4、箱の中身
「うわ!ビックリした!」
戸を開けると、玄関すぐの土間にいたアルが驚いて飛び退いた。片目を開けてアルを見る。
「うへ~、ばっちい顔ッ!お前…どないしたん??」
アルは思いきりイヤそうな顔をして見せた。
汚くて悪かったな。今の自分の姿なんて想像したくもないほどなのは分かっている。
「うぷぷッ。マジ、めっちゃ汚ねぇ~ッ…ぷぷッ」
アルは笑いをこらえつつ、なおも笑いやがる。人の苦労も知らずに。
俺は木箱をカウンターに置き、顔を洗いに台所を目指した。くしゃみは止まったものの、いまだに鼻の奥がムズムズしている。心なしか、軽く頭痛もする。
戻ってくると、なぜかジェンスもいた。コイツは、いつから居るんだ?
「やぁ。お邪魔しているよ。楽しそうだね、今日は何をしているんだい?」
それは皮肉なのか?
ムダな奴が来てやがるな。国を挙げての大祭さえも、来賓の接待が面倒で出席をサボって避難してきたのだろう、このバカ王子は。
仕方なく二人に、今まであったことを簡単に説明した。
「なぁ~んや、コショウかいな。でも、あの大事そうな楽譜、オッサンらに取られてもたやん」
アルが口をとがらせて非難の横目で俺を見ながら言った。だが、みすみす取られたわけじゃない。考えがあったからアイツらに楽譜をくれてやったんだ。
「紙とペンをくれ」
「えっ?何すんねん」
俺が言うとアルはいぶかしげに応え、カウンターの端へ手を伸ばして大きめの紙と付けペンを出してきた。
俺は受け取った紙をカウンターへ広げ、右から左へと長い線を引いてゆく。
アルはカウンターの隅で頬杖をつき、目を輝かせて興味津々といった様子で紙と俺の顔とを交互に見ている。
一、二、三、四、五……五本ずつのまとまりが十二段あったはずだ。その線の間へ片っ端から小さな丸とそれに付属する尻尾を書き入れる。それぞれの段の左端にはゼンマイのような記号もついていたな。
「えーッ!もしかして、さっき取られた楽譜、ぜんぶ憶えとんのん??」
「当たり前だろ」
「アホか!どこが当たり前やねん!一瞬しか見とらんのに、フツーは初めの音がドーやったかソーやったかも憶えとらんわ。もはや人間ちゃうで、ソレ。それか、お前が即興で作曲しとるんかいな」
書き終えてペンを置く。さっき見た物と同じ図面、というか楽譜ができた。おそらくすべて同じだろう。
一つ一つの配置を順に憶えようとすりゃ無理な話だが、全体図をまとめて記憶するのは簡単だ。一枚の精密な絵のように頭の中に記憶しておけば、あとからでも容易に情報を取り出すことができる。それは原物を見ながら書くのと大差はない。
アルが変な物でも見るような目で俺を見ている。
…もしかして、コイツが言うように、記憶できないのが普通なのか?
「何や分からんけど、謎の楽譜は手に入ったんやな?じゃあ、次、この箱も開けてや」
アルはカウンターの上の木箱を指差した。自分で開けりゃイイものを。
仕方なく俺が木箱を開けることにする。フタを留めている青緑色の細ヒモをほどき、本体にピタリと重なっているフタを外す。
「何やコレッ?!」
アルが声を上げたのも無理はない。箱の中に納められていた物が、どう見ても骨っぽいからだ。
綿のような物が一面に敷かれ、もろく崩れそうな白い棒が通った指輪がその上に納まっている。
俺は箱をカウンターへ置いた。
「セーフっ!やっぱ俺、関わらんで良かった!イヤな予感しとってん。俺、勘だけはエエからなぁ」
薄情な奴め。俺なら何があってもイイってのか?
