9 無気力な店
その店は古くしけり、中に並ぶ棚々は埃がかぶり白けていた。カウンターには暇そうな店主が一人、暇そうに肘をつき、居眠りをしている。
「見てくる」
ヨウは、扉もない店の入り口から、その薄暗い店内へと消えていった。
カイはその背をぼーっと見送ると、その店の壁に背を預ける。
「お望の品はありますかね?」
地面を眺めていた水色の視界に、ミネはひょこりと入り込んだ。背中で腕を組み、楽しそうな笑顔を浮かべている。
「なんか機嫌良いね」
カイは特に気にした様子もなく言った。
ミネは「ふふふ」と笑う。彼女はいつも笑顔だ。だが、長年付き合ってきたカイには分かる。その笑顔はミネの本心を隠す霧だ。その霧はあまりに濃すぎて、たいていの人間にはその奥にある本当の彼女の心情に目が届かない。
「カイは楽しくないんですか?」
「………」
カイは視線を地面に向ける。
「まだ気にしてるんですか?」
「違う」
やはり視線は地面だ。水色はその瞳の裏に、人形の落ちる音とその持ち主の表情を浮かべた。
「やっぱり。カイ、知ってますか?そう言うの、『時化た面』って言うんですよ?」
「しけたって………」
なんで行き成りそんな言葉が、とカイは呆れる。そして、ミネには確かに『呆れている』と認識できた。
カイはやはり表情が薄いのだ、傍から見ても。もちろん彼女は人間であり、喜怒哀楽もあれば感情もある。ただ、それの表面への出し方が、一般の人間より少し少ないだけなのだ。確かに性格的にもひねくれていたり、ずぼらだったりと問題はあるが、水色の人間性は世間一般のそれと変わりない。いたって正常だ。
「もっと楽しい時は笑わないとだめですよ」
「ミネは笑い過ぎなんだよ。だから皆その腹黒さに気づけないんだ」
「………何か言いました?」
「は、はひもいっへまへん………」
ミネは微笑みながらカイの頬から手を放す。
カイは赤くなった頬を抑えながら、あの笑顔が本心であることを悟った。
(これのどこが『人当たりの良い優しい子』なんだか)
ほかにも、ミネについては『賢い』やら『明るい』やら『強い』やらの形容詞を聞いたことがあった。確かに、カイにとってはそれの大抵は納得のできるものであったが、どうしてもその讃賞するような音の並びに納得がいかなかった。
(皆あの笑顔に騙されてるんだ)と、頬の痛みに涙を浮かべる。
*
コツコツと靴の底が音を落しながら棚の合間を行く。
こげ茶のコートからはみ出た頭の、茶色は薄暗さと同化し、赤が映えたようにその空間にアクセントを与えた。
ヨウは適当な棚から鞄を取って持ち上げるが、気に入らないのかよく目を通す前にその品を棚へと戻す。
「おい」
奥のカウンターまで行くと、赤は声だけで、居眠りをこく主人を起こそうとした。
「おい」
だが主人はなかなかに目を覚まそうとしない。
ヨウはもう一度呼びかけようかと口を開くが、その前に主人の寝息が止まった。
「………ん? ぁあ? ………客か?」
ろくに風呂に入っていなそうな髪をバサバサと掻き、主人は袖で口元のよだれを拭き取る。
「客だ。鞄と靴を買いにきた」
主人は寝ぼけ眼な視線をヨウに向け、もう一度バサバサと頭を掻く。
「おやおや。珍しいお客さんだな。旅人さんかい」
「そうだ」
「ほぉ。この町に旅の人間が来たのは何年振りだろうねぇ。で、何を買いにきた?」
ヨウは不機嫌そうに眉をよせ、「鞄と靴だ」と先ほど言ったはずの言葉をもう一度口にした。
「鞄と靴ねぇ。そこの棚にあったの、分らなかった?」
主人は胡乱気な表情で一つの棚を指差す。
ヨウも主人には負けず劣らず。赤い瞳にじれったさを浮かべながら、胡乱気な声で言い返した。
