18、夜半の旅路
…………
すでに遠くの山に日は落ち、夜のとばりを無数の星たちが飾っていた。
予定していた時刻を過ぎ、とっぷりと暮れてしまっていた。だが、まだヤム村には着いていない。もう着くころだろうとアルにも自分自身にも言い聞かせていた。
「もう、今日はあきらめぇな。野宿、もう慣れてもたやん。ここらで寝たらエエやんか」
怖いせいかアルの声は普段よりも変に大きい。
「もう着くはずだ」
「はず、やったらアカンわいな。そない言うてから何時間やねん。お前、実は着く着くボウシやろ」
俺はセミか。ひどい皮肉だな。
細く立ち上る煙を日のある内に見つけ、近くに村の存在を確信していた。これだけ歩いても着かないほうがおかしい。さすがに、もう着くだろう。
明るい月は出ているが、鬱蒼と茂る木々が光を遮ってしまい、森を通る辛うじて見分けのつく細い道も行く先は深い闇の中に沈んでしまっている。
わずかなランプの灯りの外は暗闇に包まれていた。灯りに誘われた虫が、ひっきりなしにたかりついてくる。
「何とか言いィな。黙らんと」
口をとがらせて俺を見る。だが、偉そうに言うわりに目線は臆病さを帯び、態度は小さくなっている。
暗くなってからアルは、おっかなびっくり腰を引きながら、ずっと俺にまとわりついたままだ。文字どおり足手まといなだけだから、怖いのなら初めからついてこなくてもイイだろ。
ふと前方を見ると、塗り込めたような漆黒の中にホタルほどの小さな明かりが一つ、かすかに見えた。
「明かりだ」
「明かり?やっとヤム村に着いたんか?…それか、化け物屋敷…?!」
アルは自分が怖くなるようなことを自分で言って、俺のベルトをつかむ手に力を込める。
化け物屋敷じゃないとは思うが、近づいてみれば正体は判明するだろう。
近づくにつれ、木々の間から見える明かりの数が増えてきた。規模は判らないが、ともかく集落のようだ。
「あっ、家や。やっとヤム村、着いたんかなぁ?」
目をこらすと、窓の奥でかすかな灯りがゆらめく民家らしき物が見えた。灯りがついているということは、まだ住人も起きているのだろう。
手近な一軒の表戸を叩く。
「…どなた様です?」
すぐに中から男の声で返事があった。
「旅の者だ。尋ねたいことがある」
「はい。何でしょうか…?」
男は扉越しに問いかけてきた。戸を開けずに相手が何者なのかを探っているようだ。
「ここはヤム村か?」
「さようですが…?こんな村へ、こんな夜更けに…道に迷われたとか…?」
「いや。用があって来た」
俺がそう答えると、しばらく間があって、遠慮がちに戸が開いた。
外開きの戸が半分だけ開かれ、四十代くらいの男が上半身だけを出した。用心深そうな目で俺たちをしげしげと見ている。こんな夜遅くに訪ねてゆけば怪しまれるのも無理はない。
「そんな所で何ですから、こっちへお入んなさい」
俺たちを見て危険がないと思ったのか、男は半開きの戸を大きく開けて家の中へと招き入れてくれた。
俺のあとに続いたアルが静かに入口の戸を閉めた。
顔を上げると、部屋の中ごろに立っている老婆が視界に入った。薄暗がりでも分かる顔のシワ、その年格好からして、この男の母親といったところか。
老婆は俺と目が合うなり驚愕の表情で目を見開いた。
「…ア、アタシらが何をしたと言うのですか?!夫だけでは飽き足りず、今度はこの子やアタシも殺す気なのですか?!」
老婆は化け物にでも遭ったかのように二、三歩あとずさって言い、震えながら男の前に立ちふさがった。
「母さん!…すみません…母は昔、ひどい目に遭いまして。衝撃で心を病んで、それ以来…。母さん、違うよ。この人たちは大丈夫だよ」
男は、腰の曲がった背の低い母親の両肩をうしろから撫でながら言った。
病んでいるのなら仕方がないが、こっちのほうが驚く。
「いいえ!この兵士が上官に言われて、さっき父さんを!…ねぇ、どうして命令に従ったのですか?人間として恥ずかしくないのですか?そんなに上官が怖いのですか?命令なら理不尽もまかり通るのですね…」
老婆は震える声で矢継ぎ早に言い放った。
俺を誰かと間違っているのか?それにしても、その甲高くて鋭利な声は突き刺さりそうだ。
「母さん、落ち着いて!…すみません、母は記憶がその時から止まっていまして…驚かせてしまってすみません」
男は必死に母親をなだめながら、こちらへ向けて詫びてきた。
こんな時に聞くべきかどうか迷ったが、ここでただ驚いていても仕方がない。モントのことを尋ねなければ進まない。
「こんな時にすまないが、一つ聞きたい。この村に鍛冶屋のモントはいるか」
「モントさんですか?…何のご用ですか?どちらから来なすったんです?」
モントの名を出すと、今まで温柔だった男が急に顔色を変え、明らかにいぶかしんだ。目にも強い疑惑の色が表れている。
「返す物があって、ヴァーバルの首都から来た」
男は改めて俺とアルを上から下、下から上へと観察した。探るようで嫌な視線だ。
「何を返しに来なすったんです?」
見せなくてもイイのだろうが、その視線に何となく負けん気が起き、布包みを開けて細剣を男に見せた。
「この細剣を渡すことを依頼されて来た」
「その赤い房!その剣で父さんを奪ったのよ!」
男に肩を抱きかかえられた老婆が細剣を目にした瞬間、恐れとも怒りともつかない表情で鋭く叫んだ。こちらへ向けている男の目は暗く、表情は険しくこわばっていた。
「依頼ですか…どなた様に頼まれたのですか?」
ずいぶんとくどくどと聞かれる。こんなことならば別の家の人間に尋ねたほうが良かったか。だが、今さら後悔しても仕方がない。
誰に頼まれたと言やぁイイのだろう。俺自身、依頼人の身分も名前も知らない。結局は教えてもらえなかった。
「俺の親父の知り合いだ」
考えた末、そう答えた。それには間違いないだろう。
「…分かりました。ご案内しましょう」
少し考え、男は決心したかのように一つうなずいて言った。目つきが鋭くなったように思えたのは気のせいだろうか。
男は老婆の手を引いて奥へと向かい、戸を開けて何かを呼びかけた。そして、老婆を部屋の中へと促した。
言うことだけ言って気が済んだのか、老婆は落ち着いたようすで取り澄まして奥の部屋へと入っていった。
「さあ、まいりましょう」
灯りを持った男は家を出て、先に立って歩き始めた。