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銀河の渡し守

季節外れですが、どうぞ。

 ささのは さらさら 

 のきばに ゆれる

 おほしさま きらきら

 きんぎん すなご


 一人の少年がおもちゃのポリ笹を手に持って、歌いながら歩いていた。小学生中学年くらいの、首から長い鎖に繋がれた鍵をぶらさげている男の子だ。

 今日は七夕。八月七日。この地方では一ヶ月遅れで七夕を祝うのだった。少年が歌っていたのはもちろんこの日を歌った歌だった。

 まだ外は夏の日差しが照りつけている。クマゼミがやかましく鳴いていた。少年はポリ笹を振り回して、七夕の歌の二番を続けて歌う。

 赤い屋根の一戸建て住宅に着くと、首からかけている鍵を外して、扉を開けた。家には誰もいない。少年の親は共働きで家にはいない。家に入るとそそくさと二階の自分の部屋に向かう。

 今日は七夕。

 お母さんが帰ってきたら、一緒に夜空を見るんだ。

 少年はそう思いながら、本棚から百科事典を取り出す。そして宇宙のことについて書かれたページを開いた。


 夏の大三角なつのだいさんかく


 こと座のα星ベガ(織姫)

 わし座のα星アルタイル(彦星)

 はくちょう座のα星デネブ


 そして少年は七夕の伝説について書かれたコラムを見つけた。織姫と彦星の話。一年に一度、今日七夕にだけ会うことのできる恋人同士の話。

 少年にまだ色恋の話はよく分からなかった。だけど、一年に一回、今日しか会えないなんてさぞや寂しいだろうと思っていた。だから今夜は晴れてほしかった。織姫と彦星が出会えるように。

 少年は部屋から、ダイニングへと向かう。そしてテレビをつけた。

 ちょうど天気予報が流れている。


 ――大気の状態が不安定で通り雨があるかもしれません。


 そんなのってないよ、と少年は思った。絶対に雨は降らないでほしかった。

 テレビを見ながら、母親を待つ。退屈な時間が流れていく。


 ――お母さんはまだかな。


 いつの間にか日は沈み、辺りは暗くなっていた。遠くからゴロゴロと音が響いてきたのを少年は聞いた。

 そんなのってないよ、と少年は思った。天気予報は悪いことに当たりそうだった。そこへ突然、どすん、と窓の外から音がしたのを少年は聞いた。それは雷の落ちた音ではない。何か重いものが落ちた音だ。少年は何があったのだろうと窓を開けて外を見た。

 一人の少女が庭に倒れている。不思議な格好だ。こんな格好の人は見たことがなかった。まるでおとぎ話から飛び出してきたかのようなおかしな服装だ。年のころは少年よりだいぶん年上だ。中学生か高校生くらいだろうか?


――もしかして、織姫さま?


 少年は慌てて階段を駆けおり、素足のまま玄関を鉄砲玉のように飛び出した。


 ――大丈夫かな?


「織姫さま、織姫さま」

 そう少年は倒れている少女に声をかける。

「う、うーむ」

 少女はそう呻いて、目を開けた。どうやら生きているようだ。

「大丈夫? 織姫さま」

 右手を支えにしてゆっくりと起き上がる少女。そしてゆっくりと言った。

「……ワシは織姫ではない」

 女の子が『ワシ』なんて言うのは変なの、と少年が最初に思ったのはそれだった。

「じゃあ、誰なのさ?」

 彼女は天を指差した。

「やっぱり織姫さまなんじゃないの?」

 天を指差した少女に少年は言った。と、空から何かが下りてくるのを確認する。

 それは、いかだだった。かなり大きないかだで、五人くらいは悠々と乗れそうだった。それはふわふわと空中に浮かんでいる。少年は夢を見ているようだった。自分もおとぎ話の中に入ったかのようだ。

