6、『幸野美春』
「そろそろ十二時ですね。次に案内する場所に美味しい店がありますから、そこでお昼にしましょ」
と美羽さんが言ったのは、トンネル前で取り出していた星電をしまった時なので、時間を確認しての発言だったんだろう。
って、考えてみれば、俺、昨日の昼から何も食べてないな……
そう思った時、不意に俺のお腹が鳴った。
かーっと顔が赤くなったのが自分でも分かり、美羽さんは俺のその様子におかしそうにクスクスと笑う。
「じゃあ、ちょっと急ぎましょうか? 美羽、これでも星電マネーだけに関していえば、小金持ちですから奢りますよ」
などと美羽さんは言ってくれたが、流石に奢られるわけにはいかないよな。
「……いえ、奢るんだったら、俺の方ですよ。美羽さんがいなければ、昨日は海に叩き付けられていたでしょうし、駆け付けてくれなければ、意志力切れで倒れていたかもしれません。こんなことで昨日のお礼になるとは思えませんが、せめてもの気持ちとして、ここは俺に奢らせてください」
「え~でも……」
俺の言葉にちょっと困ったような表情になる美羽さん。
ここで困られてもこっちとしても困るんだけどな。まあ、考えてみれば、奢る奢られるってことを俺はしたことがない。知識としてあるだけで……うわ! 何この空しさ。と、とにかく! 互いに困らない形にするには……
「……えっと……じゃあ、お互いに奢り奢られをするっていうのは……どうでしょう?」
なんて提案すると、美羽さんは可愛く小首を傾げた。
まあ、今のだとそういう反応になるよな。
「……例えば、お昼ご飯は俺で、三時のおやつは美羽さんって感じってことですね」
「あ~なるほど……じゃあ、ご飯食べた後に、ゲームセンターに行きません? これから行く商店街のゲームセンターって、星電マネーが使えるんですよ」
ゲームセンターね……そういえば久しく行ってないな。最後に行ったのっていつだっけ? 去年は記憶自体があんまりないし、中学時代はそれどころじゃなかったし……だとすると小学時代か!? うわ! それって悲し過ぎだろ! というか、まあ、わかってはいたことだが、俺の人生って、ラノベとか漫画とかで補完し過ぎだよな。
思わるタイミングで、改めて自分の人生の質の問題を突き付けられてしまった。というか、半ば自爆みたいなものだが、それでも思わず愕然としてしまう俺。
愕然としている俺に気付いたのか、美羽さんがびっくりした顔になる。
「ど、どうしたんです夜衣斗さん!?」
いや、なんていうか、なんて言おう? 自分の人生のほとんどが自他共の仮想で構築されていることに今改めて実感した。なんて、そんなことなんて正直に言える訳ない。
ん~……
「……えっと……お腹空き過ぎたのかな~」
ご、誤魔化すにしてももうちょっとマシな言葉はなかったんだろうか?
なんて冷や汗を流しながら思っていると、美羽さんは思いっきり真剣な顔で俺に近付いた。
「それは大変です! 早く昼ご飯を食べに行きましょう!」
そう言いながら、あまりにもいきなりな行動だったのでカチンと固まっている俺の片手を握ると同時に、引っ張られるように連れ去られてしまった。
い、今のを信じるか普通!? っと、というか、は、恥ずかしいからやめてぇ~
と言えない俺は、結局トンネルから商店街まで手を引かれて走らされることになってしまった。
「えっと、ここのパフェって美味しんですよ。ぜひ夜衣斗さんに食べて貰いたいなぁ~」
なんて商店街駅側端にある喫茶店前にて、ちょっと誤魔化す感じで美羽さんに言われた。
だが、俺はその話に返事をする余裕はなかった。
両膝に手を付き、肩で息をしているからだ。
まさか、女の子に走力で負けるとは思わなかった。
というか、町端から町のほぼ中央にある商店街まで結構なスピードで走っていたのに、美羽さんは息一つ切らしていない。
っく! 情けないぞ俺!