「あんな使い物にならない商品がどこにある。もっとましなものを並べろ」
「ほぉ〜?」
主人は手で顎をさすり、眠たそうな視線で上から下、下から上へとヨウを眺めた。まるで値踏みするように。
やがて、赤い瞳に視線がたどり着くと、ピタリと眺めるのを辞め、口元ににやりとした笑みを浮かべた。
「あれはなぁ、俗に言う万引き対策って奴だ。ろくな頭も目もない奴に、金ばかり渡されても商品が泣くしなぁ。どっかのアホやらバカは、金さえも払わないで物をもらおうとか思うし」
ろくに剃られていない髭が、顎をさする指に合わせじょりじょりとなる。
「俺の中ではなぁ、旅人って奴らは一番信用ならねぇんだ」
にやにやと笑っているが、赤を見上げるその瞳は笑ってはいない。
まるで神経を逆なでするような視線に、ヨウはそっけない視線と言葉で返す。
「あんたのトラウマに興味はない。いい加減さっさと客に品を出したらどうだ。俺は鞄と靴を買いに来たんだ」
「ひっひっひ、あんたみたいな客なら大歓迎さ」
店主はようやく腰を持ち上げ奥の部屋へと姿を消した。
ヨウは無表情にそれを眺める。
彼としてはさっさと買い物は終わらせたかったのだが。
(カイの奴………)
類は友を呼ぶという。
先ほどのレストランといい、この度の店といい、それに…。
ヨウの脳裏に水色の姿が浮かぶ。
人の外見にどうの言える口ではないが、常人という人間が『変人』と呼ぶような人間が見事に揃っているように思える。
(………多分、あれも相当な変人だな)
ヨウは呆れるように腕を組む。
店内はしんと静まり返り、奥の部屋からする物音がまるでかなり遠くから聞こえてくるようだ。ひとけのなくなった室内に、赤だけが、まるで地面から生えてきたようにポツリとそこにあった、
とりあえずいつまで自分はここで待ちぼうけをくらわされることになるのだろうか。と、ヨウは店の主人が早く戻って来ることを願いひたすら待った。
*
「なんだよあいつ。なかなか戻ってこないじゃん」
女じゃあるまいし、とカイは息をつく。
日が暮れるまではまだまだ時間はあるが、もう小一時間は待たされている。
日の昇ってきた店の外で、いつの間にか地べたに腰を下ろしているカイと、壁に背を預け気長に微笑みを浮かべるミネが時間を持て余していた。
「きっと可愛らしい服でも見つけて悩んでるんですよ」
「ミネじゃないんだから」
「あら、どういう意味ですか?」
「………いや、どういう意味とかそういうんじゃなくて、その………」
また頬をつねられてはたまらない、と言葉に迷うカイを見て、ミネはクスクスと笑いだした。
カイはどうしたものかと途方に暮れる。
「ふふふふ、まぁ今回は大目に見てあげましょう。ところで、カイ」
呼ばれた本人は「ん?」と視線をあげた。
「ヨウさん。見事に私の事を“カイ”だと思い込んでるみたいですがどう思います?」
ミネの問いにカイは面倒臭そうに空を見上げた。
「どうって言われても、別に」
「おかしな話ですね。私は一言も『自分はカイだ』とは言ってませんのに」
「良いんだよ。間違える奴が悪い」
「そうですが、このまま私が“カイ”でいて良いんですか?」
ミネは、自分が“カイ”として装いつづける事については「別にかまわない」という口調だった。彼女は、まるで許可がもらえるのを待つように、足もとに座るカイを見下ろし微笑む。
「うーん。………まぁ、そのうちあいつの目的が分かったらばらせばいいだろうし」
「ってことで、じゃあ私がこのままカイを引き継ぎますね。カイも、遠慮なく私を“カイ”と呼んでくれて良いんですよ?」
「いや、それは」
カイの渋い顔に、ミネはくすくすと笑いだす。
自分の名前で他の誰かを呼ぶのは変な気分だ。それに、カイにはミネを“カイ”と呼ぶことができそうになかった。
