表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界漫遊記  作者: 天瀬亮斗
銀と監督員と見習いと
5/24

第三・五話、あるいはそのときの少女と老人とあの人と

 ドレスではあるものの動きやすい衣服に着替えて玉座に腰掛ける少女は、己の手を何度も開いては握りなおしを繰り返していた。

 後から考えればどうにも疑問が残る。あの瞬間、確かに少女の動きは完璧だった。パーフェクトだった。これ以上無いくらいの最高だった。それだけの動きで拳を繰り出したのだ。


 だからといって、成人してないとは言え少年一人を殴って文字通りに飛ばすほどの筋力は少女には無い。魔力を用いれば不可能では無いがあの瞬間に其処までする余力は無かったし、其処までする意味も理由も無かった。

 いや、理由はあるといえばあったか。あの一瞬は確かに最高の、そして、最良の一撃を打てる瞬間だった。そう、最高だったのだ。あそこで魔力を乗せることが出来れば、身体に魔力を通すことが出来れば、其れはどれほどのものになったのだろうか。浮き上がってきた疑問を殺す術は少女には無く、また、殺そうという意志もない。もう一度。少女のなかの何かがそう告げる。そう、もう一度。もう一度。


「でん――」


 姿が見えた瞬間にはその足は床を蹴っていた。玉座からその入り口までは人が余裕をもって十人は並ぶことができる距離があるが、関係ない。魔力を込めた足と身体はどう考えても詰めるのに時間がかかるその距離を容易く零とし、一投足で己の間合いを確保する。

 踏み込む足は震脚に。床から足首へ。足首から膝へ。膝から腰へ。腰から肩へ。地を踏みしめた反動が各関節で捻転を加えられ、筋肉がその螺旋を加速させる。全ては一瞬にして発射台となる肩へと蓄えられて。


 後は、肩から肘へ、肘から手首へ、手首から拳へ。そして、拳を打ち据える相手へとその全てを叩き付けるだけ。


「かぶべらぁぁぁぁ!!?」


 少女自身ですら惚れ惚れするような動きで繰り出された拳は、少女の全身の力、全体重、さらには魔力まで込められて対象を打ち抜く。その一撃は堪えることを許さずに対象の足を浮かせ、水平に飛ばして壁に埋めこんだ。対象となったのは老人というべきか、中年というべきか迷うような外見の……

 ……ではなく、鎧を着た兵士の姿をしていた。殴ったのが顔だっためか少女は拳を痛めたりはしていないようだ。


「……何をなさっておられるのですか、殿下」

「あら、大臣は無事だったんだ、残念」


 嫌な予感がして兵士を先行させたその大臣は、予感が当ったことに頭を軽く抱えながらぼやくようにこぼし、想いを果たした少女は言葉ほどには残念さを感じ取れない口調でしれっと言ってのける。

 そして殴り飛ばされ壁に埋められた兵士へと二人の視線が向き、


「で、殿下の拳……ハァハァ」


 放置して少女は玉座に戻り、大臣はその前に傅く。近くにいた近衛兵達の誰一人としても埋まった兵を引っ張り出そうとはしなかった。

 全員の想いは一致している。触れたくない、その一言に尽きるのだ。


「それで、どうだったの?」

「少なくとも塔の下に、彼の死体や彼の死を想起させるようなものは見つかりませんでしたな。高さと城壁までの距離を考えると城の外、街の方に落ちたのやも知れませんが。どうだ?」

「はっ。街に落ちたにしては民に動揺は無く、話を聞いても特に変わったことは無い、とのことでした」


 少女の問いに大臣が答え、その大臣から水を向けられた近衛の一人が続きを述べる。話の内容は少女が塔の上から叩き落した少年についてであり、報告を纏めると落下の瞬間、つまりは少女が少年を殴った瞬間は目撃者多数だというのに、落下中に少年が消えたということになる。落下後であれば何かしらその跡が残っているはずなのだから。

 ふむ、と少女は考えるように顎に手を当て、ようとして気付いたように己の手にまた視線を落す。大臣と兵の報告と、己の手に残る違和感。手を開いて、握る。先程の感触と違和感の正体。開いて、握る。先程の一撃は確かにすばらしかった。けれどやはりあの一瞬には届かない。あの一瞬の全てを把握したかのような一撃には、届いて居ない。


「……大臣」

「はっ」

「殴らせなさい」

「近衛、殿下が的を御所望だ」

「直ぐに重装歩兵を手配いたします、少々お待ちを」

「王室侮辱罪ってモノを本当に知ってるの貴方達?」

「「勿論ですとも」」


 阿吽の呼吸で流された台詞に少女が半眼を向けるが、大臣も近衛もあっさりと頷いて其れが何か?と首を傾げてのける。少女は深く深く息を吸い、吐いて。


 とりあえずどうでもいいことだから流しておくことにした。


「……しかし、こうまで綺麗に跡も無く消えられると不安ですな」

「えぇ。過去からの召喚暦を調べてみましたが、勇者であることを拒んだ例はそれなりにあるもののここまで綺麗に姿を消した方は初めてです」


 大臣と近衛兵の言葉に少女は握っていた拳を開いて吐息を一つ零した。

 本当は解っている。違和感を思い出した時に、解っていた。兵士を殴り飛ばしたことで確信を持った。あの瞬間に魔力を利用することまで思いついていたとしても、この違和感は消えないであろうこと。

