第十六話、あるいは待てど街道丘超えず
門を出て少し進んだところで、四足歩行のトカゲが幌車を引きながらのんびりと近づいてくるのに少年が気付いた。横を浮遊していた監督員を肘で突き、その竜車の接近を伝えて街道の端に寄る事にする。
「あれが竜車、ですか」
「うん、あれが竜車だよ。大きいだろう?」
「すごく、大きいです」
「いや、そこまで大きくは無いだろう」
自分で言った言葉を一瞬で翻した監督員であった。
実際、幌車を引けるほど……体高が成人男性の胸くらい……のサイズのトカゲであり、大きいと称するのに十分ではあるのだがすごく大きいのか、と言われると首を傾げるところがある。すごく大きいと称するならば人を超えるほどのサイズは欲しい、と監督員は思った。
「そんなすごく大きいトカゲなんて現れたら竜の襲撃だって上へ下への大騒ぎになってるよ」
「……すごく大きい、の基準の違いに今気づきました」
「君からすればあのサイズでも十分すごく大きいと称せた、と?」
「俺の知ってるトカゲって踏みつぶせるサイズだったものでして」
肩を竦める少年に成程、と監督員は頷く。確かに基本サイズを人の足よりも小さいと見積もると、竜車を引くトカゲサイズでもすごく大きいと言いたくなるだろう。監督員からすれば少し大きなトカゲ程度の認識なのだが。
「王都の方から来たんですかね?」
「恐らくはね。あの町からこっち側で竜車を使う必要がある場所となると、王都くらいだよ。ルアルに何か買い付けに行った可能性もなくは無いけど、あの村のものは王都でも手に入るしね」
「成程」
すれ違う際、御者台に座る男と会釈を交わす。それなりに力のある商人の物なのだろうか、立派な幌車を眺めながらその横を通り抜け、街道の真ん中あたりに二人は戻った。
「綺麗な竜車でしたね」
「そうだね、比較的新しいみたいだ。商用にしては少し小さい気もするけど」
「でも、お高いんでしょう?」
「安くは無いよ。安いならギルドでも使われているだろうさ」
「ですよねー」
はふ、と溜息を吐くのはやはり少年も歩くよりは乗る方が楽だと思うためだろうか。振り返れば竜車はもう門を潜っており、少なくとも普通に歩くよりは速く移動できそうである。
「仕事を続けて稼いでいれば、何時か竜車とか買えるようになるんですかねぇ?」
「なるんじゃないか? 何年かかるかとかまでは解らないけれど、配達員から初めて自分の店を持ったって商人もいるらしいし」
「何事も継続は力なり、っていう事ですか」
「そういう事なんだろうね」
「世知辛い世の中です」
「其処でそんなセリフが出る程度に楽して得を得ようという発想が間違えてるだろう」
肩を落とす少年へとじと目を向ける監督員に、ですよねー、と笑う少年。言葉もないとばかりに呆れる様子を目に入れないようにとでもいうのか、ぐるりと周囲を見渡して少年は首を傾げる。
人が通ることを考えられ、実際に人が通る街道部はしっかりと草が取り除かれ、地面も踏み固められていて歩きやすくなっている。先ほど竜車が通ったこともあり車輪の後も見て取れるほどだ。しかし、その街道を外れれば其処は膝ほどまでの草が生えた草原となっており、歩く事も楽ではなさそうである。
「思ったより街道はしっかり作られてるんですね。周りの草がそれなりに背が高いから何か飛び出してこないか少しばかり怖くはありますが」
「とりあえず話題転換するには今更すぎないかなと思う話題だけど乗っておいてあげようか。流石に街道脇の草まで処理していると、時間もお金も手間もどうしようもなくなるからね」
「ご厚意に感謝しつつ。竜車だとやっぱり街道以外を通るのは大変そうです」
「トカゲ自体はどんな悪路でも平気だろうけれど、後ろの車がね。歩くよりは楽なのは確かだけど乗り慣れてないと揺れが酷くて体調を悪くする人も多いよ」
「揺れの抑制を魔法ですればいいんじゃないでしょうか。車を浮かせてみるとか」
「それを丸一日以上続けられる魔力があれば大魔導士って呼ばれるんじゃないかな」
肩を竦める監督員にふむ、と頷く少年。その眼はまず監督員の足元を確認し、周りを眺め、もう一度確認し、それから監督員の顔に向かった。
「つまり自分は大魔導士であるという事を主張したいわけですね」
