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二つのプロローグ

 プロローグ


 ―――名前は?

 少女は声の主を見上げる。

 この世から剥離しつつあった自分の存在を、しっかりつなぎとめてくれた彼を。

 ―――名前は?


「なまえ………?」


 まるで言葉を知らないかの様に、彼女は彼の言葉を繰り返した。

 それはあまりにも淡白で、感情を忘れてしまっているかのような声。 


 *


「世界を救った英雄、か。くくく、くだらないよな………」

 耳になじんだ優しげな声。

 燃え盛る炎を背に背負い、彼は悲しみを通り越して開き直ったかの様に笑っていた。


 彼?


 いや、そんなふざけた言い方があるか。あいつはあいつだ。俺を弟と呼び、俺の尊敬と、俺の信頼を奪うだけ奪って全てを灰にした………。

「―――シン!!!」

 怒りを孕むその声は、乾いた空気に水気を奪われ掠れる。

 髪は熱気に揺られ、水中に漂う水草のごとく空を舞う。汗に湿る輪郭にまとわりつくそれは何とも邪魔で鬱陶しいものだ。

「ヨウ。………何でお前、ここに」

 ふざけるな。お前にその名を呼ばれる筋合いはない。

 焼けつく様な熱さのせいで、俺の視界は涙で滲んだ。だが俺は、自分の目が渇こうが焼けつこうが、どうなろうが構わなかった。ただ望むのは、眼の前のあいつの、存在の消滅。

 俺が好意を寄せていたあいつ。

 俺の家族になってくれたあいつ。


 ――――この場所の全てを焼き尽くしやがったあいつ。


「どうした。こんな場所にいたら危ないぞ。早くみんなの場所に戻るんだな」

 俺はただ言葉を飲み込んだ。

 今の憎しみに溺れたこの口を開けば、自分が何を言い出すか分らないからだ。

 昔の記憶が蘇る。興奮に我を忘れ、相手を呪う言葉をひたすら喚き散らす大人げない大人。そんな馬鹿な人間を、いつかの酒場で見たことがある。相手がカードでずるをしたとかなんかで、顔を真赤にして声を荒げていたっけ。

 そんな無様な姿を、俺はあいつに見られたくなかった。

 いや。誰の目の前であろうが、そんな低レベルな行動をしてやろうとも思わない。

「皆はあそこにいるんだろう? 無事なんだよな。…なら、お前も早く行った方が良い。きっと心配してる」

 黙ったまま何も言いださない俺に、あいつは首をひねる。

「怒ってるのか?」

 俺は、何も言わない。

「仕方ないんだ。みんな、手遅れになってしまった。家ならまた作ればいいだけだよ」

 柔らかい口調。なんともあいつらしい。

 だが今の俺にはそれがひたすらムカついて仕方ない。俺は怒りを抑えながら、慎重に声を押しだした。

「………皆無事だと? よく言うな」

「―――………?」

 風が大きく揺れる。

 くれないがさざめき、大きく膨れては砕ける。俺達のまわりにたたずむ家々は、それらに飲み込まれ、轟々(ごうごう)と音をたて燃えていた。ただれて垂れ下がる壁紙が見える。まるで鉛筆の芯を思わすような、灰となった柱が見える。

 今までそれらの形を保っていたものが、全て、黒の塊となって崩れて行く。

「テッダは右目を失った」

「………」

「リザの母親が死んだ」

「………」

「パン屋のじじいは両腕を失って自殺した」

「………」

 まだだ。まだ、こいつのせいで大切なものをなくした人間はたくさんいる。だが、俺の本心はそんな事では傷ついていなかった。もともと俺は、周りの人間などどうでもいいと考えて今まで生きてきた。だから、別に誰が何を失おうと知ったこっちゃない。誰がどんなふうに死のうが、悲しくもない。 …ただ、俺がなぜこんなにも熱くなっているのかというと。何を俺が一番気に入らないと思っているのかというと。なにに俺が俺が一番腹を立てているかというと、―――目の前のこの男に、自分が裏切られたと感じた事だ。

「お前はあの時、人を殺すのはよくないと言っていなかったか?お前はあの時、怒りに身を任せてはいけないと言っていなかったか?お前はあの時、力を求めることは時に哀れだとか、言ってなかったか!?」

 俺の周りで、空気が爆発した。

 炎が勢いを増し、津波となってあいつを襲う。

「なんで、老長ろうちょうを殺した!」

 俺の瞳に、悲しげに歪められるあいつの表情が映った。

(こんな時でも、その偽善の表情は欠かさないのか)

 俺は唇を噛む。

「あぁ…」

 あいつは目を細め、口を開いた。だがその言葉は言い終わる前に、燃え上がる紅の群へと飲み込まれた。

 炎が唸り声をあげ轟く。あいつの体が炎の中へと消えさる。

 なぜか分らないが、目元がやけに熱い。

 ―――人を無理に好きになろうとなんてしなくていい。

 これは、誰の言葉だったか。

 ―――思うがままでいいんだ。

 俺の頭を撫でた暖かな手のひらは、誰のものだったか。

 ―――お前は本当に僕に似てる。

 人懐っこく、沢山の人間から好かれてた癖に、そんな事を俺に言ったのは誰だったか。

「俺はお前なんかに似ていない」

 ただひたすら、俺は悲しかったのだ。誰かのために悲しんでる自分がいるというのを認めたいとは思わないが、俺の奥底にいるあの頃の自分はひたすらに涙を流していたのだ。膝を抱え、幼いその瞳を涙におぼれさせている。

 それに気づいたのは、自分の頬を触れた自分の指が、小さな湿り気を帯びていたから。

「ごめんよ。けどもう、」

 終わったことだから。

 一瞬、何もかもが止まった。うるさく鳴り響く、村を喰いつくさんとしていた赤の音も、崩れゆく家々の鳴き声も。大きく耳に届いていた、自分の鼓動さえも聞こえなくなった。眼に映ったのは、自分の放った炎があった場所にできた焼け焦げた黒い地面。そこにあいつの死体は見当たらない。

 耳の後ろに、あいつの呼吸を感じた。

「………っ!?」

 俺は言葉を失う。

「全て手遅れなんだ、」

「………ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 時間はまた動き出した。

 俺は自分の背後へと腕を薙ぐ。

 だがそこにはもうあいつはいない。俺の耳には、今先ほど聞こえたあいつの声だけが木霊して鼓膜を震わせていた。

「………ふざける、な」

 悔しさにこぶしを握ると、そこからは周りで燃え盛る炎と並ぶくらい鮮やかな赤が滲んだ。


 あいつが村に放った炎は、村の人間全員で押さえつけても消えようとはしなかった。それはあいつが力を得たという証拠であり、それはあいつが、人として堕ちた証拠だった。俺達の村は灰になるまで、あいつの火から解放されることはなく、そして、俺の怒りは、このままこの村に居続けていては消せないほどに膨らんでいた。


 俺はもう、あの地に草花が芽吹く風景をここ何年か目にしていない。


 *


 大切な記憶。

 消してしまいたい記憶。

 私はもう、自分に嘘をつかないと決めたはずなのに、なのに、自分で気付かないうちに、まだ嘘をついていた。

 それに気づくのはいつの日か。

 大切な過去を取り戻すのは、いつのことか。


 あの人にとって大切なあの日を、思い出すのは一体いつだろう。



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