第一話、あるいはそれは運命の出会いである筈がない
少年が配達員という職を手にしてからそれなりの月日が既に経過していた。
配達員と言う明確な職を得た少年は、そのまま西方向には向かわず王都を出て南下する街道を歩む事を選択した。その選択に深い意味があったわけではなく、あえて言うならば西には監督員とともにある程度まで進んだので違う方に行きたかっただけ、と言う程度である。
そして少年が向かう先、アルセウト王国の南にはエクトケル帝国が広がっている。下草を踏む足を進めながら少年は其処について得た情報の整理を始めた。
エクトケル帝国。代々神聖皇帝を名乗る皇帝陛下が治める国であり、民の結束力は高いとされている。そして、この国は魔族と言う種族を認めないのが基本だという。
ギルド……郵便ギルドはその業務内容と神の加護を得ている証明の腕輪と言う存在から組織としての力が強く、故にギルドに所属している魔族はその庇護を受ける為に帝国でも一応人として扱われている。だが、ギルドに属さぬ魔族であれば人としては扱われないという。
魔族とは「魔なる者」。神聖皇帝が治める神聖なる帝国においてその存在を許してはならない、と言う事だそうな。
また、ギルドに所属する魔族でもあくまでも『一応』人として扱われるだけ。宿などでは泊まろうとすると断られる場合が多いし、大抵の店でも購入を拒まれる。そして、その傾向は帝国民ほぼ全てが持って居る為に配達員と接触するギルド職員は皆他国から雇用されたものだという。
自分たちとは異なるものへ敵意を向ける事で解りやすく意識を統一する手法。どこでも見られると言えばみられることだが、やはり色々と便利なようだ。
気候としては温暖なアルセウトとは異なり、熱帯的。森や河が多いが帝国南方には砂漠が広がっているとのこと。死の砂漠と呼ばれる其処を超えた者は居ない……と、いう訳ではないらしいのだが。
砂漠のさらに南方に何があるかと言われると何もないという事らしく、そこからさらに南については気にするものはもはや誰も居ないようである。
そんな南方へと下がって行けば、国境付近は見事に森に覆われていたために森の中を南下中の少年である。監督員とまわっていた時とそう変わらない旅装ではあるが、熱帯と事前に聞いていたためか腰には枝切りの鉈を付け服装もかなり涼しげなものへと変えられていた。
背負い鞄はいまだに少年の背にある。正式に配達員として腕輪の機能を開放された以上もはや背負い鞄など不要なはずなのだが、それでも一度買った以上は何となく使わないと気が済まない少年は未だに背負い鞄を手放すことなく持っていた。
草を踏む音を鳴らしながら、少年は周りを確認する。腕輪にはアルセウト国内の町からエクトケルへ届ける為の配達物が納められておりこの森の中を進む理由はしっかりと存在しているのだが、しかし其れは森の中で踏み固められていない道を歩く理由にはならない。
当然、森の中とは言え街道として使われている道は踏み固められ、歩みやすくなっている。少年の様に歩みづらい自然の森の中を踏破する理由など無いのである。本来であれば。
監督員が聞けば「また君は訳のわからない事を」と零し、巨漢が聞けば困ったように笑うであろうことを彼は造作もなく為していた。
と、不意にその足が止まり少年が顔を巡らせる。耳をそばだてるような様子を見せた後、迷いなく歩んでいた足の向きを変え、強く地を蹴った。草の音を一度鳴らしその姿が駆けてゆく。森の中、木々がのばす枝や手入れされていない草など些細な障害物が無数にある自然の中、その自然に溶け込むように影は瞬く間に緑の中に呑まれ。
そして、少し開けた場所にたどり着いた少年の目前には紅い背中が存在した。
紅である。腰までを覆う髪も、その腰から延びる尻尾も紅。どこか困ったように垂れる尻尾は毛並みもふさふさで、触れればフカフカであるだろうということを予測させた。
頭に立つ三角、狼の耳も紅。纏っている服も赤基調とどこまでも紅い。とても紅いと言わざるを得ない。
「もう、遅いってもんじゃないっていうか。おかげでこんなところで迷う羽目になったし。どっちに行けば抜けれるのよこの森は。あぁもう、いっそ帰ってやろうかしら」
