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8、翡翠の憂国




 再び歩き始める。


 なだらかな坂になった大通りを真っ直ぐ突き当たると、そこからは右へ左へと折れ曲がった勾配のキツい路が続く。小高い山に足を踏み入れたことが伺えた。


 その一本道は、やがて左右を壁に挟まれた。四メートルは高さがありそうな壁には小さな窓のような穴が並んでいて、外の景色が見えている。おそらく通路を兼ねた防壁なのだろう。



 二十分ほど歩かされると、城の正門が見えてきた。




「コラコラ!待て待て!勝手に入っちゃイカン」


 勝手に門を入ろうとすると、両手を広げた立番に阻止された。



「あの~、ちょっとイイですか?国王陛下に拝謁させていただきたいのですが、今、大丈夫ですかね?」


 ジェンスは、のんきな声で立番の兵士に尋ねた。ここの国王とどれだけ親しいのかは知らないが、あまりにも馴れ馴れしい言い方だな。



「馬鹿者め!陛下が、お前らみたいな下賎の者と会われると思ってるのか!」


 まだまだ少年と言える兵士はツバが飛びそうな勢いで必死に反論してきた。職業に誇りでもあるのかヤル気満々だ。こういう奴は面倒くさい。



「う~ん、まいったなぁ。なんて説明したらイイのかな?僕のことはヴァーバルのジェラルドと言ってくだされば分かると思いますよ、たぶん」


 ジェンスは首をかしげて頭を掻きながら言った。



 唐突すぎて真否の確かめようがないのに、怪しまれて当然だ。むしろ立番が通行人をおいそれと通してしまうほうが問題だろ。




 応対している兵士はジェンスの顔を見直してからブツブツと悪態をついて、もう一人の門番に場を任せて奥へと引っ込んだ。




 五分も待たない内に奥からハゲたオッサンが走り出てきた。かなり焦っている様子が伝わってくる。


 身なりからすりゃ、白騎士階級の貴族といったところだろうか。これ見よがしに複数の勲章なんかぶら下げて、見るからにエラそうだ。こういう奴は見た目の割に中身は大したことない。よくいるイケ好かない野郎だ。



「申しわけありません!ジェラルド様、とんだご無礼を!先ほどの者は厳重に処分いたします故、なにとぞご容赦を」


 ハゲのオッサンはペコペコと頭を下げている。『血相を変える』というのを目に見えるようにすれば、目の前のこういうのを言うんじゃないだろうか。文字どおり青ざめている。


「僕なら大丈夫ですよ~。彼が処罰されると、僕が困りますから。お気になさらないでください」


 ジェンスがそう言ってからでもハゲは、あれやこれやと言い訳のようなことを一生懸命に力説しながら城内を案内している。その様は、まるでコメつきバッタのようで滑稽だ。このオッサンは他国の王子がよほど怖いと見える。




 ついて行くと、やがてある部屋の前でハゲのオッサンは立ち止まり、先立って戸を叩いた。


 中から落ち着いた男の声で返事があり、ハゲは一礼してから静かに戸を押し開けた。


「お久しぶりです、国王陛下」


 ジェンスが先に声をかけた。



 部屋の奥にある窓辺に立って外をながめていた背の高い男がジェンスの声に振り返った。


 年は六十前後といったところか。厳しそうな顔をしている。他には誰もいないから、この男が国王なのだろう。金糸の入った臙脂えんじの軍服が、どっしりとした体躯に似合っている。



「誰かと思えば、ずいぶんと珍しい客人だ。ジェラルド殿か、久方ぶりだな。お変わりはないか」


 国王らしき男は厳めしい表情から一転、穏やかに頬を緩め、歩み寄ったジェンスの肩を静かに叩いた。




 二人は親しげに握手をして一通りのあいさつを交わす。それを黙って見届けた白騎士のオッサンは、恭しく頭を下げてから座を外した。



 おそらく、ここは公式な謁見のための部屋じゃないのだろう。そう広くもなく、私的な応接室といった感じがする。


 全体的に簡素なのだが、よく見ると流行りのなんとか調の調度品で統一されていて高級感がただよっている。



「とりあえず掛けたまえ。じきに茶を持ってくるだろう」


 国王は、まず自分が応接用の長椅子に腰を下ろしながら、ジェンスに椅子を勧める仕草をする。


「いえいえ。お気遣いなく」


 俺やアルがくっついてきていることを別にとがめる様子もなく、ジェンスに対するのと同じように椅子を勧めてきた。



 テーブルを挟んで国王と向かい合う。沈み込むほど軟らかい長椅子は居心地が悪い。それに、王侯貴族なんて堅苦しいもんは同じ場にいるだけで息が詰まりそうだ。早く話を終わらせてもらって、とっとと帰りたい。



