18 見せ物の化け物
「おっと、」
ヨールスは倒れこみそうになるカイの胸倉をつかみ腕を振り上げた。
その瞬間、水色の瞳と視線が合い、冷たいものが背中を伝った。
「その眼、すかしてるつもりか!?」
がっ、と左の頬を殴られ、カイは地面へと倒れ込む。
先ほどからカイは一つも手を出していない。それどころか抵抗もない。そんな相手に、7人の手下は不要だった。
だが、ヨールスにはその状況もまた苛立たしいものでしかなかった。
「そうやって大人しくやられて、腹の中では馬鹿にしてるってか? ふざけんな!」
地面にある水色を、思いっきり蹴りあげる。
「―――………っが、」
っかっか、と咽るカイの前髪をつかみ上げ、ヨールスはひきつった笑みを浮かべた。
「なんであいつ、お前なんかを引き取ったんだろうな。知ってるか? 町長もお前が来る事は反対だったんだよ。ミネさえ何も言わなけりゃ………。本当なら、とっくにお前は死んでいたんだ。………聞いてんのか?」
「おい、!」と荒々しく水色の前髪を掴んだままに揺すると、それに反応したかのように水色の視線がヨールスの紺色の瞳へと向けられた。
「………!!」
ヨールスは反射的にその手を離した。
周りは茶色の前髪の下に浮かぶ、おかしな汗に気付かない。
ヨールスの中で、小さな恐怖心のようなものがうずく。
水色は髪の毛が解放されると、静かに立ち上がった。体じゅうについた砂埃をぱっぱと払う。そのさなか、やはりヨールスは手を休めることはなかった。
「あいつだって、ミネだってな、本当はお前なんか気味が悪くて仕方ないんだよ!!!」
埃を払うその体を、思いっきり蹴り飛ばす。
野次馬がどっと盛り上がり、カイはその中へと転げ飛ばされた。
野次馬の群れはそれを素早く避ける。
カイは動かない。
ヨールスはそれを見下ろす。
後ろで束ねた水色の髪の毛は今の衝撃でばらばらとほどけ、彼女の顔をわずかに覆って隠していた。
ヨールスはその胸倉を掴み上げ、低い声でカイの耳に届く程度の音量で告げる。
「知ってるぞ、人殺し。お前、家族を賊に殺されてここに来たって話があるよな。けど、隣の村では違う噂が流れてるらしいじゃないか」
カイはわずかに顔を上げた。
「お前の両親、殺したの………お前だろ、化け物。その時居合わせた賊も、お前が殺したんだってな。まぁ、ジジィやババァの噂だから本当かどうかは知らないけどよ」
ヨールスはニヤリとほくそ笑む。
掴んだ胸倉を思いっきり地面へと叩きつけると、相手は黙ってそれに従った。
「けど、俺は好きだぜ。この話。お前にお似合いじゃないか。良いか、よく聞けよ? お前なんか、誰も人として認め………」
―――ぞくり
少年の背にまたもや冷たい何か。
いや、自分を取り囲む空気が一気に冷え切ったような感じだった。周りの音も凍りついてしまったのか、何も聞こえない。
鳥肌という鳥肌が体中を覆った。
少年の下に転がる水色に動く気配はない。
だが、紺色の瞳が見下ろしたその先で、やはり水色の瞳はじっとこちらを見つめていた。
今日会った時に見た瞳とは何かが違う。
少なくともあの時の方が、少年の感じる人間らしさというものがあった気がする。
だが、今の水色は、どうだろう。
無機質で、どこまでも冷たくて、少しでも触れようものなら切り裂かれてしまうかのような。
ヨールスは自分の足元に、大きな獣が転がっているかのような錯覚にとらわれた。
反射的に胸倉を離そうとした彼の手を、カイは自らの手で掴んでそれを止めさせた。
ヨールスはびくりと肩を揺らす。
周りからはカイがヨールスの腕をつかんでいる様子は見えていない。依然として、ヨールスが無抵抗のカイの胸倉を掴んでいるだけのように見た。
カイの口が、周りからは確認できない程度に小さく動く。
そして、そこから発せられた声をヨールスは聞いた。
「ウワサ、………じゃない。わたしが殺した。親も、賊も、」
その言葉に、ヨールスは空笑いを浮かべる。