 あの瞬間には確かに最良の、そして最高の一撃だと思ったアレは、けれど、一撃足りえてないということ。


「生きておられればまだ…」

「生きてるわ」


 大臣の言葉を遮るように、少女が断言する。その言葉の勢いと強さに少女と話していた二人のみならずその場にいる全ての者の瞳が少女を向く。

 意識のある全ての者が。壁に埋まってトリップしていたりしない意志あるものの目が。


「生きてるわよ。あの瞬間に恐怖じゃなくて覚悟を面に浮かべれる人間が、それでありながらあの高さを一度目にしておきながら回避ではなく受けることを選んだ人間が、そう簡単に死ぬ筈がないもの」


 そう、死ぬ筈がない。あの瞬間に、拳を己に当てて自ら飛んだ少年が生き残る術を何一つ考えず、準備せずだったとは考え難い。

 彼は生きている。何らかの方法で落下の衝撃を誤魔化し、己の身を護って生きている。其れは間違いないであろうこと。


「……探されますかな?」

「今は要らない。魔王被害の続報が続くようであれば考えるわ」

「は……?」


 己の言葉によって浮かべられた男二人の不思議そうな顔に、少女はくすくすと笑う。間に合っている、と彼は言った。勇者という言葉に、間に合っている、と。その言葉の通りだとするのであれば彼は勇者として己が為すべき行動をある程度理解しているということでは無いだろうか。


 勇者が呼ばれる理由。それは、魔王退治に他ならない。


「面白くなりそうね、これから。従姉(ねえ)さんにも声をかけておこうかしら」


 王族の証たる銀色の髪を軽くかきあげた少女は、心底から楽しげな笑みを浮かべていた。


* * *


 幻影とは真実により近いほど良いとされる。真実が多分に含まれた虚実は見破られにくいからだ。

 虚実としたい一点のみを幻とし、それ以外のすべてが真実だけで構成された幻影は最良の幻影といえるのでは無いだろうか。

 最高の幻影となれば、すべての虚実が真実として認識されるものではあるのだろうけれど。


 つまり、己の姿を偽るにしてもある程度は己のままを維持する方が偽りやすくなるということだ。

 背の低いものが背の高い姿を幻として投射しても、背の高いもの特有の動きや気になる点、気にする視点などは真似できない。痩せた者が肥えた者の幻影を映し出したところで、肥えた者の持つ無意味な貫禄や動きの鈍重さを真似るのは容易いことではない。


 そして、裾を折った下衣を履いている銀色の髪を持つ少女は。

 物凄い勢いで室内を転がっていた。


 端へ転がり、戻って転がり、卓の足に頭をぶつけて痛がり、また転がる。

 再び壁にぶつかって漸く動きを止め、むくり、と身体を起こし……誰も上に乗っていない寝台を暫し眺め、それからぼむっと顔を紅くした後。


「うあぁぁぁぁぁぁぁ!? 時間よ戻ってぇぇぇぇぇ!」


 また転がりだした。バレていたとなると色々と恥ずかしいものがあるのである。がつがつと丼を食べたりはしないし、乱暴な言葉遣いを好んだりはしないのよ私は、と何度も何度も思いはするもののそんなことは思ったところで伝えたい相手に伝わるはずも無く、また、伝える術も今のところ無い。


「ち、違うの! 違うんだから! 私だけど私じゃなかったんだからね!」


 それでも言い訳は止まらない者である。誰も聞いて居ないと解っては居れど、それでも言わなければ精神が安定しない、つまり気が済まないのだから仕方がない。

 実際にやっている時は自己暗示の効果もあり何一つ恥ずかしいと思うことも無く、また、最後まで気付かれずに送り出すことが出来たのならこうまで転がることも無かっただろう。彼の記憶には外見どおりの言動をした人物が残るだけで何も問題は無いのだから。

 けれど、気付かれていたとなると話は異なる。今の己の外見で、あの言動。……あのゲンドウ。


「いっそ殺してぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 再び転がりだした少女だが、例えどう願ったところで其れはかなわない。この家には今は少女一人しか居ないのだから、そんな願いが叶うはずなどないのだ。

 だったら己の手で、とならないのは錯乱した人間特有の混乱思考の為せる業だろうか。


「大体! だいったい! 気付いてるなら最初に言いなさいよ! そしたらこんな恥かかなくても済んだのに!」


 彼に対して当り始めるのも仕方が無いことなのかもしれない。もっとも隠そうとしていることに気付いていたから気付かぬ振りをしていてくれた可能性もあるのだが、そんな事は考慮に入れない。というより入らない。

 混乱した人間とは理不尽なものなのである。


「誰か、誰か慈悲を頂戴、だれかぁぁぁぁぁ!」


 銀の髪の少女の嘆きは、衛兵が彼女を訪ねてくるまで延々と続いたという。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