17 英雄の観戦
ぶらぶらと歩きながら、ヨウはこの町で“カイ”を探していた。
だがもう、人に尋ねようという気にはなれなかった。なにしろ、尋ねても帰ってくるのは「知らない」の一言だ。
だから、前に子供がちらりと漏らした“町長”という言葉を頼りにあの二人を探しだした。
だが、見つけた女は、町長の娘は“カイ”ではなかった。
それに付き添う人物こそ“カイ”ではあったが………。
カイの、少し吊り目がちな水色の瞳が脳裏に浮かぶ。
(俺が探してるのは女だしな)
ヨウは面倒くさそうに頭を掻いた。
*
カイはなんとか昼には間に合おうと駆けていた。
あまり買い物に時間をかけるのはよろしくない。というか、あのおばさんが許してはくれない。
(怒られたらまた仕事が増えかねないもんな)
ぱたぱたと駆ける彼女は、息を切らすことなくまっすぐに家へと向かう。
近道として、人どおりの少ない路地裏を使っていたつもりだったが、途中、曲がり角と差し掛かった時、横から歩いてくる人影を見つけた。
カイは、危なくぶつかるところだったが、何とかその人影を避ける。彼女はふぅっと安堵の息をつき、止まることなくまた走り続けようとした。
「おい、ちょっと待てよ」
聞き覚えのある声。
水色の瞳はすっと色を薄める。
足を止めたカイへ、その人物は自らは動こうとしないまま告げる。
「お前、今俺にぶつかったよな? 謝れ」
カイは何も言わずに振り返った。
そこには、カイよりいか程か背の高い少年がいた。年齢的にも彼の方が上だろう。
だがやはり、ミネの方が彼より背が高いな、とカイは心の隅で思った。もしかしたあの赤い客人と同じくらいの背丈かもしれない、とも思う。
カイは会釈するように頭を下げる。そしてその下で、ミネと目の前の人物との身長差を思い浮かべ、小さく笑う。
「ぶつかってごめん」
「それじゃあ」と去ろうとする水色に、少年はまだ気が足りないのか更に絡んだ。
「お前、今笑ったろ?」
カイは無視しようかどうか考える。
だが、自分の正面に回り込む3〜4人の人影を見て仕方なくそこにとどまることにした。
視線を上げれば、そこにはやはり見慣れた顔。
(………ヨールス)
カイは小さく息をついた。
同じ顔ぶれの手下たちを従え、よくも飽きもせずにこんなちっぽけな町中を散歩するものだ。と、周りを見渡す。
(今日は7人か)
自分の道をふさぐ者が4人。そしてこのグループのリーダーであるヨールスの横に3人。
ヨールスを合わせると8人になる。
(最近ついてないよな………)
それが何故だか考えたいところだ。
腕を組もうかと思ったが、「態度がでかい」と相手を逆なでしそうだったので止めた。
カイは小さく顔をしかめ、これからいったいどうしたものか、と頭の隅で考える。
だが考えなくとも分かる。ヨールスが自分に絡んでくるのはいつもの事だ。
大人しく、弱者を気取ってした手に出る。対処方はたったのそれだけ。それだけでいい。
なんて手軽で安上がりなんだろう。けど、こんな買い物他では絶対したくないな、と、水色は今の状況を残念に思った。
「今日は学校は休みですか? ヨールスさん」
カイの問いに、ヨールスは色素の薄い自分の髪をさらりと撫でる。
話に聞くに彼はハーフらしく、髪はあちらの大陸譲りの薄い茶色だった。そして目はこちらの大陸譲りの紺色。
力は血によると言うが、半分ずつその血を受け継いだ彼はどうなのだろうか?