柔軟性のない自分の一面に、カイは少し呆れる。
「ところでカイ」
ミネからの二度目の「ところで」に、カイは彼女を見上げた。
ミネの黒い瞳が、自分の頭に注がれている。
「最近、たまにフードを外してますね」
カイは何というべきか迷う。
「うん………なんて言うか、…気分、で」
「そちらの方が良いですよ」
ミネの微笑みが『からかい』から一転し柔らかくなったのを見て、カイは視線をずらし、起きた時からずっとむき出しの水色の頭を掻いた。
「そりゃどうも」
ぶすりとした気のない声は、明らかに照れていた。
ミネはその様子を見てまたくすくすと笑う。そんな彼女の後ろに、突然日の光をさえぎるひょろ長い影が現れた。
「よぉ! 待たせたなガキども」
それから投げかけられる景気のいい声。
これは明らかに待ち人のものではなかった。
「よぉ、坊主、元気そうじゃねぇか。あの怖ぇ嬢ちゃんはどうした? ………うわっ、なんだ、いるじゃねぇか」
景気よく出てきたのは、この店の主人の息子のドッドだった。
「あら、何で引きこもりのあなたがここに? デュシャートさんはどうしたんですか?」
「ドッド、久しぶりだな!」
少し嬉しそうなカイに対し、ミネは少し不機嫌そうだ。笑顔の裏に刺を感じる。
ドッドの後に続きヨウが店内から出てきた。手には新しい鞄。たぶん靴はもうはいているのだろう。ズボンの下に覗く革のブーツがちらりと見えた。
「嬢ちゃんだろ、この旅の野郎を連れてきたのは? おかげで久々に良い飯が食えるよ」
ヨウは自分を親指で示す、ひょろりとした人物を見上げた。よれよれのシャツを着て、黒い髪は癖っ毛なんだか寝ぐせによるものなのかわからない。伸び放題でぼうぼうといった様子だ。顎にはやはり剃るのを忘れられたような中途半端な鬚。だが、薄暗い店内で見たよりドッドは若かった。
「てっきりデュシャートさんがいるものかと思いまして」
ミネはやはり言葉に毒を含ませていた。その不愉快さを隠そうともせず、『あなたに用があったんじゃありませんよ』と笑顔を浮かべ相手にぶつける。
カイはこうしてミネが刺を向ける相手をドッドくらいしか知らない。
「なんだぁ?俺じゃぁいけない用事ってわけでも無かっただろ? ていうか、あのクソジジイなら一月位前に“ぽっくり”だよ」
ドッドはなんでもない事のように親指を立て天に向けた。
ミネにはそれがまた更に気に入らないようだった。
「なるほど。それであなたがこの店を引き継ぐかのように横取りしたと、」
「それは酷い言いようだなぁ。これでもあのジジイからちゃんと取り次ぎしたんだぜ? ジジイも自分の寿命にちゃんと勘づいていたみたいだしなぁ。俺は正式にここを受け継いだわけよ」
「あなたが何を言おうと説得力がありませんわね」
「ホント相変わらずみたいだな。な、坊主! お前もよくこんな怖ぇ嬢ちゃんと一緒にいるよ」
地面に腰をおろしていたカイの頭に、突然細くて節くれた手が乗せられた。それはまるで犬でも撫でまわすかのように水色の頭をわしゃわしゃとかき乱す。
「ドッドだけだよ、そんな嫌われてんのは」
カイは髪を乱された事を怒りもせずに笑った。
ミネはそれを見て更に頬を膨らます。もちろん笑顔であることに変わりないが。
「もしかして、お前あのジジイがいると思って外で待ってたのか?」
ドッドはカイへと尋ねる。
「いや、そうじゃないけど、」という答えは、何とも正直な事に少し濁っていた。
「ひっひっひ、お前も嫌われたもんだよな。まぁ、あの頑固ジジイは古い考えの人間だ。気にすんな」
「ドッドが変わり者なんだって」
「ひっひっひ、否定できねぇってな」
