第二話、あるいは魔王の証明は悪魔の証明
少女の宣言に世界が音を失くす。その声を邪魔しないように、その言葉を遮らぬように。世界という全にして一個の存在に対し、少女は確かに上位者としての存在の格を見せつけていた。
だが、しかし。
それは、あくまでも世界の存在に対してのみでしかない。
「ダウト」
「はい?」
少年がさらっと返した言葉に、胸を張っていた少女は訳が解らないと言うように首を傾げた。
「いや、いきなり私が魔王ですなんて言われても信じれないっていうか。その、自称魔王って恥ずかしくない?」
「聞いてきたのは貴方でしょうが」
「其処は謎めいた感じにふふっとか笑って『どうしてそう思ったのか、私に教えてくれる?』とか返すべきところじゃないかと」
「訳が解らないわよ。と言うか魔王なんだから魔王なのかって問われたら魔王ですって返すに決まってるじゃない」
少年からの無茶振りに眉を寄せながらも言葉を返す少女。実際魔王であるという事を自負し、それに誇りと責任を持っているからこそ己の立場を騙る事はしたくないというのが少女の本音である。
配達員が、己が配達員であるという事に誇りを持つからこそその職を名乗るのと同じように。
だがしかし、少年は解ってないな、とでもいうように肩を竦めて見せた。
「大体、魔王ってのは最後の城で悠々自適に勇者を待ってるものじゃないの? なんでこんな森の中で迷ってるのさ」
「勇者が旅立ったっていうなら城に飛んで帰るわよ。と言うか、取り敢えず勇者だから魔王討っとけー、とかいう適当な勇者でもない限り、悪行してない魔王を討つことは無いと思うんだけど。だから、城で悠々自適なんてやってたら勇者の敵になれないじゃない」
「とりあえず討っとけー勇者が現れた。どうする?」
「ぶちのめす」
何を当たり前のことを、とでも言うように答えてから少女ははっと目を見開く。見事に少年に乗せられている自分に気づいたのだ。このままでは不味いと軌道修正を粉うために口を開こうとして。
「大体自称魔王が通じるなら俺だって勇者名乗れるよ!」
「いや、それは無い」
「即答で駄目だし頂きました! っていうか速すぎやしませんか」
「勇者は規格外の魔力を身に宿しているモノよ。でもなければ、人間が魔王に敵う訳がないじゃない」
「魔力による身体強化で魔王と五分と申したか」
「追加で仲間の支援を受けて五分ね。世界最強の生命体舐めないで」
次から次へと少年が投げてくる言葉につい律儀に返してしまい、なかなか話の流れを己の思う方向に戻せない少女である。付き合いが良いというのは少年にとって都合がよく、少女にとって都合が悪い特性として発揮されていた。
「ちなみに理想の勇者とは」
「そりゃ魔王を討った後にちゃんと魔族も認めてくれる――って、魔王に何てこと聞くのよ貴方は」
「理想の男性とは」
「だから魔王に何を聞いてるのよ貴方は」
「理想の魔王とは」
「魔王の役を果たす存在の事以外ないじゃない」
「あれ、最後は普通に答えるんだ?」
「だって私魔王だし」
ぐだぐだである。配達員の腕輪に触れ、本当に配達員だと知ってからは少年を警戒しつつも心底からの懐疑を抱いてないらしい少女は少年の言葉についつい応じてしまうし、応じられると気づいて少年は次から次に言葉を投げている。
その少年の様子は何処か楽しそうで、それ故に少女もつい応じてしまうというものがあるのだろう。
つまり。一人旅してた少年は何気に寂しかったようであり、魔王を自称する少女は意外とお人好しであるということでなる。
「まぁ、そんなわけで自称なんてどうとでもできるよなぁ、という訳だ」
「何処からの話の流れにそんなわけが含まれていたのか全く見当もつかないんだけど。けどまぁ、自称ならどうとでもなるっていうのは事実だし否定はしないわ」
「という訳で、魔王を名乗るなら証明して見せてほしいんだけど」
「何を見せれば証明になるというのよ」
少年の言葉に少女は肩を竦めて見せる。頭に映えている三角の耳は困ったように揺れており、口調の割に困惑している内心を表していた。
そもそも、少女の目には少年が本気で自分を魔王じゃないと疑っているようには見えない。魔王かどうかと問うてきたのは少年の方であり、その問い自体ももしかしたらと言う形ではなく確認に近かったと少女は認識している。
