第七話、あるいは旅は道ズレ夜華咲け
街と街を繋ぐ道を街道という。それは人が歩いて、あるいは乗り物に乗って辿り付く為に作られたものであり、出来うる限り通行しやすいように整備されているものだ。
たとえ道がきちんと整備されていなかったとしても、そういった通行の上で多くの人や馬、馬車などが通る道は自然と踏み固められ、解りやすく迷わないように出来上がる。また、そうやって人通りの多い場所には人の匂いが染み付いてゆき獣などが寄り付かなくなるものだ。
街と街、あるいは街と村を行き来する場合においてはそういった先人が踏み固めて作り上げた道を用いるのは安全を考慮するならば当たり前の事であり、道を外れて歩くのは自分から危険に飛び込むような愚かな行為と言えるだろう。盗賊の類は確かに街道に現れることが多いが、獣たちは盗賊のように固まっておらず、単体でも危険度が高い事が多いのだから。
「つまりは、街道を歩いて隣町に向かうのは配達員としても当然のことな訳だね」
「そりゃそうですよね、危険性を無駄に上げる必要は無いわけですから」
「うん、そりゃそうなんだ。で、ならば問おうか」
そんなこんなでついさっき、王都を発った二人はほてほてと道なき道を歩く。あたりは草が生え、樹がまばらに生えているのが見て取れる、明らかに整備も踏み固められもしていない様子である。
「どうして行き成り街道からずれた道を歩いているんだろうね僕らは?」
「食料になりそうなものを探しながら歩いていたら道を逸れました!」
「威張って言うことじゃないね」
やれやれと溜息をつく監督員に、少年は答える言葉を持たない。持つはずがない。実際少年自身も自分がやっていることが定石に反しているとは理解しているし、その定石違反は配達員の取るべき行動としてみた場合、最悪に近いものだ。
もっとも、それでも文無しの少年が旅をして手紙を届けるには食料をどうにか調達せねばならず、そして人の匂いの染み込んだ街道に出る獣は小動物も含めてそう多くはないために食料を求めるならば自然と街道を外れてしまうのは仕方のないことであり、故に監督員もそこまで強くとがめはしない。
王都からまだ一日も離れていないのだ、こんなところに危険な獣や魔獣が居る筈もないのである。
「まぁ、今回ばかりは仕方がないからついていくけどね。簡単に監督員を頼らないというところも悪い事じゃないし。報告はするけど」
「折角だから報告に色を付けてみませんか?」
「どどめ色でいいのなら付けてあげよう」
「それ絶対向かっちゃいけない方向の色がついてますよね。むしろそれ評価最低なんじゃないですか?」
「何を言う、最低は真っ白だ」
「報告することがない!?」
整備されておらず、踏み固められてもいない地面は起伏も多く、意識せず足を踏み出せば想定した高さで足が付かないこともあるのだが、二人はそれを意に介した風もない。故に、二人の歩みは普通に街道を旅する者たちよりも早かったりするのだが比較対象が今周囲にない二人は気づかぬ事である。
ただ己たちのペースを守って歩み続ける。否、よく見てみれば片方は歩いていない。
「ってーか、その浮遊詐欺じゃないですか?それ事実上体力消耗しませんよね?」
「そうは言うけれど、今の僕は形無きもの。歩くという概念自体が薄く、こうして移動するのが通常移動手段なんだけれどね」
「椅子には座るのに?」
「概念の問題だ。別に座ったからと言って楽になるわけじゃないよ」
「年のせいで腰をやった老人みたいですね」
「減点100」
「引きすぎでしょう!? っていうかそれ完全私情の減点ですよね!?」
それが何か? とイイ笑顔を向けてくる監督員に対して少年に言える言葉などあるはずがなく、ただうなだれるだけである。気分的には敗者のポーズを取りたいところなのだろうけれど、道を歩いている状態でそれをするのはさすがの彼にも思うところがあるようだ。
やれやれと肩をすくめながら、さて、と監督員は考える。こうやって街道を外れて歩くことはとりあえず今は問題ない。これまでの様子からこの少年はその危険性を理解していないわけではないようで、その上でこの道を選んだのだということも解って居る。こうやって馬鹿な会話を繰り広げて感情表現を晒しながらも彼の様子はどこか常に周囲をうかがうようであり、旅に出る前に冗談で話した『万が一』が起きないよう気を張っていることが見て取れる。
