↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
過労死社畜、悪役令嬢の飼い猫に転生する ~美人な飼い主にモフられながら、破滅フラグはチートでこっそりへし折ります~  作者: 真野真名
第一章 公爵家の猫は暇を持て余す

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/31

第二十一話「名前」




 パティの六歳の誕生日は、雪の日だった。


 王都の雪は、夜のうちに静かに降って、朝には世界を全部、白く塗り替えていた。

 庭の大樹は白い綿帽子をかぶり、噴水の縁には薄氷が張っている。


 そして俺の昼寝スポットも、見事なまでに雪化粧していた。


(……本日、屋外昼寝、中止)


 残念だが仕方ない。今日は屋内業務だ。

 屋内業務の内容は、一つしかない。


 ――誕生日である。


 フィロパトール公爵家の長女、パトリシア・テア・フィロパトール。

 満六歳。


 この家の今日の主役は、この世間知らずだ。




「パトリシア様、お目覚めを。本日はお誕生日でございます」


「んにゃ……」


「お目覚めを」


「……あと、じゅっぷん」


「十分後は、お祝いの席が始まっております」


「……あと、ごふん」


「同じことでございます」


 メイドたちに引きずり起こされるパティを、俺は枕元で眺めていた。

 誕生日の朝くらい、寝かせてやればいいものを。

 だが貴族の誕生日は、本人のものではなく、家のものらしい。祝われる側に、寝坊の権利はない。


 俺も起きた。伸びをして、毛を舐めて、支度完了。

 猫の支度は三秒だ。

 この効率を見習ってほしいものだが、パティの支度は三十分かかった。

 ドレスが白い。リボンが多い。仕上げに小さな金の髪飾りが留められた。


「……どう、ネコチャン」


「にゃ」


(似合ってる。……今日のお前は、なかなかのものだ)


「えへへ」


 パティはくるりと回った。スカートがふわりと広がる。

 今日のパティは、一段と輝いて見えた。誕生日の子供は、皆、少しだけ大人になる。一日限りの、見せかけの大人だ。


 その見せかけの大人が、次の瞬間、俺を抱え上げて宣言した。


「ネコチャンも、今日は特別だよ!」


(……ん?)


 特別の意味は、昼の祝いの席で分かった。



 場所は、屋敷の小食堂。


 並ぶのは家族だけだ。ロムルス、アウレリア、アウグスト、ユリウス。


 それにセバスが、いつものように傍らに控えている。


 小さな誕生日、内輪の席。……のはずが、テーブルの真ん中には、でかいケーキが鎮座していた。六段。ろうそくが六本。一段に一本という計算らしい。

 貴族の算数は、豪快だ。


「パティ。六歳、おめでとう」


 ロムルスが、座ったまま腕を広げた。


「おとーさま!」


 パティが駆け寄り、その腕に飛び込む。

 厳格な当主の顔が、見る間に蕩けていく。

 この人の娘への甘さは、構造的な欠陥と言っていい。

 直らない。直す気もないのだろう。


「ケーキ、でっかいね!」


「うむ。王都から菓子職人を呼んだ」


「すごい!」


「味の保証は、する」


「したの!?」


「……試食は、大事な仕事だ」


 当主自ら試食したらしい。この家の甘さは、遺伝している。


 次に、アウレリアが小さな包みを差し出した。


「パトリシア。お誕生日、おめでとうございます。……これ、よかったら」


「なあに?」


 包みを開く。


 中に入っていたのは、深い青色のサテンのリボンだった。


「わあ……きれい……」


「あなたの目の色に、似ていると思って。……髪に、結んであげても?」


「……うん!」


 パティが、おずおずと、アウレリアの前に座った。

 継母の手が、娘の髪を梳き、リボンを結ぶ。

 ぎこちない手つきだった。だが、丁寧だった。

 結び終わるまで、誰も何も言わなかった。


(……よし)