つまりは、このやり取り自体に意味はなく、少年はただこうして言葉を交わす事を楽しんでいるだけなのだろう。
「そりゃ当然魔王らしくすっごい魔法を一つ」
「……って、貴方ひょっとして。魔力がないから魔法を見たかったとかそういうオチ?」
「てへっ」
「てへっ、じゃないわよ。だったら初めからそう言いなさいな、魔王とは思えないとか貴方殺されても文句は言えないわよ?」
「大丈夫、相手は選んでる」
「私は大丈夫だって思ったってこと? あのね、確かに貴方の言ってることに道理が通っているから黙っているけれど、私自身は魔王であることに誇りと自負を抱いているの。理がなければどう行動したかわからないわよ?」
呆れた用に苦言を呈する少女に、少年は困ったように頬を掻く。少女が己の存在に、魔王と言う名に誇りや責任を持っているというのは少し話せばすぐに解るものであり、当然少年だって気付いていた。
だが。
「たとえ理が無かったとしても、君は殺したりはしないんじゃないかなって」
「何よ、それ」
「だって、俺が生きてるから」
「……、……」
少年の解答に少女は一瞬言葉を失った。
「さっきも言ったとおり、貴方の言葉に正当性があったから、よ」
「その前段階の時点のお話なんだけどね。まぁ、納得してもらえたようだから。そういう訳でなんかすごい魔法見せて!」
「すごい魔法って言われても困るんだけど。こんな森の中で強力な魔法使ったら周囲への被害が尋常で済まないじゃない」
「でも、平野に出ても結果は変わらないんじゃないか?」
「まぁね。そんな平野で強力な魔法なんて使ったら目を付けられるし、いろいろいうるさいし。荒野にするわけにもいかない……って貴方、解ってるんじゃない」
「うん、でもわかってても魔法を見てみたいってのはやっぱりあるわけなのですよ」
「……ってか。魔力がないにしても周囲に魔力持ちがいたでしょうに」
「魔王が使う魔法と言うのが大事」
「そういうものなの? ……って貴方魔王って認めてない?」
「しまったーぁー」
語るに落ちた少年だったが、その少年の様子に少女は呆れたように溜息を吐く。
仕方がないな、とばかりに三角の耳を揺らして少女は腰に手を当てた。そもそもが少年自身ずっと認めていたという事は初めからわかっている事であり、魔王についてどうこう言ってたのもただノリと勢いだという事は解っている。
だがまぁ、解っていても。仕返しの一つや二つくらい仕込んでもいいだろう、と少女は思った。
「まぁ、良いわ。見たいというなら見せてあげる。出来るだけ派手な魔法が良いのよね?」
「うん、折角だから派手な魔法。それでいて周囲にあんまり被害出ないようなの」
「派手で周囲に被害が出ないってのも凄く矛盾した条件だと思うんだけど」
呆れたように肩を竦めて突っ込みの台詞を吐いた後、にぃ、とした笑みを向ける少女。
その笑みに思わず身をすくめる少年へ、少しばかり期限良さそうに彼女は続きを口にした。
「あるわよ、とっておきの魔法が」
「おぉ、どんなの?」
「契約の魔法。対象との間に契約と言う名の絆を形成する魔法なだけにかなり派手な事になるんだけれど、それだけだから周囲への被害はないわ」
「因みに契約ってどんなもの?」
「それは内緒」
「一番大事な事だと思う訳だけど」
口に指を当てて返した少女に少年が珍しくまともなツッコミを入れたが、少女は特に気にした様子も無かった。
「まぁ、不安なら何もしなければ何も起きないわよ。派手な事にもなりはしないけれど」
「其れってつまり派手な魔法って言うのを見たければ俺も何かしなきゃいけないって事ですか」
「貴方が見たいって言ったのだから、多少の協力も已む無しじゃない?」
「仰る通り。でも一個だけ確認させてもらうけど罠魔法だったりしないよなそれ? 契約するとかいって隷従させたりとかは無いよな?」
「さて? 私の自称は何だったかしら?」
「……成程、愚問だったよ魔王様」
含みがあるかのように笑う少女に、今度は少年は肩を竦める。目で問うて来る少女へと、少年は頷き一つ返して承諾の旨を示した。
