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B  作者: 井伊 友野
1/1

序章

『―――だよね』


「ん?」


俺が明日の中間試験のために、先生にご指導を受けていると、暇そうにしている先生は何か呟いた。


「なんか言ったか?」


『愛とは外部の原因を伴った喜び以外の何ものでもない。本当にそうかな?』


「誰か有名な人間のセリフか?むっかしの人間は簡単なことを難しくギザったらしく言ってんだな」


『そう』


「ああ、そうだよ。物事はシンプルであればあるほど良いんだよ。難しく考えているから、Iとか愛に悩むんだよ。俺は、それよりも明日の試験が大切だ。いい加減、居残りはしたくねえーよ」


『ふぅん』


手元の時計を見ると時刻は11時。

ノートを写しているだけでこんな時間になってしまった。

くそっ。

今日も徹夜でギリギリまで頑張るしかねえのか。


『相手が喜ぶかわからない愛情って、信仰と同じだと思わない?』


「あ?なんだ、また偉い人の言葉か?どんな偉人だろうが言葉なんて試験に出ないから覚えたくねえよ」


『これは僕の言葉』


墨汁で塗りつぶしたような目をした先生が淡々と話す。

表情は限りなく無表情に見えるが、今日の先生は少しテンションが上がっていることを俺は読み取れた。


『「届かないものを必死に追いかけている楽しさ」と「実際に届いた時の喜び」は別で、「届かないもの」に過度な期待を寄せてしまうと、実際に届いた時にはがっかりする事もあるんだ。だからこそ、「届かない方が幸せ」なんじゃないかなって思うんだ』


「普通、片思いしている相手と相思相愛になった方が幸せになれるんじゃねえのか?幸せってそういうもんだろ」


『人間の幸せって他人に理解されてこそ完成するみたいなところがあって、自分がこれを幸せだと思っていてもダメで、誰かと共有しないと本当の多幸感は得られないって思うよ』


先生のご意見は相変わらずレベルが高くついていけなかった。

好きなら好きでいいし、嫌いなら嫌いでいい。

もっと簡単にシンプルに考えりゃいいのに、頭のいい人間は見ているものが違うんだな。


「一人で生きていけないからこそ協力して生きていこうとする。生きるとか抽象的過ぎて伝わらねえなら、そうだな。俺はこうしてお前を――求めている。お前が居ないと俺は赤点を取り、居残り。お前には迷惑を掛けていると思うけど、お前が困ったときは俺が助けてやるから心配するな。友だちってそういうものだろ?」


『………』


うっ。

俺はなにを語っているんだ。

『求める』とか『友だち』とかあのバカに聞かせると、


【それでこそBLであると私は思う。BLは何もエロがあればいいというわけではないのだ。この甘酸っぱい様な友情。それは簡単には切ることができず、言葉をかけてなくてもお互いが分かり、共に戦い、共に助けない、共に結ばれる…。特に先輩と先生の関係は王道だ。一見頼りないと思われがちな先生だが、先輩を支えているのは間違いなく先生だ。先輩だって先生とそう長い付き合いがあるわけでもなしに、まるで昔からの級友のように振る舞い、そして、愛し合う(ここ重要!!)。もう私は嬉しくて嬉しくて、胸がイタイ!!】


長ったらしく男の友情を話してくる。

あいつはどんな視点で俺たちのことを見ているんだよ。

まあ、あいつもBLが好きになる理由があるし、俺が介入する余地はないんだけどな。

度が過ぎている気もしないでもねえけど。


『そうだね。僕はそういう所―――好きだよ』


「あーーーーーーー!!だから、そういうのを簡単に人前で言うんじゃねえーぞ!!勘違いして悶え苦しむ人間が出て来るんだからな!!」


『?』


こいつ、いつも難しいことを考えているし、俺より頭が良い筈なのに、どうして、どうしてだ!!!