カイは知っていた。何しろこの男とは小さいころからの付き合いなのだ。“嫌な腐れ縁”とも言えよう。
(水の力、か)
いったいどういう確率なのだろう。
気になるところだが、今はそれどころではない。
「学校? はっ。笑わせるな。俺にはあんなのより、もっと大事な用があるんだよ」
(大事なよう、か)
勿論カイにはそれがどんなものかわかった。
この町をぶらぶらと歩き回り、自分たちより弱いと思われる者たちに絡み、たかる。は向かう者には集団で持ってその力を見せつける。
(そりゃあ大事な御用だこと)
呆れるカイの内心をよそに、ヨールスはふんっと自慢げに鼻で笑っていた。
「で、お忙しい中こんなわたくしめに気を使って頂いてるなんて、ありがたい限りですね」
この際、手をつけてお辞儀でもしてやろうか、などと思惑している正面で、ヨールスはぴしゃりと声を荒げる。
「その喋り方やめろ! 気に食わねぇんだよ、馬鹿にしてるのか!?」
水色の瞳がそうっと細められた。
一瞬色が全て消えたように。温度がふっと消え去ってしまったかのように。
「気に入らなかったか? そりゃあ残念だな。かさねがさねごめん」
カイはふうっと息をつく。
肩を落とし、残念そうに斜め下の地面に視線を落とす水色の姿は堕ち込んでいるようにしか見えない。だが、ヨールスやその周りにいる少年たちには、その人間らしい動作がどうしても頭をイラつかせた。
「お前、最近人間ぶるのがうまくなったな。それに、最近帽子もかぶってないらしいじゃんか」
二つの大陸の血、その中間に生まれ落ちた少年は声を低くする。
「調子に乗ってるのか? それとも開き直ったか?」
カイはもう装うのも面倒くさくなり、普通に答えた。
「どちらかというと『開き直り』かな。 あれ(フード)、空気が籠って暑いんだよ」
「そうか、」と答えながら、少年は片手を軽く払う。
カイの瞳はそれを無意識に追っていた。
手の合図と同時に、後ろで砂を踏む靴音。
彼女なら簡単にかわすこともできるであろうその手口に、まったくカイは抵抗しない。
どすっ、という音が裏路地に小さく響く。
後ろから一つ結びの髪を引っ張られ、あらあらしくひざ裏を蹴られた音だ。無理やり膝立ちにされ、腕を両側から抑えられ、体の自由を奪われる。
人通りの無い路地裏だからこそできる行動。
ヨールスは上から水色を見下ろすようにその正面に立ち、後ろで手を組んだ。
「知ってるか? 化け物を倒したのはあちらの大陸の人間だ」
「それが?」
「分からないか? あちらの大陸の血を受け継いだ俺。その正面には…」
ヨールスは口の端を釣り上げた。
「化け物」
その一言はカイの耳に嫌になじんでいた。
裏路地の外を行きかう人々の声が聞こえる。ここで起きている事にも気付かづ、彼らはいつもの日常を送っているのだ。そして、楽しそうに笑う子供たち。
その奥、路上で語る老婆の声。
その周りにはきっと、子供達が円を作って話に聞き入ってる筈だ。
「爺ちゃん言ってたぜ。お前はこの町にいるべきじゃないってな」
カイを取り押さえる少年たちは、にやにやと嫌な笑いをうかべていた。
「災厄を招く。化け物の生まれ変わりだってよ」
カイの視線は正面の少年から外される。
(そんなの、信じてもいないくせに)
彼らにとってはただ誰かをいじる理由ができればいいのだ。
確かにここの老人たちは物語に敏感かもしれない。だが、少なくとも、今目の前にいるこの少年たちが、そこまで昔話を信じているとも思えない。
そう、ただ自分は運が悪かっただけだ。
どこにでもある役割。ただ運が悪かった。たったそれだけ。
「ここにお前の居場所は無いんだよ。バケモノ」
その少年の笑顔は、とても楽しそうで、悪質で残忍で…。
*
町を歩きまわることにも飽き、ヨウはひとまず今の宿に戻ろうかと思っていた。
