第十話、あるいは買い物しようと市場へでかけたら
とりあえず宿屋の女将に店の場所を聞き、少年はふらりと村を歩いてみることにした。
見渡せばのどかな村だ。農村を表す表現として時間がゆっくり流れているというモノがあるが、それが体感としてわかる気がする少年である。
時刻はすでに夕暮れ時、人々は仕事を終えて帰り始める頃。だが、どこかゆっくりと慌てることなく片づけていくその姿は時に急かされない生き方をしてきた者たちの緩やかさを感じさせる。
良い村だな、と少年は心から思った。
とはいえ、別に村をのんびりと観察しに出てきたわけではない。少年は女将から聞いていた通りに道を歩み目的の場所に向かう。
まずターゲットとしたのは寝るための服や洗濯用の替えの服。ならば服屋へ、となるのが基本なのではあるが、村の規模が其処まで大きくないところからそういった商品の取り扱いは雑貨屋として一括りになっているらしい。
向かってみれば昼ならば人通りも多く、食料品などの個々の特産品でも並んでいるのであろう市場は見事に閑散としており、既に店仕舞い状態だった。
流れが緩やかなのはどこか気分が良く楽しい気になるものなのだが、終わりが早いのは田舎の短所かもしれない。そんなことを考えつつ、少年は向かう先の雑貨屋まで閉まってしまう前にと足を速めることにした。
* * *
「はいよ、いらっしゃい」
「いらっしゃいました!」
「そのまま180度回ってまっすぐお進みください」
「ぁ、これはどうも」
扉を押しあけて中に入った瞬間に掛けられた店内の男性店員の言葉に従って客は反転し、歩みだす。パタンと扉が閉じられ、それを見送った男性店員は吐息をついて手元の金属品に目を落とす。
二つの異なる形状をした輪っかが絡まり合うそれは、どこかの世界では「知恵の輪」等と呼ばれている玩具であり、店員はここ数日ずっとこれに嵌ってしまっているのである。
静かな店内に金属品が建てる音が響いていく。あともう少ししたら店仕舞いの時間だなぁ、などと思い、
「って、なんでいきなり俺外に放り出されてんの!?」
「むしろ普通に出て行ったことが驚きなんすけどね」
戻ってきた客に呆れたように言葉を返す店員に、客はそのままその場で敗者のポーズをとってしまうのであった。
「……んで、店の入り口で落ち込まれてると邪魔なんすけど、なんすか?」
「落ち込ませといて言うセリフがそれなのかよとかいろいろ言いたいんだけど。思わず俺だって敬語を忘れるぞ」
「お客さん、見栄は張らんでいいんす。敬語って難しいっすよね」
「使えるよ! むしろ普段使ってるよ普通に!」
全力で突っ込みを入れる客に、店員はしばし、ぇー、と言いたげな目を向けた。交差する視線。ここで退いてはならぬと思ったのか、客はその視線に力を込めて店員を見据え。
そして店員は、その視線に応じるように客を見据えたまま。
手で知恵の輪をいじり続けている。
「って放そうよそれ!? いくらなんでも接客態度悪すぎやしないか!?」
「ふつー客はこの時間に来ませんで。普段なら接客は親父か姉貴がやるんですけどね」
「なぜ此処で気のいい親父でもなく、美人の姉でもなく勤務態度の悪い同年代の男が出てくるんだろうか」
「運じゃないすか?」
「運なら仕方ない」
やれやれ、とため息をつく客を眺めて、なかなか面白い客だなーなんぞと思いつつ店員はまだその金属品をいじる手を止めない。もう少し、もう少しで何かが閃きそうな気がするのである。
尤もそれはいつもの事であり、閃きそうな気がするだけで閃かないものなのだが。
「っつー訳で寝るときに着れる服とかぬののふくとか探しに来たんだけど」
「寝間着に使うってーんならそっちに楽な服があるっすよ。ぬののふくはひのきのぼうとセットでしか売れません」
「売ってんの?」
「売ってますよ? 農村の雑貨屋舐めんな」
ゲームの基本装備は思ったより真面目に存在するらしい。そんなどうでもいい知識を身に着けた客だったが、しかし、どうでもよすぎるためにあっさり忘れることにした。
別に本当にぬののふくが欲しいわけではないのである。ひとしこのみを集めたところでモンスターが仲間になってくれたりするわけでもなし。
「寝間着ってより、これ普通の服だよな」
「にーさんが今着てる旅装に比べりゃ寝やすいっすよ。本当の意味での寝間着なんてこんな寂れた村にあるわけもねーっす」
「高いの?」
「貴族王族くらいじゃないっすかね、着心地のいい寝間着とか着て寝れんの」