「時間も遅くなってきたけど、泊まってく?布団なら用意してあるから、疲れたらいつでも寝れるよ」


「いや、止めとく。だってな―――」


【ついに2人は超えてはいけない一戦を超えてしまったのだろうか。いや、きっと超えたに違いない、むしろ超えてくれ。それで、どっちが攻めなのだ?先生×先輩か先輩×先生か。私としては普段は大人しい人間は、男らしさを見せて、リードする様が好きだ。しかし、先輩が慣れない先生をリードし『こいよ…』と告げるのも萌える所だ、これは来いと濃いを掛けており、濃密で甘い性向を成し遂げたのだな。大丈夫だ。2人がそんな関係になろうが私は絶対に誰にも言わない。だから、だから!!先輩、詳しく教えていただきたい。そのためになら私はいくらだって脱ごう。脱いで脱いで生まれたままの姿を先輩に!!】


止まらなくなりそうだ。

あの後輩。

犯罪を実行する前に、いっぺん締め上げた方がいいんじゃねえーのか。


「大丈夫だ。今日はありがとな。後は家で頑張るから」


『そっか』


残念そうに見えたのは俺の勘違いだとして。

さて、帰るかと荷物を持ち、玄関まで足を運ぶ。


「そうだ。忘れもんがあったな」


『そう?今から取ってこようか』


「俺もそういう優しいところ好きだぜ」


『―――』


って俺はなにを言ってんだーーーーーーー!!


家に帰ると、時刻は12時をとっくに過ぎていた。

余計な手間が掛かったのは、なんだろうな。

俺が悪いのか。


「兄さん」


居間の扉を開けると、中には妹が食卓でご飯を食べていた。


「こんな時間までなにをやっていたの!」


この家の人間は寝ていると思い帰ってきたけど、思春期の妹は例外か。


「ちょっと。聞いているの!?」


食卓を見るとメモ用紙。

これは母さんの字だ。

今日は遅くなるから、ご飯も何も用意せずに寝とけって連絡したはずなのに、伝わってなかったのか。


『冷蔵庫にあるので食べてください』


俺なんかに気を遣わなくてもいいのに。

作ってくれたら食うしかねえか。

ラッピングされた皿を電子レンジに突っ込み、ぽちっ!と温めながら、明日のことを考える。

先生が言うには、教科書を読むよりもノートを覚えた方がいいらしい。

まあ勉強の前にシャワーでも浴びてスッキリするか。

飯は冷めても食べれる。


「って兄さん!?いきなりなにやっているのよ!!」


俺がパンツ一丁になったところで、妹が急に慌て出した。


「今からシャワー浴びてこようって思ったんだけど、どうした」


「どうしたもこうしたもないでしょ!?レディの前よ。いきなり脱ぐなんてどういう神経しているのよ!!」


プリプリと怒っているが、世間一般の妹はこういう反応をするのか?

カチッとした音がどこからか聞こえた。


「たまにはスキンシップを取ろうな」


「と、取るわけないでしょ!!私たち兄妹なのよ。一緒に入るなんてどうかしてるわ」


「ちょっとどうしたの?いきなり騒ぎ出して」


母さんが騒ぎを嗅ぎ付けて降りてきた。

だぼだぼの愛くるしいリラックマは今も健在している。


「母さん、聞いて。兄さんがいきなり脱ぎだして一緒にお風呂に入ろうって言うのよ」


「あら、いいじゃない。まだだったんでしょ?どうせなら一緒に入ってくれば」


「母さん!!」


眠たそうにあくびをしている。

妹を止めに来たつーか、俺の様子を見に来たわけか。


(「あとは頼んだわよ。早く寝たいの」)


(「了解」)


俺もここを早く乗り越えて、勉強やら風呂やらご飯やらにありつきたい。


「じゃあ、一緒に入ろうな」


ニコニコしながら、妹の腕を引っ張り浴槽へと連れ込もうと試みる。


「やめてよ、兄さん」


それをバシッとあしらう妹。


「わるいな」


「あっ……」


バツの悪そうな顔をする妹。

兄妹ならこれくらいのやりとりが普通じゃないか?