何もないよりも、宿に帰りあの水色になにか心当たりがないか話を聞いてみるほうがましだと思った。
カイもカイだが、ヨウもヨウだ。
赤い髪を恥ずかしげもなくさらし、町の中を普通に歩いていた。
勿論この町では赤という色は珍しい。この旅人の訪問で、はじめて赤い髪を見たという人々も多い事だろう。それに、この町の人間とは肌の色も違うのだ。
異国の人間。
どう見てもヨウはそう言った類の者だった。
だが、この赤はどういうわけか人々に評判がいい。
老人はヨウを見て手を合わせるし、通りすがる店によっては、売り物を手土産にと少しくれたり。
小さい子供はヨウの顔を覗き込んでは嬉しそうに駆けて行く。
当のヨウはというと周りの反応など眼中になかった。自分に手を合わせる老人を見ると、“飽き飽き”という言葉さえ浮かんでくる。“うんざり”という表現もよかろう。
何にしろ、死んだ人間じゃあるまいし、手を合わせて拝まれるのはいい気分ではなかった。
「―――人々は恐れた」
故郷でも聞かされた、よく知るフレーズ。
赤い瞳は道の端へとずらされる。
その周りには子供たちが半円を描いていた。その中心には老婆。麻の布を地面に引き、ひざかけをかけて壁にもたれかかるように座っている。
「化け物はその場所に立ち入ろうとする者たちを一人残らず食い殺した。それでも不思議と化け物の毛衣がけがれることはなかった」
ヨウは静かにその円の一番後ろに立つ。
「それどころか、人々の血をその身に浴びるたびに、獣の美しい毛衣はなお美しく、透明で清らかになるばかり。人々はその化け物が死の化身であることを悟った。そして、そ奴からあの哀れな聖域を救ってやらなければといきり立った」
人々は神に祈る。どうか力を…、と。そして神は答えた。大きな一枚の葉を人々に授けると、そこに花々の朝露を集めさせる。葉が朝づゆに満たされると、三日三晩祭壇に祀らせた。その間、女、子供以外、全ての男は見張りとして眠ることを許されなかった。
眠れる三日間を無事に過ぎると、神は葉に残った露を盃に流しいれ、器となっていた葉を聖なる炎で灰にして瓶につめた。
『これは聖なる酒なり。我の力を、諸等に授けよう』
“我”は“私”、つまり神。“諸”は“示すもの”、つまり人々。
人々は20人の若者を選び、10人に露を飲ませ、10人に灰を浴びさせた。
10人は水の力を、10人は火の力を授けられた。
ヨウの記憶の中の声。村の老婆の滑らかな声が今流れる声に重なる。
よく知られた昔話。あちらでも、こちらでも、物語は共通している。
化け物との戦いで、19人は命を落とす。
だが、最期の一人は雄々しく化け物と闘い勝利する。
化け物の毛衣は神に納められ、人々は力とともに栄えてく。
20人の子孫は大陸に散り、国を作り、それは今も栄えているという。
(つまらない話だ)
確かに昔、あちらとこちら、合わせて20の国があったらしいが、今はもう国としても形がないものもあるだろう。
なにしろそれぞれが独立して成り立つ町村も多い。限りなく続く様な陸と海、全体の形さえ分からないこの世界。今なら20以上の国があってもおかしくない。100の国があると言われても疑え何のが現状だ。
ヨウは向きを変える。
帰ろう。誰に言うでもなく、その瞳はそっと老婆から外される。
「英雄はその赤い髪をなびかせ、太陽の化身とも言える焼けた肌を―――」
ヨウは唇を噛む。この行が一番嫌いだった。
立ち去ろうとした彼の正面に、一人の子供が目を丸くして立ちふさがる。口は「あ」の形で止まっていた。
その片腕がゆっくりと持ち上げられ、赤い髪へと指を向ける。
「英雄だ!」
子供の声で老婆の語りと子供たちのさざめきがぴたりと止まった。
「なんだい?」
老婆の問いに、少年は指を自分の斜め上に向け、あわてるように答えた。
「英雄だよ! 英雄! 化け物を退治しに来たんだ!!」
その子供のはしゃぎように、老婆はほうっと息をついた。
