【最終話】帰路
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ことの顛末は、こうだ。
宗一は東京駅で夜行列車に乗る前から、千陽が失った記憶を取り戻せるようにと、ずっと千陽の前で演技をしていた。
記憶喪失を治す方法を調べて、それを片っ端から実践したそうだ。
催眠療法、暴露療法。トラウマの再体験などなど。
おかげさまで、とんでもない恐怖体験と悪夢に苦しんだ末に、千陽は無事に記憶を取り戻すことができた。
ありがたい。ありがたいけど!
荒療治にもほどがあるし、成功する保証なんてどこにもない。
宗一は着物や紋付袴を着て演技をすることで、千陽に事故にあった日のできごとを追体験させたかったそうだ。
舞台俳優志望だから、と。行動が突飛だし、はちゃめちゃ過ぎる。
宗一には他に向いている仕事がある気がした。具体的に、と聞かれても、すぐに思い浮かばないけれど。
「――で、お前が引っ越したあとさ、おじさんとおばさんから、千陽に連絡取らないようにって言われてたんだよ。接近禁止令」
「まぁ、後遺症というか実際病気だったし。全然今は発作とかはないんだけどな。村から出たあとは薬飲まなくても日常生活送れてたし、病院も行ってなかった」
「それはそれは、健康でなによりです。安心した」
東京駅で夜行列車から降りたあと、宗一と千陽は駅近くの喫茶店に入った。先月までの鬱々とした雨模様は去り、窓側の席には明るい太陽の光が差し込んでいる。
まだ朝の十時台だったので、テーブルの上にはモーニングのアイスコーヒーとバタートーストが乗っていた。
周りに座っている客がちらちらとこちらを見ているのは、宗一が目立つからだ。さすが若手舞台俳優(の卵)だ。一緒に歩いているだけで視線を集める。
宗一は相変わらずのニチアサ俳優系のイケメンだった。さっき夜行列車を降りたばかりだというのに全然だらしない格好じゃない。爽やかなライトブルーのTシャツに黒のストレートデニムをさらりと着こなしている。千陽が同じ服を着たら近所のコンビニに行くときの服になるだろう。こっちは行きと同じ服装の上に車内の冷房で体が冷えたせいで、紺色のパーカーを羽織っていた。どこからどう見てもただの部屋着だ。
おまけに頭の後ろには変な寝癖がついている。行きも帰りも見た目が何も変わってない。
同じ時間列車に乗っていたのに、宗一は少しも寒そうにしていないから不思議だ。体の筋肉量が違うのだろうか。
「宗一」
「ん?」
「行きも訊いたけどさ、そもそもなんで急に俺に連絡してきたんだよ?」
昔の約束を覚えていて千陽のために記憶を取り戻したいと思った。半分はそうかもしれないけど、そう思うには、そのきっかけがあったはずだ。
「えー言っただろ東京に来てひとりぼっちで寂しかったから」
「お前が?」
「なんだよ、疑うなぁ。あ、もちろん下心はあったよ」
「あ、そう」
「そこは、流すんだ?」
宗一はそう言ってテーブルの上の千陽の手を握っていた。やめて欲しい、さらに注目を浴びてしまうだろう。
「千陽手冷たい。ホットコーヒーの方が良かったんじゃね」
「寒いけど喉渇いてたんだよ。列車の中長かったし」
「そう」
「てか、本当に? 寂しかっただけ?」
「うん。一人で東京出てきたら、寂しいとか友達に会いたいって誰でも思うだろう」
「それは……そうかもしれないけどさ。宗一がそんなこと言うのが意外だったから」
千陽はストローでアイスコーヒーのグラスの中をカラカラとかき混ぜる。らしくないと思ったが、よくよく考えてみれば、衝動的に行動するところが、宗一らしいといえばらしいのかもしれない。
昔の宗一とか、理想の宗一とか、今の宗一とか。自分は難しく考えすぎなのだろうか。千陽も宗一くらい衝動的に生きたら何か人生変わるのだろうか。
「ところで千陽」
「なに?」
「千陽って、釣った魚に餌はやらないタイプか? ん?」
色っぽい仕草で誘われている。なんだか、変わってしまった親友が眩しかった。宗一が村から東京に出てきて、同じように一人の寂しさを知った今でも、どこか遠い人のように感じている。
付き合うとか、付き合わないとか。人間同士一緒にいるのにラベルが必要だろうか。まぁ、あれば安心するかもしれないけど。
子供の頃の千陽は、宗一と家族みたいなものになりたいと願っていた。
(今は、どうだろうな)
せめておなじならば、と。
異形が千陽に残した言葉を思い出していた。
一緒にいる方が不安になることもある。この先、宗一と一緒にいたとして、千陽が宗一を傷つけることもあるし、宗一が千陽を傷つけることもある。
好きな人がそばにいるのは幸せだ。けれど、どこまで行っても一人と一人。千陽と宗一は違う人間同士だし、どんなに努力したところで、寂しさなんて永遠になくならない気がした。
また難しく考え始めていた。宗一が好きなら好きで終わる話なのに。