「じゃ、2人とも早く寝るのよ。明日も学校あるんだから。おやすみ」


あくびをしながら2階へと母さんは戻っていった。


「じゃあ、寝るか。いや、まだご飯食ってなかったな。まだ勉強もしてなかったか。つか、俺、まだ何もしてねーじゃん。これは明日がヤバイな」


一人バカみたいうろたえていると、しおらしく話しかけてきた。


「兄さんが……」


「ん?」


指をもじもじさせながら、言い難そうにしているのを俺は見逃さなかった。


「すぐ出てくるから、ちょっと待ってろ。嫌なら先でもいいけどな」


「あ、私が先に入ってくるからご飯でも食べてて待ってて!兄さんの後なんてまっぴらごめんよ」


チン!とタイミング良く音が聞こえた。

電子レンジは空気を読んだようだ。


「それと兄さん!」


「ん?」


「いつまでパンツのままでいるつもりなの?バカっ」


捨て台詞を残し、去っていった。

一人ポツンとなったところで、一息をつく。



俺は上手く、家族をやれているよな?


徹夜をするつもりだったが、外は明るく太陽は自己主張を始めている。

ノートを開いたのは覚えているが、その後は何をしたっけか。

ナニをしてなかったことは確かだが、記憶は忘却の彼方に飛ばされちまった。

意気込んで当日ダメになるのもアレだし、十分な睡眠を取るのは大切だな。

決していいわけしているわけではないけどな。

つってもベッドで寝なかったからか体の節々が痛い。


「んー」


軽く背を伸ばす。

時刻は6時。

腹も減ったし下に降りると、母さんがいた。


「あら、早いわね。」


トントンと朝の支度をしていた。


「・・・・・・・・・」


母さんも仕事があるというのに、欠かさず朝食と弁当を用意してくれる。

朝は抜いても大丈夫だし、昼は購買部か学食を利用すればいいから気にするなよ、と訴えたことがある。

そしたら、


「これが家族なのよ」


と、平然と言ってのけた。

よくわからないな。


「昨日は遅かったのね」


「先生に勉強を教わってた」


「先生…」


小刻みに刻まれる音が止まり、そして振り向いた。


「エロスも程々にね」


「いや、エロス関係ねぇーよ!!勉強を教わっていただけだし、勘違いしてるよ」


「夜のプライベートレッスンね。私も昔、ウフフ…」


「えっ!?母さん、マジで!?」


母さんが教師と生徒の禁断の愛を育んでいたように見えないから、驚きを隠せなかった。


「保健体育の実技を受ける…」


「母さんの肉体関係を朝から息子に衝撃告白!?初恋の人をノロケられるくらいにキツイよ!!」


「そんな夢を見たの」


「夢オチかっ!!」


満足したのか作業が再開した。

トロンとしていた目が完全に冷めてしまった。


「アヤカも心配してたのよ」


「…母さんにはご飯も要らないし、先に寝てていいよと言いました」


「そうね。でも、前にあったじゃない…。だから、心配しているのよ」


――バカな事言わないでっ!!


「そっか」


気にすることはないのにな。


「そろそろアヤカを起こしてきてちょうだい。あの子、起動するのに一時間掛かるから」


「了解」


2階へと上がり、妹の部屋の前に立つ。

いきなり開けて、キレられたことがあるので、ノックを忘れずに行う。


――兄さんはホントに困ったものだわ


もちろん、寝起きの悪い妹が起きるわけがない。

ノックの意味がないけど、儀式みたいなもんだな。


「入るぞー」


ぐーすか寝ている妹をベッドで確認する。

妹の部屋は女の子らしい可愛いぬいぐるみや玩具が転がっている。

抱き枕のPちゃんは、ベッドから転がり落ち、床で俺に訴えかけてくる。


「俺様を使ってくれねえや、とっさん」


抱き枕が本来の役割を全うすることなく、変わりに可愛いとは思えないサノスケが毎日ベッドを共にしているのを見ると、ご苦労様だと言いたくなってくる。


「起きろー」


声を掛ける。

これももちろん、いきなり揺すり掛けたら、キレられた。


――ちょっと兄さんっ!! なんてことしてるのよっ!!