店員の言葉にふむ、と客は考え込むような表情を見せる。旅装は旅に着るものなので丈夫な生地を用いて作られているわけだが、丈夫な生地とは得てして硬いものであり、硬い衣服など着心地がいいわけが無いのである。
それでも、その旅装で寝れる少年であれば普通の服程度の着心地なら十分に寝る事もできるだろう。
外に来ていく服で眠ることに若干の抵抗があるのは豊かな世界で生まれ育ったが故に身に着いたものなのだろうが、今この場ではそのような贅沢は言えない。
なぜならば、金がないのだから。
「村の人間じゃないからわからないんだけど、サイズはどうなってんの?」
「狭い村なんで見りゃわかるっすよ。サイズは一応統一規格で作ってるっすよ、大、中、小で」
「……統一規格、なんてものがあるの?」
「えぇ。服屋ごとにサイズが違うといろいろ不便、っつーことで統一規格みたいなもんを作り出して、それを広めて使ってるっす」
「へ~……」
「ちなみに発案者は今代女王。現在病で床に臥せってるそうすけど」
「つい最近なのか。それでよくこんな村にまで広まったな」
「王都から徒歩二日舐めんな」
胸を張る店員に、言われてみればそうだっけかと客は納得した。王都から離れていないため、そういった情報もまわりやすかったのだろう。
「とりあえず着てみてもいいか? 試着室とかあれば教えてほしいんだけど」
「ねー訳じゃねぇんすけど鍵出すのめんどいんでそこで着替えてください」
「待て店員、いくらなんでもそれは酷すぎだろう。いくら俺でもキレるぞ!」
「普通に考えて店に入っての第一声時点で怒っていいと思うんすけどね」
言いながら店員は試着室の鍵を出すことは無く、また、許可を出された客も仕方なくもそもそとその場で上を脱いで着替えている。この時点で客の方もだめなのだが、お互いにそこまで気にした様子はないようだ。
着替えてみれば客が持っていた服はほぼちょうどなサイズであったらしく、統一規格なのならばとズボンも探してみることにした。
「……っつーか、お客さん」
「んー?」
「なんで出てかねーんです?」
「欲しいもんがあるから?」
ズボンも無事発見し、もうこれでいいやと近くにあった背負い鞄とともに持って店員の方に歩みながら、掛けられた言葉に何を気にすることもなく答える客。
流石に商品を差し出されると受け取るしかなく、知恵の輪をおいた店員は商品を確認し客に値段を告げる。
「そうまでして欲しいもんなんですかねぇ? 服とか」
「そうまでして欲しいもんなんだよな、服とか」
金のやり取りの際に見えた腕輪を確認し店員が零すが、けれどそれに苦笑を浮かべて客は頷いた。そういうもんなんすかー、と呆れたように言いながら店員は服を適当に背負い鞄に詰める。
「ま、良く解んねっすけど配達頑張ってください、配達員さん」
「ありがと。そっちも少しは真面目に接客しろよ、じゃないと嫌がらせされるぞ?」
差し出された鞄を受け取り背負い、店を出ていく客を見送って店員はさて、と置いておいた知恵の輪に目を向けずに手を伸ばし、摘まんで引き寄せ。
違和感。
目を向ければそこにある金属はたった一つ。慌てて顔を向けるとおいておいた台の上に、絡まっていたはずのもう一つの輪が所在なさげに残っている。
自然に取れた? などと思うほど店員も馬鹿ではない。おそらく、そして間違いなく、これは誰かが外したものだ。そして、それができる人間など一人しか店内にいなかった。
「……やられた」
店員は苦笑して零した。自分でも安いななどとは思いながらも、こういう嫌がらせをされるなら接客態度を素直に改めよう、なんて考え始めたのである。
* * *
「おや、お帰り。思ったより早かったね」
「えぇ、下で店の場所は聞きましたから。後、本当に寝る為用の服だけを買ってきたんで」
宿に帰り、部屋をノックして迎えてくれた監督員に少年はしれっと答え、その少年を見て監督員は室内に戻りながらふむ、と少し考える様子を見せた。
「ここで服となると雑貨屋だね。そしてこの時間だと、一人息子が店番をしていなかったかい?」
「えぇ、やる気なさそうなのが知恵の輪いじってました」
「……相変わらずか」
やれやれ、とため息をつく監督員を見て少年は不思議そうに首を傾げる。
「御知り合いで?」
「一応ね。僕は基本的に王都に腰を落ち着けて、近くを回る形での配達をしていることが多いから」
「あぁ、そうなると雑貨屋なども顔見知りではあるわけですか」
