2、確執の父子
いつもなら街で一番にぎやかなはずの筋を抜け、ちょっと静かな区域へ入る。
やっと着いた。表通りに面した玄関の木戸を開ける。
「おっ!おかえり。今日は、ずいぶんと早かったじゃねぇか」
開けてすぐの場所で掃き掃除をしていたじっちゃんが手を止めて早口に言った。
「ただいま」
俺は吐く息と同時にそれだけを言い、真っ正面に見えるカウンターの左手に並ぶ廊下を目指して最後の力をふりしぼる。
二、三歩歩いて何気なく右を見た。居間の戸が開いていた。筒抜けになっている居間の机には親父が構えていた。今日は嫌な人が帰っている。
書斎にこもらずにこんな所にいるということは、説教をするために、俺が帰るのを待っていたのだろう。たまに帰ってきたかと思えば、俺の顔を見るなり説教が始まる。もうたくさんだ、聞きたくもない。
親父を無視し、あいさつもせず通り過ぎることにした。
「ここへ来て座れ」
机の書類を見たまま目も合わせずに言う親父の声に捕まった。気難しそうな表情…また始まった、面倒なお説教が。
仕方なく俺は、身体の疲れとはまた違った重い足取りで居間へと入る。
机を挟んだ向かいの椅子へぞんざいに腰かける。
「お前は、いったいどう考えているのだ」
親父は目線を落としたまま開口一番そう言った。予想どおりだ。
何度も何度もうるさい。どう考えているも何も、親父みたいな騎士になりたいなんて、これっぽちも思わない。
「騎士の子なら騎士として国主様にお仕えするのが本筋だ。お前は兄とは大違いだ、出来損ないめ」
俺の顔を一瞥し、冷たい表情で目を伏せた。
また兄貴を引き合いに出してきた。兄貴は中央帝国にいるんだか何だか知らないが、俺は騎士が偉いだとか王侯貴族に仕えりゃ名誉だとは思っちゃいない。
冗談じゃない。出来損ないだと言われる覚えはさらさらない。
「じゃ、騎士ってどういうもんだ」
俺が問うと、親父は手を止めた。
「言うまでもないだろう。忠誠、礼節、名誉、信義だ」
目も上げずに無感情に言い、また書き始めた。
信義?母さんの死に目にいてやるのも信義…道徳じゃないのか。親父はそれを怠ったじゃないか。
「信義か。家族の死に目にも会わないようなのが信義なら、騎士って何だ?俺は、そんなくだらないものにはなりたくもない」
「お前に忠誠心というものはないのか?君主様あっての、我々、民だぞ」
親父は呆れ顔で言い放った。
忠誠忠誠って、何が一番大切だってんだ。君主に対して忠誠心がなけりゃ人間じゃないってのか。
「なら、親を敬ってなけりゃ生きるなってことと同じか」
俺の言葉に親父は黙っていた。
それと、俺は知っていた。親父は俸禄をこれっぽちも家へと入れないことを。何につぎ込んでいるやら疑わしい。用途も明かさずカネを自分一人で好きなようにして、それでも家族と言えるのだろうか。
「聞きたいんだけど、いったい親父は俸禄を何に使ってんだ。俺には言えないような使い方でもしてるのか」
疑問に思い続けてきたが、口に出すのは初めてだった。
「何に使おうが私の勝手だ。いちいちお前に告げる義務はない」
自分のことは何もかも隠して、どうして何を聞いても答えようとしないんだ。そんなに干渉されたくないなら、逆に俺にだけうるさく干渉するのは矛盾していないか?
親父は眉一つ動かさず、冷ややかな態度をくずさない。それを見て、何とも言えない怒りが込み上げてきた…言葉が、言ってはいけない言葉が胸の奥から飲み込めない所まで滑り出てくるのを感じる…。
「…カネを家へ入れないのも、めったに家へ帰ってこないのも、外に女でもいるからじゃないのか。親父にとっちゃ死んだ母さんや俺のことなんて、本当はどうだってイイんだろ!」
出たのは長く胸につかえていた塊だった。次に何が返ってくるのかを分かっていて、俺はそれを吐き捨てていた。
親父は立ち上がり、にぎった拳で俺の左頬を殴った。鈍い衝撃と共に目の前が一瞬、真っ白になる。
とっさに机へついた両手に力を込めて立ち上がり、親父をにらみつける。左手は固くにぎりしめていた。
「何だ。やるのか?」
親父は澄まして座り、俺へ向けて薄笑みを浮かべて挑発してきた。
反射的に親父の胸ぐらにつかみかかる。素手ならば、五十も越えた男に勝てる自信はある。
「こら、お前!そりゃ、やり過ぎだぞ!何も殴るこたぁないだろ。クェトル、お前は言い過ぎだ」
じっちゃんがほうきをにぎったまま慌てて駆け寄ってきた。
「クェトルは父上の息子ですか?この子は私の息子です。口出しはしないでいただきたい」
「そりゃそうだが…だけど、頭ごなしはイケねぇな」
じっちゃんは俺と親父との間に分け入り、胸ぐらをつかむ俺の手首をつかんだ。俺たちを交互に見て諭すように言った。
血の味がしていた。悔しい。
殴り返してやりたい衝動を無理に身体の奥へ奥へと押さえ込んで歯を食いしばる。奥歯がギシリときしむ。
分からず屋のうるさいクソ親父め。自分の考えを押しつけるだけで…結局は決めつけるだけで、俺のことなんて想ってもいないんだろ。
やり場のない悔しさに目を伏せて居間を飛び出していた。じっちゃんが何か言ったが無視し、階段を一段飛ばしで駆け上がる。やけに大きな足音が心を掻きむしった。
上がりきった場所で、黒い物が寝そべっていた。眠っていたサンが驚いた顔で俺を見た。
立ち止まってしゃがみ、両手でサンの脇をすくって抱き上げる。首周りの毛にうもれた顔の金色の円い目で俺を見て、迷惑そうに「ニャー」と、ひと鳴きして目を細めた。
そのままサンを片手で肩に抱き上げ、自分の部屋へと入る。
壊れるくらい、戸を思いきり閉める。