16 お使いと寄り道
外は洗濯していた時と変わらずいい天気だ。今日は天気が崩れることもないだろう。
眩しい日差しに目を細め、カイはフードを頭にかぶる。
だが、少し歩いたのちすぐに外した。
(つけても熱いだけだしな)
ふと見上げた視線の先、家と家の小さな隙間の奥に灰色の毛並みを見つけ、水色頭はくすりと笑う。
いつもいつも、何となく見た場所に彼がいる。
やることもなく暇なのだろうか。呼べばすぐに来てくれるし、何もない時もああやって人目につかないところで自分を見守っていてくれてる。
たまに森に帰っているのか、散歩をしているのか、姿を消すときもあるが、必ず自分の元に戻ってくる。
自分の保護者でも気取っているのだろうか?
カイはくすくすと笑い、お目当ての品のある店へとまっすぐに向かった。
町は昼前ということもあり、買い物客で賑わっていた。といっても見慣れた顔だ。そんなに大きな町でもない。人口が多いわけげもない。この町の“賑わい”など、それ位のものなのだ。
フードの無い水色は、その場所で随分目立っていた。
たまに紺や、深緑のような色をした人間もいるが、やはり水色はそれよりも目を引く。
カイは行き交う人々の視線を無視し、紙にあるものを軽く眺め脚を進めた。
やがてお目当ての店が家々の間に顔をのぞかす。
八百屋だ。
カイは紙にあるものを軽く手に取り、主人へと声をかける。
「これ、」と言いかけた彼女に、店の主人は「58ルード」と早々に答えた。はい、と硬貨を籠の中から取り出すと、カイは用の済んだその店を後にする。
カイがその場を去ったのち、店の奥から主人の妻であろう女性が出てきて主人へひそひそと耳打ちをする。
カイが次に向かったのは生地屋だった。
裁縫にあまり興味の無い彼女は顔をしかめる。紙にどのような素材がいいか、軽く書いてあるのだが、専門的な用語のような言葉が混じっていてよく解らなかった。
どうしたものかと、近くにあった布地を適当につまんでみる。
すると、ぱしり、とその甲がはたかれた。
カイが視線をあげると、そこにはいつの間にかここの主人であろう年配の女がいた。彼女は「気安く触るんじゃないよ」とごちりながら、カイが手に持っていたメモを荒々しく奪う。
そこに書いてあった内容に目を走らせると、彼女は横にあった棚の3段目あたりから布の筒を取り出した。
「少しそこで待ってな」
カイは言われたとおりそこで待った。
勿論のこと、周りの生地に触ろうなどとは決して思わなかった。
はたかれた甲を軽くさすり、店の中をぐるりと眺めていると、すぐに女主人は戻ってきた。
その手には先ほどのより細くなった布の筒。
「300ルード」
カイは言われた金額を彼女に手渡すと、次の店へと歩き出した。
女主人はけがらわしいものでも見るように彼女の背中をにらみつける。
買い物は昼前には無事に終わった。
さぁこれから帰ろうか、という時、水のはねる音が耳に届く。
「―――そうそう、優しく、包み込むように、」
老人のしゃがれた声が、あまり離れてはいない場所から聞こえる。
(そうか、学校…)
カイは音のする方へと小走りで向かった。
そう、ここは学校の近くなのだ。
今、丁度水を扱う練習をしているのだろう。
家と家との合間をくぐり、路地を抜けると、柵に囲まれた古びた民家のようなものが現れた。広めな庭には、中くらいの池がある。その周りには子供たち。
年齢も性別も、全てバラバラで、みんな手元には水を浮かべていた。
その中心で、老人が説明をしている。空中でくるくると水を回し、子供たちに語りかける。
カイはその様子を路地の影からそっと眺めた。
「いいかい。空中に分散された水を、掌に少しずつ集めるんだ。………ほぅ、そうじゃそうじゃ」
老人の横で、小さな女の子が掌にビー玉くらいの水の玉を作って嬉しそうに笑っていた。
