしこれを言わなければ、おばさんは気を使い、彼女が閉め忘れたものとして閉めていたに違いない。
彼女は開けたままのドアを小さく押す。
物音がしないよう、静かに。
ドアを開けたままにしていたのは、ドアのぶの音がうるさいからだ。
深夜とはいえ、誰が聞いているかわからない。特に下の「彼女」には聞かれてはいけない。そう思っての判断だった。
そして、ぎしぎしと音を立てる階段も避けるべきものであった。
普段外に出るときは、無くてはならないコースの一つだが、今回は別の場所を出口として用意した。
影の彼女は、部屋から出ると、そのまままっすぐ廊下に沿って歩き、すぐに突き当たる窓へと行った。
毎日手入れが怠られてはいないそれは、なめらかに上へとスライドされる。音も立てずに開かれたそこに、彼女はロープを垂れ落す。
そして、ロープの端を階段の手すりへきつく結びつけると、ひらりと外へと舞い降りた。
その姿を見る者は一人。いや、他にもう一匹………
*
あの時の感触が、やけにリアルに蘇る。
心臓を突き刺すような。
その血を体に浴びるような。
記憶にない記憶。
いや、自分が逃げていた記憶。
すべては事実。
あの人が私の名を呼ぶ。
―――………ィ
*
「――――――!!!」
私は突然目を覚ました。やけに呼吸が荒い。その身は嫌な汗でびしょびしょだった。
呼ばれた。
そう思って目を覚ましたのは、石を貰って数時間たった深夜のこと。もう日付は変わっているはず。
眠気眼で起き上がると、彼女の水色髪の毛がさらりと風に揺れた。
私は風の入り込んだそちらへ、ゆっくりと首を向ける。
「………お前、」
あいつだ。
灰色のあいつが、窓を開けて入りこんでいた。
普段ならこんなことはない。
何があろうと庭で待っていてくれるはずなのに。
「どうした…」
どうしたんだ?
そう尋ねる前に、彼の唸り声に気づく。
ぐるぐると鳴らされた喉。落ち付きの無い尻尾。
外を見つめる茶色い瞳。
私はすぐに、彼が何を言っているのかわかった。
「・・・ミネっ………」
やっぱりか、と予想しながらも気付けなかった自分を叱咤しながら、一瞬で醒めた頭で窓の枠に手をかけた。
頭の中、最近よく見る夢が、私に語りかける。
―――彼女はもう、思い出していた。