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◆十八時三分発 再会

 先週は雨ばかりだったが、宗一と旅行に行く日は梅雨の晴れ間になった。

 東京駅から九州地方に向かう夜行列車の発車時刻は十八時台だった。千陽はそれほど早く家を出る必要もなかったのに落ち着かなくて時間より早くに家を出た。そのせいで道中真夏のような日差しに皮膚がジリジリ焼かれてしまった。

 せっかく家を早く出たというのに弁当やお菓子、飲み物を買ったあとは改札内の待合室でぼんやりと案内板を見ていた。

 GWはすでに終わっているというのに、主要ターミナルはひっきりなしに人が行き交って混雑している。足元に置いていた旅行用の青いボストンバッグが、通行人の邪魔になり千陽は何度も自分の膝の上に置き直した。

 今日、宗一との待ち合わせは車内だった。

(なんか、そっけないっていうか……男同士の友達との旅行ってこんなもん?)

 でもよくよく考えてみればお互い会うのは十年ぶりだ。相手の顔を見ても本人と気付けないかもしれない。事実、結構長い間、ホームや待合室にいたが、同じ列車に乗るというのに宗一の面影がある人物は見当たらなかった。

 寝台車を待っている近くにいた人たちは、自分より年上の人ばかりだった。同じ年頃の若い人がいれば、一目で気づきそうなものなのに。

(ま、この人混みじゃ、仕方ない、か)

 千陽は寝台列車が初めてだったので少し緊張していた。宗一に会うのは楽しみだけど、ワクワク感より不安の方が大きい。

 見た目を裏切らず、自分は昔から気が小さいのだ。

 久しぶりに遠出する心細さもあって、もう大の大人なのに、宗一が隣にいてくれたら心強いのになぁと実に情けないことを考えていた。

 宗一は夜行列車によく乗っているらしくメールで「車内の飲み物は売り切れるから、絶対多めに買った方がいい」と教えてくれた。宗一のアドバイス通りに、千陽のボストンバッグの中には大きめのペットボトルが入っている。

 時間になって乗車口の前に立つと、青い車両が滑り込んできた。

 今回、貰い物のチケットというよく分からない理由で、千陽は宗一に列車代を奢ってもらったのだが、最初に千陽が手紙で受け取ったのは一人用の高価な個室寝台だった。

 あとからはやぶさについてネットで検索して知ったのは、この列車はすでに廃止が決まっている人気の列車だということだ。

 手持ちのチケット二枚のうち、一枚が開放寝台の下段と聞いて焦った。

 いくら宗一が普段から乗り慣れているからといって、誘ってくれた友人を差し置いて自分だけが個室を使うなんてありえない。

 電話とメールで協議した結果、開放寝台は千陽で、宗一が個室になった。

 千陽が使う方の座席はすでにメールで送ってもらっている。

「もしかして、宗一って、金持ちなんだろうか?」

 会っていない期間が長すぎて、今の宗一がどんな男になっているのか千陽は何も知らない。

 今回、一番驚いたのは、彼が東京に来た理由だった。――舞台俳優になるためなんて、子供の頃の宗一から全然想像できなかった。

 千陽の中の宗一は、やんちゃな少年のままだ。

(……てか俳優志望って、万年金欠が普通なんじゃないだろうか)

 停車した列車に乗り込んで、荷物を置いたあと、千陽は宗一のいる個室の方へ向かうことにした。通路を歩いている間に発車のアナウンスが聞こえてきて列車は動き出す。――今からほぼ丸一日、列車に乗りっぱなしだ。どんな長旅になるのか、千陽は全然想像できなかった。

 宗一との電話で、積もる話は個室の方でしようと話していた。

 ガタガタと不規則に揺れる列車の中を歩き、千陽は寝台個室の車両に入る。

 宗一がいる個室をノックして「宗一」と呼ぶと、すぐに中から返事がした。

 落ち着いたテノールだった。

 思い出のなかの宗一とは結びつかない大人の声だった。自分も同じ年齢だし、彼と同じように成長しているはずなのに、自分の方は昔と何も変わっていない気がした。

 個室の扉の開閉はテンキーで引き戸だった。中から「開いてるよ」と声が続いた。

 引き戸を開けると宗一は窓際に座ってこちらを見ていた。

「よっ、ちーはる」

「お、おう……」

 宗一に軽く指を振られたあと、言葉が続かなかった。

 窓から差し込む夕日に照らされ、宗一の彫りの深い顔立ちの陰影が際立っている。少し長めの黒髪で清潔感のある七三分けは、舞台俳優を目指しているだけあって洗練されて見えた。東京の街ですれ違えば、若い女性が思わず足を止めてしまうだろう。ビンテージっぽいロゴが入った黒いビッグTシャツに、ゆったりとしたデニムのバギーパンツ。普通ならだらしなく見えるような服装なのに、宗一だと逆にきっちりとして見えるから不思議だった。