何処か愉しそうな表情を浮かべたまま、少女は右手を少年の方へと差し伸べて目を閉じた。少女の頭上で紅い三角の耳が揺れる。
「…手を握れと?」
「良いというまで動かなくていいわ。それじゃ、始めるわね」
とぼけた様な少年の言葉を呆れたような少女の声が否定して、その直後。
少女の内から吹き出すように生み出されるのは紅。世界を覆うように少年と少女とその周囲をその色で染め上げる。まるで異界にとらわれてしまったかのような感覚、世界全てが紅に染まったかのような景色。その中で。
少年は只、その力を放った少女を見ていた。
「……驚かすことには成功したみたいね、いい気味」
「……いい趣味で」
クス、と笑う少女に少年は肯定も否定も行わず、只溜息と共に一言だけを零す。それから周りをぐると見回し、自分達の置かれた状況に感嘆の声を上げる。
「これ、君が?」
「えぇ。魔王の魔力の色、知らない? 有名な事だと思うのだけど」
「魔力無しに魔力の話などいじめだと思いませんか!」
「自分の身を護る為と割り切って聞いておきなさいよ」
逆切れじみた勢いで叫ぶ少年に呆れたように少女は返し、閉じたままの瞳を開く。紅く染まった世界の中、尚紅い光が少女と少年を取り囲むように円を描き上げ、その内に幾何学の陣を形成していく。
魔術的には意味があるのだろう、けれど理解できないそれを軽く見まわして少年は軽く頭を掻いた。
「確かに、聞いておくべきだったと今更反省しているよ」
「後悔じゃないのは褒めてあげる。“告げる。我と彼の者に連なりを。変わるの事ない繋がりを。その意が途絶えるまで、契り約す絆を此処に”」
少年の言葉に好意的な口ぶりでもっての評価の後、その声は紅の色にしみこむ様に、響き渡る様に。それこそ、世界へと宣告する様に一言一音が呪として意味を成し、くみ上げられた文章が改変の形を組んでゆく。
それが、魔法。魔なる法。世界を改変する、有り得ざる法則の形。
その光景に呑まれるように。詠唱に押されるように、少年が片手を持ち上げ、差し伸べられた手の前に出す。触れ合わぬ距離。だが、それが発動のカギとなったかの様に少年と少女を取り囲む紅光の円陣が輝きを増す。
「“繋げ、この手を”」
其処に合った幾何学模様が紐解かれ、少年と少女へと均等に呑まれていく。円陣を構築していたそれらすべてが二人の間で分かち合われ、二人の手を結ぶ鎖の様に伸びた時、続く様に世界を染める紅の色が二人の間で分かち合われていく。
差異なく均等に、それが契約の形であるとでもいうかのように。瞳を閉じた少女と、瞳を開いて己を取り囲む状況を眺める少年と。その両者をつなぐように。紅の鎖を介し分かち合われてゆく。
それと同時、少年は何かしら充たされるような感覚を感じていた。本来なら有り得ぬもの。空であるべきもの。充ちるべきでは無き場所。けれど、それが何かしらで埋められていく感覚。悪意や害意がなく、同時にそこに危険を感じぬ自身の勘を信じ、少年はそれを受け入れる。
そして紅の世界がすべて消え失せ。
じゃらり、と。音でも立てるかのように、少年と少女の間にかかっていた幾何学模様の鎖が少年の方に引き寄せられた。
「……は?」
「……ん?」
ここに至って目を開いた少女は、驚愕の表情で引きずりあげられる光の鎖を見る。何が起きているのだろう。そんな風に首をかしげる少年と、その鎖を見比べるように視線を往ったり来たりして、間。
「き、“術式中断”――嘘、発動完了!? なによそれ!?」
「ぇ、何!? なんかやばい事になったの!?」
「やばいっていうか……あぁ、もう、貴方本当何者なのよ!?」
叫びながら、少女が己から幾何模様の鎖を引かれるのを拒むように手を振るおうとするが、それは紅の光と変わり少女の腕にまとわりつき、瞬時に這い上がって少女の胸部中央に文様を浮かび上がらせる。
同時、少年の方に繋がっていた鎖も光となって解かれ、その手の甲に文様を浮かび上がらせて。
それらの光は同時に消えた。
「……ぁー、えっと?」
「御免、ちょっとまって。説明ね、解ってる。解ってるけど整理させて」
魔法についてよく解っていない少年が、一体何が起きたのか、という目を少女の方へと向けるが。
魔王を自称する少女は、なんだか物凄く打ちひしがれたように落ち込む様子を見せていた。