「人の骨、みたいだね。誰かの形見かな」
「そうやとしてもなぁ。あの踊り子の女の人に頼まれたけど、めっちゃ対応に困るわ。第一、誰に渡すねん」
ジェンスは白い骨の通った指輪をつまんで抜き、陽光にかざしたり裏返したりと熱心に観察し始めた。
指輪は一センチ幅くらいある。金でできているようだが、作りも簡素で石は一つも付いていない。ただの輪といった感じだ。
「何か解んのん?」
「この指輪の内側に彫られているのは、翡翠の紋じゃないかなぁ」
「カワセミ?何それ」
「ほら、魚を捕って食べる、川などにいるキレイな青緑色の鳥だよ。鳥の名前が宝石のほうにつくくらい美しい色の鳥なんだよ」
「鳥のカワセミは知っとるけど、紋章なん?」
アルはジェンスの手元を覗き込む。
「あのね、翡翠はエスクローズという国の紋章なんだよ。ヴァーバルの東方にエスクローズがあるのは知っているかい?」
アルは黙ってうなずいた。
「例えば、ウチの国ヴァーバルは烏の紋、帝国なら鷹の紋。エスクローズなら翡翠という感じなんだ。どこの国もみんな鳥を紋章としていることは知っているだろう?」
「知ってるよ。ゲンブルンが白鷺、ティティスが鳩とかでしょ?」
「そうだよ。じゃあ、話を元に戻すけど、この指輪にはエスクローズの翡翠が彫ってあるんだ。裏側に隠して彫ってあるにしても、これは王家の紋章だから他の者がおいそれと使うことはないし、できないんだよ。だから、王家の誰かの指輪ということになる」
「うん。じゃあ、この楽譜は何なん?」
ジェンスは指輪を静かにカウンターへと置き、長い髪をかき上げた。それから、今度は楽譜を手にして鼻唄を歌い始める。
「あ、楽譜のとおり歌ってんのん?でも、変な曲やなぁ。音、狂ってるやん」
アルの言うとおり、たしかにお世辞にも良い曲だとは言えない代物だ。
ジェンスは歌が得意のはずだから、音を外しているとは思えない。すると、俺の記憶違いでデタラメを書いてしまったか。
「うん。思ったとおりだよ。これは楽譜じゃあないよ」
「え~!どう見ても楽譜やんか!せやったら何なん?それか、再現した誰かさんがデタラメ書いたんか」
ジェンスの言葉にアルは俺を横目で見た。
「いやいや、クェトルは間違っていないと思うよ。これでイイんだよ、翡翠の楽譜だとすればね」
ジェンスは俺たちを見て満足そうに口角を上げた。
「翡翠の楽譜??意味わからんわ」
「あのね、翡翠国エスクローズは音楽の都なんだけど、単に音楽文化が栄えているだけじゃなく、別の所以があることも含まれているんだよ。今はどうか知らないけれど、昔、エスクローズの王家が得意とした戦法に『楽譜型暗号文』というのがあったんだ。楽譜ならば分からない人がパッと見ても暗号文になっているなんて気がつかないだろう?」
楽譜が暗号文だったなんて意外だな。
「うん。でも、どうやって読むん?」
「暗号だというのは僕にでも分かるのだけど、他の国の人に解るようじゃあ暗号の意味がないだろう?翡翠国の王家にしか読み書きできないんだよ」
そりゃそうだろ。すると、あの踊り子は、なぜこんな物を持っていたんだ?切羽詰まっていたとはいえ、正体も知らない人間に頼んで良かったのか。
「な~んや。残念!暗号とか言うから、てっきり財宝のありかやと思ったのに」
「ふふふ。財宝じゃあないと思うけど、これを頼まれたのなら、手がかりのとおりに翡翠の王家へ届けないとダメだよねぇ?」
ジェンスは意味ありげに俺へ向けて微笑みかけてきた。何となくイヤな予感がするのだが…。