第十一話、あるいは街道だって危険な時もある
目を覚ました監督員は、のっそりとベッドから起きだして伸びを一つする。
その際ふと体に違和感を感じて見下ろし、すぐにそうだったか、と納得をした。普段の自分ではありえないはずの肉感と重量。
昨夜女性体となってしまい、隠れて戻るつもりだったがそれより先に少年が戻ってきたためにあっさりと疲れることは後に回すと決めて寝たのだった。
我ながら適当な事だ、なんて思いつつ着替えようと服に手をかけて……
……慌てて背後、隣のベッドを振り返った。
其処では緩やかに寝息を立てて眠る少年が……否、視線を向けた瞬間に寝息がとまった少年が、居る。
確かに自身は英雄や達人と呼ばれるような存在ではないと監督員は理解しているし、また、配達の仕事の経験も四六時中飛び回っているような者たちに比べれば少ないだろう。
それでもそれなりに生きていれば回数もこなされるし、遠出することがあれば危険な目に合うことも多い。就寝中に襲撃を受けるというのは良くあることだ。
だから。
たとえ、熟睡しているように見えても他者の気配で起きるくらいはできるはず、だった。
「……ん。朝、か。おはようございます」
監督員の向ける視線が、本人が意識せずに細まると少年が目を擦りながら起き上る。そもそも寝息が泊まった時点で体は起き始めていたのだろう、行動の割に意識も別にどこかおかしい様子はない。
そんな少年を暫し、監督員が眺める。きょとりと見上げてくるその姿は何処にでもいる少年で、黒髪黒目という色は特筆すべきかもしれないがそれ以外に特に気に掛けるようなものはない少年で。
「あぁ、おはよう。ところでひとついいかな?」
「はい、なんでしょう?」
「着替えたいから、起きたなら出て行ってもらえると有難い」
「大丈夫です、見られるのは気にしても見るのは気にしませんから!」
「よし。肉体から魂を追い出してあげよう」
「すいませんっしたぁっ!」
自身の着替えをひっつかんで慌てた様に部屋から出ていく少年を見送り、監督員はため息をついた。
どんな技術を持っていようと、少なくとも彼は善良な性格をした人間である。それだけは間違いない。
本能が告げてくる事が信用できないのは初めてではあるが……今はまだ信じてみよう、と監督員は決めた。
* * *
「んで、今日はどうすんですか? というか、どっち優先するんですか?」
「どっち、とは?」
「ある程度の金が入ったので買い出しを優先するのか、先に仕事を受けるのか、ですね」
宿の部屋で朝食をとりながら少年と監督員はまったりと会話をしている。卓の上に並んでいるのは野菜を中心とした軽い料理で、朝からガッツリと食べる習慣はこの村ではないようだ。
しっかり水気をはらんだ野菜は新鮮で、恐らくこの村でとれたものをそのまま料理に使っているのだろうと思わせる。素直においしいと言えるものである。
「そうだね……君はどちらがいいと思う?」
「仕事が先、ですかね。何を買うにしてもかかる日程とかが解らないと過不足が発生しそうですし。過ならまだ良いんですが、不足はまたひもじいことになります」
「ん、ならそうしようか」
朝食を腹に収め終え、二人は皿を持って席を立った。監督員の荷物はすでに腕輪に収納されており、少年の荷物はそもそも背負い鞄一つに収まる程度でしかない。
階段を降り、女将に皿を返して二人は宿を出る。そのままその足で昨日も行った郵便ギルドに向かい、手紙を加えた飛竜の看板を横目にギルドの戸を押し開けた。
「はい、いらっしゃい……あぁ、昨日の!」
「どうも、いらっしゃいました。昨日の配達員っす」
「そして僕はその監督員だね」
入ってすぐ受付嬢からかけられた言葉に無駄に少年が胸を張り、何となく流れで監督員も呟いてから肩を竦める。ノリに乗せられてしまったが、言う必要のないセリフであった。
「配達員さん、貴方にお伺いしたいことがありますのでこちらにどうぞ」
「よし、次の街に行きましょうか」
「話を聞いてからだけどね」
ニコニコ笑顔で己の前を進める受付嬢の姿に少年はくるりと踵を返し、しかし即座に監督員に後襟を掴まれる。
いーやー、何ぞという少年をずるずると引きずっていき、監督員は受付嬢の前に二つある席の片方に落ち着く。同時に、観念したかの様子で受付嬢の前の椅子に座る少年。
