第三話、あるいは他界の地理
アルセウト王国。建国者はファウエル・ルーンベルグ。国名の由来は彼の人の発言録によると「何となく語呂がいい言葉を適当に言ってみたらほんとに国名になっちゃった」とのこと。
建国からの年数は意外に長く、百年以上前に始まり数十年前に終った戦乱を乗り越えて続いており今年で百五十年目になると言う。代々王家の女性が女王となって国を治めるのが慣わしであり、建国者も女性だったそうだ。尚代々の女王は「我侭娘」であり、放っておいてもいつか国を食い潰すと言われ始めて早百五十年、いまだに国は残っている。
このことから一部では歴代女王達の我侭娘という性質は世を騙す為の仮の姿で、実は代々賢王とも呼ぶべき人物が治め続けてきたのではないか、などと言う説が上がってくるのだが……そのどれもが次の一言で潰される。
「なら、その歴史も今代で御終いだな」
つまりそういう人物が代々の王であり、それでも代々続いている不思議な国なのだ。世界七不思議の一つに上げられている程で、恐らくは王が役に立たない分家臣達に思い切り負担がかかってきたのだろう。それでも王の打倒を考えず王家を存続させてきた彼等を褒めるべきか、貶すべきか、迷うところである。
アルセウト王国とはそんな風に王に恵まれない国と呼ばれているわけだが、引き換えに地理的には恵まれた国と言われている。カンティネントと呼ばれるこの大陸内で国の位置は東の海に面していて、中央から南拠りに存在し気候差が緩やかではあるが四季も存在する。総合的に見て比較的温暖で過ごしやすい国なのだ。
その気候に加えて国内には河が多く、河の水が海へと流れ込む付近には沃土が広がっている。結果として殆どの農作物を高品質で作ることが出来る為、そういった方面での強みを握っている国となる。
北にはレダウト連邦、南にはエクトケル帝国、西にはミルデン王国があり、戦乱終期は西のミルデン王国と同盟を結んで北から、南から攻めて来るのを防いでいたと言う。
そんなアルセウト王国の首都アルセウトは国の中でも最東、三方の国からもっとも遠い海に面した位置にある。戦乱の時にはこの首都が包囲されたことすらあったそうだが……今ではそんなことが信じられないほどのんびりと、そして豊かに成長中の我侭女王の御膝元とのこと。
「つまり俺は今この大陸の東端にいるわけですね」
「残念ながら東端はアルセウトじゃねぇ。レダウト連邦の方にもっと東に突き出た半島があって、その先端だな」
「くっ……世界の端を踏んだ男になり損ねたか……っ!」
寝台から降り、卓について話を利いていた少年が心底から悔しそうな表情をするのに、男性は慰めるようにぽむと肩を叩いた。そして首をゆっくりと横に振り、告げる。
「なりたくも無いものに対してそんなに真剣に悔しがる必要はないだろ?」
「其れもそうですね」
それだけの会話で二人の姿勢が戻る。ほぼ同時にコップを持ち上げ、中を満たす暖かい液体を啜り、吐息をゆっくりと吐いた。和んだ空気が暫し流れて後。
「で、これからどうするんだ、お前?」
「其れなんですけれど。あの服置いていくんで、この服貰えませんか?」
少年は外でまだ干されてる服を指差してから、己が今来ている服を示す。ふむ、と男性は手を顎にあてて考え込んだ。
少年が元々着ていた服はデザインはともかくとしても素材は悪いものではない、ということを彼は知っている。素材のみの値段で言えば、少年が今来ている服よりも大幅に高価なものとなるだろう。もっとも、あの服の布地の素材が一体どういうものなのかまで良く知っているわけでもないのだが。
なお、服の素材について少年に問うてみたら「あなたは自分が着ている服に使われてる繊維の数がわかりますか?」と返された。無関係だろ、と張ったおしておいた。
「別にかまいやしないけど、何でまた?」
「ん、元々閉じられた環境に住んでいましたので、この際だから見聞を広める為に世界を回ってみようかと思いまして。だったら目立つ服よりも目立たない、馴染める服のほうが問題は起こらないでしょう?」
なるほど、と男性は頷く。今少年が来ているのは男性が持っていたこの街で買った普通の服だ、確かに目立ちはしないだろう。身長差や体格差の問題については服自体がゆったりとしたものでかなりの差を吸収できるということが幸いした。
というか。この男性、下衣の裾を折っている。少年は折っていない。つまりはそれだけの差なのである。
「足の長さが身長差か……っ!」
