10、移民街にて
おばちゃんは市○ひろみさんのイメージで、おっちゃんは大○崑さんのイメージでお読みください(笑)。
…………
ちょうど別の用事があって近くへ行った帰り、ついでにアルの家へ寄って仕事の話を聞かせてやることにした。
移民街へ入ってからそう遠くはない。大橋を渡って北へ少し上がった坂の多い静かな住宅街に住んでいる。貴族まではいかないが、移民の中でも上の下くらいの身分の人間が住む地域だ。
なだらかな坂を上がり、大通りの並び西角にあたるアルの家の前へ着いた。
昼過ぎだがアルはいるだろうか。ちょうど入れ違いで俺の所へ遊びに来ているかも知れない。
見上げると窓の小さな張り出しからあふれるように花が垂れ下がっていた。家の前には無数の小さな赤い花の咲く花壇が並んでいる。
通りには花壇のある家が多く、色鮮やかで華やいでいる。路も広い。俺の家の周り、下町とは景色がずいぶんと違うな。
その花壇の前で、汚れた作業着の小柄な中年男が掃き掃除をしている。かなり熱心だ。よく見ると雇われじゃなくてアルの叔父さんらしい。
アルを呼んでもらおうか。…だが、あまりにも熱心な背中に信念を感じて二の足を踏み、出かけた言葉を引っ込めた。
「あら、こんにちは~」
ためらっていると、ちょうどアルの叔母さんが玄関の引き戸を開けて出てきた。俺を見つけ、日傘を広げる手を止めて愛想良く笑った。俺は頭を下げ返した。
「エアリアルに用なんでしょ?ちょっと、あなた、使て悪いんですけど、あの子、呼んできてください」
叔母さんは掃き掃除中の叔父さんを見つけて声をかけた。背中を向けて掃き掃除をしていた叔父さんは、その声にビクリとして手を止めた。
ゆっくりと振り返った叔父さんの顔を見ると…汗で滑ったのか黒ブチの丸メガネが鼻の頭までずり落ちて乗っていた。
メガネを通さず、上目遣いでシゲシゲと俺を観察する。
たしか叔父さんの年は六十前後だったハズだ。叔父さんには悪いが、どことなく戯画のネズミに似ていておかしみを覚える。叔母さんのほうはネコのようだ。
「はよ呼んできてください。はよ」
「…ちょっとワシ、今、手ェ離せやしまへんのや。あんさんが行きなはれや」
「私、出かけますのん分かりませんか?はよ呼びに行ってください、はよう」
しびれをきらしたように叔母さんは少し強い口調になった。だいぶアルで慣れはしたが、やはり移民街の言葉には違和感がある。早口だと何を言っているのか解らない時がある。
「はいはい、分かりました。今、呼びに行くよってに。そう急かさいでエエじゃろて」
叔父さんは迫力に負けて掃除をあきらめたようだ。ブツブツと何か言いながら壁にホウキを立てかけた。
だが、すぐにホウキは滑って倒れてしまった。またそれを拾い、今度は慎重に立てかけた。
…が、じょじょにホウキは滑り出し、結局は地面へと倒れてしまった。
叔父さんは、しゃがみ込んでホウキを拾った。そして、またそれを壁に立てかけようとしたのだが、叔母さんの刺すような厳しい視線に気づいてホウキを落とし、急ぎ足で玄関の中へと入っていった。
いつ見てもソワソワとして、どこか気の小さそうな人だな。たしか、高名な学者のハズなのだが…。
「いっつもエアリアルが、お世話んなってます~」
叔母さんがホホと笑って俺へ向けて言った。
「いや、こちらこそ」
「ところで、今日もお仕事のお話で来ゃはったんですか?」
叔母さんにとってアルは実の子じゃなくても、大切な一人息子だ。ウチの仕事に借り出すことについて叔母さんはどういう感情を持っているのか正直なところ分からない。
露骨にイヤな顔をしてはいないが、感情を隠しているふうでもない。その厚化粧のにこやかな顔をくずすことはない。
「あの子、頼りないから、あなたが責任持ってしっかり見とってくださいよ~。子どもやから何しよるか分からへんからね。…あ、悪いけど、もうちょっと待っといてくださいね。ほな」
俺が返事をするよりも早く叔母さんは早口で話を締めくくり、真っ赤な口の両端を上げて黒い日傘を差して早足に歩き出した。