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3、苛立ち




 サンの脇を両手でつかみ直し、寝台へ仰向けに寝転んだ。目の前には嫌そうに細める金色の目がある。


「…お前はイイな。自由で」


 言葉をかけると、目を糸のようにした。



 本当にそうだ。猫なら騎士にならなくてもイイし、何をしていても親父にとやかく言われなくても済むだろう。



 サンを胸の上へ置くと、そのまま丸くはならなかった。床へ飛び降り、自分の背中をなめて毛繕いを始めた。そんなに迷惑だったか?



 枕元から強い日差しが照りつける。ちょうど真上に日が見える。


 起き上がり、あまりの暑さに上服を脱ぐ。


 脱いだ物を丸めて、腹いせに壁へと投げつけた。勢いもなく壁に当たって広がり、虚しく舞い落ちた。



 再び寝転ぶ。カーテンを引けば良かったが、わざわざ起き上がるのも面倒だ。まぶしさに額に手をかざし、目を閉じた。


 近い木のにぎやかな蝉時雨が耳にうるさい。今の気持ちとあいまって身体中がイライラする。



 俺の身の振り方は俺が決める。いくら親だからといって決めつける権利はどこにあるってんだ。自分がそうだからといって、いつも俺にまでその考え方を押し通そうとする。


 本当に俺のことを大切に思っているのだろうか。ただ、自分の思いどおりにしたいだけじゃないのか。俺は親父の私物じゃない。


 それに用水路じゃあるまいし、決められた道を歩むことだけはしたくない。じっちゃんの口利き屋のほうが俺は性に合っているし、軍事に携わりたくなんかない。



 十年ほど前、母さんが危篤だった日、親父は容体を知りながら公用を優先して家を空けていたと聞かされている。


 家族をないがしろにし、俺に対しても常に冷たく接し…まるで遠い昔に心というものを捨ててきたみたいに温かみを否定する人間だ。


 その親父に『鋼のように強く、氷のように冷たい心を持て』と叩き込まれてきた。


 親父は平気なのだろうが、第一、俺は刃をにぎり、人を殺めたくもないし傷つけたくもない。それは臆病で卑怯なのかも知れないが、嫌なものは嫌だ。


 だから今まで、親父が剣の稽古をつけようと迫ってきても逃げ続けてきた。以前には筋が良いなどと言って熱心に口説いていた親父も、最近は半ばあきらめかけているのだろう。


 いっそのこと、いなかったものと思って、俺のすべてを早くあきらめてはくれないだろうか。ご立派な兄貴殿を一人息子だと思やぁイイんだ。



 ジリジリと蝉がうるさい…蝉が…。







 蝉の声が聞こえる。


 静かに戸の開く気配がする。誰だ…?じっちゃんが呼びに来たのか…それとも親父か。



 気配が近づいてきた。


 身体が重い。起きるのが面倒だ。声をかけられたくなくてタヌキ寝入りを決め込む。


 ソレは、すぐそばまで来た。手だろうか、静かに俺の胸の真ん中へ置かれた。温かい手だ。


 そのまま探るように、こねるように、剥き出しの身体を上へと這う。汗ばんだ肌にねっとりとからんで不快だ。


 ゆっくりと鎖骨の中心を通り、鎖骨を左へと伝い、肩を撫でる。喉首をつかむように手をすべらせてゆく。


 遠慮もなく、やがてあごと下唇にまで触れる……誰なんだ、気味が悪い!


 あまりの気持ち悪さに我慢できず、意識して口を閉じる。すると、触れていた感触がスッとなくなった。いったい何だったんだ…?



「起きんかい」


 ふいに聞き覚えのある声がした。アルだ。今起きたふりをするため、わざと寝ぼけたふうに目を開ける。


「何だ。うるさい」


「まだ夕方やで。外、まだ明るいがな。お前は今ごろから寝るんか?」


 寝転んだまま見上げると、アルがしかめっ面で俺を見下ろしていた。


 何の用で来やがったんだ。夢じゃなかったらコイツが触ったのか?気味が悪かったが、夢うつつで本当に寝ぼけていたのだとすりゃ自分が恥をかくだけだから何も問わずにおいた。



「そーそー。あのな、おもろい本、借りたから、おすそ分けに来たんやけど。吸血鬼の出てくる怖い話やねん!」


 嬉しそうにニタニタして言った。


 またくだらない用で来やがったんだな。字など、そんな面倒な物は読みたくもないし、今はお前の相手をしてやれるほど穏やかな気分じゃない。


「要らん。帰れ」


「えげつなー!そんなん言ぃなや。暑い中、せっかく歩いて来た人に言うセリフちゃうで」


 この炎天下、コイツは日にも焼けずに生っ白い顔をしている。皮膚が弱いだの、身体が弱いだのと言っているが、白い以外は至って健康に見える。


 真夏だというのに、暑っ苦しい真っ黒の長袖を着込んでいる。手には大きな帽子と手袋を持っている。


 いつからだったか、コイツは絶対に手首より先と顔以外の肌を出さなくなった。それどころか、弾みで身体に触れようものなら、目の色を変えて怒ったことがあった。


 よほど何か強い劣等感でもあるのか、病気で皮膚が痛みでもするのか、その避けようは病的だ。


 でも、コイツは変な奴なんだと割り切れば気にはならなくなったが。


 いや、劣等感じゃなくて、逆に気位が高いのかも知れない。気位が高かったり低かったり、変に自尊心が強いところが猫みたいな奴だ。そういや切れ長の吊った目も、どことなくサンに似ているな。





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