12 狂気と笑い
「なんだ………?」
頭が痛かった。
一瞬、私の頭にミネが殺されたかのような光景が浮かんで、それきりどういうわけか体の震えが止まらない。
「大丈夫、…大丈夫だ………」
そう、獣もいる。どれほどの実力かは知らないが、ヨウも行った様だし。大丈夫。心配するほどのことじゃない。
私はのろのろと壁に手をついてすすんだ。
ずるずると足を引きずるように。だが、進むにつれて、嫌な臭いが濃くなっていく。
どうしても嫌なのだ。この匂いは、何があっても好きにはなれない。
口に手を当て、ずるずる、ずるずると前に進む。
いつの間にか、恐ろしいほどの沈黙が自分の周りに満ちていた。
おかしな位に。何も聞こえない。
「気分でも悪いのか? 化け物」
耳元に、低くざらついた声。
体中の血の気が一斉に引いていくのを感じた。
そして、背後から流れ来る血の匂いに、眩暈さえ感じた。
「お前、人を殺したな」
私の乾いた唇が、小さく動く。
その後ろで、答えの代わりに「ひゃははははは…」という笑い声が上がった。うるさい。その声は頭にきんきんと響く。
「なんで、殺した」
私は尋ねる。今の心情が自分でもよく解らない。
まるで、自分に尋ねているかのように、私の声は小さく干からびていた。
「楽しい………、気持ちいい………」
思い当たる言葉をぽつりぽつりとこぼし、相手へ問う。
ぐったりとした瞳は、疲れたようにまぶたの下に隠れる。
男はぴたりと笑うのをやめ、銀色の獲物を片手に振りあげ私を見下ろした。真後ろにいるせいで、その様子は見ることができない。だが、空気で感じた。冷たい刀が、自分の首筋を狙って息を潜めていると。
「………両方、だ」
今までにない、男の冷めきった声が、耳の奥に響いてまるで自分がそう言ったかのように聞こえた。
びゅんっと、耳もとで風が唸る。
私は壁を力いっぱい押し、足と腕とでその場から飛びのいた。
やっぱりだ。あの刀から、生々しいほど新鮮な血の匂いがする。あいつはここに来るまでに誰か殺した。それはだれ?町にうろつく野良犬か? 猫か? 運の悪い通りすがりの町人? それとも………
「ミ、ネ………?」
私は無意識に目を見開く。それは悲しみからか絶望からか。
何がなんだかわからない瞳を相手に向け、私も獲物を取り出した。
古びた装飾のされた短剣と共に、腰にさげられていた刃渡り30センチ位のナイフ。
私は、そのナイフを手にとり、強く握りしめ走った。
相手の刀が唸るとともに、その下をくぐり抜け、滑り込むように相手の腹部に飛び込む。力一杯に腕を振り上げ、この狂った男へとナイフを突き刺し―――
「ぐ、ぁっ………」
声を上げたのは私だった。
私の腹部に強烈な痛みが広がる。そのまま、私の体はごろごろと砂埃をあげて地面の上をを転がった。
ナイフを振り上げた瞬間、隙だらけになった私の腹部に、奴が思いっきり膝を入れたのだ。
あまりの痛さに視界が潤む。
じゃり、じゃり、というあいつの近づいてくる音を聞きながら、私は必死に立ち上がろうと地面に片手をついた。
もう片方は腹を抑え、もう片方は地面を押して。全身に力を入れようとするが、体は全く言うことを聞いてはくれなかった。
あいつの黒い足が、眼の前に迫っていた。
このまま頭を蹴り飛ばされるだろうか。
それとも上から刀を振り下ろし、串刺しにされるだろうか。
どちらもごめんだ。
………死ぬなんて……ごめんだ。
うるんだ視界は全てがぼやけていて、全く使い物にならなかった。
男は、砂ぼこりにまみれた水色を見下ろし、楽しそうに口元を歪めた。
水色の前にしゃがみ込み、その前髪を、遠慮げもなくつかみ上げる。
「水色………化け物………」
ぽろぽろとこぼされる聞きなれた言葉。
無理やり上にあげられたカイの顔は、不愉快そうに眉を寄せる。
腹をけられた衝撃は残っているようで、あまり激しい抵抗はない。髪を引っ張らたそれは、表情を苦痛にゆがめていた。
男はその首元に刀を当てる。
「化け物退治かぁ………いいもんだなぁ………」