なお、この村の郵便ギルドでは受付嬢は一人しかいない。王都のように賑わっている様子がないから人手がいらないのかと思えば、ギルドの中の方ではあわただしい気配がする。受付に人を割いている余裕がないだけのようだ。
「それで、何の用なんでしょう?」
「昨日速報が入りまして、王都からこちらへの街道で魔獣が発見されました」
「……っ!?」
笑顔を崩さぬままに受付嬢が告げた言葉に、思わず取り乱したのは監督員だった。音を立てて席を立ち、しかし。へぇ、なんて零してる少年とニコニコ笑顔を張り付けたままの受付嬢の様子に吐息を一つ、座りなおす。
「驚かれないんですね?」
「まぁ、幸いなことに魔獣ってーのにあったことがないので、その危険性がとんと」
「下手をすると、魔獣一匹で王都が滅びます」
「な、なんだってー!?」
少年が驚きながら音を立てて席を立った。ニコニコ笑顔で見上げる受付嬢と冷めた目を向けてくる監督員、二人の視線を浴びてしばしの間。……咳払いを一つ入れて座りなおす。
「わざとらしすぎましたか?」
「それはもう」
「僕でもわかるほどに」
二人からの砲火を受けて慣れた様子で敗者のポーズをとる少年。すでに堂に入っているように見えるその姿に残りの二人はしばし目を向けて。
「それで、もう討伐はされているんだね?」
「もちろん、でも無ければこんなところでのんびりニコニコなんてしていられません」
無視した。
「最近ツッコミの数が減ってきてると思うんですよ、俺」
「ならば突っ込まれるだけのボケをして見せるんだね」
「頑張ってるじゃないですか!」
「三流を?」
「どこもかしこも受付嬢は毒舌ばっかりか!?」
復活して思わず愚痴った少年だったが、相変わらずほか二人は少年の敵のようである。ごく自然に連携し攻めたててくる二人の言葉に打ちのめされて一度がくり、と肩を落とし。
「で、魔獣が討伐されたのに、聞きたいことってな何ですか?」
すぐ復活した。
「貴方方は一昨日から昨日にかけて、王都からこちらの村への道を歩いてきたことになっていますよね」
「えぇ、そうなっていますけど」
「なのに、魔獣についての報告がなかったことを奇妙に思いまして」
「街道歩きませんでしたから、川まで」
どうしてでしょう、と受付嬢が首を傾げるより早く少年があっさりばらした。はい? と結局首を傾げる受付嬢に対し、少年は困ったように頬を書きながら、
「ちょっと、配達員になったときは無一文でして。街道沿いに歩いていたら食べるものなんて落ちてないよな、と」
「……それで、食料を求めて街道をそれた、と?」
「結局川まで飲まず食わずで歩く羽目になりましたが」
「苦行お疲れ様です。監督員、減点はされましたか?」
「労いながらいきなり確認とかこの人ひでぇ!?」
「今回は事情が事情だから、大目に見たよ」
極自然に監督員に問う受付嬢に少年は思わず叫んで突っ込み、監督員はただ苦笑した。そんな二人の様子を見てとって初めて笑顔を崩した受付嬢はやれやれ、とでも言いたげに溜息を一つこぼし。
「事情については了解しました。それでは魔獣と遭遇することもなかったことでしょう」
「はい。ところで、その魔獣って危険度としてはどんなものだったんでしょう?」
「危険性は高いものではありませんでした。ただ、この付近に生息しているはずがない魔獣だったので、召喚されたもののようです」
「……アレ、かい?」
「直接的な関係はありません。ですが、アレを聞いて事を起こした召喚士ではあるようです」
少年の問い答えた受付嬢の、その答えを聞いて指示語で問いかける監督員。それに受付嬢も指示語で返すのを聞いて、少年はふむ、と考えた。アレ、で通じる内容など、多くはないはずだ。
「つまり、其れですね!」
「はい、どれです」
「何の話だ」
少年の言葉に受付嬢は笑顔でうなずき、あきれた声で監督員が突っ込んだ。
とりあえず騒ぎこそあったものの、本日も郵便ギルドは平和なのである。
「……それで、今日はどういったご用件なんですか?」
「あぁ、忘れかけてました。次の仕事を受けようか、と思いまして」
唐突に受付嬢に振られた内容に、おぉ、と手を打つ少年。どうやら本当に忘れかけていたらしい様子に監督員は溜息などついているが、けれど別に咎めたりなんていう事は一切しない。
減点してもいいのだが、別にそこまで重要だったり重大だったりしないので問題はないのである。
