第五話、あるいは鬼も十八無形は自由
組織に所属する証明を得たところで、其れは勝手に金を産んでくれる木になるわけではない。無論、その証明を売り払うことで一時的に金を手に入れることはできるがそんなモノは一時的に過ぎず、以降組織の助力を受けられない…どころか組織を裏切ったことによる制裁まで待っているので、そんな策は下の下の策でしかない。
だが、無一文の存在からすれば如何だろうか。例え下の下の策であったとしても、即座に金が入ってくるというその結果はみりょくてきに映るかも知れない。今無一文であり、何も得られぬ状況から脱出が可能なのだ、魅力的に見えてしまったとしても其れは仕方のないことなのだろう。どれだけ魅力的に見えたとしても、後のことを考えると決してとっていい策ではないのだが。
さて、では証明を売らず、無一文の状況を如何にかするのに良い手はどうすることだろうか?答えは一つであり、一つしかなく、一つだけで十分である。
組織に所属しているんだから働け。以上。
「只今戻りました。というわけで御仕事下さい」
「お帰り下さい」
ギルドに戻り、偶然空いていた先程の受付嬢の窓口に向って掛けた声ににこにこ笑顔とともに即答で返された言葉が少年を打つ。少年が敗者のポーズを取るのはコレで本日何度目なのだろうか。少年本人が数えていなければ、ほかに数えているものは見落としが発生するかもしれない為に正確な数はわからないことだろう。現に今受付嬢が小さくこぼした回数は、図書館での回数が足りない数字となってしまっていた。
如何でもいい話である。
「……申し訳ありません、貴方の顔を見ると口が勝手に」
「口が勝手に動くって俺の顔はそんなに駄目ですか。ダメダメですか」
「いぇ、十人並みで何処にいても目立たず注目を集めずさっくりスルーされる顔だと思います。後弄り甲斐がありそうですね」
「ダメといわれるよりマシに聞こえて記憶されないとか最悪の評価ですよねそれ。後、最後の弄り甲斐が有りそうとか酷くないですか?」
「……最後については親しみやすい顔なのだ、と好意的に解釈しておいてください」
「発言者が言うことじゃないですよね。後、前者についてはフォロー無しですか」
流石に落ち込むように肩を落として吐息をつく少年を、ニコニコ笑顔のままに受付嬢が眺める。この仮面のようなニコニコ顔も訓練で得られるものなのだろうと思う少年は、もはや何も言えず腕輪をつけた左腕を見せるだけの行動にとどまった。
その腕に嵌る翡翠色の、ギルド所属者の証明に流石に受付嬢のニコニコ笑顔が僅かだけ驚きの表情に変り、続いて浮かべた表情は少しばかり意味合いが異なる笑顔であった。
「配達員に認定されていたのですね、おめでとうございます」
「有難うございます。……って認定されてないと思われてたんですか?」
「えぇ、人格的な問題から認定されはしないものだとばかり思い込んでいました」
「一体貴方の中で俺はどういう人物になっているんでしょうか。殆ど話したこともないはずなんですが」
「ギルドに来て行き成り嫁を求めたり、受付をお持ち帰りしようとしたりする危険人物ですね」
「正直すんませんでしたっ!」
窓口に両手を付いて頭を下げる少年を、あらわたし何か不味い事いったかしら、とでも言いたげな笑顔で眺める受付嬢。悪女である。
だがしかし、受付嬢が言う言葉のすべては実際に少年がとった行動であり、其れが真実、かつ事実である以上少年に言い訳する言葉などあろうはずがないのであった。
「……さて、認定されてしまっている以上私の一存で仕事を出さないなど出来ませんので仕事の話に移りますが、宜しいですか?」
「いつか印象について汚名を返上しようと誓いつつ、お願いします」
「先ず。配達員として認定後初めの数回の仕事にはギルドが指定する監督員が同行します。これは宜しいですね?」
「はい、伺っております。問題ありません」
先程、図書館で説明された郵便ギルドの基礎知識の中にもあった話だ。当然のように郵便ギルドとは郵便物……つまりは、人から人へ贈りたい物、託したい物を取り扱うギルドである。その為、其れを持って街や国の外に出て行く配達員には一定以上の信頼が必要となる。