人は学習していく生き物だ。

布団をひっくり返し、強制的に起こさせる。


「いたっ」


痛みを訴える声に耳は傾けない。


「起きろー」


再度、声を掛けるが、妹は寝ぼけているのがぼけーっとしている。


「起こしたからな。さっさと着替えて降りてこいよ」


そうして部屋を後にした。


都会の人間は朝の通勤ラッシュで死ぬほど辛い思いをしている。

遠くに暮らす友人がそう言ってたが、俺には信じられない。

朝は昼間に比べれば混んではいるが、電車の中でもみくちゃにされ、コンタクトレンズが外れるという珍妙な事件は起きない。

話を聞いていると、都会というのは同じ日本なのかと疑いたくなる。

妹との一悶着があった後に、家を出ると普段と同じ通学時間になっていた。

睡眠時間がちと足りないが、代わりに睡眠学習をした成果を今日の試験で見せ付けてやろう!

そう意気込んでいると、少し離れた場所にクラスメイトの斎藤を発見した。

吊り革に掴まりながら、目を閉じているのを見ると、声を掛けるべきじゃないか。

俺も妹ほどではないが、朝から元気よくテンションではいられない。

放っておくのが賢明だろうと視線を外そうとしたら、偶然にも斉藤は目を覚ました。

キョロキョロと周りを見渡し、なぜか俺の方へと歩いてきた。


「おはよう」


俺は朝の挨拶を交わすと、斉藤は言った。


「視線を感じた。折戸くん?」


「さあな」


斉藤は視線を読む能力があるらしい。

これは痴漢をすることはできそうにないな。

…元々する予定なんてねえけどな。


「いやらしいこと考えてる。違う?」


「試験のことを考えてた。今回は追試をしたくねえしな」


「折戸くんは英語だけダメらしいね。私も英語きらいー。でも、追試は免れているよ。友情・努力・正義があれば大丈夫」


「それは少年ジャンプの三代原則だっ!」


「ツッコミは冴えているのに、英語はなぜできない。パードゥン?」


「今のツッコミをもう一度繰り返すのか!?」


「冗談冗談」


にひひと小さく笑った。

斉藤との初めて喋ったのは4月だった。

新しいクラスになって初めて話したわけだが、持ち前の陽気さと笑い上戸の部分もあって、こうやって絡むことがある。

すげー仲が良いわけじゃないが、ただのクラスメイトにしちゃ仲が良い方だ。

去年のクラスメイトの中には一度も話すことなく終わる人間もいたくらいだからな。


「眠そうにしてるけど、徹夜でもしてたか?」


「バイトでねー。ちょっと疲れてた。ハードバード」


「いちいち突っ込まないからなっ!なんのバイトしてたっけか?」


「マック。私、こう見えて店長代理の地位にいます」


「おーすげえーな。高校生でも店長代理ってやれんだな」


「まーね。ちょっと色仕掛けしたらラクショー」


そう胸を張る斉藤の胸を見る。

特にコメントはしない。


「いやらしいこと考えてる。違う?」


「考えてねえよ」


「そ。夜道に気をつけてね」


「怖いわっ!!」


にひひと小さく笑った。

本当によく笑うやつだ。


「でも、夜道に気をつけろってのホント」


「マジで襲うのか!?悪かった、謝るから」


「んー?折戸くん、テレビ見なかった?駅の周辺で殺人事件が起きたみたいよ。タクシーの運転手が狙われたってさ」


「殺人!?それは物騒だな」


「犯人はまだ捕まってないみたいだし、夜道には気を付けた方がいいよ。うん、それでなにを謝るの?」


「いや、あー、なんでもねえよ。あはは」


斉藤と面白おかしく会話をして学校までのひと時を楽しんだ。


試験は滞ることなく行われた。

難関だと思っていた英語も、何とか切り抜けることができた。

まあ感触としては悪くなかったってだけで、点数のほうは知ったこっちゃない。

今日の試験を終え、最終日である明日をやり遂げれば、後は夏休みを待つばかりだ。

つまんねー授業はあるものの、めんどうな課題もないしな。

夏休み明けにある期末試験は、また先生にお世話になれば大丈夫だろう。

試験よりも夏休みの宿題がめんどーなんだけどな。

期末試験の前に課題を出すんじゃねって思う。

いや、こんあところで愚痴ってもしゃーねえか。


「先生、昨日はありがとな」


『うん。テストはどうだった?』


「ああ、ばっちりだ」


『そう』


「先生は、この後どうすんだ?」