「うん。彼が生まれたころから知ってるよ」
「幾つだアンタ」
自分より少し上の外見の監督員がしれっといった言葉に即座に少年が突っ込むと、監督員は解ってないね、とでもいうように肩を竦めて見せる。
その行動がやけにきざったらしく、けれど似合って見えてむ、と眉を寄せた少年へ、監督員はぴ、と指を一本立てて見せ、
「女に歳を聞くものじゃない、とは習ってないのかな、君は?」
「いや貴方女性じゃないでしょう」
「残念、今は女なんだ」
「便利だな本当に!?」
むん、と胸を張って見せれば確かに女性の象徴ともいえる胸元のふくらみが其処に存在し、故に少年は突っ込みつつもさらに年齢についてつつくことをあきらめるしかなくなったのだ。
女性に年齢を聞いてはならない。それは、どのような世界であれ、男性のすべてに課せられた枷なのだから。
「……そういや、そういう肉体変化ってすぐできるもんなんですか?」
「無形状態から固定状態、固定状態から無形状態はそう難しい事じゃないかな。ただ、固定状態で性別を変更するとかになると簡単にできるわけじゃない」
「……多分ですけど、俺に会ったときから宿に着くまで、ずっと無性体でしたよね?」
「良く解ったね。基本的に性別設定するといろいろと面倒だからね、僕の基本形状はそうなってる」
「俺が買い物に行ってる間に女性体に変わった、と?」
「ん……正確には変わってしまった、だけどね。種族特性の関係上か、長く特定性別の傍にいると異性へと体が変わってしまうんだ」
「……難儀な特性ですね」
やれやれとため息をつく少年に、こればっかりは仕方ないと苦笑する監督員。ベッドが二つあるとはいえ、宿の一室に、ここまで一緒に歩いてきたとはいってもそこまで仲がいいわけでも信頼を築いたわけでもない男女が泊まるというのはあまり良いものではない。
「まぁ、これはあくまでも一時的なものだから。ある程度時間がたてばまた戻れるんだけれど」
「その時間が来るまでに俺が返ってきてしまった、というところですか」
「うん。で、ばれた以上もう面倒だからこのまま寝ようかな、とか思いもしたりする」
「いや俺全く気にしてなかったんですけど!? あなた自分からばらしましたよね!?」
「戻るの結構手間なんだ」
「ぶっちゃけたー!?」
一応疲れてるからね、これでも。そう零す監督員に、疲れる理由を作っただけに少年はもういいです、と突っ込みを放棄した。大体、本人に戻そうという意思が全く見えないのだから仕方がないのである。
「着替え……は、そっちはもうしてるんですよね。んじゃ俺も着替えますか」
「ん。あぁ、僕の事は気にしなくて大丈夫だよ、何も気にせず着替えるといい」
「たとえ異性で無く同性であったとしても気にするので、外で着替えてきます。今日他に宿泊客もいないみたいですから」
ニコニコと笑顔で放たれた言葉に少年はため息交じりに言い返し、背負い鞄から先ほど買ったばかりの服を取り出して部屋の外へ出て行った。
照れなくてもいいのに、とでも外に声をかけるべきだろうかと監督員はしばし悩み、けれど、若干の疲労感を感じてもういいか、とその案を投げ捨てた。
今一番大事なのは睡眠し、疲労感をぬぐう事なのである。
自分のサバイバルスキルも一応信頼できる程度はあると自負している。少年が襲ってきたら…いや、戻ってきたら、きっと目を覚ませるだろう。
というわけで。
「それじゃ、お先に」
* * *
「……一応俺、男なんですけど」
部屋に戻ってみれば、あっという間に熟睡している監督員が其処にいる。
その容姿は初めて会った時から変化なく、恐らくそれは監督員にとっては「設定」なのではなく、もう「素の顔」なのだろう。
赤と金のバランスがよく桃色にも見える緩いウェーブがかかったストロベリーブロンドは邪魔にならないよう一つにまとめられ、目鼻立ちはすっと通っていて嫌味を感じさせない。
閉じられた瞼の下の瞳の色を少年は知り、薄く色づく口唇は柔らかさを感じさせる。
「熟睡してどうすんだよ……」
今この状態で襲われて本当にこの人は起きれるんだろうか。なんて考えて、少年は首を横に振った。
起きれるかどうかを試してみたい気がしないでもないが、そんな程度の為に自分の社会的地位を賭けたくはない。
それに、何より。
ここの女将と「問題は起こさない」と約束してしまっているのである。
「ま、寝るか。明日はやること多そうだし」
少年は隣のベッドにもぐりこみ、さっさと意識を手放した。