「ワシは織姫ではない。銀河の渡し守じゃ」

「ぎんがのわたしもり?」

「この国では天の川、と言うのじゃったかの。その川を渡る人をこのいかだで送る。それがワシの仕事」

 なんだかわけがわからない。

 あまのがわ。あの宇宙の本には自分たちの地球がある星雲だって書かれてた。普通の川みたいに渡れるはずないじゃないか。

少年は目を白黒させて、銀河の渡し守、と名乗る少女を見つめた。

「ふふ、論より証拠じゃ、こっちへ来い」

 少女が少年を手まねきする。おそるおそる彼は少女に近づいていった。

 ふわり、と浮かんでいるいかだが地面すれすれまで下りてくる。

「……どうしたらいいの?」

「乗れ」

 いきなり言われて少年は戸惑う。と、少女が彼の手を引っ張った。

「うわっ!」

 驚くまま、少年は引っ張られ、いかだに乗せられた。少女は落ちている櫂を拾うと、相好を崩した。

なんだか今からわくわくするようなことが待ってる。少年はそう思いながら、いかだの上に座る。

「ちょっと揺れるぞ」

 そう言って少女は、櫂で地面をたたいた。

 と、いかだはどんどん上昇していく。エレベーターに乗ったような感じはしない。体は地上にあるかのように少年は重さを感じられなかった。

 だんだん周りが暗くなっていく。目の前の蒼はだんだん深く濃くなり、それはいつしか闇へと変わっていくのが少年にははっきり分かる。

 そして少年は見た。

 きらきらと光る星の砂が眼前で流れているのを。

「う、うわぁ……」

 感嘆してびっくりして、やっと出た言葉がそれだった。

 筏はその星の砂の河の上に浮かんでいるようだった。ゆらりゆらりと星の河――天の川の流れに合わせて揺れている。

「どうだ、気持ちのいいところだろう」

 銀河の渡し守の少女はそう言って歯を見せて微笑した。

「う、うん」

 少年が答えた、その時、少女の顔が少し曇った。

「ど、どうしたの?」

「筏を降りるぞ。この雨で銀河が荒れる。このままでは危ない」

 少女にうながされ、少年は岸辺に降り立つ。岸辺と言ってもひたすら闇で、どちらかといえば、銀河の上より怖かった。

「見ろ、荒れだした」

 少年が銀河を見れば、その流れはまるで躍るかのようにうねり、たゆたい、暴れまわっている。

 と、そこへどこからか啜り泣きの声が聴こえてくる。少年がきょろきょろと見渡せば、一人の女性が伏して泣いていた。服装といい髪型といい、それはおとぎ話の織姫様のようだった。

 

――そうだ、今日は七夕。でもこんなに銀河が暴れていては、織姫様は彦星に会えない。

 

 ――好きな人に会えないのはさびしくてつらいだろう。


母親が帰ってくるまで、少年はいつもさびしい思いをしていたので、少しは織姫様の気持ちは分かる。ましてや織姫様は一年に一回、この日だけにしか彦星に会えないのだ。

「ねえ」

「どうした、少年」

「織姫様を向こう側に渡してあげようよ」

 銀河の渡し守はかぶりを横に振った。

「ダメだ。一度落ちたら取り返しがつかないんじゃぞ」

 少年はそれでも諦めない。真剣な目で少女に懇願する。

「お願い」

 困惑した表情で銀河の渡し守は、少年を見つめた。

「……仕方ないな。分かった。だが、おぬしはここに残るのじゃ」

「ヤダ」

 少年は即答する。

「いいか、危険なのじゃぞ。君子危うきに近寄らず、と昔の偉い人も言っておる。ここに残るのじゃ」

「ヤダ」

 どうしてもついていきたかった。それは少年の冒険心からくるものであった。危険であればあるほど、少年のワクワクは止まらない。少年は少年だった。少年は君子ではない。少年は危うきに近寄るのだ。