少女の手元に浮かぶ水球は、どんどんどんどんその大きさを膨らましていって、少女のこぶし大位の大きさになった。少女はもっと沢山水を集めようとしたのか、球はその大きさを超えるとパンッと風船が割れるような音をたてて破裂してしまった。
「水は集めすぎると破裂してしまうからお気を付け。お前さんが毎日練習していれば、今よりも多くの水もまとめられるようになろうよ」
老人は水浸しになってしまった少女に微笑みながらそう言った。
そしてほかの子供たちの様子を一人一人見ながら、それぞれに助言をして回ってやる。
カイはその様子から少しのあいだ視線を外し、その場から少し下がって路地の半ばへと向かった。
人気のない事を確認し、両手を向い合せにして目を閉じる。
頭には先ほどの老人の言葉があった。
『空中に分散された水を―――』
じっとまったが、やはり何も起きなかった。
はぁっと息をつき、カイはその場に尻をついた。
やはり生まれつきというのは大きいらしい。自分にあのような才能がないのは前々から分かっていたことだが、できないとなると余計できるようになりたいと思うが。
「………よし」
水色はもう一度、誰もいない路地で目を閉じた。
遠くから、老人の声と子供たちの嬉しそうな笑い声が聞こえた。
カイはすっと、昔の記憶に意識を飛ばす。
確か、前にもこうして何度か試みたことがあった。
その時はミネが付いていてくれて、横から水を使う時のコツのようなものを教えてくれていた。
『内側に、血とは別の流れを感じてください―――』
それが、磁石のように周りの水を自分の元に引き寄せるイメージ。
自分の元に集まった水を、自分の意思で操作する。
手元に集め、宙に維持することができれば、それが基本。
カイはじっと、周りの空気へと自分の意思を這わす。
周りに水の気配を感じた。
それが自分の周りでさわさわと動き出す。
閉ざされたまぶたの下、水色の瞳は、漂う水の一つ一つが小さな光となって見えているような気分になる。
周辺の水分が自分の意思に答え、呼応する。
空気がひやりと温度を下げた。
(来る)
そんな感じがした。
来る。
周りの水分が、ぐんっと自分へと群れをなして向かってくる。
まぶたの裏に、迫りくる水の粒を感じる中、突如カイは激しい眩暈に襲われた。
頭の奥に、うるさいノイズ音が響きわたる。
***
聞こえる声。
ばたばたと騒がしい室内。
泣き叫ぶ男。
床に転がる何か。
それを見つめる冷めた何かの目。
燃えていた。
全てが。
すがすがしい位に。
胸にある重くて冷たいものが、その炎に溶かされて消えていくようだった。
『頼みがあるんだ』
頬に伝うのは一滴の涙。
***
ピシッ―――
ガラスに罅がはいったかのような高い音。
何処からともなく、雫が滴り落ちるようなきれいな音が聞こえてきた。
カイははっと我に返る。
そのままぐらりと前にくずおれ、体を支えようと突き出された腕も力なくその重みの下に潰れ、倒れる。
なんで、とその唇が音もなく問う。
瞳には表情はなく、そこに彼女はいないよう。
「なんで、」と彼女はまた問う。
一瞬、昔の自分の罪と、赤い瞳と赤い髪のあの人が脳裏に浮かんだ。
音もなければ、答える人もいないその場所で、彼女の瞳は悲しげにゆれた。
「なんで、悲しいんだ………?」
体を預けた地面はやけに冷たく、自分の周辺だけ凍ってしまったかの様だった。
***
頭に浮かんできたのは記憶にない光景。
あの湖。
静かな月。
浮かんでくる泡ぶく。
何かが水の底へと消えてゆく。
それは赤い紅い炎だった。
水の中なのに、なぜだろう。
私は涙も出てこようとしない瞳を見開き、ただじっと、いや、必死に、その光景を最後まで見届けていた。
一瞬でも目を離してはいけないと、ただ、必死に………