9、謎めいた依頼
じっちゃんの動作を見届け、老人は杖にすがって立ち上がった。じっちゃんに一礼し、重い足取りで一歩ずつ足を引きずりながら表口へと向かう。
すれ違いざま、俺の肩に手をかけた。その骨と皮だけの手は意外に力強く肩をつかんだ。そして、微笑んだのか、口の両端に力を込めて口元のしわを深めた。
老人を目で追うと、俺が閉め忘れていた戸口を出てゆくところだった。昔の姿が想像できない枯れ枝のようなうしろ姿を無意識に見送っていた。
老人が去ったあとの大路には、強い日差しの当たる誰もいない石畳に向かいの家の影だけが濃く落ちていた。
…何だったんだ、あの爺さんは。
「そういうワケだ。お前さんご指名なんだ」
カウンターからじっちゃんに呼びかけられて我に返った。
「誰だ、あの爺さんは」
「まあ、ワケあってお前さんには正体を言うわけにいかねぇが、昔、有名だった人だ。それだけ言っておくよ。それ以上は何も言わないからな」
じっちゃんは、そう言いながら備えつけの収納箱に細剣を大切そうにしまい、もどかしくて危なっかしい手つきで鍵をかけた。
ワケあってと言われるとよけいに気になるのが人情だろう。
いったい何者なんだ。雰囲気、それにあの礼の仕方。黒か白かは分からないが、おそらく王の騎士だったのだろう。
「親父の知り合いか」
「ああそうだよ。…ととと、馬鹿!何も言わないって言ったろ。さっき揚げ物を食ったから、うっかり続きをしゃべっちまうところじゃねぇかよ。聞くな聞くな」
じっちゃんは自分の顔の前で片手を振った。どうして隠すんだ?
「それはそうと、詳しい内容のほうなんだけどな、この剣をだな、リザス国のオンという街にいる鍛冶屋のモントという職人に返すんだ」
「返す?」
「そうだよ。昔、その人から受けた物だそうだ。だから返しに行くのが、ご依頼だ」
「分かった」
俺が返事をすると、じっちゃんは満足そうに一つうなずき、吊してある帳面を手に取った。
あの爺さん、心残りだとか言っていたが、借りた物だったのだろうか。
ずっと爺さんの言葉が回り続けていた。過ち…何の過ちだろうか。この剣と関係があるのか?
リザスは山脈を隔ててヴァーバルの西に隣り合った国だ。地図を見ないと確かなことは分からないが、そう遠くはないだろう。
「そうそう、アル坊もつれていってやれよ。まあ、あいつは給料なしだが。路銀はワシのおごりでな」
じっちゃんは自分になついているアルをやけに気に入っている。もう一人の孫みたいに思っているんだろう。
あいつがいるとにぎやかでイイんだが、どうも変な奴だから、くだらなくてガキっぽい遊びにつき合わされるだろうし、口数が多くて安眠妨害される。
「ところでお前さん、夜中に父ちゃんとどこかへ行ってなかったかい?」
じっちゃんは親指の上でペンを回しながら、いきなり話の矛先を俺へと向けてきた。
「それにそのケガ。何かあったのか?」
じっちゃんは片眉を上げて、俺の右手首に巻かれた物を指差した。とっさに隠してもよけいにあやしまれるだけだろう。親父のことをなぜかじっちゃんには知られたくなかった。
悟られないように細心の注意を払う。
「何でもない」
「何でもないって、何でもないわけないだろ。父ちゃんか?」
じっちゃんは非難するような顔で眉をひそめて言う。鋭い。じっちゃんには隠し事もできない。
「サンに引っ掻かれたんだ。…じゃ、俺は準備にかかるから」
じっちゃんの追及を躱す。
「こら、待たねぇか!卑怯だぞ」
じっちゃんがカウンターから上半身を乗り出して大声で呼んだ。それには応じず、俺は足を止めなかった。卑怯だとは心外だな。だけど、弁解はしたくない。