無論、初めから人間性が信用できない者に対してまで配達員認定を行ったりはしないが、それでも配達中に魔が差したりとか中身が気になってしまい、ということはあるかもしれない。そういったことの監視の為、仕事始めには監督員が配達員に同行することになっている。
監督員の報告次第によって配達員の認定を取り上げられることもあるということだ。……とは言え監督員の言葉だけが信用されるわけではなく、また、配達中の記録をある程度保存できるシステムが存在するので監督員側も不正がし辛いようになっている。
尚、この監督員も普段は配達員として仕事をしている。監督員中に不正をし、其れが発覚してしまった場合は即座に配達員認定を取り上げられ、さらにギルド出入り禁止を言い渡された挙句不正内容次第で投獄、罰則を受ける事になる。不正をして得られるメリットとばれた時のデメリットを考えると不正などしないほうが圧倒的に得をするシステムとなっている。
「仕事には即日かかられますか?」
「現在無一文なもので、出来ればこの後直ぐに向える方が有難いです」
「了解しました。一番近い街への配達となりますが宜しいでしょうか。配達枚数が少なく、報酬は期待できませんが」
「構いません。……というより、他の仕事を受けられるんですか?」
苦笑を浮かべての少年の問いかけに受付嬢は曖昧な笑みを返すのみだ。信頼が大事な仕事である、新入りに行き成り枚数が多く、遠くまで配達を行うような仕事を任せるとは思えないし、どれだけ望んだところでさせてもらえるとも思えない。それは当然の事なのだ。
「それでは、監督員を呼んで参ります。少々お待ち下さい」
一礼し席を立つ受付嬢を見送って少年はゆっくりと息を吐く。軽く緊張してるな、と己の状態を再認識しながら手の力を緩め、握り締めなおす。
現時点では一見武器を持たぬ配達員である自分は、周囲の武装している配達員の中で浮いていると言う程度の事は自覚しているし、その自分を見定めるかのような視線が周囲四方八方から注がれていることも気付いている。彼らや彼女らは決して少年を侮っているわけでも、商売敵として見ているわけでもない。いや、後者はわずかにはあるが、それ以上にこめられてる意志と、思いが感じられる。
郵便ギルド。人の大事なものを預けられ運ぶ者達の矜持。それが、この新入り一人の手により打ち砕かれはしないかどうか。其れを見定めようとしているのだ。
それは、人間性だけではない。道中の危険に対応できなくても駄目なのだ。預けられたものを、手紙を、想いをそこいらの野盗や獣に食わせるなど許されることではない。必ず届けなければならない。
それをこの新入りは理解しているのかどうか。武器一つ持っているようには見えない新入りは、其れが可能なのかどうか。
良い世界だ、と少年は思う。この異世界がと言う意味ではなく、この郵便ギルドという世界が。己の仕事に、己の役割に、己が為すべきことに皆が誇りを持ち、胸を張り、故にこそ新しく入ってきたものを確りと見つめている。決して追い出したいわけじゃない。ただ、見極めようとしている。
もし何かあった場合には容赦はしてくれないだろう、そんなことは解っている。けれど、その容赦の無さに耐えてそれでも前を向き、誇りを持つのであれば皆は助力を惜しまないであろう、そんな世界。
一つだけ。一つだけを少年は心に定めて、受付嬢が戻ってくるのを座って待ち続けることにした。
* * *
「お待たせしました」
戻ってきた受付嬢が連れてきたのは、巨漢だった。
「って待って下さい。その人確か配達員じゃないですよね?」
「えぇ、そうですが、それが?」
「其れが、じゃなくて、監督員を連れてきていただける、と言う話だったと思うんですが」
言われ、巨漢と受付嬢は互いの顔を見合わせてから、あぁと頷き。
「御安心下さい、監督員に付くのは私ではありませんよ。監督員と知己である為、仲介を頼まれただけです。……それでは、此方へお越し下さい」
「あぁ、成程……解りました」
巨漢の言葉に漸く合点が至ったというように頷いた後、誘いに頷いて少年が立ち上がる。入れ替わるように受付嬢は窓口に座り、受付完了の書類だろうか、何か手元の紙に書き始めていた。