「分かった、だが、しっかりワシにつかまっているのじゃぞ」

 不承不承な様子で少女は少年がついていくことを認めてくれた。きらきらと期待に目を光らせる少年。

「織姫様」

 少年はそう織姫に声をかけた。織姫は伏せた顔を上げて少年を見る。ずいぶん泣いていたのだろう。目は赤く、まぶたは腫れぼったい。少年は織姫に手を差し伸べる。

「行こう。あの()が彦星様のところに連れて行ってくれるよ」

 織姫はいぶかしげに答えた。

「なぜ……あなたが……妾のために……」

「だって好きな人に会えないのは辛いじゃん」

 少年はそう言って満面の笑みを見せた。

「ささ、はよう乗れ」

 岸辺にはすでに銀河の渡し守が筏の上に乗っていた。少年は織姫の手を引っ張って、筏の方へと連れて行く。

 二人が筏に乗り込むと、渡し守の少女は言った。

「さあ、いくぞえ!」

 そして筏を漕ぎ出す。大きく筏が揺れた。その揺れは尋常なものではなかった。でも少年は興奮した。


 ――すごい、すごいよ。僕、きっと他の人が経験したことのないことしてる。


 銀河は一層荒れ狂っていた。筏はまるで山を滑るかのように波を越えていく。そのたびに大きく揺れ、振り落とされそうになる。少年は必死で渡し守の服の裾を掴んでいた。織姫様も同じようにしていた。二人に服の裾を掴まれながらも、巧みに櫂を操る銀河の渡し守。はたして筏は向こう岸に向かっているのだろうか。少年は少し不安になった。

 と、ひときわ大きく筏が揺れた。思わず少年は手を少女の服の裾から離してしまった。

「あっ!」

 その時、少女がはっしと少年の手を掴む。

「だから危ないといったじゃろ!」

 ごうごうという音の中渡し守の少女の声が響く。

「ご、ごめんなさい」

「もうよい。そろそろつくぞ」

 少女の言うとおり向こう岸が見えてきた。ぐんぐん筏はその方向に向かっていく。

 そして。

「ついたーーーーーーーーーーっ!」

 少年は筏から向こう岸へと降り立った。足元がふらつく、おぼつかない。織姫のほうはと言えば、ふらふらと、それでも必死で走り出していく。そして、少年に一言かける。

「ありがとう、おかげで彦星に会うことができました」

 少年が織姫の向かうほうを見ると、一人の青年が驚いた様子で立っている。

「織姫、織姫なのか?」

「ええ、妾です。彦星様」

 織姫は彦星の方へと走り寄り、彼を抱きしめた。


 ――よかったね。織姫様。


 達成感で少年の心は満たされていた。と、ぽんと肩を叩かれたことに気が付いて振り返ると、そこには笑顔の銀河の渡し守。

 少女もなんだか満足げだった。

「これでよかったんじゃろうな。いろいろ危なかったが。あの状態で筏を漕ぐのは難儀したわ」

「ご、ごめん」

「さ、地上に戻るかの」

「うん」

 少年は再び筏に乗り込んだ。渡し守は櫂でぽんと闇のような色の地面を叩いた。筏は来た時とは反対にどんどん下に降りていく。

 色は闇から濃い蒼へ、そして水色へ。そして、気がつけば少年の家の庭だった。

「ここで、お別れじゃ。ワシもいろいろ楽しかったぞえ。多分もう会うこともないがの」

 少女はそう言うが、少年はすごくさびしかった。

「なんでそんなこと言うのさ。また会えるよ。会いに来てよ!」

「そうはいかぬ。天の人と地の人はあまりかかわってはいけないのじゃ。今日は特別」

 少女もやはりさびしそうな様子で、少年を見つめ、そして再び櫂で地面を叩いた。あっというまに筏は上昇していき、少年の眼前から消えていく。呆然とそれを眺めているしかなかった。


 ――これは夢だったのかな?


 少年はほっぺたをつねった。痛い。夢じゃない。


 ――きっとまた会えるよね。銀河の渡し守さん。


 そういえばお互いに名前を知らないことに気が付いた。七夕の夢。ほんのわずかな時間の冒険。少し少年は自分が成長したように思えた。

 と、そこへ母親の声が聴こえてきた。

「ただいまー。あら、ひろしは?」

「はーい」

 少年はそう答え、母を出迎えに玄関へと向かった。

「あら、ちょっと凛々しくなった感じがするわ

 少年――ひろしの母親はそう少年の顔を見て言った。

「当然だよ。だってすごい冒険したんだもの」

「あらあら。じゃあ母さんにもその話を聞かせてくれる?」

 きっと信じてはもらえないだろう銀河の渡し守との出会い。そして、不思議な体験。笑顔の母に向かって少年は話し始めた。

「あのねえ、お母さん」

 雨はすっかり上がって、空にはアルタイルとベガがきらきらと光を放っている……。

実は銀河の渡し守についてあと3作くらい話のストックがあります。これは「夏」の話です。

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