聞こえる声まであか、くはない。耳に届くのはむしろ心地の良い少女の声。ソプラノか、メゾソプラノか、その声質は強くあるが威圧感はない。万人が聞いて耳障りなく安心する声だ、と答えるだろう。
その声が零しているのが愚痴であるという事が若干残念ではあるが、しかし、声からするに少女だろうその紅は聞かれているなど考えもしていないかのように愚痴を続けている。
「別にもう帰ってもいいわよね。いや、駄目なんだけど。見に行かなきゃいけないんだけど。 でも迷うくらいなら帰ったほうが時間は有意義に……」
「ぇーと、迷子なの?」
「っ……!?」
少年が掛けた声に反応し紅が流れる。長い髪がその見事な髪質を示すよう柔らかく、静から動への急激な動作に頭の方から順に引っ張られるように動き、其処から少女の白い肌が……
覗く前に駆けた銀閃が虚空を薙いだ。
「……居ない?」
「いや、居る、居るからっ! いきなり抜剣って危ないな!」
確かに聞こえた位置より少し下を狙っての剣を振るったはずなのだが、虚空を薙いだことに眉を寄せた少女は下から聞こえた声に目を落とす。
しゃがみこんだ黒髪の少年が其処にいた。
「……」
「ってぇ、なんで無言で剣を突きつけてくるかな!? ちょ、怪しいものじゃないから俺っ!」
そのまますっと剣先を動かす少女。目の前に突き出された刃に両手を小さく上げて抗議をする少年だが、少女の目は細く警戒の色を宿したまま変わることは無い。
「普通、こんな森の中で気配もなく後ろに立たれたりしたら怪しいも何もないと思うのだけど」
「かといってガサガサ気配発しながら歩いてたらそれはそれで剣を向けられてた気がする訳だけど」
「そんな訳ないでしょ。私これでも耳は良いの、音で判断……」
言葉が途切れ、間が空いた。何かに気づきさらに目を細める少女と、失敗したとでも言いたげな少年の顔。
「……貴方、何者?」
「見ての通り、配達員。ほら、証明の腕輪、腕輪」
「……。腕輪がないと解らないわよ、それ」
見せられた緑の腕輪に、少女は剣を突きつけたままに片手を伸ばし触れてから、突きつけていた剣を外し腰に履いた鞘に収めた。
そのことにホッとしながら少年が見上げれば、旅装としても軽装な服装が主張する山の向こうにその顔を見ることが出来る。
未だ警戒を解かぬよう細められた瞳は強い意志を示すように紅に輝いていて、その纏う空気から可愛いではなく綺麗と称したくなる少女。普通の状況であれば見惚れても仕方のない事だと言えるだろう。
現在剣を突きつけられた後であれば、普通と言えず見惚れるという事もないわけだが。
「で、その配達員がどうしてこんなところにいるのよ。ここ、街道から外れてるわよ?」
「迷子の女の子がいると聞いて」
向けられるじと目に少年は笑顔で応じた。
「……」
「ぇ、なんでそこで無言!? 一応マジで迷ってる子がいるって思ったから来たんだけど」
「えぇ、貴方が嘘をついてないってことは解ってる」
驚くと言うよりは考え込むような様子を見せた少女に少年が焦るが、そんな少年をなだめるように少女はひらひらと片手を振った。自分が迷っていると自覚のある少女は少年の言葉を否定しない。否定しないが、それとは別に気になる事がある。
耳を揺らして音を探る。朝起きた時と変わらぬ自然の音が世界を満たしノイズはすぐ近くからしか聞こえない。瞳を閉じてしばしの間少女は思考し、そして少年を見上げた。
黒髪、黒目、平凡な顔立ち。覚えやすいということは無く、覚えにくいという事もない。と言うよりも見事に特徴がない顔立ちは覚えておくのが困難な気さえするほどに。
そのまま何かを探るように少年を見続け、首を傾げて困った表情を浮かべるのまでを見届けてから溜息を零した。
「ぇーと、人の顔をじっと見た挙句に溜息つくっていくら何でも酷かねーですか」
「あぁ、御免なさい。別に貴方の顔に何か思うところがあったってわけじゃないわ、と言うか思う所なんて何も抱けないような顔だし」
「其れ最悪だよな、だから」
「だって思う所なんて抱けないような顔だし」
「何故二回言った!?」
ショックを受けるような様子を見せる少年に少女は只肩を竦めた。もしかしたらと思ったのだが、少年からは魔力を全く感じない。
勇者であれば、魔力を持たないということはありえないはずである。
「ってか、そもそも召喚されてたのならすでに公表されてるはずよね」
