詩人の恋
『呪歌と姫君』の前段階の話になります。
これだけでも十分に楽しめると思います。この段階でのアフルは10歳の少女です。
吟遊詩人でありながら、商売道具ともいえる竪琴も持たずに、アリオンは街を歩いていた。
その目的地は一軒の酒場。
吟遊詩人としてではなく、通りすがりの客のようなふりをして彼は酒場の前までやってきていた。
その中からかすかに聞こえてくる、心を惹きつけられるメロディー。
やっぱりアイツはいる。と安心したような顔でアリオンは店の中に入っていった。
「よ、マスター。繁盛してるね。悪いけど、レオン借りるよ。そうだな……ちょっとややこしい話があるから、そこの隅の席、かまわないかい?」
店の主人にそう気安く声をかけ、酒と適当なつまみを注文した彼は、テーブルの間をすり抜けて目当ての相手のそばに一直線に向かっていた。
ちょうど曲が終り、客の盛大な拍手と歓声を浴びながら次の曲の準備をしていた吟遊詩人の肩を軽く叩く。
「レオン、ちょっと用があるんだ。あっちにいかないか? 皆さん、ちょいとこいつを借りるよ。また用がすみ次第、解放するから待っててくれよな」
半ば強引にその場から連れ出されたことに相手はちょっとむっとしたような顔をしていたが、誘われた席に用意してある酒やつまみの類を見ると仕方がないなぁ〜、とでも言わんばかりの顔で席についていた。
「で、なんだって? ここのところ吟遊をしてないお前がこうやって来るんだ。何か相談事でもあるんだろう?」
お互いに酒を注ぎあって腰を落ちつけるとその相手、レオンはいきなりそう言ってきた。
黒い髪に黒い瞳が印象的なこの相手にそう詰め寄られたことでアリオンは思わず苦笑いしていた。
「まったく、お前にはかなわないな。そうだよ。お前にしか相談できないし、お前ならきっと力になってくれることだと思う」
そう言いながらもアリオンはどう話を切り出そうかと悩んでいるようだった。じっと手元を見ながら言葉を捜している……
そんな彼の様子をじっと見ているだけのレオンは話を急かすことなく酒を飲みながら、アリオンが口を開くのを待っていた。
やがて……
「なあ、レオン。お前、呪歌が歌えるだろう?」
いきなりそう言われたことで思わずレオンはむせこんでいた。
急に何を言い出すんだ、とばかりにその黒い瞳がアリオンのハシバミ色の瞳を殺気を持って見据える。
レオンのそんな様子に気づきながらもアリオンは言葉を続けていた。
「レオン、お前にしか頼めない。明日、明日でいいな? 俺が今いる、ジェミニ伯の屋敷まできてくれ。紹介状を書いとくから絶対にはいれるはずだ。相談事はその場の方がいいな。実際にお前の目で確かめた方が現実味があるだろうから」
◇◆◇◆◇
結局、アリオンに押し切られたような形になって紹介状を受け取ったレオンは翌日、ジェミニ伯の屋敷にまで出向いていた。
強引とも言える頼みごとなのだからそのままほったらかしにしていてもよかったようなものなのだが、アリオンの様子にただならないものを感じたレオンは結局、彼の言葉どおりにやってくることを選んだのだった。
もっとも、その原因のひとつにアリオンが言った『呪歌』という言葉があったことも否めないが……
アイツはどこまで知っているのか、それも確かめないといけないと思いつつ、レオンはジェミニ伯の屋敷の門を叩いていた。
「こちらにいるアリオンという詩人に呼ばれた者だが……この通り、紹介状はある。入れてもらえないだろうか?」
さすがに貴族の屋敷に商売道具を持っていくのははばかられる、と思っていたレオンは竪琴も持たず、それなりにこざっぱりした格好で案内をこうていた。
アリオンからの連絡がきちんといっていたと見えて、格別とがめられることもなく、レオンは屋敷内に通されている。
よもや邸内に招き入れられるとは思ってもいなかった彼はあまりにもすんなりと通してもらえることに驚きを隠せなかった。
「アリオン、お前、随分と信用されているんだなぁ〜」
ほどなく、レオンのそばにやってきたアリオンの姿を見つけるなり、レオンの口からは感心したような言葉がもれていた。
「っていうか、ここのお嬢さんに気にいられてね。可愛らしい方だよ。で、相談ごとっていうのは、そのお嬢さんに関係していることでね。ちょっと外に出ないか? お前に見てもらいたいんだ」
そう言うとアリオンはレオンを案内して外の東屋へと向かっていた。そこはアフルが竪琴の練習をすることに決めている場所。
そぞろ歩きをしながらアリオンはレオンに謝っていた。
「夕べはすまなかったな。急にあんなことを言って。でも、確かめておきたかったんだ。お前は間違いなく、あの歌を歌えるんだろう?」
「いまさら隠す必要もないだろう。ああ、俺の家系は『呪歌』を歌えるさ。でも、いわれてるほど力のあるものじゃないぞ。せいぜいがちょっと気持ちのいい感じの歌っていうくらいかな?」
「なら、聞けば『呪歌』の歌い手かどうかの区別はつくな!?」