こうすることで、相手の表情を今までに何度となく楽しんできた。
泣きわめく人。懇願する人。諦めて目を閉じる人。絶望し、気を失う人。どれもこれも、情けない虫けらの顔。それが楽しくて仕方がない。楽しくて、楽しくて、だがいつも物足りない。
見あきた顔、つまらない顔、ワンパターンな光景。
「俺も、英雄になれるってかぁ? それとも………化け物を殺して、俺が化け物になるか―――」
今回はどれだろうかと、男は子供の顔をじっくり眺めた。
しんと静まる路地。
空気が音もなく温度を下げている気がした。
男が眺めるその先には、自分という狂気から視線を外そうともせずに、まっすぐににらみ返してくる子供があった。
牙をむく獣のような、血に飢えた化け物のような。冷たく、鋭く、凍りつくような瞳で。
「………、くく、ひ、ひゃはははは!!」
背筋がぞくりと粟立つのを感じ、彼は狂ったように笑い声を上げる。
楽しくて楽しくて仕方がない。
「ひひひ、ひゃははははは!」
どんっと何かがぶつかった。
男の腕に、鋭い痛みが突き刺さる。
「っ、ぁぁぁあ゛!!!! じゃまを、邪魔をするなぁ!!」
ぶんぶんと振り回される腕は、いつの間にかカイを開放していた。水色は地面に倒れ込み、全く動く気配がない。まるで投げ落された人形のよう。
男の腕に噛みついたそれは獣だ。その腕を噛み千切らんばかりの力で、腕を銜えて離さなかった。
どす黒い血がボタボタと地面に吸い込まれていく。
ぼぅっ―――
そこへ突如火の塊が現れる。真っ赤な凶器は獣を除けて男の肩口へと飛んでいき直撃した。
ごうごうと燃える炎だが、男が刀を何回か振り回すと、小さくなり、やがて消える。まだ男の腕にぶら下がっていう獣の口元では、男自身の耳にも届くぐらいに、みしみしと染みいるような悲鳴が上がっていた。
刀を獣へと払うと、獣は灰色の毛並みを大きく逆立てて飛びのいた。獣の口からも、男の腕からも、黒ぐろしい血が落ちて地面へとにじむ。
獣はカイを庇うように背にして、怒りをあらわに瞳を輝かせていた。
地面に転がったまま、カイはぴくりとも動かない。
だがその瞳は、冷たく青い炎を連想させる光をたたえていた。
睨むだけで相手を凍りつかせてしまえそうなその瞳に、男は笑いに紛れた声で叫ぶ。
「待ってろよ! お前は俺が殺してやる!! 化け物退治だ! 最高に楽しい狩りだ! 最高の最高に! ………殺してやる!! 殺してやる!!!」
ひひひひひ、ひゃはははははは!! という笑い声が路地に反響し、やがて闇がそれを静かに溶かして静寂を生んだ。
世界から音という音が消えてしまった瞬間だった。それは単に、カイの耳に何も届かなくなっただけの話か。
そこに泣きそうな顔のミネが駆け寄る。
「カイ!」と声をあげて、力なく地面に転がる親友の上半身を抱きかかえた。
その声に、安心したように水色は目を閉じる。その瞬間、凍りついた彼女の瞳はすっと溶けた。
うっすらと瞼を開き、カイは夜空を見た。その端に映るミネの柔らかい髪。
(生きてる)
自分がではない。ミネが、だ。
「なんだ。てっきり、」
―――ミネが殺されてしまったのかと…
いや。単なる考えすぎだと自分でもわかっていたのに。なのに、その可能性を考えてしまったが最後、なぜかそこから抜け出すことができなくなっていた。
つまらない幻の映像に囚われてしまった。
「バカですね!なんで早く呼ばないんですか!!」
「よぶ………」
「そうです!私なり、ヨウさんなり、呼べる人間なら沢山いたはずです!」
「………そっか、呼ぶのか」
2人しかいないというのに、それを沢山というミネ。
くすくす、くすくすとカイは笑いだした。
意味のわからないカイのその行動に、ミネは不安げに眉を寄せる。
―――彼女は、一人では無いのだ。
くすくす、くすくす、とカイは笑い、ごほごほとせき込む。だがそれでも笑うのをやめようとはしなかった。
困ったようなミネの後ろで、ヨウは黙って二人の様子を眺めていた。