第十二話、あるいは何事もない旅路
ルアルの村を出た二人は、先ずは昨日来たばかりの街道を歩く事になる。途中に分かれ道があり、その分かれ道を王都ではない方に向かえば次の目的地に着くのだという。
「今度はほぼ一本道だから街道を外れると本当につかなくなるけどね」
「今度はしっかり食料もありますし、街道を外れる意味もありませんからね!」
相変わらずの浮遊した状態で移動する監督員の横で、街道の向く先を眺めながらしっかり大地を踏みしめて歩く少年が問題ないとばかりに強く頷いた。
前回街道を外れた体面上の理由はあくまでも食料確保の為であり、その食料が今回はしっかり確保されている以上街道を外れる理由などない。だから、少年は今回は街道を外れよう、などと提案する気はなかった。
「それに微生物も感じないからかい?」
「まぁ、それもありますけどね」
監督員の言葉に少年は苦笑を浮かべて頬を掻く。わざわざ蒸し返すあたりなかなかにこの監督員は意地が悪い性分のようである。
もっとも、意地が悪いなんて事は最初の方に気づいていたことではあるのだが。
「今何か失礼なことを考えただろう」
「失礼な事なんてそんな!? ただ俺は真実を心の中に思い浮かべただけです!」
「どんな真実だい?」
「いま俺の隣にいる人物は意地が悪い、という真実ですね」
「まぁ、否定はしない。いくら僕でも、自分が素直だなんて口が裂けても言えはしないからね」
「ですよねぇ」
意地が悪いということを認める監督員に、少年は深く頷いた。あくまでもそれは真実であり、事実であり、故に監督員も認めざるを得ない事ではあったのである。
真実や事実を認めない、などと言うほど監督員は愚かでも自分に自信がないわけでもない。真実を真実と、事実を事実と受け入れられてこそ自分と言う存在に自信を持っている、と言えるのだ。
「さて、ところで配達員失格になるほどの減点はいくつだったかな」
「……って否定しないだけ!? 怒ってらっしゃる!?」
「認めるという事と怒らないと言う事は別問題だよ。わかるかい?」
「解りません!」
「では減点を実行しよう」
「ちょまっ!? 本気ですか!?」
「……まさか、本気で言っていると思っているのかい? 本当に?」
監督員に急に真顔で問われて、少年は、言葉に詰まる。本当にそんな風に思っているのかと問われたなら、その回答は一つしかないのだ。そう。
「思ってるに決まってるじゃないですか!」
「その喧嘩買った」
「売った覚えからないですよ!?」
とりあえずその口を閉ざせばもっとうまく生きていけるんじゃないかなぁ、なんて監督員が思っているなどとは知らず。ショックを受けた様子で暫し肩を落とし、とぼとぼ、と言う感じに歩く少年。
とはいっても肩を落としているだけで歩く速度は何も変わらず、肩と表情こそ感情を表して見えるがそれ以外は何一つ変わっていないのである。
「で、マジで減点されるんでしょうか?」
「時々思うんだけれど、君は配達員になりたいのかい? なりたくないのかい?」
「や、配達員になったほうが色々便利そうなのでなりたいんですけれど」
「ならもう少しくらい口に気を付けた方がいい」
「相手は選んでるんですけどねぇ」
おずおずとなされた問いにあきれる監督員、その監督員と話して落としていた方と表情をあげなおし、腕を組む少年。監督員はそんな少年の言葉に暫し彼の横顔を眺めて、それから深く溜息を吐いた。
「それで選んだ相手が配達員になるかどうかを見定める監督員と言うのはどうなんだ、本当に」
「少なくともこんな冗談が本当に点に影響するとは思ってませんし」
「……影響させないけどね、確かに」
やれやれとでも言いたげに溜息を吐く監督員に、お疲れ様ですと少年は緩く笑う。監督員自体これらのやり取りを楽しんでいる自分を認識し、少しだけ困ったような表情を浮かべた。
これに慣れてしまったなら。彼の監督員が終わった後、一人でする配達は少しばかり味気ないものになるかもしれない、と。
まだ出会って三日目でしかなく、監督員からすればいまだどこか信用できない謎な部分の在る少年ではあるのだが、けれど、そういった部分があったとしても思わずそんな風に感じてしまう程度には普段の彼は只の騒がしい少年なのである。