俺の疲弊原因の一端となってしまった美羽さんが困った感じの雰囲気になってしまっているので、早く回復したいのはやまやまだが、ううっ絶対呆れられている。
恥ずかしくて顔を上げられない。というか上げれないんだが……
などと自分の体力の無さを呪っていると、ふと近くに誰かが現れる気配がした。
「あれ? こんな所で何をしているの美羽?」
「あ! 美春さん。こんにちは」
どうやら美羽さんの知り合いらしいが、疲弊しきった身体は未だに回復の兆しすら見せてないので、どんな人か確認する気力もない。
「はい、こんにちは……はいいんだけど、この子は?」
「黒樹夜衣斗さんです。昨日のはぐれ剛鬼丸を倒してくれた武霊使いですよ」
「そう……この子が……丁度良かったわ。会って話をしてみたいと思っていたところだったんだけど……何で肩で息をしているの?」
「えっとそれは……」
「じゃあ、そこで休憩でもしながら話を聞いてもいいかしら?」
口籠る美羽さんに、彼女は何があったのか察したのかそんなことを俺に言ってきた。
多少回復した俺は、何とか頷いた。というか早く座って休憩したいのが正直な所というか……っうう……本当に情けないぞ俺!
星波商店街にある喫茶店『白猫屋珈琲』は、妙に白い日本猫の置物や絵が多く飾られている店だった。
そんなラブリーな店内に対して、店主は物凄く強面仏頂面の顎鬚オヤジだったので、内心びくびくものだったが……ん~何というか、メニューにも白猫を冠したものばかりだな。色々とギャップが激し過ぎるというか。
「ここはカフェオレが美味しいのよ。夜衣斗君も飲む?」
と聞いてきたのは、美羽さんに美春さんと言われていた人。
見知らぬ女性が目の前にいるせいか、極度の緊張状態になってしまった俺は、何も考えずに反射的に頷いてしまう。
その様子に美春さんはちょっとだけ微笑む。
「マスター。白猫カフェオレを三つお願い」
カウンターにいる顎鬚マスターに注文した後、不意に何かに気付いたように、壁掛け時計を見る。
俺もつられて見ると、時間はちょうど十二時だった。
「そういえば、あなた達ってもうお昼済んだ?」
美春さんがそう聞いてきたので、さっきと同様な感じで即座に首を横に振ってしまった。
「じゃあ、今日のおすすめの昼食セットを三つ。それと……甘いもの好き?」
頷く。
「白猫パフェも三つお願いね」
何だかぱっぱと注文されてしまった。これってこのお姉さんが奢ってくれるって流れだよな? さっき会ったばかりなのに申し訳ないんだが……
とか思いながら、美春さんを見る。
腰まであるポニーテール。
可愛いよりカッコいい分類に入るキリリとした顔立ち。
スレンダーでグラマーだが、それを感じさせないプロポーションの良さを持っている。
のだが、着ている服が、白くて簡素な長袖のブラウスに黒色のジーパンで、『酔い猫』と書かれたロゴが入った前掛けをかけていたため、容姿のカッコよさやらなんやらが台無しになって、なんとなく勿体無さを感じさせる。
って、何考えてるんだか俺は……
え~っで、その右腕にギプスを撒いて、包帯で肩から吊るしていた。
つまり、この人は武霊による治療を辞退した人ってことになって、そうなれば当然、武霊使いってことになる。
ちなみに美羽さんはト……お花を摘みに行っているので、このお姉さんのことを知るには本人から直接聞く必要があるのだが、人見知りの俺にそういう積極性は皆無。
ん~ここは無理せず、美羽さんを待つべきか……
などと思っていると、不意に美春さんは苦笑した。
「春子の甥っ子って聞いていたけど……彼女とは大分違うのね。本当に甥っ子さん?」
そんなこと言われてもな。俺自身もちょっと信じられない所があるし……って、今の言い方だと美春さんもウィンディーネ先生と同じく春子さんの知り合いってことになるな。病院に続いて商店街にもって、本当に俺は彼女の甥なんだろうか?
