15 いつもの仕事
家に戻ると、おばさんが忙しそうに朝食の準備を始めていた。客人がいることもあり、いつもより食事の量が少し多く思える。
豪華なのは嬉しい、が、あれを片づけるのが自分なのかと思うとカイは曖昧な気持ちになった。
居候の身は楽ではないのだ。
窓から部屋に戻ると、外から自分を見つめる客人の姿があった。
「なんでいるんだよ」
「ばか。俺の部屋は二階だ。ここから壁をよじ登れとでも言うのか?」
それを聞いてカイはニヤリとした笑いを浮かべる。
「飛び降りといて上ることはできないなんて、情けないよな」
「そうだな。情けなくて結構だ。そこをどけ」
カイの言葉はさらりと流されてしまった。
それがむなしくなったのか、水色はさらに赤に噛みつく。
「ここは私の部屋だ。お前の部屋じゃない」
「そなことわかってる。だから、少し通らせろと言ってるだけだ」
「だから、なんで自分の部屋が他人の通り道みたいにならなきゃいけないんだよ」
次はヨウがニヤリと笑う番だった。
「そんなの簡単なことだ。俺はお前らに呼ばれてわざわざきてやった客だ。わざわざ来てやったってのに、連れてきた本人が客を無下に扱うって言うのか?」
「知るか! お前を必要だったのはミネだ。別に私が呼んだわけじゃない」
「そうか、」
ヨウは表情を消した。
「分かった。なら俺はこの家を去ろう。あのミネって女の用も済んだみたいだしな。俺も大切な用がある」
そう言うと彼は窓に背を向けた。
どうやらこの家を立ち去る気らしい。
「勝手にしろ」と拳を振り上げたカイの頭に“ごん!”と星が待った。
「ヨウさん、約束は約束です。こんなお子様の相手はよろしいですから、早く上がってきてください」
水色の頭を殴ったのはミネだ。
カイは窓の横で頭を押さえてうずくまる。
その横に、窓から入り込んできた客人が着地する。
うずくまるカイを見下ろして、ヨウは勝ち誇ったような微笑みを口元に浮かべていた。
全て計算通りとでも言っているのだろうか?
カイはこつこつと部屋から出て行くヨウの背中を見送り、「いつかこの借りは絶対返す」と心に誓った。
部屋を出て行くヨウを見送り、ミネはにこにことしながらカイに尋ねた。
「デートですか?」
「違う!」
即答だ。
「あらあら、そうですか。でも随分と仲がよろしくなっていたようですね」
「………だから違うって、」
「あら、では何でしょうか。一度も夜の散歩にわたくしを誘ってくださらなかったのは、単に私が邪魔になるからだったとでも、」
「ち、違うくて、だからそうじゃないって」
カイは必死に首を振った。
「ミネを夜に連れ出したりしたら、町長に首を切られて埋められる」
それを聞いてミネは盛大に笑った。それもこれも、カイが本気で町長のことをそう思って言っているように思えたから。
「確かに、あの父様のことです。大事な大事な愛娘が夜中にさらわれたとなっては、山の一つや二つ、簡単に洗い流してしまうかもしれません」
「でも、」とミネは付け加える。
「そうなってでもでも次は私を誘ってくださいな。ヨウさんよりも付き合いの長い私が後回しとなっては、どうにも少し悔しい気もしますしね」
カイはしどろもどろに頷いた。
それを見て、ミネは「約束ですよ」とほほ笑み、部屋を出て行く。
彼女の出ていった部屋で、カイはトスンっとベッドに腰を下ろす。
さっき殴られた頭が未だに痛むらしく、片手で小さくさすっていた。
*
ガチャン、と閉じられた扉を背に、ミネはいつかの記憶を掘り出していた。
カイと初めて出会った時の話だ。
彼女は、カイは感情の無い人形のようだった。
だが、昔のことは覚えている様子で前に一度話してくれたことがあった。
『死んだ』
幼い彼女が口にしたのは、たったそれだけの、切ない言葉だった。
ミネの父、町長はどことなくその成り行きを知っているようで、教えてくれた。族が、カイの家を襲ったのだと。あの頃、ここら周辺を荒らしまわる達の悪い族がいたらしく、運が悪くカイの家もその族の餌食になってしまったのだ、と。