「……そういえば、今日は野宿確定なんですけど」
「あぁ、そうだね。それがどうかしたのかい?」
「女性体ってまだ続いてるんですか? だとすれば俺、テントの外で寝ないといけなさそうなんですが」
「あぁ、安心してほしい」
少年の不安げな言葉に監督員は胸を張った。
「外で寝かせる気満々だから」
「何気にいろいろ根に持ってるだろうアンタ!?」
そこには相変わらず女性を示す膨らみが存在したのである。
なお、テントの設置自体は少年がしたものの、彼自身は本当に外で寝る事となったようである。
* * *
「体がギシギシ言ってる気がします。なんででしょうか」
「外で寝たからじゃないかな?」
どことなく疲労感を漂わせる少年に、監督員は大したことでもないようにしれっと言ってのけた。
歩く少年の横を浮遊するその姿に昨日存在した膨らみは見当たらず、どうやら昨夜のうちに無性体に戻ったようである。
「誰のせいですかね……?」
「答える必要があるのかい?」
「えぇ俺のせいですね畜生! 過去の俺、こいつは難敵だ! 手を出すな!」
「今更叫んだ所で、音は時間を超えては伝わらないよ」
「念じればもしかしたら!」
「無理」
にべもなくはっきり言われ思わず敗者のポーズを取りそうになったが、しかし、少年はそれを堪えた。堪えたのである。
「それでも俺は! 信じることを! やめない!」
「ま、信じるだけならタダだからね」
意味はないだろうけど、とでも言いたげに肩を竦める監督員に、しかしそれでも少年は折れることは無い。きっといつか奇跡は起こるんだ、と信じるその様子は、本当に奇跡でも起こせるかのようで。
しかし奇跡が今ここで起きたとしたら、それは少年が配達員になれないと言うことになりそうだが。
「……そういえば、すっかり忘れてたんですけれど」
「きっとそのまま忘れてしまっていてもいいことだと思うけれど、どうかしたのかい?」
「アレ、って結局なんだったんですか?」
「……あー……」
少年の問いかけに、監督員は少しばかり困ったような表情で空を見上げる。言って良いものか僅かに迷ったようだが、けれど、どうせ知ろうと思えばすぐ知ることができる情報ではあるのだ。
ここで黙っておくことに意味を感じられず、監督員はすぐに顔の向きを戻した。
「新しい魔王が現れた、と言う話は知っているかい?」
「寡聞なもので、初耳ですが。と言うより田舎から出てきたばかりなんで知らないわけですが」
「だろうね。そういう噂が出回っている。そして、新魔王誕生の噂に合わせて不穏な行動をとるのが、魔族、人間問わず見受けられるんだ」
「おや、人間もですか?」
「人間も。魔王に取り入りおこぼれを狙うもの、現在では禁止とされている魔法や技術を研究しようとするもの。そういった存在はやはり、居なくなることは無いからね」
「まぁ、人間の欲なんて消えるものじゃないですからね」
成程、と頷く少年にふと監督員は違和感を覚えた。すっかり忘れていたというには思い出すような何かが今までの会話であった覚えはなく、また、このように丁度どちらの街からも離れた場所で思い出すなんて都合のいい事がそうそう起こるとは思えない。
偶然、と言ってしまえば偶然で済ませてしまえることではあるのだが。
「取りあえず、気遣いに感謝をしておくべきなのかな、僕は」
「何の話ですか?」
「……そうだね、君をどうすればまっとうな配達員にできるか、と言う問題だ」
「まるで俺がまっとうじゃないみたいな言い方ですね」
「君は自分がまっとうだ、と思っているのかな?」
「こんな面白味のない人間のどこがまっとうじゃない、と言うんですか」
やだなぁ、とでも言いたげに肩を竦める少年に、ふむ、と監督員は頷いた。暫しの間、一人分の足音が周囲に響く。
「君は自分がまっとうだ、と思っているのかな?」
「こんな面白味のない人間のどこがまっとうじゃない、と言うんですか」
やだなぁ、とでも言いたげに肩を竦める少年に、ふむ、と監督員は頷いた。暫しの間、一人分の足音が周囲に響く。景色は確かに流れ、歩む足も速度も止まらない。
ほんのついさっきに同じやり取りをした時から確かに歩みは進み、けれど、二人の間の時間は……
「君は自分がまっとうだ、と――」