「えぇと、今度は徒歩三日ほどの位置にある街への配達となります。ただ、枚数は多くありませんがよろしいですか?」
「はい、構いません」
首肯する少年に解りました、と応じて受付嬢が動き出す。手元の書類に書き込みを入れ、少々お待ちください、と席を立ち奥に歩いていくのを見送った。
おそらく配達する郵便物をとりに行ったのだろう受付嬢を見送り、くつろぐ少年と監督員。
「……あぁ、そういえば気になったんだけれど、いいかな?」
「ん、なんです?」
「微生物は見えたのかい?」
「見えないから直感に頼らなきゃいけないって言ったじゃないですか、一昨日」
「……そういえばそうだったね」
成程、と頷く監督員に少年はただ、苦笑を浮かべていた。
* * *
「というわけで仕事を受けました!」
「誰に向かって報告をしているんだ」
郵便ギルドを出てすぐ空に向かって叫ぶ少年に突っ込みを入れてから、監督員はさてと考える。仕事を受けたのであれば次は買い物だろう。
野宿道具などは自分のものを使うとして……もちろん少年が買うのが本来ではあるが、荷物が嵩張るのは監督員自身が好きではないので貸すことは構わない……他に必要なものは何だろうか。
そうしていくつか浮かんだ所で、迷いなく歩いている少年へと問いかけてみる。
「何を買うのかは決まっているのかい?」
「携帯食料とナイフくらいかな、と。とりあえずそれだけあれば次まで持ちます」
「ふむ。食料は三日分かな?」
「携帯食料の質次第ですが、できれば五日分は欲しいかな、と思ってますね」
「……少し、多く取りすぎじゃないかい?」
「足りなくなってから泣きたくないんです。もっとも腐らないならば、という前提が付きますが」
浮かべた中、最も必要だと思う品二つを挙げる少年に、けれど意外と多めに買うという言葉に監督員はふむ、と頷いた。
「携帯食料なのだから、その辺は大丈夫だろうとは思うけれどね」
「じゃないと困るんですけどね、本気で」
少年が向かった先は、先日既に店をたたんでいた市場。昼前という時間故かそこは既にいくつかの店が商品を広げ、通りかかる村人に商売をしている。
その光景をしばし眺めて、ふと少年は首を傾げた。
「ふつうにここに来ちゃいましたけど、ここってどう見ても村人向けの市場ですよね」
「まぁね。でもここ以外だとあの雑貨屋しかないわけだけれど、あそこは食料品を扱っていないから」
「携帯食料とか市場で売ってるんですか?」
「聞いてみるといい」
監督員の言葉にそれもそうか、と頷いて少年は店の一つに近づく。野菜を並べているその店の店主だろう人物は木のいい笑顔を浮かべて少年に声をかけた。
「おう、二枚目半のにーちゃん、何の用だ!?」
「もう一声!」
「おう、三枚目のにーちゃん、何の用だ!?」
「どうして増やした!?」
どこでも弄られる少年である。
「えと、配達の仕事で次の街に行くんですけれど。保存できる携帯食料とかってどこで売ってますか?」
「ん? 干したものでよければどこでも売ってるぜ? 逆に言えば、それ以外のものは売ってないけどな」
「ぁー……。成程」
周りを見ればこの村でとれたものだろう野菜その他を売っており、確かに干したモノもある。家で干すのに比べたら、既に干されているのを買った方が楽という事だろうか。
仕事を干されたくはないものだなぁ、とふと少年は思い、本当に関係ないなと思考を切り捨てた。
「ありがとうございました。じゃぁ、そっちの干した青いのを」
「あぁ、あいよ」
教えてくれたお礼、とばかりにその店でいくつかの干し野菜を買い、また、市場を回って適当な干し果物などを揃えておく。これで数日は持つだろうか。
そのついで、さすがに武器と言えるものではないが短い刃物を取り扱っていた露店にて少年はナイフと包丁を購入した。
「……って、どうして君は包丁なんて買ってるんだい?」
「いや、だって包丁ですよ、包丁! 投げれば神も一撃さ!」
「……君はいったい何を言っているんだ」
理解ができない、という表情をする監督員の前で、嬉々として包丁をくるんで背負い鞄に仕舞い込みナイフの鞘を腰のベルトにひっかけて刃を収める。
見た目はかなり旅人っぽくなっただろうか。
「それじゃ、次の街に出発と行きますか」
「ん、行こうか」
ごーごー、と村から門へ、そして門の外へと歩く少年と監督員を、門の前に立つ衛兵が会釈して見送った。