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1、暴君バナロス

『肖像の鳩』は、ベラスケスの絵『ラス・メニーナス』から勝手に妄想を拡げた結果、生まれた物語です。

『肖像の鳩』




………







私は死んだ。







 鎧を着けた私の四肢の感覚は熱く縛りつけられている。

 私が名残惜しんでいるのか、私を名残惜しんでいるのか、固く捕らえて、魂を決して離そうとはしない。



 私はティティス国の王であった。五百年あまりの小国としての栄華。地方都市であった我がティティスは長きに渡り潤い、豊かで、そして何よりも平穏であった。


 だが、それらの日々に突然の終末が訪れた。傲慢なる徒輩によって終止符を打たれた……これほど口惜しいことはない。



 あの弱冠二十歳にも満たない新たに即位した皇帝の冷酷な瞳を想起し、私の魂は怒りに打ち震えた。






 …………………………



「これ、じっとせぬか。ベレスを困らせるな。そのように動いてばかりいては描けぬであろう」


 絵は、私の目には完成間近に映る。


 この絵を逆さに見ると、主役の服にティティスの国章・鳩が隠れているのが見える、と画工のベレスは申していた。ベレスのいつもの遊び心であろう。



 ベレスとは十代からの長い付き合いになる。

 陽気で気さくなベレスと話す時間は、私に取って一番の憩いだ。身分の違いこそあれ、良き理解者、一番の友である。



 画布に向かい、細かな筆遣いで暗い背景に浮かび上がる我が愛娘の顔に肌の色を載せ、調子を調えているところのようだ。


「いいえ、国王陛下。わたくしは、ありのままのトゥルーラ様のお姿をお残しいたしたく存じます」


 ベレスが振り返って立ち、頭を下げてよこす。そして、屈託のない笑顔を見せる。



「だと良いが…」



 もうじき三つになろうという愛娘は、画架の向こうの椅子に座ってはいるが、落ち着きなく足をぶらつかせ、あちらこちらを向く。


「つまんない!」

 口ぐせを口にして、おしゃまなトゥルーラは頬を膨らませる。あげくには立ち歩き、壁際まで行ってしまう。


 このところ、やっと走り回れるようになったかと思えばこの有り様だ。 一所(ひとところ)で留まらず、落ち着きがない。




「とーさま、これは何ですか?」

 トゥルーラは自分の背丈ほどの花瓶を見上げる。



 私はベレスの横を越え、トゥルーラの所へ行く。

 傍にしゃがんでトゥルーラの目の高さに合わせる。


 甘い芳香、淡黄色の霧にむせぶ。私の好きな、きんもくせいのつぼみたちが、香りで私たち親子に囁きかけている。知らぬ間に季節は移ろっていたようだ。



 私はその中の一枝を抜き取り、夢見るような小さな掌へ差し出す。


「これは、きんもくせいというのだよ。お前のように小さな花だな」


 私の手から枝を取り、小さな手の平で無心ににぎり締める。好奇心の窓のような両の(まなこ)で見つめ、教えずとも自然に、その小さな鼻へと近づけた。



「良い香りがするであろう」


 その言葉にコクリとうなずいて見せる。そして、得たりとばかりに枝を手に、元の椅子へと戻っていった。




 やれやれ…私はベレスの斜め後ろの椅子へ腰かける。トゥルーラも絵もよく見える位置だ。


 ちょうどトゥルーラの向こうの鏡にベレスが映る。鏡の中のベレスと目が合う。

 私の椅子の位置はベレスが決めた。時間の許す限り、いつもこの場所でトゥルーラの膨れっ面を見ている。



「トゥルーラ様のお肌の色は、お出しするのに大変難儀いたしております」

 ベレスは画布と被写体(モデル)を交互に見ながら楽しげに首をかしげた。




 トゥルーラは色が白い。雪野原のような肌に対比する黒い髪、瞳。我が娘ながらその愛らしさを口に出してまで褒めたくなる。


 初めての女児であり、また二十歳にもなる二人の兄とは歳が離れているため、私にとってはいとおしさはひとしおだ。




「とーさま、トゥルーラはテーコクに行かなくてイイのですか」


 もてあそび、すっかり花弁を落としてしまった枝を手に、トゥルーラは思い出したかのように顔を上げて言った。



 帝国……今、私の心をひどく乱す、一番聞きたくもない名だ。……そうであった。中央帝国オデツィアの新皇帝バナロスに呼びつけられていたのであった。それは思い出したくもなく、ここ数日、頭の片隅へと追いやろうと努めていた。


 トゥルーラよ、お前は何も分からぬであろうが、バナロスの所へお前を寵姫として差し出すことを迫られているのだ。




 帝国のだんだんと酷くなってゆく振る舞いに私は業を煮やしていた。特に前皇帝の嫡子バナロスに代替わりしてからというもの、参謀も(こん)じての目も当てられぬほどの悪政には堪えかねた。


 前皇帝を暗殺したという風評さえある。



 皇帝バナロスは、まだ歳は十九だが、生来の持て余すほどの才知に加え、人心掌握術にたけている。




 半年前にバナロスに会った。あの時、私に対し恭しく (こうべ)を垂れたが、(おもて)を上げた時の、その冷笑をおびた見下す瞳に、心の臓は氷の刃でえぐり取られたようになったことを忘れられぬ。


 燃えさかる炎のように紅い髪とは対照的に、身震いするほどに冷たく美しい男であった。

 私の知る限りでは、あのように冷たい気を放つ者は他にはおらぬ。思い出しただけで寒気がする。




 私を呼びつけること自身、あまりにも無礼な行為だと思ってはいたが、今になって考えてみれば、すでに世界の王を気取っていたと思えばうなずくことができる。

 傲慢、そして何よりも人間らしさのない冷酷さで、考えてみればその時分より調子よく周辺国を手中に収め始めていたのだ。



 帝国の思惑は分かっていた。我々、小国の全てを配下に置き、世界を帝国一国にまとめ上げるつもりなのであろう。


 そして、我が国も例にもれず、その配下に収められようとしていた。




 まず我が国が帝国に課せられた締結の証は、重宝を差し出すことであった。思案の末、結局はティティスの保全のために重宝を差し出した。



 次に数多の我が民を奴隷に取るという要求があった。だが、愛する民を一人でも哀れな目に遭わせたくはなかった。

 一部の者を不幸にしておいて、その礎の上にのうのうと住まうことなど考えもできず、要求を撥ねつけた。



 そして次には王女を取られることになっていた。だが、私は返答を引き延ばし続けていた。

 人を人とも思わぬ残忍な者に大切なトゥルーラをやるわけにはゆかぬ。



 私の煮え切らぬ態度に立腹し、バナロスは甚だしい脅しをかけてきていた。私の決断に国の命運がかかっていた。



 私は王であるべきだが、その前に一人の人間……父だ。それは国主という立場上、前面に打ち出すべきではない事柄だということは重々承知している。だが、私も王である前に人間だ。



 無論、このような愚かな国主にも賛同してくれる者もある。

 私は決心していた。事前に民を逃がし、我々、志ある者のみ、最期まで帝国に抵抗し続けようと。



 それはティティスの名における威信。私を始めとして、貴鳩の紋のもとに集う者の誇りを護る闘いと言えるであろう。



 中央帝国など、しょせん蛮地の新進国でしかない。そのような国に伝統でも優る我が国が譲歩することなどできぬのだ。



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