「ん? 何の話?」
「勇者の話。ねぇ貴方、勇者が召喚されたとか勇者が魔王討伐に向かったとか、そんな噂聴いたりしてない?」
「残念ながら。新しい魔王が現れたとか、魔王がどっかで暴れたって話なら聞いたことあるけど」
「あ、そ。 っていうか暴れてるの、魔王?」
少年に問うたところで帰ってきた答えは望むものではなく。興味を惹かれる事もなかったはずだが、しかし魔王が暴れているという噂は流石に気になった少女である。
だって、魔王はここ最近暴れてない。流石にずっと此処で迷っていた、などと言う事があるわけではないが少女は理由なく暴れたり他者を害したりする性格ではない。さっきのは普通に驚いただけだし、虚空を凪裂いた刃も相手の姿を認めた瞬間に寸止めができる自信があったのだ。
「どこそこで魔王の手によってー、とか言う話は結構聞いたかな」
「……へぇ」
「っても、多分でたらめだと思うけどな、その魔王情報」
「如何して?」
「実際に魔王がやったとされる所業と比較すると状況や理由が全然違うから、かな」
基本的に一人の存在が何かをやらかすとした場合、その発生理由と条件、状況は似通うものである。まったく似ていないように見えても、起きたことを分析すれば結局似た要素が見つかるものなのだ。
だが、ここ最近の魔王が暴れたとされる噂からはそういった近似要素が見当たらない、見当っても同じ存在の仕業だとするには要素が少なすぎるのだ、と言う。
「だから、魔王の名を騙ってるか勝手に『魔王様に助力するんだ』やってるやつらの暴走じゃないか?」
「……そんなことされても嬉しくもなんともないんだけどね」
少年の推測に少女は頭を抱えるようにして溜息を吐いた。新しい魔王などと言われているが、少女が魔王となったのはそれなりに昔の話である。
人の国では最近になって魔王が現れたということになっているが、魔王は常にいたのだ。魔族の王として、魔族達の上に君臨していたのだ。ただその魔王が魔王として動き出すには条件があり、その条件が満たされたのが最近であるというだけの事。
そして、その新しい魔王である少女は別に人族の国がどうなろうと知った事ではないというのが本音だった。魔王は魔族の王である。魔族が問題なく暮らせているのであれば他の国がどうなろうと大して気にも留めない。
まぁ、勇者に討たれるべき魔王としての義務は最小限果たすつもりはあるのだけれど。むしろ、そのつもりがあるからこそこうして帝国に向かう道の途中で迷う羽目になっているわけなのだけれど。
「嬉しくないの?」
「嬉しくないわよ。大体助力するって勝手に暴れられても困る。それで魔族への風当たりが強くなったら本末転倒じゃない」
「いや、『まおうがあらわれた』の時点で魔族への風当たりが強くなるのは避けられないと思うんだけど」
「魔王に与する人族も居れば、人族に与して魔王と戦う魔族だっているわ。それでバランスは取れる筈」
少女の言葉に成程、と頷く少年。実際の人の心はそこまで簡単に割り切れるものではないだろうが、それでもそうしてみせる誰かがいる事で種族自体への印象は大きく変わるものだ。
森を見て木を見ないものは多いのなら、木自体が見やすいように目立ってやればいい。一本でも見ることが出来たのなら、次の一本だって期待できるかもしれないのだから。
「……で、案内は必要なの?」
「迷ってたから、森を抜けるように案内してもらえると助かる」
ようやく目的を思い出したかのような少年の問いかけに少女が頷く。解った、と理解を示してから、少年は首を傾げて問うた。
「じゃぁ、案内する前に一個だけ確認。君が魔王だね?」
少年の問いかけは別に急でもなんでもない。話を合わせて流していただけで、先ほどから少女はそうとしか思えない言葉を放っている。
そして、少女自身も己の口にしている言葉の自覚がある。だからこそ、彼女は迷うことなく胸を張って答えた。
「えぇ。私が近代の魔王、すなわち世界最強の生命体。魔王アリスの名を持つ魔族よ」
こういう事を言うのは苦手で避けていたのですが、流石に辛くなってきたので。
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以上です。なんだか申し訳ありません…。