「ああ、つくと思うが……一体どうしたんだ?」
アリオンの気迫に押されるかのようにレオンはそう答えていた。
今まで呪歌などに興味を持ってもいなかったと見える吟遊仲間のアリオンが夕べ、急に呪歌という言葉を口にしたのだ。
なにかあるという思いもあってレオンは今日の招待にこたえていたのだった。
やがて、二人がついた東屋にはジェミニ伯爵令嬢であるアフルが竪琴を弾いている姿があるのだった。
「アリオン、あの子は?」
「彼女がここのお嬢様。可愛らしいだろ? アフル・アルディア様というんだ」
珠中の玉を自慢するような顔でアフルのことを紹介するアリオンの様子にレオンは呆れたような顔をしていた。
確かに可愛らしい女の子とは思うが……成人すれば、間違いなく美女といわれるであろうものを感じさせるがまだまだ子供。
一体、自分に何をさせたいのだ? といわんばかりの顔でレオンはアリオンを見ているのだった。
そんなレオンの様子を知ってか知らずかアリオンはアフルのそばに近寄ると、そばに置いてあった竪琴を自分も取り上げていた。
やがて、流れ出す二つの絡み合うメロディー。
アフルの口から流れる子供らしい声の中に宿っている力に気がついたレオンは顔色をなくしていた。
「こんな子供が?? おまけにそんな家系じゃないだろう?? なんて力なんだ……」
アフルの歌う声を聞いた途端、レオンにははっきりと彼女が呪歌を操れるということがわかっていたのだった。
しかし、この力はある程度は遺伝するもの。現に自分の家系がそうだ。呪歌を歌えるものが多いために必然的に代々、吟遊詩人になっているといっても過言ではない。それなのに……
この少女はこのファクリスの貴族の令嬢。自分が今まで知っている呪歌の歌い手の中で貴族の血を引いているものはいなかったはず。
それに、この少女の力は今まで自分が知っているどんな呪歌の歌い手よりも強いもののようだ……
ここまでの力をあたえられたことが神の恵みなのか悪魔の悪戯なのか。
レオンはどちらとも判断のつかない自分がいることに気がついていた。
◇◆◇◆◇
その夜、昨日の酒場でアリオンとレオンの二人は再び酒を飲んでいた。
飲まずにはいられなかった、というのが本心かもしれなかったが……
「じゃあ、間違いないんだな、レオン」
わかっていたことながら念押しをするアリオンの口調は何処か寂しげなようだった。
「ああ、間違いない。ついでにアレだけの力じゃ、隠しとおすのは無理だぞ。わかっているのか?」
「確かにな。一番いいのはギルドに報告して、保護してもらうっていう手段だが、それだけはしたくない」
「どうしてだ、アリオン。ギルドが呪歌の歌い手を必死になって探してるのはお前だって知ってるだろう?」
「知ってるさ。だけどな、レオン。お前くらいの力でもギルドは離そうとしないんだろう? アフルくらいの力になるとどうなる? 死ぬまでギルドのために働かされるのが目に見えている。彼女は貴族の令嬢なんだぞ」
アリオンのハシバミ色の瞳が悩んだような光を浮かべていた。
彼らが所属する吟遊詩人のギルド。
そこに報告さえすれば、間違いなくアフルの才能は安全に何の問題もなく導かれるだろう。
しかし、それから後はどうなる?
おそらくは彼女は一生、ギルドの中から出ることを許されず、より確実に呪歌の歌い手の家系を作るための道具とされるだろう。
それだけは何があってもやめさせたかった。
唯一の救いは彼女がファクリスの貴族の家柄であり、王家の信頼ある伯爵家を継ぐ唯一の存在である。ということだろうか?
そこまでの存在をギルドが無理やりに引き込むことはしないだろう……
しかし、絶対という保障はどこにもない。
ギルドがアフルの持つ可能性に気づけばどのような手段を講じてでも引き込もうとするだろう。
ではどうすればいい?
どうすれば、アフルの自由を守ることが出来る?
「なあ、レオン。呪歌を封印するってことはできるのか?」
「突然、何を言い出すんだ。そんなことは無理に決まってる。ある程度のコントロールなら出来るかもだが、それだって保証の限りじゃない」
「どうしてだ?」
「感情と密接に繋がってるからな。アレだけの力じゃ、恐怖に駆られて歌を紡げば必ず死をもたらすぞ。まだあの通りの少女だろう? 思春期と呼ばれる時期がどれほど危険な時期になるのかは目に見えている」
「ということはその気になればコントロールできるんだな?」
「保障はしないよ。可能性の問題。まあ、確かに俺としても貴族の令嬢を無理やりにギルドに入れたいとは思わないし、出来るだけのことはするよ。当然、俺からはギルドに報告しない。コレでどうだ?」
レオンのその言葉にアリオンはうなずくと、お互いのグラスをカチリとあわせていた。
どこまで出来るかはわからない。
だが、これでアフルを守る道は準備できたともいえる。
アリオンはレオンに感謝の意もこめて酒をひたすらすすめているのだった……