2、亡国
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「…フェバリステ様…?」
ベレスに名を呼ばれていた。私は長い間、考え込んでいたらしく、トゥルーラは座ったまま眠ってしまっていた。
「どうかなされましたか、フェバリステ様。お考え事でございますか。ずいぶんとお悩みのご様子で…」
「いや、別事はない。……それより絵は、いつごろ完成の予定だ?」
勘を働かせるベレスを退けるように話の矛先を変えた。
「幾日もかかりません。それよりも、トゥルーラ様はお疲れのご様子。本日はこれにて」
調色板を置き、左手にある筆を筆洗器へ入れる。
「ならぬ。早々に仕上げよ」
私の言葉にベレスは驚いて顔を上げた。
そうだな、一度も急かしたことはなかったな。だが、私は焦っているのだ。そなたは知らぬであろうが、この幸福の終焉が明日……いや今日になるやも知れぬのだ。
私の顔を見たベレスは、意を決したように再び画布に対峙し、鋭い目をする。そして…トゥルーラの後ろの鏡に映る私の姿に手を加え始めた。
今は私のほうこそじっとせねばならぬのであろうが、衝動に駆られて席を立った。
背もたれに全身を預けたトゥルーラの前にひざまずく。無邪気な寝顔。目の前すぐに柔らかい頬がある。
トゥルーラの幸福、薔薇色のまどろみ。何としてもバナロスだけには奪われたくはない……だが、哀しいことに、どうしようもないことも知り得ているのだよ。
意気込んでみたところで、私の全てをなげうったところで、お前の幸福を護るだけの術は持ち合わせてはいない。私の力など小さく、そして虚しいのだよ。
「トゥルーラよ。父様はお前が大きくなるまで、側にいたく思うぞ」
指の背で両頬に順に触れる。温かい。
ずっとこの幸せが続いてほしい……その願いが虚しいだけなのを私は知っていた。
…………………………
私は王として愚かであったが、子の父としてはどうであろうか。
許してくれ、この愚かなる国主を。幾千たび詫びたとしても、この届かぬつぶやきなど何になろうか。一人でも多くの民が戦禍を逃れていてほしいと願うばかりだ。今となってはそれ以上のことは何もしてやれぬ。
きんもくせいの芳香が辺りを包んでいた。悲しむことがないようにと、私に寄り添い、心の空虚をぬぐい去ってくれようというのか。
夢のあとのように、淡黄色の雪がサラサラと私に舞い落ちてきた。淡い、満ち足りた時がついえてゆく。
私は間違っていたのか?正しかったのであろうか?
答えてくれ、散りゆくきんもくせいの小花よ。
見上げれば真上に、少し膨れた顔つきのトゥルーラがいる。昨日かけたばかりの絵の中に、トゥルーラとその衣服に鳩が見える。
ああ…妃やトゥルーラは無事であろうか。どうか無事に逃げのびていてくれ。
トゥルーラよ、お前は幸せの終わりはどれを望んだ?バナロスの許が良かったか?
私はお前に、これから先、隠れて生きることを強いたが、それで良かったのであろうか。
ツラいであろう……その背に貴鳩の証を刻み込み、ティティス再建のその日まで、どうか耐え忍んでくれ。私や王子を失った今となっては、再建を果たせる者はトゥルーラ、お前しかおらぬのだ。
私の独りよがりだったか?私は間違っていたか……?
胸が締めつけられる……心残りだ……。
私の魂は絡まる蔦のように這い、お前のためにさ迷い続けるであろう……無念……何という口惜しさ……。
……鳩が、貴鳩の紋が……ひどく私の心を掻き乱してやまぬのだ……。
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