背をむけた巨漢に従う前に、少年はその受付嬢へと頭を下げ、
「色々ご迷惑をおかけしましたが、有難うございました」
「……。いぇ、貴方の旅が無事であり、貴方の携える想いが届きますよう、銀の女神の祝福を」
受付嬢からすれば不意の礼だったのだろう、頭を下げた少年の態度に少しばかり目を見開いて驚いた後、初めて……そう、少年からすれば始めてみる柔らかな笑顔で、ギルド内での見送りの言葉となる挨拶を口にする。それは、郵便ギルドの職員が配達員を配達員と認めた証ともなる挨拶。
受けた少年は顔を上げると一つ頷いて、巨漢の背を追った。
「……やはり、というべきか。貴方は不思議な方ですね」
「俺が、ですか?」
「えぇ。初めての仕事の出立でもあの見送り文句を告げられる方はそう多くは無いんです。緊張しすぎていて声を掛けることも躊躇われたりとか、態度の悪さゆえに通常の見送り文句で済まされたりと」
「……態度、と言う意味では間違いなく俺はあの見送り文句をいただけなかったんでしょうね」
「えぇ。事実、貴方が頭を下げなければ彼女はそのまま何も言わずに見送ったでしょう」
振り返らずに掛けられた言葉に応じる少年、その少年を振り返らぬまま、けれど何処か嬉しそうな声音で言葉を紡ぐ巨漢。ふむ、と少年は少しだけ考えるようにした後一度口を開き、けれど音を放つことなく口を閉じた。確認しようとした言葉は、恐らく口にするのは失礼だと思ったらしい。
そんな少年の動きに巨漢はやはり何処か嬉しそうな気配を隠さぬままに。二人は歩いて、一つのドアの前にたどり着く。
「此方に貴方の監督員となられる方が居られます」
「はい」
巨漢が一応、説明するかのように告げた後、ノックを一つ行ってからドアのノブに手を伸ばす。鍵のかからぬようになっている其れを軽く回し、扉を空けると其処には。
何か名状しがたきうねうねとしたものが慌てたようにソファーの上に集まっていこうとする最中だった。
無言でそのまま扉が閉じられる。きょとんとする少年と、ゆっくりと深呼吸を行う巨漢。
「此方に、貴方の監督員となられる方が居られます」
「ぇ!?リテイクなんですか!?」
「寧ろあの光景を見てリテイクすることに驚く貴方に驚きを覚えるんですが私は」
「あぁ、いえ、田舎者ですので都会ならそういうこともあるのかな、と」
「普通ありません」
巨漢にきっぱりと宣言されて、そーなんだー、と納得する少年。咳払いを一つ入れて、巨漢は再び扉をノックし、暫し待つ。ノックの後は周囲の作業音のみが響く、無音では無いけれど奇妙な静けさを感じる世界の後、
「どうぞ」
「失礼します」
聞こえた声は高くもなければ低くもなく、女性とも男性とも付かぬ声。その返答を受けてから、言葉を返しつつようやく巨漢は扉を開いた。部屋の中は二人がけであろうソファーが二つ机を挟んで向き合っており、その片方のソファーに一人の人物が腰掛けている。赤と金のバランスがよく桃色にも見えるストロベリーブロンドは緩いウェーブがかかって背に掛かり、目鼻立ちはすっと通っていて嫌味を感じさせない。綺麗な淡い緑色の瞳は何処か冷めたような色をもって巨漢と少年をその光の中に映し、何事か言葉を発する為に開かれた口からは少し延びた犬歯が覗く。
「どうぞ、お座り下さい」
「はい、失礼します」
「……失礼します」
言葉に従い巨漢と少年は部屋の中に入り、二人で桃金の髪の人物と向かい合う席に座る。少しの間を置いてから、監督員は驚いている少年へと視線を向けて声を掛けた。
「御話は彼から伺っております。ですが…どうかされましたか?僕の顔に何か問題でも?」
その監督員は己の顔の、否、己という存在の見た目の価値を正しく理解していた。相手が男性であれ女性であれ己の容姿を見て如何思うのかと言う事を理解していたのだ。故に、少年のその表情も監督員からすれば見慣れたものであり、水を向けることで少年が話しやすくなるようにしようと試みたのだろう。
それは。
「いぇ、不定形って便利だなぁ、と思いまして」
「監督員下ろさせてもらっていいですか?」
「待って下さい。あなたも行き成りそんなクリティカルな話題を振らないで下さい」
色んな意味で失敗したのであった。