「種族特性と魔法行使は別物だろう。言っておくが僕もちゃんとした性別を得て肉体が固定化したらこんな風に浮遊してられないんだよ?」
「あれ、夢魔なら浮遊の特性がつくってわけじゃないんですか?」
「やっぱり解ってて言ったのか、君は。残念ながら僕のこれは形無きものであるが故の特性、形を持ってしまったら浮遊能力は消失するんだ」
「……歩けるんですか?」
「そういった生活するうえで必要な知識や能力なんかは形を持った時に身に付いているんだ」
「便利ですね、種族特性」
「そういうものと思って気にしたことがなかったけれど、言われてみると便利だね。まぁ、こうして浮遊しながらでも意識して歩く真似をしているからかもしれないけど」
ふむ、と少年は考えてみる。確かに浮遊しているから意味は無い筈なのだが、監督員は少年の隣で一応歩いて見えるように足を動かしてはいた。其処に体重は実際掛かってはいないようだが、それでも足の動きとして歩く為の動作は身に付いている気がする。
「ま、本来形がないから足の動きって言ってもこれ足ってわけじゃないんだけれどね」
「数秒前の俺の感心を返してください」
実にいつも通りな監督員と見事に玩具にされる少年である。
特に問題も起きなかった王都への帰還の道、一日目。本日は何事もなくテントで休むことができた少年であった。
* * *
二日目。風もなく見事な日差しが世界を照らす中で手早くテントを片付け朝食を食べた後に浮遊する監督員と歩き出した少年だが、ふと少年が眉を寄せて前を見る。その様子に気づいた監督員は首を傾げた。
「どうかしたのかい? ゆを寄せて」
「まが抜けてませんか、それ」
「うん、ゆを寄せた顔をして」
「間が抜けてるってことですかっ!?」
思わずショックを受けたように叫ぶ少年に、監督員はやれやれとでも言いたげに肩を竦めて見せる。首を軽く横に振り、ふっと笑って。
「今更だったね」
「うっわぁ、一連の動作が似合ってるだけに本当苛立つこの人」
夢魔だけに、この監督員は美形である。美形だけに、気障ったらしい言動も実に似合うのである。似合うだけに苛立つのである。少年は吐息を一つこぼしてどうにか気持ちを切り替えることにした。
「まぁ、もう見えてますけどね。ほら、前」
「ん? あぁ、森か」
「えぇ。 後、なだらかではありますけど軽く丘になってますよね、あれ。脇に別の道がありますが、森を抜けるんですか?」
「徒歩だと森を抜けるのが一般的だからね。その方が近道になるし」
「……なんだか森って何となく一日で抜けれるイメージないですよね、端から端まで」
「まぁね。でも実際はほぼ丸一日歩いて抜けれるくらいかな、僕らの脚の速さだと」
監督員の言葉に少年は空を見上げる。時刻は昼前くらいだろうか、朝起きてから歩き出すことを考えれば、昼前に抜けれるのなら少し無茶をしてでも抜けるべきだろうかと思い、そこでふと気づいた。
「あぁ、そっか。森の中だから早めに休む準備をしないといけないんですか」
「そう。普通新人ならそのままさっさと抜けてしまえば、って言う所なのに君は監督する甲斐がないね」
「迷惑をかけない事を信条に生きていますからね!」
「戯言だね」
少年が全力で胸を張って宣言した台詞は、監督員の一言で切って捨てられることとなった。がっくりを肩を落としながらも歩むペースを変えない少年に浮遊する監督員は無意味に足を動かして普通についていく。
「なんだかこう、最近特に扱いが酷いなぁって思う俺です。どうしてこうなったんでしょうか」
「どうしてもこうしても、初めから僕の君への扱いは変わってないと思うんだけどね?」
「否定しづらいですね、それ。なんていうか、確かにあなたは俺の扱い変えてない気がします。しょっぱなから万が一が起こる前提だったりとか」
「起こったじゃないか、万が一」
「起こりましたけどね万が一!」
会話しながらもやはり二人の動きは止まらない。何の問題もないように二人して歩いてゆき、葉擦れの音が聞こえる森の入り口に差し掛かったところでふと少年は足を止めた。少し進んだところで監督員も前進を止めて振り返る。
「どうかしたのかい?」
「んー、どうかしたって訳じゃないんですけれど。ほら、考えてみればこれ、徒歩用ならさっきの竜車はどの道を通ったのかなぁ、って。あれ王都から来たんですよね、確か?」