 こっちはいつもの白Tシャツにベージュのチノパンだ。

 車内が寒くなるかもしれないと紺色のパーカーも持ってきているが、こちらも宗一のイケてるファッションと張り合えるような服じゃない。髪だって旅行だからとカットはしてきたものの切りっぱなしだから小学生のガキみたいだ。これならわざわざ切らない方が就活にくたびれた感じも相まって年相応に見えたかもしれない。

(いや、宗一とファッションバトルしに来たわけじゃないけど。でも久しぶりに会ったのに、俺……全然変わってないし、情けなくね?)

 千陽を見ていた宗一の目がふっと笑みを帯びる。

 その一瞬の退廃的な美しさに同じ男なのに思わずドキりとした。

 心を読まれたのかと思った。

「ん、どした? ぼんやりして」

 ベッド兼座席から立ち上がった宗一は、千陽より頭半分くらい背が高かった。狭い個室で宗一は千陽にハグしてきた。なんだか自分が海外ドラマの登場人物になったみたいな気持ちだった。それくらい宗一の抱擁は熱烈だった。

 これじゃ生き別れの兄弟に再会した場面だ。

 大袈裟じゃないだろうか。

 ひとしきり「あぁ、もう会いたかったー」と言われたあと、やっと体を解放された。もうお互い小学生じゃないのに、こんなところ誰かに見られでもしたら変に思われる。幸い個室で背中の引き戸はすでに閉まっているし、誰にも見られる心配はない。

「え、えっと、そ、宗一、だよな」

「そうですよお、宗一くんです。千陽くん。元気にしてた?」

 宗一の顔がぐいっと近くにきて、少し顔を傾けられる。

(顔が近い、顔が近い!)

 宗一の劇的な変貌に一人どぎまぎしていたら、ぺたぺたと頬を叩かれた。

「目、白黒させて、かーわい」

「かっ、かわいいってなんだよ!」

 宗一のからかいに千陽は顔を赤くするしかなかった。とにかく、距離が近すぎるのだ。

「ただの、感想。あぁもう、千陽は全然昔と変わってないなぁ」

「変わってなくて悪かったな!」

「褒めてるんだよ。元気そうで良かった。電話で就活悩んでるって言ってたし、俺、心配してたんだぜ」

「あ、うん。就活はまぁ、大変なんだけど元気にやってるよ」

「そっか、よかったよかった。まぁ、立ち話もなんだし、座れよ」

 言われるまま千陽は宗一の隣に座った。

 個室は奥に小さなテーブルがあって、座席の目の前には鏡がついている。一人で過ごすには十分な広さだが、当然、一人用なので、大人二人で座っていると圧迫感がある。以前はロビーカーが連結されていたらしいが、今はないので列車の中で宗一と話すならここしかなかった。