その族はもういないらしいが、彼女の家が最後の被害だったらしい。最後の最後、なぜ族はよりにもよって彼女の家を襲ったのか。もし族がいなければ、彼女は本当の家族のもとで普通の生活を送っていただろうに。
と言っても、カイはあの容姿だ。普通の生活とは少しずれたものとなっていても不思議はないが、だが、本当の家族という存在は大きな糧になっていたことだろう。
(でも、族があの子の家を襲わなければ………)
そう。ミネとカイが出会うことはなかった。
そう考えるととても曖昧な気持ちになる。
ミネは胸に手をあてた。
まるで祈りを捧げるように、彼女は胸に言葉を誓う。
自分だけはずっと、彼女の見方であろうということを。
*
朝食が始まり、カイとミネ、ヨウが席に付くのを確認して、おばさんは出来たばかりの料理達をテーブルに並べた。
「あら、シャルゼさん。父様は?」
いつもの席に父の姿がないのを見て、ミネは家政婦のおばさんへと尋ねた。
おばさんは三人へとミルクを注ぎながらそれに答える。
「旦那様なら朝の会議とかで、お昼までかえって来ないそうですよ」
「そうなんですか」
ミネはスープへとスプーンを静め、そこに広がる波紋を眺める
いつもなら朝会などないのだが………。あれは、なにかの行事が近づいた時などに行われる。そして今はその時期ではない。
「なにか、あったんですか?」
不安げな質問に、おばさんは安心させるように笑顔を浮かべる。
「何も心配はいりませんよ。ただ、この町の周辺で野良犬が増えているらしいので。たぶんその対策について話しているのでしょう」
「………そうですか」
ミネはそのまま黙ってスープを口に運んだ。
カイはその様子を見ながら考える。
ミネの笑顔に見慣れたカイには、他の人間の笑顔の嘘に気づくのは簡単な事だった。
きっと、ミネも同じだろう。
おばさんの嘘に気づきながら、わざとその場を引いた。
それは、訊かずとも知れた心当たりがあったからだ。
念のため、カイは隣に座る客人へと視線をずらしたが、彼は何も知らない顔で朝食を進めていた。
この話は後にしよう、とカイも朝食へと手を伸ばした瞬間、おばさんの言葉が間髪入れずに投げかけられる。
「お前さんはそれが終わったら皿洗いと洗濯だよ。お客様が来てるからって、いつもの仕事がなくなるわけじゃないからね」
「………はい…」
わかりきっていたことだが「やっぱり駄目か」、とこの家の居候は内心肩を落とす。
その横で、客人がくつくつと笑っているのを感じ、カイはむすっとパンをちぎり口へと詰め込んだ。
*
朝食が終わった後は、カイは雑用、ミネは学校、だ。
学校と言っても、大きな建物にグラウンドがあり、プールや体育館、職員室など、それぞれの教室があったりするわけではない。
ここの学校は、中くらいの池のある古びた民家だ。公民館のようなもので、そこに子供と年配の者たちが集まり、大人たちが子供に物を教えてく。
そして、“使い”である者たちには、大人たちの中でも年長の者が付き、それぞれに力がいかなるものか、水の扱いについて教えるのだ。
カイは「大変だよな」とつぶやき、洗濯ものを庭に干す。
これが終われば解放される、と最後の一仕事に気合いを入れていた。
すると、終わりそうな様子を見て、またもやおばさんは声を投げかける。
「それが終わったら、これに書いてあるものを買っておいておくれ」
「………はーい」
カイはまたもや肩を落とした。
衣類を干しながら、視線を上げる。
二階はどれも空っぽな様子だ。
ミネがいないのはもちろん、あの客人もいない。
たぶん“カイ”を探しているのだろう。だが、このあたりで“カイ”は自分だけだ。いったいなにがしたくてそんな事をしてるのか。
(探す場所を間違えたんじゃないか?)
カイはばさばさと自分の服のしわを伸ばし、竿にそれを引っ掛ける。
洗濯が終わり、台所に行くと片づけられたテーブルの上に小さなメモが置いてあった。
おばさんが言っていたのはこれだろう。中には今日の夕食の材料なども書いてある。
カイは小さく息をつき、一緒に置いてあった籠を持って外に出た。




