22、生贄の夜
縄のささくれが手首に擦れる痛みがなければ、夢と疑わないだろう。
後ろ手に縛られ、腰に巻かれた紐を引かれていた。それは、まるで引き回しの罪人のようだ。…いや、村人からすりゃ、俺たちは名実ともに罪人なのだろうけど。
俺のほうがアルよりも隊列の前に組み込まれているらしく、俺からはアルを見ることはできないが、この集団のどこかで青ざめてでもいるのだろう。わざわざついてくるからこんな目に遭うんだ。
沈黙を守るのが決まりなのか、一言も言葉を発する者はない。枯れ枝や落ち葉を踏む音と、村人がつけている熊避けらしい鈴の音しか聞こえない。
あまりにも現実離れしていて、どことなく死者の行列に加えられたようだ。そう思うと、立ち並ぶ日常的な木立も異世界の風景のように映り、生い茂る木々の向こう、暗がりの奥底で何か異形のものがジッとこちらを窺っていそうに思える。
どれもこれも、村人たちの気味悪い出で立ちのせいだ。白い仮面に白装束で生贄を捧げる儀式なんて、どう考えても普通じゃないだろ。
どれくらい歩かされただろうか。繁茂する木々に阻まれて月は空から消えていた。
空も満足に見えない暗闇の細道を過ぎると、目の前にこつぜんと広い空間が現れた。樹木が急に途切れ、見上げれば満天の星が丸い空をうずめている。
空間に足を踏み入れると、侵入者を警戒するかのように木々が呼応し合って一斉に色めき立った。
目をこらして見る。広場の真ん中には水がある。幅が二十メートルくらいはありそうな池だ。中央に辛うじて丸い島影が見えている。その小島は七、八メートルほどだ。
小島には、刑場にあるような杭状の磔柱が数本、横一列に等間隔で並んで立っている。
どうされるかは一目瞭然だった。
島へとかかる橋があるようだ。白装束に追いたてられて粗末な板橋を渡る。それは踏み出すごとに足の下で不安な音を立てた。
なめらかな闇を湛えた水面に松明の灯りが映り込んでいる。
渡りきると目の前すぐに背丈ほどの角柱が並んでいた。村人の一人がいくつかある石の燈籠に灯を入れて回った。対岸から見れば、その小島だけがにわかに明るく浮かび上がっていることだろう。
だが、水の向こうは依然として飲み込まれそうな漆黒に塗り込まれ、目をこらしても何も映らない。手前の明るさに、あちらの暗さがよけいに増したようだ。
柱の前へ着くと、後ろ手に縛られている手の縄を解かれた。
三人がかりでその柱に背中を押しつけられた。目の前すぐに卵の殻のような凹凸のない仮面に穿たれた二つの虚ろな穴がある。何となく中身がどうなっているのか計り知れず不気味だ。
アルを見ると、長い袖をなすすべもなく肩までまくり上げられていた。こいつら、何でこんなことをするんだ?
そうしておいて、ついには柱を背にして再び後ろ手に縛りつけられた。
一通り作業が済むと村人は連なって橋を向こう岸へと渡った。全員が渡りきると、対岸の俺たちのほうへ向かって横一列に並んでかしこまって座った。そして、何度も額を地にこすりつけて土下座し始める。
「ご先祖様、贄を捧げまする!どうかお納めくだされ!」
老人らしい人物が畏敬れた声で言ったかと思うと、皆一斉に元来た道を逃げるように帰っていった。ネズミみたいに素早い。
柱は鉄だか木だか知らないが、背中や腕にカドが当たって痛い。なぜ不親切に角柱なんだ?
柱の厚みを挟んで縛られているため、かなり無理をしている肩の関節が悲鳴を上げていた。ずいぶんとキツく縛りつけられたな。
「なぁ…俺ら、どないなんねん…」
左隣の柱に同じように縛りつけられているアルがつぶやいた。
「俺が聞きたいさ」
「今度こそホンマの吸血鬼やんか!あー、イヤや!血ィ吸われて干物みたいになって死ぬねんで~?!お前、嬉しいか?」
嬉しい奴があるだろうか?
何にせよ、抜ける方法を考えなきゃならないだろ。吸血鬼だか先祖の霊だか知らないが、どこから来るのか何なのかもまったく見当がつかないし、これで危機的状況が去ったワケじゃあない。
時おり生暖かい風が頬を撫でてゆく。そのたびに灯が音もなくゆらめき、長い影を踊らせる。
アルを見ると、暗い顔で地面の一点を見つめていた。珍しくむき出しになったアルの腕や脚に目がいった。なさけないほど細い手足をしている。筋肉のかけらもない。
皮膚の病気だとか言っていたくせに、やけに生っ白い肌には出来物や傷、シミの一つもない。
あまりジロジロと見るのも何だか悪い気がしてアルから目を逸らす。
それにしても、何でこんな目に遭わなきゃならないんだ?本当に昔、親父がやったことなのか?人違いでこんな目に遭わされているんじゃないだろうな。
だが、仮に親父がやったことだったとしても、俺が知ったことじゃあない。俺は俺、親父は親父だ。俺には関係ない。
しかし、俺自身、どうしてここまで抗わずに縛られてしまったのだろうか。道中、逃げて夜陰にまぎれてしまうこともできたかも知れないのに。
まあ、俺一人ならともかく、こんな足手まといの奴がいると逃げるなんて無理な話だが…。
親父は、ひょっとすると悔恨の念を無理に胸へと押し込めたままでいるんじゃないだろうか。
『鋼のように強く、氷のように冷たい心』という言葉は自分自身に言い聞かせて、自分自身の心を深い悔恨から少しでも遠ざけるために温情を隠し、冷血な人間になるように努めていただけなのか…?