第八話、あるいは営業日二日と実二日は別物である
言葉というものは、その習慣に即して作られるものである。
例えば、自分を表現……相手との立場の違いなど……することに関心が強い土地での言語では自分を示す言葉が多くあり、けれど対して関心がない家畜を示す言葉は少なかったり。
例えば、雨が大事な土地の言語では雨を示す言葉がたくさんあるのに、日を示す言葉はほとんどなかったり。
習慣が違えば言葉は大きく意味を変え、そして土地が違えば習慣は変わるもの。世界レベルで違ってしまえば、言葉が同じである筈などない。
まぁ、つまり。
「朝、昼、晩、食欲!」
「君は朝から何を言っているんだ」
「俺にも解りません」
唇を読んで予測される発音を真似、頭で不思議と理解できる意味へと変換される言葉をつなげたところで、意味の通らない単語の羅列にしかならないのである。
そんなわけで一夜明けて朝となり、普通であれば朝食を食べて準備をするという時間ではあるはずなのだが、しかし、無一文だった少年に朝食用の食料を購入するなどという選択肢はなく、監督員ならば朝食を持ってきてはいるだろうけれどそれを頼るのもどうだろう、と少年は思うわけで。
ならば、朝食も自分で手に入れるしかない。具体的にはすぐ近くの川を泳いでる小魚とか。
「朝から魚、と言うのも少し驚くんだけれどね、僕としては」
「そうですか? 俺の生まれだと結構普通にあったんですけれど」
和食であれば朝から焼き鮭と言うのは比較的よく見る光景である。さすがに素焼きした魚一匹と切り身では比較にはならないが、ご飯やみそ汁がないことを考えればちょうどいい塩梅なのかもしれない。
もふもふと焼き魚を食べる少年を、携帯食料を少量ずつ口に入れていく監督員がしばし眺める。それからふむと頷いて。
「一口もらってもいいかな? 君が食べてるのを見ていると僕も少し食べてみたくなってきた」
「ん? あ、どうぞ。まぁ、朝から魚も乙なものですよ。味付ないですけど」
確かに味付は特にない。だが、新鮮な焼き魚はそれだけで十分おいしいものである。
監督員はそのことを深く、深く心に刻んだのであった。
朝食を終えれば出立の準備。少年は野外生活スキルをいかんなく発揮し素早くテントをたたみ、野営の後に砂をかけ、わずかに出たゴミを埋めて準備をさっと完了させる。
ゴミと言っても骨や皮、木の枝と言った自然物ばかりなので埋めておくだけでも十分な処理だと言えるだろう。これが化学製品などがあれば埋めるな、と言う話では合ったのだろうが。
「……しかし、昨晩も思ったけれど本当に手馴れているね」
「まぁ、色々ありましたので。さて、準備完了、参りましょうか」
テントが監督員の腕輪に吸い込まれるようにして消えるのを確認し、少年と監督員はそろって足を踏み出し始める。
歩くペースは昨日と同じで、特に変わりはない。
「ちなみに、街の方向はどちらなのか解るかい?」
「川の向こうです! ……と言わせるひっかけですよね、それ。いぇ、川の向こうですけど、この位置とまず川沿いに歩いたほうがいいんですよね、確か」
ほてほてと進みながらされた質問に、少年はびしっと答えてから首を傾げて言葉をつなげた。少年が正答を返したことになるほどと監督員は頷き、彼の評価を内心で上げておく。
方向感覚等は旅をするうえでとても大事な能力である。特に配達員が道に迷う、などと言うことはあってはならない事なのだ。道に迷ってしまっては、届くはずの手紙が、思いが届かないということになってしまうのだから。
「しかし、出るときには大まかな方角しか教えてなかったと思うんだけれど。良く解ったね?」
「ギルドにあった地図と、街道の方向からおおざっぱにとはいえ当たりを着けてましたから。そうでないと街道を外れるなんて言えません」
「そうだね、街道を外れると方向が分からなくなり、迷いやすくなる」
「あぁ、いぇ。距離的に道なき道を歩いても平気だろうって思えないなら辛いじゃないですか」
「まず迷うことを考えないかい、普通」
「俺を普通扱いしてなかったのは何処の誰ですか」
ああ言えばこう言う二人は、言葉を交わしながらも一人分の足音をとどめることなく進み続ける。