帰り支度をしている先生に声をかけた。

試験は大半、午前中で終わり、午後はフリーな時間だ。

俺は夕方からあるアルバイトまで暇だったので、先生の予定を試しに聞いてみた。

すると、


『ちょっと行くところがあるんだ』


「じゃ、暇なときでも遊ぼうぜ」


『うん』


いつもと変わらぬ表情で教室を出て行った。

先生も忙しいみたいだな。


「さて、俺も帰るか…」


そう思い昇降口に向かうと意外な人物が声をかけてきた。


「そこにいるのは折戸じゃないか」


「ん?おーバカ2号」


「俺をその名前で呼ぶなっ!!!」


周りの生徒を気にせずに、全力で叫んでいる織田を見つけた。

織田は、長身で体付きも良いもんだから、嫌でも目立つ。

全力で真面目に生きると笑いしか生まれないことを、俺は織田から学んだ。


「バカ2号。どうした?あれかバカを卒業してオオバカになったか?」


「ふんっ。俺のことをいつまでもバカ扱いしていると、いつか後悔することになるぞ」


ふっふっふっと怪しげな笑いで俺を挑発してくる。

彫が深く、黙っていればイケメンであるのに、喋ると残念な人間。

まさにバカ2号だ。


「俺は帰るけど、一緒に帰るか?」


「貴様と帰ると思ったかっ!ふんっ、俺はこれでも暇人の貴様と違って忙しい。遊んでいる暇などない」


「昔はみんなで集まって遊んだじゃねえーか。また昔みたいに遊ぼうぜ」


「――それは、本気で言っているのか?」


言葉の重みが変わった。

本気で俺を睨み付けてきている。


「いきなりマジギレするなよ。はいはい冗談だよ、悪かった」


謝る素振りを見せた。

織田はまだ納得の行かないような顔つきを見せている。

「じゃ、帰るな」


「ふんっ、勝手にしろ」


まあ俺が始めて、俺が終わらせたのが原因か。

自業自得って奴なのかもしれねえけど、俺はみんなのことを守りたかっただけだぜ。

ただバカ騒ぎをして、バカバカしい日常におさらばをしようって。

それを織田は信じてくれないだろうけどな。


アルバイトまでの空き時間は、街をぶらつき時間を潰した。

そこで人に会ったが、イチイチ描写する必要もないだろ。

つまらん些細なことだったしな。

そんな感じで、アルバイト先へと向かった。


「おはようございます」


「やぁ、おはよう。折戸くん」


今日のシフトは杉崎さんと一緒のようだ。

容姿端麗、博識で心優しく、頼もしい人間で、杉崎さんと一緒だと仕事をスムーズに終えることができる。

ただ若干の問題があるのだが、そこは個性だと割り切って接している。


「今日、街で折戸くんを見かけたんだけど、あれは何をしていたんだい?どうも危ない人間に追っかけられていたような」


「他人の空似じゃないですか?俺、試験もあるので家で勉強してしましたよ」


「偉いね。いいよ、そういうところ好きだよ」


「ははは」


愛想笑いで返す。

仕事はしっかりやってくれるし、ちょっと変わっている部分があるだけで、頼れる兄さんだ。

いちいち気に留める必要はない。


「先に補充、行ってきます」


「頼んだよ」


あのスマイルを向ける相手がなあ。

気の利く人間で察しも良い。

本人の口から告白を受けない限りは、決してそっち側の人間には見えない。

世の中には色んな人間がいるってこったな。


「よいしょっ」


俺のバイトはコンビニだ。

まず店先とトイレの掃除をし、そのあと裏に回って缶ジュースやビールの補充を行う。

あとは店内の掃除や品出しなど、どこのコンビニでも行っている仕事を行う。

高校生である俺は、夜の10時以降は働けないことになっているが、夜に人が足りないときは働くこともある。

時給も平均的で、労働環境は決して悪くはない。

いざこざがあったり、突然の休暇を申請しても店長は快く了承して貰える。

その時に、杉崎さんに迷惑をかけたりしたが、杉崎さんは


「青春を楽しめ!」


と、とびっきりの笑顔で嫌味一つ漏らさなかった。

非常に感謝をしている。

言葉では返しきれないと口にしたら、


「じゃあ身体で」


と、冗談か本気が分からないことを言ってきた。

そういう時は、愛想笑いをして終わることが多い。

杉崎さんも深くは突っ込んでは来ないし、基本は良い人間だ。

難点があるなら多少ボディタッチが多いが、スキンシップの1つだと割り切っている。