結婚? 家族? 今更だ。ないない。このキラキラ若手舞台俳優(の卵)と付き合うとか、うん。ない。
「ちーはーる。大丈夫か? 無理やり色々思い出させて体調悪いなら、すぐに言えよ」
いつの間にか宗一の顔をぼんやり見つめていたようだ。
「連れて行かれるのはメンタルクリニックか? 冗談じゃない。普通に健康だって、ちょっと考え中なんだよ、色々と」
「おー好きなだけ考えてくれ。いつまでも待つから」
今のところ、目下の悩みは就職先くらいだ。
「――あ、千陽、ごめん電話だ」
宗一は千陽に断って、電話に出た。宗一の表情はころころ変わる。電話を切った宗一は満面の笑みを浮かべていた。
「な! 千陽! 聞いて聞いて、舞台のオーディション受かった」
「おーおめでとう。宗一すごいじゃん」
ほらな、また寂しくなった。近くにいるほど寂しくなるし、遠い存在が疎ましくなる。一緒になんていない方がいい。
「ありがとう。でも全然端役だし、すごくはないんだけど。あ、チケット渡すから絶対見にきてくれよな」
「もちろん。つかチケットくらい買うって、いつだ?」
せっかく同じ場所にいるのに、また宗一がどんどん遠くなっていく。
(せめておなじならば、と……か)
千陽は村から異形の心を持ち帰ってきた。村での悪夢が全て事故の後遺症が見せた幻だったわけじゃない。あの村には本当に非業の最期を迎えた人たちがいたんだと思う。
一日目の夜、千陽は異形に抱かれた。あれは宗一じゃなかった。いくら記憶喪失を治すための演技でも、宗一はあんな乱暴なことはしないと思う。首を絞めたり……それから……。
身体の内側がぞくりと疼いた。
――好き好きって言いながら二回もしたのに。
それに宗一は村で二回だと言っていた。あの夜のできごとは宗一の記憶に残っていないのだろう。
まだ千陽の身体の内には、別の何かがいた。
喫茶店を出て千陽は雑踏の中で宗一と向き合った。駅に吸い込まれていく人たちは誰も千陽たちを見ていない。
「さて、せっかくだし、このあとどっか遊びに行くか? カラオケとか映画とか」
「宗一、聞いて」
「なになに?」
千陽はうっすらと笑みを浮かべて、宗一の顔を見つめた。自分の内側にいる彼女みたいに妖艶には笑えないし、効果のほどは分からない。ただ彼女のように素直に生きるのも悪くないと思った。だって、宗一のことは好きだし。誠実さはなくとも、寂しさを埋める効率のいい方法は知っている。
「さっきの考えごとだけどさ。俺、宗一がまた遠くにいっちゃう気がして、寂しいって思ったんだ」
「お、急にどうしたんだよ。素直になって。可愛いなこのやろう」
宗一はブレなかった。もう少し動揺するかと思ったのに。
「俺なんてさ、無職だし、なんもいいところないじゃん。やりたいこともない。それに比べて宗一は、俳優目指してるし、俺となんて全然釣り合わないだろ」
「俺と釣り合うねぇ」
寂しいからさ、このあとなぐさめてよ、少し背伸びして宗一の耳元で囁いた。得意の演技で乗ってきてくれるかと思ったが、宗一は大真面目な顔をしてまじまじと千陽の顔を見つめてきた。そして唐突に両手を握ってくる。
「大丈夫だ、千陽」
「な、なんだよ」
「俺は千陽のケーキ食べたいです」
「は、はぁ? どういう意味、いきなりどうした」
「千陽のいいところの話。つまり千陽は今就活で悩んでるんだろ。俺は千陽の彼氏候補だし、頼りになるところ見せておかないとって思って」
「か、彼氏候補って」
宗一は千陽がしたのと同じように耳元で内緒話するように話す。
「だってさ、二回も寝たんだし、俺のこと彼氏候補にしてくれても良くない?」
「ばっ、バカ! 耳元で喋っててもお前、声が大きい!」
「あ、元に戻った。急にらしくないこと言いだすから、びっくりしたじゃん。千陽は慣れない演技とかしない方がいいよ。バレバレ」
「別に、これは演技とかじゃ……ない」
「で、俺、お前が作るケーキ食べたい」
「そんなに、ケーキ好きだったのか?」
「村にいた頃、千陽いっぱいお菓子作って食べさせてくれただろ。あれ、もう一回食べたいんだよね。だから、俺から提案だ」
「提案?」
「製菓の学校行くとかはどうだ?」
「えー学校って、俺もう大学卒業したのに?」
「いいじゃん好きなら。どうせなら千陽も俺と一緒に夢追い人になろうぜ。な、これなら俺と一緒だ。もう寂しくないだろ?」
夢はでっかく海外目指すっていうのはどうだ? そう言って宗一はにっと白い歯を見せて笑った。
「……俺、やっぱり宗一が好きだな。明るくて、元気でさ」
「うん、知ってる! じゃ、とりあえずカラオケ行こうぜ」
「えぇー今から?」
宗一はそう言って千陽の手を引いて前を歩き出す。
こんな寂しさを埋める方法があるなんて知らなかった。千陽の内側にいる異形もびっくりして今ので消滅したんじゃないだろうか。
ビルの隙間から空を見上げると、初夏の青空が広がっていた。
おわり