ふむ、ともう一度監督員は頷いた。今の警戒の様子から見るに、彼は決して楽な道であるという認識はしていないだろう。食料の調達のために周囲を探っていると言えばそれでケリがつくのは確かだが、だからと言ってそれだけでここまで警戒するだろうか? いや、人間食べ物がなければ大変なことになるというのは分かっているのだが。三大欲求は時に理性を駆逐するほど怖いものなのである。
「……」
「……? どうかしましたか?」
「いや、食欲って人間が持つ三大欲求だな、なんて考えてたんだけど。旅だと基本的に解消できない最後の一つはどうなるんだろう、とふと気になったんだ」
「ぇ、なんですかこれ何のフラグですか?」
「フラグ?」
きょとんとした表情を見せる監督員に、滑ったぁぁぁぁ!と叫びだした少年。こいつは何をやっているんだろうという目が痛いのだが少年はとりあえず今はそんなものは感じないんだ、と自己暗示をかける。
そうでもしないとやってられないというのが本音なのだろう。
「冗談さておきまして。種族的にそっちに意識が行くのは解りますけれど……それに、その姿も好んでとっておられるんでしょうし」
「まぁね。男性体とも女性体とも区別がつかない方がいろいろ便利だろう?」
「否定しません。けどまぁ、大体三大欲求なんて言われてますけど、他二つさえ満たされれば最後の一つは別にどうとでもなるものですよ?」
「そうなのかい? それがもっとも厄介なもので理性を削る、という話をよく聞くが」
「考えてみてください。種を残すという意味で大事ですが、個人の生存においては必要ないんですよ、その欲求」
言われて監督員はなるほど、と頷いた。確かにそれで死んだ人間など聞いたことがない。食事をとらぬことによる餓死や、疲労をため込む事によっての病死などは比較的耳にするのに、である。
ならばそこまで気にすることでもないのだろうと判断し、監督員は気にしないことにした。
「と言うか正直今更な問いでちょっと驚いたんですが」
「正直今の今まで気にしていなかったからね。監督員として新人に付き添うのはこれが初めてだし、僕は」
「でも、襲い掛かられてもどうにでもできるという自信があるから監督員されてるんですよね?」
「当たり前の話だね」
監督員にとっては全く気にする内容でもなかっただけ、という結論が出たところで少年はやれやれと軽く首を振り、ふと顔を遠くに向ける。
前を見ぬままに歩みを止めず、ただ一方だけを見つめる少年の姿に監督員もさすがに疑問を感じたらしくその目線の先を追うように顔を向けるが、何かがある気配はない。あえて言えば彼が見ている先にはおそらく街道があるだろう、ということがわかる程度だ。
「何かあるのかい?」
「……いえ。こう、目を凝らしてみれば空気中に漂う微生物が見えて食料にできたりしないかなぁ、なんてちょっと考えまして」
「前を向いてやって欲しいね。正直怖いよ?」
「微生物は見えないからこそ、直感を感じた方向でないと見えたりはしないんですよ!」
「……怖いよ?」
「すんませんっした!」
監督員の笑顔の方が怖かったようである。あわてたように謝罪する少年に笑顔を変えぬままいいよいいよと監督員が軽く片手を振り、溜息一つで表情をもどした。
どうしたものかな、と監督員はこれまでらしくなく迷う。仕事を果たすうえではきちんと問いかけておいた方が良いのかもしれないが、けれど聞いたところでろくな答えが返ってこない気もするのだ。疲労感が募るだけならそんな面倒な事はしたくない。したくないのだが。
「……そういえば、街道を外れる前もなんだか遠くを見ていたね」
「この道の先に食料があるかなぁ、と考えてみました。結論はなさそうでしたけど」
「だから迷うことなく街道を外れた、と」
「えぇ。もっとも外れたからって簡単に食料は手に入りそうにない……というより、手に入らなかったわけですけれど、現在」
「まぁ、動物の類は警戒心が強いからね」
肩をすくめる監督員。全くです、と頷いてどうしたものかと考える少年。一人分の足音がしばし続く。