まあそんな感じで今日の仕事も平穏に終わっていった。


家に帰る頃には、辺りは真っ暗となっていた。

街灯も少なく、人通りもない、この町は静かだ。

盗んだバイクで走り出すような族も居ないし、平和そのもの。

いや、平和じゃなかったか。

斉藤が自慢の胸を誇張して、なにか言ってたっけ。

夜道に気を付けろ―――だったか。

つってもな、まず歩いている人間がいない。

いても大半が仕事帰りのサラリーマン。

殺人犯がどんな人間を狙うかしらないけど、どこにでもいるような人間をわざわざ殺しはしないだろう。

家に着くと、妹がエビフライを食べていた。

小さな口から尻尾がちょこんと飛び出していて、とても可愛らしい。


「兄さん、おかえり」


「ただいま」


母さんが居ないのを見ると、寝室で夜の時間を楽しんでいるようだ。

下手したら嘆いているのかもしれない。

大好きな韓流スターが自殺か他殺か忘れたけど、死んでしまったらしい。

物騒な世の中なのかもな。

俺が知らないだけで、世界は命をかけた戦いを日夜繰り広げている。

俺は、小さな世界が幸せであれば、それでいい。

望むことはそれくらいでいい。


「ご飯なら冷蔵庫よ。私の顔をじっと見て、どうかしたの?」


「ああ、おお。ご飯、ご飯~」


「?」


冷蔵庫を覗いてみると、今日も母さんお手製のおかずが並んでいた。

妹が食べているエビフライは無く、キャベツがたっぷりのお皿にメンチが二つ。

他にも、お皿がポツポツと置いてあった。

今日も頂きます、と心の中で感謝をしてから、レンジで温めた。


「整いました!バケツとかけまして、深夜の男と解く。その心は―――」

「××県、××町で起きた事件で―――」

「彼がいる限り、私は楽になれないのよ―――」

「これか、これ。この風味が―――」


TVのチャンネルを転がしている妹。

お気に入りの番組が見当たらなかったのか、無難なバラエティ番組となったようだ。

中では芸人たちが美味しそうに、高級料理を食べていた。

俺は、飯を食って、風呂を入って、勉強をして、さっさと寝てしまおうと思ったが、我が家のお姫様は退屈そうにしている。

表示が顔にでやすい体質だ。

少しだけ、遊んでやるとしよう。


「おかしいな。エビフライがないなー」


ビクっと露骨な反応を見せた。

俺の分が本当にあったみたいだ。

エビフライが食われたくらいで、どーってこともないが、本人に取っちゃ怒られる!!とでも思ったかもしれない。


「なあ、知らないか?」


「わ、私は食べてない。ここにあるのは私のよ。兄さんのは知らない」


妹のお皿を見てみると、尻尾の残りが4つあった。

少なくとも一匹は、俺のお皿に載ってたに違いない。


「エビフライ?何のことだ。俺はソースがどこにあるかを探していただけだ」


「うっ……。ここよ、ここ。はい、どうぞ」


ソースを投げやり気味に渡される。

すげー焦っている。

エビフライが好物だったとは知らなかった。


「美味しそうに食べてたな」


「な、なによ。私を疑っているの?」


「疑う?なにを?俺はTVのことを言っているだけだ」


「……美味しそうね」


とても苦しそうに、一人で勝手に追いつめられている。

どうやらTVを見る余裕はなく、俺にエビフライのことで文句を言われるのを恐れているみたいだ。


「さっきからおかしいな。なにかあるなら正直に話せよ」


「べ、別に私は嘘もなにも。兄さんこそ、言うことがあるんじゃないの?」


逆ギレされた。

人間追いつめられると責任転嫁し声を出すようだ。


「今日だって…。今日だけじゃない。兄さんはあの日から変に」


「あの日?生理は来てないけど」とトボケた。


「違う!そうやって兄さんは、いつも話をはぐらかして」


「今日の食卓にエビフライはなかった?無かったら無かったでいいんだ。俺は、気にも止めないから」


「私が食べたのよ。ごめんなさい」と素直に謝ってきた。


「素直に謝ったから許そう。食いたいなら食ってもいいけど、黙って食うなよ。この食いしん坊がっ」


わっははと大げさ過ぎるくらいに笑った。

妹は、悲しそうに同じく笑った。

その後は、ご飯を食べ、シャワーを浴び、悪あがきとも思える勉強をし、床についた。



うまく笑えて楽しくやってきてるよな?