そのうちにふと少年が顔を上げ、おや、と監督員が首を傾げた。散在していた木々が見えなくなり、踏み固められた道と思しきものが目に入り始める。
どうやら二人は街道に戻ってきたらしい。きちんと、配達先の街に近づきながら。
「街道に戻れたようだね。ならば、橋を渡ればもう目的地は遠くないよ」
「こういうときって、遠くないっていう言葉は信用できないと思うのは俺だけでしょうか」
「何、問題はない。もうすぐもうすぐ」
「解っていってるでしょう貴方!?」
思わず全力で突っ込みを入れる少年を監督員はしばし面白げに眺め、それから。
「では進もうか」
「ぇ、全力スルー!?」
何事もなかったかのように先へと進み始める。少年は思わずその場で敗者のポーズをとりたくなるのを堪えて、川を渡る監督員の背から目を離し王都へ至る道を眺める。
どこか、遠く。どこか、何かを確認するような瞳をしばしそちらに向けてから、一つ頷いて監督員の背を追った。
鳴き声のような甲高い音が微かに周囲を揺らし、けれどそれに反応する者は既にその場には居なかった。
* * *
そんなわけで街道を歩む少年と街道の上を浮遊する監督員だが、その進む速度は街道に戻ったというのに変化はない。
道なき道を歩んでいた時の速さはそれ以上の速さで歩けるものが多少落ちていたものではなく、街道と同じ程度の速さで歩けた、と言うだけのものだったのである。
「とはいっても、普通に街道を歩くのと、街道から離れた道を歩くのが同じ速度っていうのもすごいものだけどね。僕のように浮いているわけでもないのに」
「故郷で続けていた特訓の成果です」
「いったいどういう特訓をしてきたのさ。と言うか昨日は特訓なんて言葉は一言も出ていなかったと思うんだけど」
「念力です」
「意味が解らないよ」
「光です」
「もっと意味が解らないよ」
真顔で言葉を重ねる少年だが、監督員にとっては本当に全く意味が解らない。少年の方も決して自分で言っている言葉の意味が解って居る、と言うわけではないだろう。
と言うか、通じると思っているのだとしたらさすがに頭を疑うべきレベルの話の展開である。
「まぁ、野外生活しても問題がないスキルを叩き込まれている、と言うことで一つ」
「それについては昨日から今日でよく見せられたからね。正直君のような子に配達員とかできるんだろうかと少し疑っていたんだけど、心配するだけ無駄だと解ったよ」
やれやれ、と肩を竦める監督員。その言葉にふむ、と少年は少しだけ考える表情を浮かべてから、己の姿を見下ろした。
あの人物の家でもらった旅装であり、生地の感覚からして丈夫であることは間違いない。尤も魔獣や獣、盗賊山賊の相手をするにはこれはただの旅装であり、武装ではないために心もとなく感じる事だろう。
本来ならばこの服の上にそういった装備をするのが正しいのだろうか。文無しには無理な相談ではあるのだが。
「……まぁ、ギルドの他の配達員と比較すると、装備の上で俺は相当不安ですよね」
「むしろ人格の問題」
「だからあなたは俺をどんな人物だと思ってるんですか!?」
「愉快さん」
「ゆ、ゆ、ゆかいちゃうわっ!」
「じゃぁ、誘拐さんで」
「魔法で拉致られたのは事実なんですけどね、そのあたりの話も既に聞かれてると思いますけど」
そういえばそうだったね、と思い出したように零す監督員に、忘れてたんですかい、と少年が突っ込みを入れた。
「ん……野外生活に慣れてるし、別に現状にも何か恐怖や不安を感じている様子もないし。そんな人物を見て、拉致られたとか誘拐されたとか覚えている方が難しいと思うよ」
「そういうもんなんですかね。された側の俺は……忘れることはないとは思いますけど、意識しないことは確かにありますが」
「意識して無い時点でほとんど気にかけてもないってことだよね」
「そうなりますね」
なら良いじゃないか、と肩を竦めた監督員に返せる言葉などあろうはずもなく。少年はいいのかなぁ、と首を傾げつつも頷く他はないのである。
そんなこんなで歩いていれば、ふと進行方向に何かが見える。空を見上げた少年は太陽の位置から大体昼ごろだろうか、と現在の時刻を想定した。
とはいえ、それは少年がもともと持っていた感覚による時間の予測であり、彼が今いる場所で正しいとは限らない。故に、少年はその正しさを確認する。