「実は、今日いきなり訪ねましたのは、これをお渡ししようと思ったもので」


 そう言いながらジェンスは、例の木箱を目の前の卓へ置き、国王に向けて差し出した。



「これは…?」


 国王は木箱を手に取ってヒモを解き、当然のことのようにフタを開けた。そして、当たり前の疑問を口にする。



 ジェンスは続いて楽譜を拡げて手渡した。届けるべき相手が国王だと確信しているのか、何のためらいも感じさせない動作だ。




 国王は木箱をテーブルに戻し、今度は楽譜に目を通し始める。


 物音もなく、時が止まったかのように静かになった。





 窓からは青い空と山々がながめられる。外はあんなにも明るいのに、この部屋だけに重苦しい空気が流れているように思える。


 たぶん、箱の中身が何であるかを知ってしまっているからだろう。誰の物であるにせよ、あれを見て愉快な心持ちになる奴はいない。



「そうだったのか。こんなことになるとはな…」


 複製の楽譜をしばらく見ていた国王は悲嘆にくれて肩を落とした。何が書いてあるのかさっぱり分からないが、表情からして良くないことなのだろうというのは分かる。



「ジェラルド殿よ、私の息子たちのことは覚えておいでか」


「ええ。覚えていますよ。よくウチへも遊びにいらしてましたから」


 ジェンスの言葉に国王は、ふっと淋しげな笑みをもらした。



「あ。でも、お二人とも帝国に行かれていたのですよね?この、ご遺骨はどなたのものです?」


 ジェンスが、みじんの遠慮もなく言った。いつも思うが、コイツには心配りをするということはできないのだろうか?



「王子のだ。王女のローナが兄の遺骨を持って帝国から逃げ出したらしい」


 国王は苦渋の表情で、ため息とともに言葉を吐き出した。




 国王が口をつぐむと、わずかな身じろぎさえも許さない深い沈黙の空気が場を支配し始めた。なかなか継がれることのない次の言葉が沈黙を切り裂く瞬間を空間自体が全身全霊で待ち望んでいるかのようだ。



「…嘘だと言ってくれ。実は冗談だったと明かしてくれ…」



 国王は木箱の中身の白い骨を両手ですくって拝むように額に当てがう。抗いがたい万感がその肩を震わせている。我が子の変わり果てた姿を抱きしめようにもできないという、どうしようもないもどかしさが痛いほど伝わってきた。



 あの踊り子が妹、王女で、旅芸人にまぎれて帝国から逃げてきたのだろうか。だとすりゃ、あのあとの行方が気になる。


 あらゆる場所で帝国による厳戒体制が敷かれているはずだ。刺青なんて消せない身体的特徴のある者なら、むしろそれがわざわいして動かぬ証拠となってしまい、今ごろは無事じゃあないだろう。



 しかも、王女は帝国の人質だったはずだから、それが逃げたということは、この国も安泰ではおれないということに直結する。哀しいが近い将来、帝国の制裁が待っていると推測される。




「ジェラルド殿、ここへ来て私に会ったことは決して他言されるな。この一連の出来事は忘れられよ。さもなくば、そなたの国にまで迷惑がかかることになる」


 国王は揺るぎない目線でジェンスを真っ直ぐ見据えて言った。ある種の決意のようなものが感じられる。



 帝国とも王族とも何の関係もない俺とアルは、ぼんやりとその光景を見ているだけだった。あまりにも遠い話で、こんなに近くにいながら、ただただ傍観するしかない。



 ずいぶんと帝国は非人間的なことをするんだな、と思ったものの、一般国民には、どうこう言う権利は与えられない。


 ただ、身をやつした王女らしき人物を見たということを明かそうか明かすまいか、自問している。




「もうお会いすることはあるまい。貴国の繁栄を祈っておるぞ」


 国王は穏やかな、本当に優しげな表情で含めた。





 手持ちぶさたに何気なく窓の外を見遣る。



 初夏の風が木々を踊らせ、連なった葉擦れが心地よい音楽を奏でていた。








『翡翠の悲歌』おわり

《第5話へ、つづく》

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