美春さんの問いに思わず困惑してしまうと、その戸惑いを感じたのか再び苦笑されてしまった。
「私は『幸野 美春』。この星波商店街で酒屋『酔い猫』の一人娘で、こんな恰好をしているからわかるとは思うけど、普段は酔い猫の店員をしているわ」
ふむ。つまり、看板娘ってことか……漫画とかではよく見るが、リアルでは初めて見るな。
「っで、春子はよくうちの店にお酒を買いにくるのよ。その縁で、仲良くさせて貰っている。というより、飲み友達って言った方がいいかしらね?」
飲み友達ね。というか、お酒飲むのかあの人。ん~あのテンションでお酒を飲んだらどんなことになるのやら。なんかまた不安要素が一つ増えたな……
「とはいっても、その春子の甥っ子だからあなたの話を聞きたいわけじゃないのよ?」
そういえば、店に入る前にそんなことを口にしていたな。ということは……
「星波自警団は知ってるわよね?」
そりゃ、その団員に助けられたのだから、知ってるってもんじゃない。
俺が頷くと、ちょっと面白そうに笑い。
「その団長を私はしているの」
団長!? 俺はてっきり団員の一人かと思ってた。まさかこんな若くて綺麗な人が、団長? ま、まあ、武霊が取り憑いた人間の根本を成すイメージで自らを形作るのなら、年配者より若者の方が強力な武霊を生じさせ易いだろうが……
「だから、昨日星波海岸にもいて、はぐれ剛鬼丸戦を見させて貰ったわ。本当は団員のはぐれ化だから、団長である私が倒すべきだったんでしょうけど……ごめんなさい。あの時、迂闊にも怪我をしちゃってて、駆け付けようにも直ぐには駆け付けられなかったの」
ん? ってことは、美羽さんが言っていた、剛鬼丸を倒せる可能性がある武霊使いって美春さん、じゃなくて、幸野さんだったのか……ちょっと待てよ? 戦うのは武霊であって、武霊使い本人じゃないよな? なんで駆け付けられなかったんだ?
「まあ、この程度の怪我なんて、大したことないって言ったんだけどね」
とか言いながら、ギブスを嵌めている片腕を残った手で触れる幸野さん。
つまり、他の団員に止められていた訳か。まあ、それでもなんで止めるのか、若干腑に落ちない所があるといえばあるが……
「でも、まさか初めて具現化した武霊に、しかも、前例のない形での武霊使い覚醒をした子に、あの剛鬼丸が倒されているとは思ってもみなかったわ」
そう言って興味深そうに俺を見る幸野さん。
そんなに見られると物凄く恥ずかしんですけど……
思わずうつむいてしまう俺の所に、すうっとマグカップが差し出された。
反射的に差し出した手の先を見ると、顎鬚マスターがおり、一礼もせずに無言のままカウンターへと戻って行った。
どうやらとても無口な人らしい。
しかも無愛想となると、接客業としてはどうなんだろうか?
まあ、この喫茶店の常連らしい幸野さんが特に何も言わないってことは、それを理由に忌避されていないのだろう。
そんなことを思いながら出された白猫カフェオレを見る。
いわゆるアートカフェオレという奴のようで、きめ細かく泡立てられた牛乳の上にチョコレートで白猫が描かれていた。
物凄く可愛らしい絵なため、これを作ったであろう顎鬚マスターとのギャップにどう反応していいか分からない。
というか、まあ、店内の様子とメニュー名から何となくそんなことになりそうな気がしたので、吹き出しはしなかったが……
「あれ? 面白くなかった?」
不思議そうな顔で俺を見る幸野さん。
「……面白くって……」
「だって、あんな顔でこんな可愛いのを作るのよ? 面白いじゃない」
と言って、小さく笑い出す幸野さん。
なんというか、顎鬚マスターの顔がますます仏頂面になっている気がするんですけど……