「はは、は、馬鹿言え。お前にそんな事できるはず…」
彼の額には冷汗が浮いていた。
カイは続ける。
冷たい、感情の無い瞳を、自分よりいくつか年上の少年に向け。
「簡単だ。人を殺すのなんて、誰にでもできる。あの人達は、カンタンに死んだ」
ヨールスは、いつの間にか解放されていた自分の手を離した。すると水色の体は何の抵抗もなくドサリと地面に落ちる。
彼は一歩後ずさった。
水色の瞳が、こちらを見つめている。
少年の首筋に汗が伝う。
獣は横たわったまま動かない。ただ、じっとこちらを見つめているだけ。
金縛りにあったように、その瞳から目をそらすことができなかった。
瞳がこちらに向けられている間、眼を放せば、相手が飛びかかってくるような気がして。
水色の眼はそっと細められ、そして、ゆっくりと視線を外す。
その瞬間に、ヨールスにとって全ての者が温度を取り戻した。
周りのざわつきも、がちがちにこわばっていた自分の体も。
ヨールスは向きを変え、人垣をかき分けた。
「帰るぞ」
一言、呟くように連れたちに投げかけると、彼はもう人垣のむこう側へと消えていた。連れの少年達は一体どうしたのだろうかと顔を見合わせ、ぞろぞろとリーダーの後を追う。
「どうしたんだ? ヨールスの奴」
「あきたんじゃねーの」
「ねぇ、なんか顔色悪くなかった?」
「そう? いつも通りでしょ。気のせいよ」
野次馬達もぞろぞろとその場から退出していく。いつの間にかその中に潜んでいたはずの赤も消えていた。
誰もいなくなったころに、もぞりと水色は起き上がる。
そこに灰色の獣が駆け寄り、傷をぺろぺろとなめてやる。
水色は静かにその背を撫でて、小さく「ありがとう」と呟いた。
*
端に置いといた荷物は、どうやら獣が人の目を盗んで回収していてくれたらしい。
カイはそれを受け取り、裏路地から大通りに出る道を歩いた。
「やっぱり、少し痛いな」
馴れたはずなのに、と苦笑を洩らす。
痛いのは傷もだ。だが、一番は「心」というものかもしれない。
“ミネ”という言葉が出てきた時が一番辛かった。
「まさかあそこでその名前がが出るなんてな」
カイは軽く笑い、「ミネもてるもんなぁ」とつぶやく。
その笑顔は獣にどう見えたのか。彼は水色を慰めるようにその体を彼女の脚へとすりよせた。
水色はそっと微笑みその頭を優しく撫でた。
「流石に、少しは頭に来たのかな。…あんなこと言うなんて………」
自分の発言にカイは渋い顔をしながらも、やはり困ったように笑った。
その瞳にはやはり、どこか切ないものがにじみ出ていた。
ヨールスと向かっている時には、必死に隠そうとしていた色だ。
「脅すつもりじゃなかったんだけど、帰ってくれて助かったよ」
「痛いのはごめんだもんな」というカイの言葉に、獣はゆらりと尾を振った。
カイはそれを見てホッとしたように眼を細める。
裏路地から抜け出し、人通りの多い道に出ると、語り部の老婆が腰をおろしていた。
その周りには何人かの子供たち。
丁度話が終わったところなのか、またはじめから、物語を口ずさみ始めていた。
語り部はそこに見る者がいる限り話し続ける。
今も、たったの数人だが子供達が膝を抱えて彼女の前に座っていた。
だから、老婆は何の不満も持たずに、もう飽きるほど口にしてきたであろう物語を話し始める。
「―――昔昔、神も見とれるような美しい場所があった。そしてそこには、水の化身とも思えるような、美しい水色の毛並みを持った獣が………」
ふっ、と持ち上げられた老婆の視線。それが偶然にも水色と目があって止められた。
老婆は汚らわしいものでも見るように表情を歪ませる。
その視線をたどり、話を聞きに来ていた一人の少年がカイを見つけた。
カイを見つけ、少年はその水色の髪を指差し、一言。
「ぁ、…化け物」
カイは苦笑して、その場から去った。
「………やっぱり、痛いよな」
小さくつぶやかれたその言葉は、どうしようもなく困ったように、誰へともなく落とされた。