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7、謎めいたオッサン


…………


 広間にいた御高くとまった貴族のババァに、厨房まで料理を取りに行くように命じられた。


 まあ、人いきれと、おべっかが充満する広間を公然と抜けられるのはありがたい。いっそのこと、このままどこかへ行ってしまいたい。




 広間の裏へ回ると、すぐ隣に接する建物に厨房があった。中は、もうもうと湯気だか煙だかが立ち込めていて暖かい。


 忙しそうに何人もの料理人たちが動き回っている。




 だが、せわしなく盛りつけをする若手を尻目に、ラッパ飲みで酒をあおっている料理人とおぼしき男がいた。その男は俺を見つけるとパッと顔を輝かせて手招きした。



 男は厨房の隅の木箱にあぐらをかき、大きな態度で酒を食らっている。そばにはカラのビンがいくつも転がる。


「アンタ、さっき、中庭でオデツィアの烏に刃向かってた子だよねぇ?見てたよ~」


 ジイさんともオッサンとも呼べる、ちょうどあいまいな年齢の料理人は言った。ろれつが回っていない。かなり酔っている様子だ。


 身体をゆっくりと大きく左右に揺らし、音楽に乗っているかのような動きをしている。



「ヘヘヘヘ~。それに、その格好、女装だろう?」


 俺を指差して声をひそめて言ったかと思うと、とたんに大声で笑い始めた。



 この酔っぱらい、俺を呼びつけておいて、ソレを笑いたかっただけなのか?



「へへっ!けっこう似合ってるよ。そこいらの女なんかより美人だねぇ。ちなみに、コレは何か入ってるのかな~?」


 そう言った男は立ち上がり、いきなり俺の偽物の胸を鷲づかみにした。



「ひゃっは~!おっぱいだぁ、おっぱい!作り物でも嬉しいやね」


 俺は目を細めて思いきり男の目をにらみつけてやった。すると、男はパッと手を引っ込めた。



「おーこわぁ!女のコが、そんな顔しちゃダメだぁよ。女のコは可愛くて優しいのがイイのだ」


 おどけた顔で肩をすくめる。



 何なんだ、このクソおやじは。からかってやがんのか?



「ま、何か理由があるんだろう。だいじょーぶ、だいじょーぶ!誰にも何もバラしたりしな~いよ」


 男は背伸びし、馴れ馴れしく俺の肩に手を回して耳元でささやいた。酒くさい。それに気持ち悪い。



 酔っぱらいの相手をしているほど俺はヒマじゃないのだが。



 男は俺の肩を離し、少しフラつきながら再び木箱に腰かけた。



「しっかし、アレだよアレ。アンタよく姫やオデツィアの烏なんかに逆らうね。見てたよ」


 男は急に真面目くさった顔をして言った。




 このオヤジ、中庭での一部始終を見ていたのか。俺をわざわざ呼んで、この話をする意図が見えてこない。ただの馬鹿なのか、それとも含みがあるのか。不気味な野郎だ。



 男はグっと酒をあおった。赤ら顔でギョロリとした目だけが目立つ。痩せて貧相な上に無精ヒゲが生えていて汚ならしい。料理人っぽい服装だが、とても料理をする人間には見えない。


 きっとロクすっぽ料理なんて作らず、いつも酒ばかり食らってんだろ。どうしてクビにならないのだろうか?…というより、『どうしてクビにしないのだろうか』という表現のほうがしっくりくる。




「アンタは帝国が怖くないのかい?今じゃ世界の王だよ~?そんじょそこらの国王だってひとひねりの権力が皇帝にはある」


 帝国だろうが皇帝だろうが、別に怖いとは思わない。いくら皇帝だって人を二度も殺せやしないだろ。ただの人間じゃないか。


「べつに」


「へッ!見上げた根性だぁね!それとも、ただの強がりか~い?」



 特に返答をする必要もないと思い、男の目を見据えたまま黙っていた。




「あのな、刃物を持った狂人は危なくて怖いが、もっと恐ろしいのは正気で人を殺せる奴だろーね。アンタもそう思わないかい?」


 男は酒をあおり、吐く息と一緒に言った。



 やはり意図が見えてこない。酔いで支離滅裂なのか、何か言いたいことが別にあるのか…この男の話は考えが推測しがたい。




「帝国の奴は、よくこの屋敷へ来るのか」


「ああ、来てるよ。保養地にしてるみたいだね。何しろ、ここの伯爵は皇帝バナロス様の腹違いの兄にあたるからねー」


 そうだったのか。どうりで伯爵に権力があるわけだ。下手にルシアを奪い返すと、帝国を敵に回すことになりかねないな。ボンが心配だ。



「皇帝も来るのか?」


「皇帝陛下は一度だけ来たことがあるよ」


 このオヤジ、皇帝に対して敬意を表してるのかいないのか分からない言い方をするな。



「皇帝は、どんな奴だ?」


 俺が問うと、男は床に目線を落としたまま動きを止めて思案し始めた。



「そーだなぁ、人間とは思えないほど美しいってぇのかな~。立ち居振舞いの優雅さは天上人か、はたまた魔族の王のよう」


 目を閉じ、まるで歌うかのような調子で男は言った。



「それに、声も美しく、聞く者の心を深く捕えて虜にしてしまう」


 そこまで言って男は目を開き、冗談ぽく肩をすくめて見せた。


「美しいのだけど、あまりにも恐ろしい。あの冷たい瞳に見据えられると、肝を凍った手でにぎりつぶされるような。ともかく、生きた心地がしないのさ。皇帝は魔王の生まれ変わりなんじゃないかねぇ……なーんてな。アッハッハ!」


 男は何がおかしいのか、厨房中に響き渡るような大声で愉快そうに笑った。



 辺りを見回しても、このサボっている男を気にとめる奴はいない。ただ、自分の持ち場で黙々と仕事をこなしているようだ。


 この男のいる所だけポツンと切り離された異質な空間とでも言おうか。離れ小島のようだな。



「あんた、仕事をしなくても、とがめられないのか」


「へへ。じじょーが、いろいろとあるのさ。クソッ、変な話してると酔いが覚めちまう。さあさ、もうアンタも持ち場に帰ったほうがイイよ」


 男は立ち上がり、追い払うように俺の背中を押した。



 何だ、自分から声をかけておいて。


 よく分からない酔っぱらいだということしか分からなかったな。




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