「お前の英雄は四足で毛むくじゃらなのかい?」
「何言って、」
子供が見上げると、そこには誰もいなかった。ただ、自分の示された指の先には、屋根の上に寝そべる一匹の猫がいた。
他の子供達はくすくすと笑う。
赤い髪を指差していた子供は頬をぷくりと膨らませ、「本当にいたんだ! 僕は英雄を見たんだ!」と怒鳴った。
老婆は彼を優しくなだめ、その半円の中へと手招きする。
子供達はくすくすと笑いながら、彼に席を作り、老婆へとまた視線を預ける。
老婆はまた静かに語りをはじめ、ヨウを見た少年はやはり納得がいかなそうに膝を抱えてふてくされているのであった。
*
近くの路地へと入り込んでいたヨウは、壁に背を預けふうっと息をつく。
英雄呼ばわれは好きでない。何しろ、何の根拠もない物語によるものだ。居もしない人間と自分とを重ねられるのは困る。
ヨウは一時的にかぶったフードを外し、今自分がどこら辺にいるのか、見なれた景色を探し視線を走らせた。
すると、やけに賑やかな路地を見つけた。
みんなして狭いその道に吸い込まれていくように、楽しげに駆けて行く。
「なんだ?」
ヨウはいぶかしげに思いながらも、走りゆく子供の背を追った。
たどり着いたのは角を曲がってすぐの路地裏。2〜3層の子供の囲いの中には、自分と同い年くらいの者から3〜4歳下の者までいた。
ざわざわと賑やかなそこは、たまに波が立ったかのように観客の音量があがったり、口笛が聞こえてきたりした。はやし立てる声も聞こえてくる。
「おい、何の群れだ」
円の中心にあるものが見えず、ヨウは近くにあった肩に尋ねた。
「なにって、またヨールスの奴があの化け物の子を、え?―――あ、あの、すみません。私ったら知り合いと勘違いして、」
答えた少女はヨウを振り返って頬を染める。
「別にいい。それより何だ」
「あ、えーっと、外の人よね? この町にはヨールスっていう苛めっ子がいるんだけど、そいつが、その、つまり、また“あれ”で遊んでて…」
なんだ、ただの喧嘩か。と興味をなくした赤い瞳を見て、少女はあわてたようにヨウを引きとめる。
「あ、! あのね、“あれ”っていうのが、この町の嫌われ者なんだけど、みんな気味悪がってて、………その、ずいぶん前にこの町に来たんだけど、そいつ全然、誰が何しても反応しないから、ヨールスたちにも目をつけられてて………えっと、そうじゃなくて! つまり私が言いたいのは、」
また観客がざわりと盛り上がった。
少女は拳を握り、ヨウへと一歩踏み出る。
「外の人なんでしょ? なら私、町の案内を………! ………ぇ?」
勇気を出してヨウの目を見上げた少女は言葉を切る。
赤い瞳は観客の向こう側、中心部へといぶかしげに向けられていた。
「え、あ、あの………」
「すまない、少し用事が出来た」
ヨウは少女へは目もくれず、その円の中心部へと人波を割って向かっていった。
残された少女は両手を胸に当て、その去っていく背を健気な瞳で見つめる。
ヨウはずんずんと人をかき分けながら前に進む。観客のなかにはヨウの姿をみて自ら道を開ける者もあった。
こんな時ばかり、この“赤”という色は役に立つ。もちろんこちらの大陸の時の方が効力は絶大だ。茶色い肌も、あちらの大陸では見慣れたものだからあまり違和感はない。こちらの大陸だからこそ目を引くだけだ。
ざわざわという声の波も、前に進むにつれて盛り上がっていく。
一番前の層まできて、視線が開けると、薄暗い路地裏で7人に取り囲まれる、茶色の髪の少年と水色の姿が見えた。
ヨウは「やっぱりな、」と息をつく。
(嫌われ者とは、随分な御身分だな)
赤はフードをかぶり、胸の前で腕を組む。
どうやら、この喧嘩に手を出すつもりはないらしい。
彼にとっては唯の暇つぶし程度。こうしてのんびりと客として眺めさせて貰おう、と彼はその場所の空気に自ら溶け込み擬態した。