夢を見なくなった―――なんて書くと、ちょっと寂しい人間に感じるかもしれない。

現実的では、爆睡してしまい朝まで起きないだけだったりする。

ロマンチックもあったもんじゃない。

今日が試験最終日。

やっとこさ、睡魔との戦いから解放される。

慣れないものを続けているのも、面倒なもんよ。

先生にもなると日常的に勉強をしていそうだけど、俺が自覚的に勉強なんてした覚えがない。

勉強は嫌いである。

よくいる高校生の愚痴に過ぎない。


「おはよう」


朝の食卓に、父さんの分が並ぶことはない。

それは家族を養うために出張をしており、ここ三ヶ月程、姿を確認していない。

一家の大黒柱である父さんが、居ないのが自然となってきている現状に寂しさを隠せない。


「行くから、後は頼んだわよ」


朝の支度を終えると、母さんは働きに家を飛び出していった。

このうちの両親は、共働きだ。

両親の不在が多い割には、家が潤っているように感じられない。

それは、教育費が重くのしかかっているいるからだろう。

俺のアルバイト代も少しは…と思っているものの断られ続けている。

代わりに、好きなものを買いなさい!と言われてるが、結果として貯金にまわるようになった。

恩返しがいつかできたらいいなと、少なからず思っている。


「おはよぉ。はわぁー」


顔をくしゃくしゃにしながらも階段から降りてきた我が妹。

我が家で起きるのが一番遅い人間である。

まあ、この家の住人が基本的に早起きであるってこともある。


「おはよ。いっつも眠そうだな」


「最後の追い込みをしてたのよぉ…。兄さんはしてなかったの?」


「苦手な英語じゃないし、適度な時間に寝た。試験の時に頭がシャッキとしてなきゃ本末転倒だろ」


「んー、うん」


ぼけーっとしているマイシスターの頬を抓る。

びよーんとよく伸びる。

起きたばかりであるからか、体温が高く、柔らかい。


「って兄さん止めてよっ!!いきなりなにをするのよ」


「びよんびよん?」と疑問系で返す。


「レディになにをしているのって聞いているのよ!!朝なんだからゆっくりさせてよ」


「可愛いな。うりゃうりゃ」


「兄さん、どうしちゃったの…。変なものでも食べたの?え、今朝のご飯に毒でも入ってる?」


「おっ、ご飯がまだだったな。ちょっと待ってろ」


朝はご飯、味噌汁、おかず。

それと成長しますようにという願いを込めて、牛乳。

一通りを持ってくる。

普段の食卓の変わらない風景。


「いつものことだけど、いつものことだけど、最近の兄さんは少しおかしい…」


独り言を生中継しながら、ご飯を口に入れている。


「いただきますはっ!」と、額にデコピンを食らわす。


「…いただきます」


今日も平和な一日が始まりを告げる。


「そうだ、兄さん。バイトの帰りに迎えに来てよ」


「ん、どこに行けばいい?」


「沙也ちゃんの家。兄さんも知っているでしょ」


「あー、OKOK。じゃ、行くときはメールするから、迷惑をかけずに待ってろよ」


「もうー」


子供扱いしないでよ、という言葉を最後まで聞かず、俺は学校へと向かった。


「行って来ます」


駅のホームで電車を待っていると、先生を見かけた。


「おはよう」


『おはよう』