 目の前に鏡があるせいか落ち着かない。

 そわそわする原因はシングルに二人でいるせいもあるが、多分、隣に宗一が座っているからだ。

 子供の頃あんなに仲良くしていたのに、今は全然知らない人に見えた。宗一は隣にいるとそわそわするようなニチアサ俳優系の爽やかイケメンに成長していた。

「ちーはーる、寝ぼけてる? まだ寝る時間には早いよ」

「い、いや、なんかさ、宗一雰囲気変わっててびっくりして……そうだよな、お前芸能人だもんな」

「芸能人じゃなくて、舞台俳優目指してるだけ。肩書き、ただのフリーターだぜ?」

「えーそれ言うなら、俺、今無職だし。あぁでも全然宗一の顔分からなかった。同じ駅にいたのに」

「あんなに仲良しの親友だったのに薄情だなぁ。俺は千陽のことすぐに分かってたぜ? ホームに立ってるとき、後ろから観察してたし」

「お前なぁ、気づいてるなら声かけろよ」

 千陽はそう言って宗一の腕を小突いた。

「あはは、でもそれは、まぁ列車で再会する方が、感動的じゃん」

「そうかぁ?」

「そうそう、抱き合って感動の再会したかった」

「ふーん。まぁ、別にいいけどさぁ」

 改めて宗一の顔を横目で観察した。

 昔の面影があるとすれば、切長の目と、笑うと覗く、白い八重歯だろうか。そこだけが、唯一、昔の宗一らしいあどけなさを残している。

 それ以外は、別人だった。そして千陽と違ってとても立派な大人だ。単身東京にやってきて自分の夢を追う男。

「でも、十年だもんな、分からなくて当然か」

 そう、宗一がしみじみと続けた。

「でもなんで、急に俺に連絡してきたんだ?」

「言っただろ、劇団のオーディション受けたくて東京に引っ越してきたって。それで、かつての親友に声かけたんだよ」

 宗一は単身東京にやってきてから、ずっと孤独だったと続けた。誰が見ても整った顔立ちで愛嬌だってある。彼のようなタイプの男だと、新しい友達を探すのも容易に思えた。

「ほら、東京と村は全然違うからさ」

 ぽつり、とこぼした宗一の声は、少し寂しげに感じた。

 ――引っ越し、か。

 千陽にとって遠い記憶だ。遠いけど忘れていない。

 縁もゆかりもない土地で自分の人生をスタートさせること。

 自分の両親は、その苦労をいとも容易く乗り越えて幸せそうだった。それを千陽は今もどこかで恨んでいる。

 都会から村へ引っ越したときに感じた、どうしようもない孤独や不安は、大人になっても千陽の心に小さな無数の傷を残していた。

 宗一も過去の千陽と同じように、引っ越して東京で新しい生活をスタートさせた。

 村から、都会への生活の基盤を変える。

 東京の中で孤独を感じることと、村の中で孤独を感じること。

 どちらがより、寂しく、辛いことだろうか。どちらが、より孤独を感じるだろうか。

 ――俺も、寂しかった。

「確かに、東京って広いしな!」

「そうそう、田舎者に都会は厳しくてさぁ、千陽に連絡したってわけ」

「へぇ」

 千陽は努めて明るく応えたけれど内心、子供の頃の古傷が抉られたような痛みを感じた。

 宗一、宗一、宗一。

(俺も、俺だって、寂しかった、のに)

 村の中にいて、千陽はずっと寂しかった。宗一と親友で仲が良かったとしても、千陽の心の奥底には、常に孤独があった。埋められない寂しさに侵され続けていた。どんなに一緒にいても、宗一は千陽の全てを受け入れてくれたわけじゃない。

 村で千陽には宗一しかいなかった。あの村で千陽は、宗一に縋るしか孤独を埋める方法がなかった。

 埋めて欲しかった。他の誰でもない、宗一に埋めて欲しかった。隣で話している宗一の声が遠い。冷たく暗い闇が千陽の耳を目を、ゆっくりと犯していた。自分が自分じゃなくなる瞬間があった。村のことを思い出すたび、喉が酷く乾く。

 ――家族(いへひと)に。

 ――家族に、なら、家族にして。

 ――せ。殺して。

 ざらざらとした声が耳の中でうるさい。宗一が隣で喋っている声が聞こえない。

 思わず、耳を塞いだ。塞いでも、冷たい声が耳の中で千陽を呼んでいる。男とも女とも分からない声に呼ばれていた。

 突然、目の前が真っ暗になった。トンネルの中に入っただけで、実際、個室の中に灯りはついている。――明るい、はず、なのに。何も見えなくなった。

 いつまでも続く闇に耐えられなくて隣を見ると、宗一がいなくなっていた。宗一がいない。

「宗一、宗一、宗一」

 暗闇の中で、必死に手を伸ばして千陽は宗一を探していた。奈落の底まで落ちていく、――頼む。どうか、俺を内へ入れてくれ。

 必死で手を伸ばし、足掻いた時だった。

 キーッと電車の軋む耳障りな音で、現実に引き戻された。

 千陽は、耳を塞いだ状態で、暗くなる前と同じように座席に座っていた。

(え……さっきの、は……一体)

「どうした? 千陽? 耳なんか塞いで、あートンネルか、耳変になるよな。お茶あるけど、飲む?」

「あ……うん。飲む」

 宗一は、カバンの中から一リットルのペットボトルと紙コップを出した。

 さっきと同じように宗一は、変わらず千陽の隣に座っていた。


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