「今、昼?」
「ん? あぁ、そうだね、丁度昼くらいかな」
「ですよねー」
何故かカタコトでの問いかけになったが監督員は特に気にする様子もなく空を見上げ、頷いた。自分の想定を肯定されて安堵の吐息をついてから、少年はもう一度前を見る。
「この調子だと、そろそろつくんですけれど。隣町まで歩いて二日っておっしゃってませんでしたっけ?」
「二日だろう? 昨日と、今日で二日」
「……」
「……?」
「二日の距離って、移動に二日かかるって意味で、つまり昼に出たら二泊した上で昼に着くくらいの距離って意味じゃないんですか?」
「いや。僕は初めから二日は出立日と到着日を含めて話していたんだけど」
どうやら少年は距離を誤って想定していたようである。その現実に気づきこれなら別に急ぐ必要なかったじゃねぇか、なんて思うものの既に今更の話。彼の目で見れば既に見え始める距離に隣町はあるのだ。
夕方くらいにはたどり着いているだろうか。
「……と言うか、距離を勘違いしていたのだとしたら、どうしてもうすぐ着くと解るんだい?」
「うっすらと何か見えましたから。だからそろそろかなぁ、と」
「……君の目はいったいどんな構造をしているんだ。さすがにこの距離だと僕でも見えないんだが」
「視力はいい方なんですか?」
「いや、並だが?」
「それ流石も何もないんじゃないかと」
冷静に突っ込みを入れる少年に確かに言われてみればそうかもしれないなぁ、なんて考えてみる監督員。
とはいえ、監督員は種族が人間ではない。夢魔の一族は一般的に身体能力が人と大きく変わることはないが、その五感は本来人のそれより優れて居り、種族としての並は人として見た場合には目が良い方に含まれる事だろう。
監督員は他の人間と感覚の優劣を比較したことが無い為に知らない事ではあったのだが。
「まぁ、でもさっき僕が言ったとおり、そんなに遠くなかっただろう?」
「えぇ、そうですね。確かにそんなに遠くはなかったかと」
監督員の言葉に素直に少年は頷く。今の時間から夕方に着くのであれば、そんなに遠くはない。もうすぐ、なんて言っていい距離でもないとは思うのだが、そこはきっと突っ込んではいけない事なのだ。
ぶっちゃけると突っ込むとまた目について突っ込み返されそうなので黙っていた方が面倒にならない、と思っただけともいうのだが。
「まぁ、なら少し歩く速度を速めようか」
「歩いてるの俺だけですけどね。と言うか、浮遊の速度ってあげることができるんですか?」
「少なくとも人が走る程度の速度なら問題なく出せるね。特に魔力の消費なく」
「やっぱりそれなんてチートって能力ですね。俺にもください」
「転生してやり直すんだね」
「リッチになって帰ってくる!」
「確かに今の君にとって、お金は大事だね」
うん、と頷く監督員にあれ? と首を傾げる少年。今の話の流れでどうしてお金持ちと言う言葉が出てきたのかに即座に思い至らず、少しばかり考え込む羽目となった。
しばし間をおいて、あぁ、と手を打ち。
「や、リッチってそっちの意味じゃなくてですね?」
「不死種の上位魔物だろう? 大丈夫、解ってるよ」
「騙された! 俺騙された! 俺の純情返してください!」
「……はっ」
「鼻で笑われた!?」
本当に冷めた目で、浮遊の高度を上げて見下ろしながらの監督員の反応に少年は思わず泣きそうになり、けれど、ぎりぎり限界のところで耐える。だって、男の子だもん、と言う声がどこかから聞こえた気がした。
女の子なら涙が出てもいいのだが、男の子は涙を出しちゃいけないという事か。
「それはそれでどうなんだ」
「なにがなにでどうなんだい?」
「あれがこれでそうなんです」
「成程、どれがだれでそうなのか」
思わず零した言葉に監督員が反応し、答えれば納得したような感じで引いていく。あれーぇ、と首を傾げる少年だが、監督員は気に留めた様子はない。
「ぇっと、突っ込みなしですか?」
「面倒になった」
少年は静かに、けれど速やかに。
敗者のポーズをとる事を選択し。
そして、監督員はその背に素早く足を乗せる。
「……ぇーと。どうしてこうなった」
「君がそんな恰好をするから悪いんだと思うがね」
速度を上げてみたが、結局たどり着くのは夕方になるのだった。