↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
過労死社畜、悪役令嬢の飼い猫に転生する ~美人な飼い主にモフられながら、破滅フラグはチートでこっそりへし折ります~  作者: 真野真名
第一章 公爵家の猫は暇を持て余す

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/26

第十話「侍女頭の正義」




 この屋敷に来て、一ヶ月が経とうとしていた。


 ネズミ網は稼働し、昼寝スポットは確保され、飼い主の観察記録は順調に蓄積されている。屋敷の人間関係も、大方は把握した。


 厳格だが娘に甘い当主、ロムルス。

 カッチカチの長兄、アウグスト。

 塔の次兄、ユリウス。

 猫語通訳の老執事、セバス。

 そして、公爵夫人のアウレリアと――もう一人、気になる女性。

 気になると言っても、残念ながらそういう方向ではないので。



(……あの人、なんなんだろうな)


 俺がずっと「背景」として処理してきた人間が、一人いた。


 ベルタ。侍女頭。


 公爵夫人であるアウレリアの、側仕えだ。


 背景扱いしてきたのには理由がある。猫は、飼い主以外の人間に興味がない。これは俺個人の性格というより、猫という種の標準仕様だ。標準仕様に従って、俺はこの一ヶ月、ベルタという女をほとんど見ていなかった。


 見ていなかった、というより。

 ――見なくて済むように、出来上がっていた、のかもしれない。



 そのことに気づいたのは、例の庭掃除事件の翌日だった。


 まず、この家の構造を説明しておこう。

 グリッグのネズミ社会に伝わる言い伝えと、俺自身の観察を、照合した結果だ。


 フィロパトール公爵家の夫人、アウレリアは、パティの実の母ではない。

 パティの母親は、パティが二歳の時に亡くなった。そして、そのわずか一月後に、アウレリアが後妻として輿入れしてきた。


 公爵家の家政を預かる奥向きの席を、空けておくわけにいかない――そういう、貴族社会の事情である。


 輿入れの際、お供として一緒にやってきたのが、ベルタだった。


『つまりあの女は、この屋敷で三年。嬢ちゃんが二歳の時から、ずっとここにいる』


 グリッグが、梁の上で髭を撫でた。


『ウチのじいさんの言い伝えじゃ、来た当初のベルタは、ただの「きっちりした侍女」だったらしい。厳しいが、筋は通ってた。……それが、いつの間にか、ああなっちまった』


『ああ、とは』


『……嬢ちゃん絡みのことになると、目の色が変わる』


 その時の俺には、まだ、グリッグの言葉の意味が分かっていなかった。

 分かるのは、少し後のことだ。




 同日、午前。廊下。


「パトリシア様、本日はご機嫌よう」

「……ん」


「あら……そちらのお花、どうなさったの?」

「……にーにが、くれたの」


「まあ。……よろしかったのね」


 アウレリアとパティの会話は、いつもこんな調子だ。


 継母は、普通に話しかけている。少なくとも、普通に話しかけているつもりでいる。

 だがパティの返しは短い。目も合わない。塩というより氷だ。


 アウレリアが、小さく、小さく、ため息をつく。

 その横で――ベルタの顔が、一瞬だけ、強張る。


(……今の)


 俺は廊下の柱の陰から、その「一瞬」を見逃さなかった。

 猫の動体視力は、獲物の筋肉の痙攣を捉えるためにある。人間の顔面の筋肉の、ほんの小さな歪みくらい、お安いご用だ。


 あれは、苛立ちだ。

 パティに対する、苛立ち。主君の家族に向けるには、度を越した種類の。


 二歳で母を失った子供が、一月後にやってきた新しい「奥様」に、すぐ懐くわけがない。懐かない頑なさは、子供なりの喪失の証明だ。……俺にだって分かる。人間だった俺に分かることが、五年間寄り添ってきた侍女に分からないはずがない。