「まぁ、そうだろうって予想しただけだけれどね。さっき脇に道があるって自分が言っただろう? そっちはこの森を迂回するようになってるんだ」
「そっちを通るとどれくらいかかるんですか?」
「徒歩だと大体想定に一日追加、かな。僕らの足なら丸一日分とはならないと思うけど」
ふむと頷いた後、少年はその場で森に背を向けた。監督員はやはり不思議そうに首を傾げながら、少年の方へと近づいていく。
「急に方向転換をして、どうかしたのかい?」
「やっぱり初心者が森に挑むのは間違いだと思うんですよ、俺。時間がかなりぎりぎりになりますが、此処は森を迂回しましょう」
「……君を初心者と称するのは少々物言いをつけたいところではあるけれど。まぁ、これは君の配達の監督だ、君の判断に従うとしようか」
「故意に時間がかかる道を選ぶとやっぱり減点ですかね?」
「ならないと思う方がおかしいと思うけれどね?」
監督員の言葉に少年は頷きはするものの、戻る足を止めようともする気は無いらしい。その様子に小さく吐息を零し、監督員は少年の後を追う事とした。
「確認しておきながら減点覚悟のルートを選ぶとか、なかなか肝が据わっているね、君は」
「だってやっぱり初心者は初心者らしく安全な道を通る方が良いじゃないですか。ほら、綺麗な竜車が通ってきた道ですし」
「……そうだね、綺麗な竜車が通ってきた道だったね」
少年の言葉にうなずいて監督員は森の方を振り返る。其処は何事もなかったかのように静かに二人のを見送っていて、だから監督員は静かに苦笑を浮かべた。
「……君は、本当に不思議だよね」
「どうしたんですか? はっ、今頃俺の魅力に気づいたとかそういう展開ですか!?」
「君は実に馬鹿だね」
「うわぁい見直されたと思ったら評価いきなり落っこちたー!?」
がぁんとショックを受けながら脇の道、森を迂回するルートに進んでいく少年と監督員。地面を見れ場昨日すれ違った竜車の車輪の後がまだ残っており、それを確認した監督員が少年の方を見ると、ほぼ同じタイミングで顔を向けてきたらしい少年と目が合い、互いに苦笑を浮かべた。
「綺麗な竜車だったよね、昨日のは」
「えぇ、綺麗な竜車でしたね、昨日のは」
「見事に車輪の後も残っているしね。確かに初心者向けだろうね、こっちの方が」
「だと思う訳ですよ。まぁ、一日過ぎてること考えると少々あれですがまだ初心者向けのままだと思いたいところです」
良く解らない会話を繰り広げる二人である。監督員は呆れたように肩を竦めて、少年は苦笑のままに来た道を振り返り、そして前へと向き直る。
「減点されるのも覚悟してたんですけどね」
「してほしいのならしておくけれど?」
「いや、して欲しくないんで勘弁してください。結構まじで配達員慣れないと困る気がするんですけど俺!」
「まぁ、配達員っていう立場はいろいろ便利だからね」
「便利ですよね配達員。腕輪とか」
「便利だよね、腕輪とか」
少年は己の腕輪を眺め、監督員もその腕輪を同じように眺める。見習い用に色々と機能制限がついているのだが、それは外見からではわからない。配達員であればみな同じ色の腕輪を着けているのである。
「実は見習いには伝えられてないだけで、機能制限はされてないとかないですかねぇ?」
「無いと思うよ。もしそうだったら当に君はその腕輪の機能を利用しているんじゃないかな」
「……何気に今疑問形の言葉ながら、疑問じゃなく確定で言い切りましたね?」
「利用して無いって自分で思うのかい?」
「いや、思いませんけどね、自分でも」
さらりと認めながら少年は己の腕輪に触れてみる。日の光を浴びて翡翠の色が輝くが、それだけで少年の動きに何ら反応を返すことは無い。
「……」
「ん、どうかしましたか?」
「其処で使い方がわからない、と返さないところは正直だな、と思っただけさ」
「見てますからね、使うところ」
さらりと少年から返された言葉に監督員は笑う。実際腕輪から出し入れするときの様子をしっかり観察されていることには気づいていたようだ。
回り道の初日もやはり何か問題が起こったりすることもなく。少年が準備した監督員のテントの中で一夜を明かすこととなった。