 あれから一ヶ月。

 あの青いリボンは、今度こそ、ちゃんと届いた。


 この家は、少しずつ変わっている。雪のように静かに。積もるのに気づかないくらい、ゆっくりと。


 アウグストの贈り物は、本だった。動物の図鑑。装丁の立派な、豪華なやつ。


「……字が、読めるようになったら」


「読めるもん! ……半分くらい!」


「……半分か」


 アウグストの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。

 マニュアル男なりの笑顔である。それでも、以前より、ずっと分かりやすい。


 そして、ユリウスの贈り物は――


「これ、僕が作った」


 小さな銀の鈴だった。


「……鈴?」


「鈴だ」


「ふつうの?」


「……普通の鈴だ」


 間があった。


「ただの鈴だ」


 二度言った。


 二度言った。怪しい。この男が「ただの」と二度言う時は、絶対にただではない。たぶん魔力の探知機か何かが仕込んである。

 ……まあ、いい。パティが気に入ったなら、それでいい。監視されるのは、もう慣れた。


 そして、贈り物が一通り並んだところで、ロムルスが咳払いをした。


「――では、パティ。最後に、家からの贈り物だ」


 セバスが、一歩前に出る。

 両手に、小さな細い箱を持っていた。


「パトリシア様。……こちらを」


 箱が開かれた。


 中には、黒い革の小さな首輪が入っていた。金の小さな鈴と、小さな銀の札つき。札には、まだ何も刻まれていない。


「これは……?」


「君の猫の、首輪だ」とロムルスが言った。


「……あの猫が庭に迷い込んで、もうすぐ一年になる。獣医の検査も済み、屋敷にも馴染んだ。セバスやグストの話では、行儀も良いそうだ」


(……監査、通過済みか)


「今日、その猫を、正式にフィロパトール家の猫として迎える」


「…………」


「それが家からの贈り物だ」


 ロムルスは、そこで少し考えた。


「……いや」


 パティを見る。


「あれは、君の猫だな」


 そして、銀の札を指した。


「君が名前をつけてやりなさい」


「…………っ」


 パティの目が、見開かれた。

 それから、ゆっくりとこちらを向いた。


「ネコチャン……パティのネコチャン、パティの、ネコチャン……?」


「にゃ」


(ああ。今日から、正式にな。よろしく頼む、飼い主)


 命名の儀は、その場で始まった。


 本来、こういう儀式には手順があるのだろうが、六歳児の前に手順は通用しない。パティは俺を両腕に抱え上げ、真正面から見つめて、真剣な顔で考え込んだ。


「えーっと……」


「ゆっくりでいいぞ」


 ロムルスが笑う。


「うーん……」


 家族が口々に候補を出し始めた。


「黒いから、ノワールなどどうだ」

 ロムルス。


「……夜、という意味の名も、いいと思う」

 アウグスト。


「僕が調べた古い書物によると、猫には特別な響きの名を――」

 ユリウス。


 パティは、全部首を横に振った。


「ちがう。……なんか、ちがう」


(……まあ、気に入るまで待とう。名前は、一生のものだ)


 と、その時。

 腕の中の俺が、じれったくなって――のそのそと動いてしまった。腕から抜け出し、テーブルの上に降りて、パティの方へ、二、三歩、歩いた。


 ――てと、てと、てと。


 小さな爪が、木のテーブルに当たって、小さな音がした。


「…………あ」


 パティが、目を丸くした。


「いまの、きこえた? いまの、きこえた!?」


「……何がだ」


「ネコチャンの足おと! てと、てと、てとって!」


(……え。俺の足音、そんな風に聞こえてたの)


 猫の爪の音である。肉球があるから人間の靴のような硬い音にはならず、かといって完全に無音でもない。とくに子猫のそれは、歩くたびに「てと、てと」と、乾いた小さな音を立てる。……確かに、言われてみれば。


「てと、てと……」


 パティは、口の中で転がすように、二度、三度、繰り返した。

 それから、ぱっと顔を上げた。


「――テト!」


「…………」


「ネコチャンの名前、テト!」


 パティは嬉しそうに俺を抱きしめた。


「テトテト歩くもん!」


(……まあ、分かりやすい)


「それにね」


 パティが、人差し指を立てた。


「もう一つあるの」


「もう一つ?」


「パティの名前と、おそろい!」


「…………」


「パトリシア・テアの『テ』!」


 パティは、自分の胸を指した。


「パティの『テ』、ネコチャンにあげる!」


 俺は、しばらく何も言えなかった。


 六歳児が、自分の名前を一文字、俺にくれる。

 それを、大したことではないような顔で。


「パティと、おそろいがいいもん」


(…………)