 分からないのではない。

 分かろうとしていないのだ。



 そして、その日の午後。


 場所はパティの部屋の隣の小広間。俺は窓辺で昼寝の体制に入っていた。入っていたのだが――この部屋に、ベルタがパティを呼び出したのだ。


「パトリシア様。昨日のお庭での一件、お聞きしております」


「……庭の?」


「使用人の子供と一緒に、落ち葉を拾われた、と」


(来たか)


 俺は寝たふりをしたまま、耳だけを完全に起動させた。


「うん。あれね、あの子が籠こぼしちゃって、かわいそうだったから――」


「パトリシア様」


 ベルタの声は、静かだった。静かで、丁寧で、そして、どこか温かい。だからこそ、質が悪い。


「それは、なさいませんように」


「……え?」


「公爵令嬢たるお方が、使用人の子と並んで、土に手をつく。……あの場面でなさるべきだったのは、お手伝いではなく、叱責です」


「しっ……せき?」


「籠をこぼすとは、なんたる不行き届きか、と、きちんと叱ること。それが貴族の務めです。あなた様が手を下せば、その子は叱られずに済む。叱られなければ、同じ失敗を繰り返す。……結果として、あなた様はあの子を、二度失敗させることになるのですよ」


(……うわ)


 俺は内心で、低く唸った。


 論理が、半分だけ正しい。

 半分だけ正しい論理というのは、全部正しい論理より始末が悪い。


「貴族とは、上に立つ者です。上に立つ者が下と並べば、下は『並んでいいのだ』と勘違いします。あなた様の行動一つで、公爵家の面子――お父様や、お兄様方が、侮られることになる。……それでも、拾いますか?」


「……ぁ…………」


 パティが、声を詰まらせた。

 五歳児には、この論理は重すぎる。お父様とお兄様の名前を出されては、反論のしようがない。


「わ、かった……」


「よろしい。……次からは、正しく、公爵令嬢らしく。あなた様のためです」


 ベルタは一礼して、部屋を出ていった。


 残されたパティは、しばらくじっとしていた。

 それから、窓辺に来て、俺を抱き上げて、ぽつりと言った。


「……ネコチャン。パティ、怒るの、にがて」


「…………」


「だって、あの子、こぼしちゃって、しょんぼりしてて……それを、さらに怒るの……」


(分かってる。お前は正しい。正しいんだよ)


「でも、おとーさまと、にーにが、ばかにされるのは、やだ……」


 パティは俺の毛に、顔を埋めた。


(……ああ、そうか)


 俺は、その時、理解した。

 この手法の、本当の悪質さを。


 これは「善意の誤訳」ではない。誤訳は事故だ。これは違う。

 これは――善意の摘除手術だ。


 「優しくすると、あなたの大切な人が傷つく」と教え込む。そうすれば子供は、自分から優しさを捨てていく。自発的に。誇りを持って。「正しい令嬢」になるために、正しい心を捨てていく。


 十年後に出来上がるものは、何だ。

 使用人を叱り、下と線を引き、横柄を「正しさ」として振る舞う、完璧な、教科書通りの――


 (……悪役令嬢、だ)


 あの昼休みの小説の、金髪縦ロールの、あの高笑いが、脳裏をよぎった。

 作られている。目の前で、作られている。五年間かけて、丁寧に、毎日少しずつ。


「にゃ」


 俺は、パティの顎の下に、頭をこすりつけた。

 俺にできる、今のところ唯一の反論だ。


「……ん。ネコチャン、あったかい」


(よく聞け、パティ。お前の感性は、壊れてない。昨日のお前の行動は、正しかった。……ただ、言い方と、やり方に、改善の余地があるだけだ)


 言えない。言えないのが、もどかしい。

 だが、言えない代わりに、できることはある。




 その夜、西棟の塔。



『黒猫観察日誌』


“本日、被験体の興味の対象が、侍女頭のベルタに向けられていた。

 庭掃除の件で、パティへの教育を行った際、被験体は一切介入しなかった。

 ただし、ベルタ氏が退室した後、長時間その方向を見ていた。……何を考えている? 僕には分からない。

 しかし、これまでと明らかに行動が違う。

 要、観察継続。


 追記:ベルタが最近ちょっとイライラしていて面白い。静観する”




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。