13 父の言葉
帰ってすぐ、ミネとカイは手当をしてもらった。
始め、戸が開くなり現れたぼろぼろの二人と見知らぬ一人の客人に、おばさんは声をあげて驚き、町長は一体何事かと顔をしかめていた。
二人ともそこまでの怪我ではなかったので良かったものの、処置が済むなり町長の説教に呼び出された。
ヨウはミネが客人だというと、おばさんが「とりあえずお先に、」と夕食をテーブルに並べ、ダイニングにヨウを招き入れた。
ミネの説明で、山に近づきすぎて獣に襲われ、そこをヨウが助けたのだということになった。
ヨウもそれに口裏を合わせ、ことは時間をかけずに纏まった。
だが………。
「ミネよ」
クリーム色の壁に、木造りの家具達。シンプルだが、センスのいいと言える色合いと物の配列。
きれいに纏まった部屋で、自分のベッドに腰掛けていたミネは顔をあげた。
「あら、父様」
ガチャリと開かれた扉の前に、我が父である町長がいた。
ミネは傷だらけのわが身を見て苦笑する。
「すみません。心配させてしまいましたか?」
「当たり前だバカ者。それに、………もういい」
町長は扉の前で、穏やかとは言えない表情を浮かべる。
だが、ミネは知っていた。これが自分の父親の顔なのだ。いつも険しい顔をした父に、いつも朗らかな表情を浮かべていた今は亡き母。
もともとの顔が顔なので、我が父はいつも怒っているように見えてしまう。単純に、子供から見たら“怖い顔”という奴なのだろう。
だが、人は見かけではない。その言葉の通り、彼女の父は町の人間から慕われており、信頼されている。
娘の大切な誇れる父なのだ。
「『もういい』とは?」
ミネは尋ねる。
「全て嘘だろう。用心棒の話も、あちらの大陸から来たという女の話も」
町長はため息をついた。
ミネは困ったような笑顔を浮かべ、少し横へとずれる。
それを見て、彼女の父はその隣へと腰を下ろす。
ベッドがきしりと小さく軋んだ。
「分かっていたはずだ。私がお前の言葉を見破っていたことにも」
「…ええ、そうですね」
ほほ笑む娘に、父は「本当に困ったものだ」とつぶやいた。
「私が、嘘を見破られていたことに気付いていて、なお嘘をつきとおしていた事も、父様にはお見通しでしたか」
ミネの横で、溜息が小さくこぼれる。
それはつまり“是”という事だ。
「本当にお前は、母さん似だな」
「えぇ、ですが性格はどちらかというと父様に似たと思いますが」
「………そうかも、しれんな」
顔を渋くする父に、ミネはくすくすと笑った。
「で、あの客人はお前が招いたらしいが」
「はい。嘘から出た玉といいますか、本当にあちらの大陸の方がいらして、偶然にも助けていただきました」
「そうか」
町長は獣の話は嘘だと気付いていないようだ。
まさか自分たちが山賊の恨みを買い、それでいて殺人鬼に目を付けられたなど言えるはずもない。
「で、あいつの方は、」
「あいつ?」
「あいつ………カイの事だ。見たところ外傷はお前の方が多いようだが、まさか、お前を置いてあいつは逃げようとしたんじゃあるまいな」
父の声が低く重くなるのを感じ、ミネはそれを和らげるように微笑んだ。
「まさか。カイはそんな子じゃありませんよ。あの子は私のために頑張ってくれました。父様も覚えているはずです。前に、西の山に迷い込んだ私を助けてくれたのは他でもない彼女ですよ。今回もそれと同じです。私が先に西の山に入り込み、それを追って来たカイが私を助けてくれた。だから少し遅れてきた彼女の方が傷が少ないのは当たり前のことです」
「………そうだな」
町長は下を向いたまま頷いた。
ミネは我が父を内心不安げに見つめ、尋ねる。
「怒ってますか?」
「当たり前だ」
父は即答だった。
「もう、二度とこんなことがあってはならない。お前は運が良かったんだ。もしもまたこんなことがあるようなら、お前もあいつも、………」
そこまで言って、町長は呆れたように頭をふり、両手でこめかみを押さえた。
きっと、内心で自分に問うているのだ。「自分は何を言っているのだ」と。
「私ももう年なんだ。心配をかけるよなことはしないでくれ」
町長は立ち上がる。
ミネはそれを静かに視線で追った。
ガチャリ、と戸が開く。
「父様」
町長の足が止まった。
「本当に、心配をかけてすみませんでした」
「………あぁ」
彼は静かに扉を閉じた。
ミネはベッドの上でうつむき、腕に巻かれた包帯をそっと撫でた。
*
「で、何でお前はここに居るんだ?」
カイは胡乱気な瞳をヨウに向ける。
彼女もまた、自分のベッドの上にいた。胡坐をかいて、行儀悪く肘を付いている。
そしてヨウはというと、昨晩宿となっていた物置のような質素なつくりの部屋で、壁に背を預けて胡坐をかいていた。
「自分の部屋行けよ。町長が準備したはずだ」
「そうだな」
そう言いながらも、彼は腰を上げようとしない。
「なんなんだよ」とカイは視線をそらす。
部屋からは昨日より若干欠け気味の月が見えた。
ランプの明かりも灯されず、この部屋ではあの月明かりだけが頼りだった。
「お前、さ。血が苦手だろ」
突拍子の無い問いかけ。
質問をした等の本人、ヨウはというと、興味がなさそうに正面の壁を見つめていた。
「………。」
カイから返される言葉はない。
ただ、彼女の記憶のなか、真っ赤な何かが足元に平がる光景が浮かんだ。彼女が腰掛けるベットが、キィと軋んだ音を立てる。そのままそこに訪れたのは沈黙だった。
水色は俯いたまま、口を開こうとはしない。
ヨウはそれをちらりと視界にとらえ、小さく息をついてまた口を開いた。
「お前に聞きたい事がある」
「ん?」
カイは面倒くさげに顔をあげ、赤い瞳と視線が合いそうになりさっと目をそらす。
「お前が“カイ”か?」
「………そうだよ」
ヨウの赤い瞳が自分に向けられているのを感じながらも、カイはそちらを向こうとはしない。胡坐の上についた肘。その手へ顎を乗せ、窓の外にある月をただただ眺める。
「他に“カイ”って名前は?」
「あぁ、確か町の東に一人いたな。女だ」
「なら案内してみろ」
「嘘に決まってんだろ」
カイはさらりと自白する。
「じゃあ、“カイ”はお前なんだな」
「………そうだな」
嘘をついていた事もあり、今更自分の名前が相手に知られるのは水色にとってとてもバツが悪く感じた。
「お前、鍵を持ってるか?」
しんとした部屋。ヨウの声がよく響く。
「鍵?」
カイは尋ねる。
「何の鍵だ?」
その瞬間、カイは確かに自分から外された赤い視線から、興味や関心という類のものが一掃されるのを感じた。
*
―――やはりカイは他にいる?
ヨウは薄暗い部屋で思案する。
カイは女。
それに、目の前にいる水色は鍵の存在を知らない。
(てっとり早くあいつの名を出してみるか)
だが、それはどうも気が向かなかった。
急ぐことはない。
彼はじっと、外に浮かぶ細い月を見た。
*