 なんだ、それ。反則だろ。


「……テト、か」


 アウグストが、口の中で確かめるように呟いた。


「悪くない響きだ」


「テトテトって、かわいいね」


 アウレリアも微笑んだ。


「……語源的には、特に意味はないが」


 ユリウスが腕を組む。


「まあ、いいか」


 異議、なし。満場一致だった。


「――よろしい」


 セバスが、首輪の銀の札を取り上げ、そこに、小さな彫刻刀で、丁寧に、一字一字、刻んだ。


 ――テト。


「これにて、儀、完了でございます。パトリシア様、どうぞ」


 パティが、両手で首輪を受け取り、俺の前に来た。

 そして、真剣な顔で言った。


「ネコチャン。……いや」


「テト。……今日から、あんたの名前、テト。……パティの、テトだよ」


 首輪が俺の首に巻かれた。

 金の鈴が、ちりん、と鳴った。


(…………)


 伊勢海典生(いせのうみ のりお)。

 リコライ製薬、理美容薬品開発課、リンス班、主任。


 その名前は、人毛の山と一緒にあの世に置いてきた。

 もう、その名前で俺を呼ぶ奴はいない。ここで俺を呼ぶのは――


「テト」


 パティだった。


「テト、テト!」


 何度も呼ぶ。


 鈴が鳴る。


 ちりん。


(……まあ、悪くない)


 正直、最初は「なんだその名前」と思った。


 だが。今は違う。俺は、テトだ。

 パティがくれた名前。

 パトリシア・テア・フィロパトールの「テ」を、一つ分けてもらった名前。


「にゃ」


 俺は、鳴いた。

 それが、受諾だった。


「えへへ。テト、テト!」


 パティが、俺を抱きしめた。

 ちりん、と、鈴が鳴った。


「……しかし、良かったな」


 ユリウスが、ぽつりと言った。


「僕はてっきり、『クロ』とか、『タマ』とかになると思っていた」


(……お前、分かってるじゃないか。それだけは、それだけは避けたかったんだよ)


「パティに、そんなセンスはないもん」


「……うん。うん、そうだね」




 その日の午後、俺は――テトは、雪の庭を、パティと歩いた。


 てと、てと、てと。


 小さな足音が、雪の上に、小さな跡を残していく。

 パティが、それを笑いながら追いかける。


「テト、こっち!」


「にゃ」


 白い庭を、二人で歩く。

 去年まで、俺はこの庭を「昼寝スポット」と呼んでいた。

 今日からは、少しだけ違って見えた。


 庭の真ん中で、俺は改めて思った。


(この家と)


(この昼寝スポットと)


(この世間知らずは、俺が守る)


 名前をもらった。それだけのことだ。なのに、不思議と胸が軽かった。

 俺は、もう、この家の居候ではない。

 少なくとも――パティにとっては。


「テト!」


「にゃ」


 雪が、また少し降り始めた。

 ――前世の名前が、静かに遠ざかっていくような雪だった。



 その夜、西棟の塔。


『黒猫観察日誌』


“本日、被験体に名前がついた。テト。

 パティの命名。由来は、足音と、ミドルネームの一字。

 ……いい名前だと思う。


 思うのだが、問題がある。


 この日誌のタイトルを、どうすべきか。

 『黒猫観察日誌』は、もう、正確ではない。あれは、黒猫ではない。テトだ。……名前があるものは、もう、被験体ではない。


 明日から、日誌のタイトルを変える。


 『テト観察日誌』


 ……なんか、負けた気がする。

 でも、仕方ない。名前というものは、そういう力を持っている。


 追記:……首輪の鈴、僕の作った探知鈴より、首輪の鈴の方が、よく鳴っていた。





第一章終了です。


ベルタさんのつまみ食い事件も解決。

「パティのネコチャン」にも無事名前が付きました。

めでたしめでたし……よね。


次は、幕間を一話挟んで、第二章「猫の手は借りられないので猫が動く」開幕です。


次章のパティちゃんは

自宅学習での攻防! パティvsテト。

ライバル令嬢登場! パティ、社交デビューする。

です。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。