俯きながら何か考えているように見えた。


「今朝も暑いな。雨らしい雨も降らなかったし、梅雨のシーズンって気がしないな」


『うん』


「地元の夏祭りももうすぐだよな。今度、みんなと一緒に行こうぜ!!」


『うん』


「試験が終わったら、遊びたいな。ぱぁーっと出掛けようぜ」


『ごめん、今日も予定があるんだ』


「いいぜ、いいぜ。暇なときでOKだ。お、電車が来たな」


電車に乗り込み、また些細な雑談で花を咲かしていると、先生が話題を遮り、話してきた。


『相手が喜ぶかわからない愛情って、信仰と同じだと思わない?』


「んっ?ああ、どうした。前も同じことを喋ってなかったか」


『うん、言ったよ。今、愛について考えているんだ』


「先生も愛を語るようになったか。良い傾向だ。で、相手は誰だ?」


おちゃらけるように、コソコソと耳元で話す。

先生は、表情を変えずに淡々と伝える。


『特別な相手は居ないよ。ただ考えないとマズいんだ』


「…変なものに巻き込まれたりしてないよな?」


『大丈夫』


表情の機微が小さく、心の内を読みとるのが難しい。

楽しむことも怒ることも喜ぶことも悲しむことも。

いつだって冷静で、冷静だからこそ危なっかしい。


「だったら、いいけど。朝から語る話題じゃないけど、愛は、千差万別で、同じモノを持たない。個人のもんだろ」


『そうだね。僕もそう思うよ。幸せはどう?』


朝から哲学的な話題を提供してくる。

普通の恋愛話なら大歓迎なんだけどな。


「一緒だろ。幸せは人それぞれのものだ」


『でも、僕は思うよ。人間の幸せって他人に理解されてこそ完成するみたいなところがあって、自分がこれを幸せだと思っていてもダメで、誰かと共有しないと本当の多幸感は得られないって』


「まあ、それはそれでいいんじゃないか。俺がとやかく言うつもりはないよ」


この話はおしまいにしようと思ったら、続けてきた。


『幸せになる権利を剥奪されている人間は、幸せになれるのかな?愛を感じるのかな』


「…………」


『答え合わせに意味はあるのかなって。ごめんね』


先生の授業は終わった。

朝から頭を使わせる人間は大変だ。

バカにあの手の話題は辛いもんがある。


試験も終わり、午後はふらふら町をさ迷い走り、夜。

今日もシフトは杉崎さんと一緒だった。


「2日連続で折戸くんと一緒か」


にこやかな笑顔を振る舞う。

120点満点の笑顔で最高に素晴らしかった。


こうして俺の日常は過ぎて行った。

試験も終わり、課題もなくなり、あとは夏休みまで過ごすだけだ。

先生が今朝話していた幸せについて、本気出して考えてみた。


先生が暇になり遊べたら幸せだ。

斉藤と今までより仲良く出来たら幸せだ。

織田とは溝が埋まれば幸せだ。

杉崎さんは今の関係でいられたら幸せだ。

妹に望むものがないくらいに幸せだ。


幸せは至る所に転がっていて、幸せの定義は人それぞれだ。

今日も明日も明後日ずっとこの調子でやっていけたら幸せ。

世界が平和でありますように願いながら生きることは、きっと――幸せな人間である証拠だと俺は思うのでした。

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