四十九日限定、妻が幽霊になりました
【1.「ただいま」の玄関チャイム】
山下優人は、人生最大の不幸を経験したばかりだった。
妻・咲希を交通事故で失い、葬儀を終えたその日の夜。
「……静かすぎるだろ、この家」
線香の匂いがまだ消えない。時計の針の音だけがやけに大きく、時間が進むこと自体が罪のように感じられた。そんな部屋に一人、優人は虚無を眺めていた。何も手につかなかった。
家族は、咲希だけだった。
――生きる理由が、なくなった。
そう思いながら、照明をつける気力もなく、ソファに沈んでいると——
ピンポーン。
インターホンが鳴った。
(……放っとこう)
誰とも話したくなかった。
ましてや慰めの言葉なんて、今の優人には毒でしかない。
ピンポーン。
ピンポーン。
ピンポーン。
「……しつこい」
渋々立ち上がり、玄関へ向かう。
ドアを開けた瞬間。
「来ちゃった!」
そこにいたのは——
「……咲希?」
満面の笑顔で、
死んだはずの妻が立っていた。
脳が理解を拒否するより早く、
優人は反射的にドアを閉めた。
「ちょっと!なんで閉めんのよ!?」
外から抗議の声。
「入れてよ~!寒いんですけど!」
……幻聴にしては、うるさすぎる。
恐る恐る、再びドアを開ける。
「たっだいま~」
咲希は、何事もなかったように家に入ってきた。
「……君は……」
「ちょっと、人を幽霊みたいに言わないでよ」
一拍置いて。
「ま、幽霊なんだけど。笑」
優人は、その場に崩れ落ちた。
【2.四十九日限定夫婦生活】
「えっと……状況説明すると…」
咲希は、キッチンでお茶を淹れながら言った。
「神様曰く、魂は四十九日くらいこの世に残るらしくて」
「想いが強い人は、その間だけ幽霊になれる……とかなんとか?」
「軽っ……」
「私もそう思う」
咲希はケラケラ笑う。
しかもこの幽霊、
物に触れるし、優人にも触れられる。
現実味がありすぎた。
「じゃあ……他の人には?」
「見えないよ。優人限定」
「……都合良すぎないか」
「愛の力?」
ドヤ顔である。
それから始まった、
奇妙で、少し騒がしい生活。
咲希は、優人の世話を焼いた。
ちゃんと食べろ。
シャワー浴びろ。
洗濯溜めるな。
「家事、ちゃんとできるようになりなさいよ。」
「……死んでも小言は健在か」
「文句ある?」
「ありません」
気づけば、
優人は少しずつ笑うようになっていた。
【3.上司の訪問】
優人は会社員だが、咲希が死んでから全く会社に行っていなかった。
とても仕事が手につかなかった。
「有休」という名の、事実上「休職」状態である。
ある昼下がり、インターホンが鳴った。
今度は、現実の来訪者だった。
「……部長」
職場の上司が、紙袋を持って立っていた。
「お、おう、急に来て悪いな…」
それが、最初の言葉だった。
「顔を見に来たんだ。あと、少しだけど差し入れ…」
部長は、少しだけ間を置く。
「無理しなくていい。…でもな、みんな待ってる。それを伝えたかった。」
そう言って、帰っていった。
「……いい人だね」
咲希が言う。
「優人、仕事戻りなよ」
「……怖いんだ」
「わかる」
咲希は、優人の手を握った。
「でもね」
「生きてる人は、生きなきゃ」
その言葉に、
優人は何も返せなかった。
【4.無理に明るい幽霊妻】
四十九日が近づくにつれ、
咲希はやけに明るくなった。
「優人、今日は職場行った記念日!」
「半日だけだぞ」
「十分!」
拍手までしてくる。
夜も饒舌だった。
思い出話を、何度も。
未来の話は、しなかった。
「咲希」
「なに?」
「……消えるの、怖くないのか」
「怖いよ」
一瞬だけ、沈黙。
「だからさ」
すぐに笑顔。
「今を楽しも?」
その笑顔が、
少しだけ痛々しかった。
【5.最後の夜】
「今日は飲もう~!」
ある夜、咲希が言った。
出してきたのは、
度数の高い酒。
「……強くないか?」
「優人弱いもんね~笑」
自分の分も注ぐ。
乾杯。
喉が焼ける。
「……効く」
「でしょ」
咲希は、グラスを見つめていた。
(あと少し)
(もう、時間がない)
「明日で四十九日だね」
咲希が、さらっと言った。
「そうだ!思い出話しよ」
二人は、夜が更けるまで話した。
笑って。
泣いて。
酒は、静かに減っていく。
「優人」
「ん?」
「私がいなくても、生きていける?」
「……わかんないよ」
「そっか」
それでいい、と咲希は思った。
「……眠い」
「相変わらずお酒弱いね…」
優人は、微笑ったまま眠りに落ちた。
【6.別れ】
「残念。本当は今日が四十九日目でした…」
「……ごめんね」
眠る優人を見て、咲希は泣いた。
「もっと一緒に色んな話をしたかった。色んな場所に行きたかった。優人の子供だってほしかった。…もっと、もっと、優人と一緒に生きたかったよ。」
優人の寝顔に咲希の涙が落ちる。
「優人、私が目の前で消えたら、きっと立ち直れないでしょ。
だからさ、全部夢だったってことにしなよ」
「私のことなんて忘れちゃってさ、ちゃんと生きて…」
光が、咲希を優しく包む。
「……大好きだよ、優人」
そう言い残し、
彼女は消えた。
グラスを二つ残したまま…。
【7.朝】
優人は、一人で目を覚ました。
頭が痛い。
「……夢か」
テーブルを見る。
グラスが、二つ。
確かな現実。
優人は、静かに息を吐いた。
「……なんだよ、俺にはちゃんと片付けろってうるさいのに。ずるいだろ…」
でも、
その声は、確かに前を向いていた。