カイはそれを聞いてまた更に楽しそうに笑った。
ヨウはその和やかな雰囲気の外に何か黒く思い物を感じて視線を移す。
するとそこにはミネの姿。
笑顔の頬が小さくぴくぴくと引き攣っている。このままではこめかみの血管もあっという間に浮き上がってきそうな勢いだ。
いや、その前に人思いに切れてしまうかもしれない。
「カ、………ドルテ! 長いは無用です! ダメさがうつりますよ! 行きましょう!」
「え、ちょ、行くって何所に?」
ミネは、呑気に座り込んだままのカイの腕を引っ張る。
半ば引きずられるように去っていくカイを視線で追い、ドッドは「ドルテ?」と不思議そうに首をかしいでいた。
*
ヨウは自分を置いて行ってしまう二人を視線で軽く追い、少しして思い出したかのように自分も足を運びだした。
先を行く二人のあとは砂埃が立っている。姿が見えなくなってもこれで追えそうだ。
「おい、あんた」
ドッドに引きとめられ、ヨウは足を止める。
「一つの部屋に、一つの小瓶が置いてある。中には無色透明の液体が入っているが、それが何なのかはわからない」
「子供のなぞなぞか?」
「部屋の住人はその小瓶の中身が毒だと信じて疑わない。だから誰も触れようとしないし、まるでそれの匂いさえも恐れるかのように蓋を開けようともしない」
「………」
「だがある日、一人の人間が瓶に触れたんだ。『これはただの水なんじゃないか。恐れるだけ無駄なんじゃないか…』ってな。そしたらどうだ。部屋の住民どもはみんな、そいつの頭を疑いだした。自分たちも中身を確認したことがないのに、だ。誰が言い始めたかもしれねぇ、『毒』を信じて疑わない。『水』って言った奴はそれきりずっとのけ者さ。まるで腐ったゴミのような扱いだ」
「………」
「あんたならどうする? その部屋に入って瓶の中身を問われた時、『毒』と答えるか、『水』と答えるか」
ドッドの黒い瞳がへらへらとヨウを眺める。
ヨウは少し黙ってから、静かに口を開いた。
「それで、終わりか?」
「あぁ」
「そうか、じゃあな」
黒い頭がガシガシと掻きみだされた。
「おいおい、喋りぞんかぁ? 答えてくれたって良いんじゃねぇの?」
ヨウは進めだした足をわずかの間だけ止め、「どっちだろうが関係ない。ひとつの部屋の内情だ。少し部屋の中をのぞいて興味が失せたらどっかにいく。どうしても答えを問われたら瓶を割って確かめればいい」と吐き捨てるように言った。
ドッドはそれを聞いて苦笑する。だが、その眼は笑っていなかった。じっと赤い瞳を見つめ、もう一度問い直す。
「『毒』か、『水』か、」
先ほどまでとは明らかに違う静かな声音。
二人の瞳は逸らされる事もなく、じっと静かなにらめっこを続けた。
一瞬あたりは静まり返る。
やがて、赤は興味をなくしたようにその視線を反らした。
「二択とは限らない」
そうぽつりと言葉を残し、ヨウは脚を進めながら二人の行ってしまった道を眺めた。
やはり、あの二人の後は、見失っても追えそうだ。地面に何かが引きずられたような跡が残っている。そのずるずると引き延ばされた跡をたどり、ヨウはその場から遠ざかっていった。
「二択とは限らない、か。新しい答えだなぁ」
店の前に残されたドッドは、片手で顔を覆う。手の平の隙間から「ひっひっひ」という彼の笑い声がこぼれ出ていた。
彼は節くれた大きな手を顔からはがすと、楽しそうに歪んだその顔をあげて大きく叫ぶ。
「まぁ、あいつらと仲良くやってくれ!旅人さんよぉ!」
こげ茶の背中にそんな声が投げかけられるも、そのこげ茶はもう立ち止まることをしなかった。
「俺からのお願いなんて滅多にないぜ、」
そう呟いた人物は、もう薄暗い店の中へと姿をくらましていた。