「……でも、食料ならこの先に川があるわけだけど」
「それで解決じゃないですか!?」
* * *
結局たどり着いた川で魚を取り、それを焼くことで腹の足しにした二人である。その後周囲の安全を確認してから、川に近すぎず、けれど水を飲みに来る獣に悟られぬ程度には遠い場所で野営の準備を整える。
とはいっても無一文の少年にテントなどという野営の必須アイテムがあるはずもないので、監督員が持ってきていたテントを広げ、設営し、準備することで内部を使わせてもらう許可を得たりしているのだが。
魚を取ったのも少年である。この監督員、何もする気がないようだ。
「……というか、僕にやれる事がないだけなんだけれどね。どうしてそんなに手馴れているのさ?」
「故郷の方だとこういう事はよくやっていたんですよね。おかげで体に染み込んでます」
「どういう野営の仕方をすれば即席で釣り具を作る技術が身につくのか興味があるね」
「人間不思議の一つや二つあったほうがいいと思いません? それに、俺からすれば腕輪からテントが出てきたことの方が謎なんですけど」
「あぁ、これは配達員の腕輪の一機能だよ。君が監督員のいらない一人前の配達員と認められたら、機能制限も解除されるんじゃないかな」
「……魔法って不思議ですね」
「世の不思議が魔法だからね」
近くに落ちていた枝を拾って皮を削り、水で洗って作成された即席の串に貫かれた焼き魚をまったりと二人で食べている。この焼き方も巧妙だ、串が燃えないように気を配りながらしっかり魚を焼いているあたりから手馴れていることがよく解る。
誰にでも取り柄というものはあるもんなのかなぁ、と監督員はぼんやりと考えながら魚を齧る。種族的に言えばこういった食事をとらなくても生きていくことはできるのだが、その場合は栄養を別のものに求めることになるために監督員は素直に食べることを選択したようだ。
そのままなんとなく視線を向けた先、少年は近くに咲いていた花を眺めていた。何となく首をひねっているように見えるのが少し面白い。
「その花、気になるのかい?」
「故郷の近くには咲いていませんでしたから。それに、少しばかり発光して見えますし」
「周囲の魔力を吸収する特性があってね。光っているように見えるのは蓄積した魔力がわずかに漏れているらしいよ」
「へー……」
「その特性からランタン草なんて呼ばれているらしいよ。本当にランタンとして使うには光量が足りないらしいけどね」
「ま、こんなほの淡い光じゃ夜に咲いてる場所を見つけるのが関の山ですか。下手すると月明かりでも消えてしまいそうですし」
真白く淡い光をこぼすその花を眺めて、なるほど、と少年が頷く。ランタン草と呼ばれるこの草は生育地域は決して広くなく、また、魔力の多い場所にしかはえない事から監督員も少年がその花を知らぬことに疑問を持った様子はない。
ただ珍しいものを見てしきりに感心した様子を浮かべる少年の姿を眺めているだけである。
「……俺の顔になんかついてますか?」
「いや。思ったよりも好奇心旺盛なんだな、と思っただけだよ」
「知らないことを知るのって楽しいじゃないですか。ものすごく」
「否定はしないかな。もっとも、僕はその知らないことへの恐怖の方が大きい性格ではあるんだけれどね」
肩をすくめる監督員に、大変ですね、と少年は苦笑する。監督員を臆病などという気は少年にはない。むしろ、そういう性格の方がこういった仕事には本来向いているのだろうと思う程度である。
好奇心が強く寄り道ばかりしていては郵便物は届かない。足を踏み出す一歩の勇気さえあるならば、あとは適度に憶病な方が良いのだろう。
ふむふむとうなずき、そしてしばし何事かを考え始める少年を、監督員はまた何ともなしに眺めることにする。いちいち表情に出す彼は見ていてなかなか面白い。それに、それでいて話すときには基本的に相手の顔をしっかり見ているその姿はたいていのものが好感をいだくだろう。
そして、少年が監督員の方に顔を向けて再び口を開いた。
「魔法、俺、食うランタン」
「……」
「……」
「僕はなんと言えばいいのかな?」
「笑えばいいと思います」
言葉に従い、嘲笑ってやる監督員だった。