「もういいです俺が悪かったです!」
ようやく進んだようである。
「自覚と言うのは大事だよね」
「いやまぁ、否定はしませんけれどね。と言うか真面目に、俺はあなたの中でどれだけ普通を逸脱しているんでしょうか」
「少なくとも、新人配達員であるという認識は捨てているよ」
「どうしてですか!? 新人じゃダメなんですか!?」
「君の野外活動スキルは、どう考えても新人のそれではないだろうに」
深い意味なく勢いよく返した少年ではあったが、監督員の正論に真っ向から打ちのめされることとなった。ぐはぁ、などと声を上げて心臓を抑えるものの、やはり足は全く止まる様子を見せない。
「……ま、それは置いておくとしまして」
「そうだな、おいておくとしようか。それで?」
「魔王の登場に関係して魔獣が増えたりはしないんですかねぇ?」
「魔獣と魔族は全く別物だよ。魔王は魔族の王、魔獣との関係性はない」
「この間の……は、召喚でしたか」
「うん。人間の召喚士の、ね」
監督員の言葉に、大変ですねぇ、と少年は零した。
「魔族じゃないのか、とは聞かないんだね」
「既に調査済みの情報なんでしょう? それにさっきも言ったとおり、人間の欲は際限がないですから」
「……本当に君は達観しているね」
「人生には諦観が大事だったりします」
そうかい、そうです、というやり取りを続けながら二人はまったりと歩む。
その日の晩は少年もテントで寝る事が出来たようだ。
* * *
「さて、そんなわけで三日目の本日なわけですが」
「あぁ、今日で三日目だね」
てくてく歩む一人。浮遊して進む一人。
「今日中に着くんですかね?」
「昼前には着きそうな速度ではあるんだけどね」
てくてく歩む。街道を歩む。浮遊して進む。街道を進む。
「今回の旅路は本当に何も起こりませんでしたね」
「これが普通だと思うけどね。いきなり街道を外れたり、町に着いたら街道に魔獣が居たなんて話を聞いたりはしないものだよ」
「まぁ、普通はそんな経験しないものですよね」
「まぁね。 ところで王都を出る前に僕が言った言葉を覚えているかな?」
問われ、少年はしばし空を見上げる。王都を出る前の会話って何か話をしただろうか、と記憶を漁り。
そういえば、万が一に遭遇することは基本的に珍しいなんて話をしたような、なんてことをふと思い出し。
結果、少年は無言で監督員から目線をそらすこととなった。
「……」
「その反応は思い出したようだね」
「じ、人生万が一に遭遇することくらいありますよ! 極稀に!」
「その極稀が一番最初の配達っていうのが凄いよね」
「あぁあぁあ!? 忘れたままでいたかった! 居てほしかった! どうして思い出したんですか!?」
「普通は平穏なもの、なんていう話をしたからね。前にもこんな話をしたなぁ、と思い出しただけなんだ」
「俺の馬鹿! なんてことを思い出させたんだ!」
後悔先に立たず、とはよく言ったものである。少年は嘆くように空に向かって叫ぶが、しかし、既になしてしまったことはもう変わることは無い。結果として刻まれた過去は、いかなる手段をもってしても変わることは無い。
変えることができるのは、未来だけなのだ。
「と言うわけで忘れてもらえませんか、とお願いしてみます」
「無理だよ、とさわやかに応じてあげよう」
本当に無駄にさわやかな笑顔で言われた言葉に、少年はただただ敗者のポーズをとる事しかできないのであった。
そして敗者のポーズを取った少年の背に即座に足を乗せる監督員。隙を逃さず、即座に反応してみせるのはさすが監督員、と称するに値するものであったろう。
「……なんで俺また踏まれてんでしょうか」
「そんな恰好をする君が悪いんだと思うよ?」
やり取りも若干の差はあるものの、特に変わることは無く。
残念ながら監督員の予想は外れ、二人が次の街に到着したのは昼過ぎとなった。
何が原因で遅れることになったのか。それについては旅をしていた二人はよく知っていることであり、わざわざ他人に言いふらすようなことではないだろう。
「と言うか、情けなくて言い回れないよね。道中で踏まれた回数が片手ギリギリだったなんて」
「だからなんでそういわなくていいことを言うんですか貴方はー!?」
何事もない旅路ではあったのである。