「胴の長さが同じであれば、おのずとその結論に至ることでしょう」
「紅い靴を履くが良い!」
「異人さーん!助けて異人さーん!!」
暫しの間どたばたごろごろと室内で追いかけっこを繰り広げて、息切れし始めた男性がゆっくりと卓に戻る。其れを見届け、いぢめない? と確認を取ってから少年も卓に戻り、また二人して液体を啜り、吐息を一つ、しばらく和んでから。
音を立てて少年の頭を男性が叩き、叩かれた少年は硬い音を立てて卓に額をぶつけた。少し赤くなった額を撫ぜながら姿勢を正す。
「で、帰りたいとかおもわねぇのかよ? 魔法で飛ばされたってんならそっちの意見が出ると思ったんだが」
「や、さっきも言ったとおり閉鎖されてまして。不可抗力とは言え、一度出てしまった以上帰っても受け入れてくれるとは思い難いんですよね。だったら思い切り遊んでやれ、と」
国の話しをしている間に少年が飛ばされてきた元居た場所、というのも男性は聞いていた。今少年が言ったとおり、周囲が閉ざされ外との交流がないような場所で外のことを知らずに育ったのだという。そのおかげで少年が元着ていた服のように色々発展しているものもあるのだが、引き換えに外の世界についてはほぼ完全にといっていいほど無知なのだという。
役に立つ知識など精々が共通しているであろう常識程度じゃないだろうか、と少年はこぼしていた。
「お前のもと居た場所じゃ命の恩人をからかうのは常識なのか?」
「それはそれ、これはこれです」
「さよか」
床を見ていた少年に思い出したように声をかけると、少年は顔を戻してしれっと言ってのけた。もう一発殴ってやろうかと考えるもののとりあえず今回はスルーしておくことにする。何度も殴るのは殴る方だって面倒なのだ。面倒なのである。
「まぁ、そういう話ならその服はやれねぇな。脱げ」
「……そんなっ!? そっちの方の趣味がある人に救われたなんて、もはやどうにもならないじゃないですか!?」
「よし、マジで襲われるか理由を聞いてはったおされるかどっちか好きな方を選ばせてやる」
「理由の方で」
即答だった。
「世界を見て回る、ってんなら旅をするんだろ?だったらんな普通の服なんて着せてられるか。旅装束を出してやるからそっちに着替えてけってんだ」
「……えぇと、良いんですか?」
「悪けりゃいわねぇよ、阿呆」
余り長く話しているわけでは無いが、男性は何となくこの少年がどこかで気が引けているのを感じていた。こちらをからかうようなネタ振りや馬鹿げた様なことを言いながらも、その実一歩を踏み込まない。素材の価値が全く違う服での取引を提案したのも、差額については迷惑料とでも言うつもりだったのだろうと読んでいた。だからこそ、その言葉は驚きと、すまなそうな気配を強く含んでいたのだろうから。
だが、男性としては善意で行ったことである。迷惑料など置いていかれても困るだけ、というより己の善意に値段をつけられた気がして気に入らないのだ。
「……御言葉に甘えます」
「ガキが遠慮すんなっての」
心からの言葉と思えるその声に、男性は笑った。
* * *
旅装束を纏め、着替えさせることには其処まで時間はかからない。着替えてしまえば、少年は長居するわけには行かないからと男性に出立を告げる。
其れを引き止めることの無意味さが解る程度には、男性は少年を知り始めていた。
故に、二人は今男性の家の前にいる。少しばかり町外れにあるのか周囲に似たような家は無く、日はまだ高いが余り人の姿は見受けられない。
「それでは、御世話になりました」
「気にすんな。あぁ、旅するんならとりあえずは街の広場にあるギルドに行って来い」
「はい。色々有難うございます」
深く頭を下げる少年に、柄じゃねぇだろ、と男性は笑う。其れもそうかとあっさり頭を上げてしまう少年にそれで良いのかと言い掛けたのは流石に飲み込んだ。
「じゃぁな、もう二度と川に流れてくんなよ」
ひらり、片手をふって家に入ろうとする男性に。
「気を付ける事にはします、貴方もお元気で。後、一人暮らしの家に見知らぬ男を上げるのは危険ですよ」
かけられた言葉に驚いた顔で振り返る男性に背を向け、少年は街の中心の方へと歩みだす。
その背を見る男性は数度口を開き、閉じてから溜息を一つ。何事も無かったかのように少年の背に背を向け家のなかに消えてゆく。
二人が分かれ、姿が消えるその瞬間。風に吹かれた銀の色が日の光を受けて煌いたが、少年は其れを見ることなくもう一人は気に止めることもなかった。